【コラム】日本人料理士に金正恩情報を頼る韓国(上)

 金正日(キム・ジョンイル)総書記の息子が朝鮮人民軍大将、朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に就任してから十日が過ぎた。父親が過去に歩んできた道や、現在の父の健康状態からすれば、この若者が来年、あるいは再来年に再び階級が上がり、北朝鮮権力の中核である軍を実質的に掌握する地位に登り詰めたとしても、何らおかしなことではない。先軍政治を掲げる国で軍を指揮するには、最終的に元帥に就任する必要があるだろう。金総書記は1992年4月25日、朝鮮人民軍創設60周年の際、父の金日成(キム・イルソン)主席のパルチザン時代からの部下、呉振宇(オ・ジンウ)と共に元帥の称号を受けた。そのとき、父のほかの仲間8人は、元帥の下に当たる次帥となった。朝鮮人民軍総司令官の地位はその前年、すでに父から受け継いでいた。国家主席が人民軍総司令官を兼任することになっていた当時、金総書記が朝鮮人民軍司令官となるのは、北朝鮮の憲法に違反するものだった。そのため北朝鮮は後日、この措置に合わせて憲法を改正した。現在、金総書記の健康状態は、当時の金日成主席よりもはるかに悪い。わずか30歳前後の、金総書記の息子が、北朝鮮の正規軍115万人をはじめとする770万の武装勢力を指揮する姿を目にする日は、それほど遠い先の話ではないだろう。

 金日成時代の北朝鮮憲法は、国家主席と最高人民会議代議員(韓国の国会議員に相当)の任期を4年としていた。しかし、金日成主席が生存中、この規定が守られたことはない。わずか3年で選挙が行われたことがあるかと思えば、またあるときには8年間にわたり、選挙がないこともあった。金日成主席が実質的な権力を握った1948年から死去した94年までの46年間、この種の選挙は計9回しか行われなかった。北朝鮮政治における掛け算は、「4×9=36」ではなく「4×9=46」になるということだ。しかし朝鮮労働党はさらにひどい。党の規約では5年ごとに党大会を行うことになっているが、実際は1980年以降、30年にわたり党大会が開催されたことはない。それでも金日成主席は、党中央委員会を1年に1回か2回は開催し、秘密会議を開催したときも、第何回の何の会議が開催されたと推測できる端緒は残して置いた。その後、金正日総書記の時代に入ると、北朝鮮はさらに予測困難な国となった。北朝鮮についてしっかりと理解するには、北朝鮮で絶対的な権力を持つ者がどんな人間かをまずは知っておかなければならないということだ。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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