【コラム】日本人料理士に金正恩情報を頼る韓国(下)
金日成主席が抱く米国への恐怖心は大変なものだった。金日成主席は韓国に武装ゲリラを送って大統領府を襲撃させたが、警備が比較的手薄だった在韓米軍基地を攻撃したことはない。金日成主席はかつて7・4南北共同声明に合意した真の意図について、「何としても在韓米軍を撤収させることにあった」と語ったことがある。金日成主席にこのような感情を抱かせたのは、韓国戦争(朝鮮戦争)の記憶が鮮明に残っていたからだ。朝鮮戦争初期、釜山に向けて順調に進軍していた朝鮮人民軍は、洛東江戦線で米空軍による爆撃を受けて壊滅した。幸か不幸か分からないが、金日成主席はその場にいなかった。金日成主席が米軍の爆撃を目の当たりにし、その威力を実感して恐怖心を抱くようになったのは、平壌を脱出して逃れていた平安北道の高山地帯だった。会議中に爆撃を受けた金日成主席は、近くにある鉱山の地下坑道に何度も避難しなければならなかった。北朝鮮の公式記録は当時の模様について、「米帝の空中匪賊が1日も休むことなく連続して爆撃を加えてきた」と記録している。これはその時の高山地帯での模様を記録したものだ。
金総書記は権力を継承してから、「今度こそ経済改革に乗り出すだろう」という外部の予想を何度も裏切ってきた。しかしこれは厳密に言えば予測する側の勘違いだ。金総書記は後継者としての教育を受けていた1970年代、「経済に新技術と新たな方法を導入し、生産性を高める」ことを目指す「三大革命運動」を展開したが、最終的に経済を後退させるという正反対の結果を招いた。父が直接後始末をしなければ、後継者としての地位が非常に危うくなるほどの大失敗だった。その後、金総書記は父の70回目の誕生日を祝うため、主体思想塔や凱旋門などの巨大建築物を建てたが、経済問題にはほとんど手を出さなくなった。金日成主席が持つ米国への恐怖心と、金総書記が経済問題にうかつに手を出さないのは、このような事情があったのだ。
北朝鮮が金総書記の息子の国に変わろうとしている今、われわれはその息子について何も知らない。彼がいつ生まれてどのような教育を受けたのか、またどのような経歴を積んできたのかも分からない。金総書記の近くで長い間料理人として働いてきた日本人が伝えた、「白頭山で立ち小便をした」「若いころからたばこを吸っていた」などの雑談めいた話がすべてだ。この程度の情報しか分からないということ自体、非常に恥ずべきことだろう。北朝鮮が韓国を見くびらないようにするには、怒るべきときに怒り、耐えるべきときに耐えなければならない。しかし相手についてこのように何も知らないようでは、いつ怒っていつ忍耐すべきかさえ分からない。
姜天錫(カン・チョンソク)主筆