移設ノーに追い風 名護市議選

「普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対

2010年9月13日 09時42分この記事をつぶやくこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録

 「これで移設問題を完全に終わらせる」「基地に頼らない振興策を」―。米軍普天間飛行場移設問題で全国的に注目された名護市議選は、辺野古移設に反対する稲嶺市政の与党が大きく過半数を上回った。新たな基地受け入れを国策として迫られてきた名護に、1月の市長選と同じ風が吹いた。また、渡嘉敷村では25歳で地域の農業発展を志す若者が最年少で当選を決め、国頭村では初の女性議員が誕生するなど、各地で新人候補が議席を伸ばした。

 【名護】「移設の振興策に頼らなくても、市民の知恵でまちづくりを進めたい」―。1月の市長選で、超党派で辺野古移設に反対する稲嶺進市長を誕生させ、市長派のまとめ役を担ってきた比嘉祐一さん(66)は、自身を含め市長派が過半数を獲得したことに「市議会でしっかり市長を支えていく」。真っ先に祝福に訪れた稲嶺市長と固い握手を交わした。

 過去には条件付きでの移設を容認してきた比嘉さんだが、前市政に対する不信感から、信頼できる稲嶺市長を担ぎ出した。「市長選と同じ結果が出た。名護市民は、もう基地はいらないと思っている」

 今後も市長の公約実現をサポートする与党市議団の一人として、移設にも反対する。市議会では移設反対の決議も検討していきたいという。

 比嘉さんの支持者の多くが保守系だ。移設に伴う経済振興策を否定する稲嶺市政の支持に回ったことで、風当たりは強くなった。考え方が変わったと受け取られ、離れていく友人や知人もいた。

 しかし、その批判に比嘉さんはこう答えた。「政権交代で県外、国外移設を求めるうねりになった。私が変わったというより、世論が変わってきた。その思いに寄り添うのが政治家の役目だと思う」。移設問題に区切りをつけ、市政と一体となって市民本位の活性化に取り組みたい考えだ。

「民意示された」
当選の反対派3人

 名護市議選では、米軍普天間飛行場の移設問題で、辺野古への移設反対の先頭に立つ人たちが相次いで当選を決めた。

 東恩納琢磨さん(49)は、2006年の同市議選で1票差で次点だったが、県議会選への現職市議の出馬を受け、繰り上げ当選。市長支持派の過半数という結果に「市長選、市議選と民意は示された。『基地は要らない』。これは名護市からのメッセージと国は理解してほしい」と訴えた。ヘリ基地反対協議会の仲村善幸さん(63)は2期目の当選。仲村さんは「雇用、医療、福祉。基地問題の解決を抜きにして、そのほかのまちづくりはできない。市民が分断された14年の間、名護市民が自覚し始めた結果だと思う」と語った。

 新人の川野純治さん(55)は、27番目最後の議席に滑り込んだ。熊本生まれ鹿児島出身。地縁・血縁はなかったが、一貫して基地建設反対を訴えた。「名護市は生まれ変わる。稲嶺市政を支えて基地問題を解決したい」と意欲を示した。

辺野古の議席継ぐ
容認派・宮城安さん「市長と交渉」

 「辺野古の議席を守ったぞ」。普天間飛行場の移設先に挙がる辺野古から新人の宮城安秀さん(55)が1000票を超える得票で当選。支持者らとバンザイを繰り返した。

 同区出身で、勇退する市議会議長の島袋権勇さんが「後継者」に指名。同区行政委員会の副委員長、辺野古移設を条件付きで推進する団体の代表などを務め、地元「容認派」の旗振り役として活動してきた。

 経歴から選挙戦では多くのマスコミに囲まれ、「(新人なのに)大臣になった気分」と笑いを誘うこともあったが、基地問題には触れず。当選インタビューでも「福利厚生など理解しやすい政策を訴えた」と慎重に言葉を選んだ。

 民主党政権で代替施設の位置や工法など詳細は決まっておらず、さらに飛行ルート拡大やオスプレイ配備などこれまでの容認の前提が崩れる状況。宮城さんは「行政委員会で協議し、稲嶺市長とも交渉を重ねたい」と意気込む。一方、野党系少数の結果に「(容認という)地元の意見を取り入れてもらうのはより難しくなった」と声を落とした。

 父親の安行さん(84)は、旧久志村議3期、合併後の名護市議2期を務めた。市内東海岸で最も人口の多い辺野古区の代表は、久志村時代から「東海岸のリーダー」という気概を持つ。「地域の声を市政に反映させる」。船出に鉢巻きを締め直した。

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