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大阪地検特捜部検事による証拠の改ざん事件で、前田恒彦検事は近く証拠隠滅罪で起訴される方向だ。最高検による捜査の焦点は、上司の特捜部長と副部長による犯人隠避容疑に移ったかにみえるが、まだそうで[記事全文]
取材で知ったことを報道の目的以外に使ってはいけない。ましてや、捜査対象となっている相手に伝えるとは、報道の基本を踏み外している。警視庁が大相撲の野球賭博問題で家宅捜索に[記事全文]
大阪地検特捜部検事による証拠の改ざん事件で、前田恒彦検事は近く証拠隠滅罪で起訴される方向だ。最高検による捜査の焦点は、上司の特捜部長と副部長による犯人隠避容疑に移ったかにみえるが、まだそうではない。
郵便不正事件について無罪が確定した厚生労働省の村木厚子さんを、事件に関与していないことを示す証拠を隠したまま逮捕した疑いが残っている。事件は最初からでっちあげだったのではないかということである。
前田検事は、検事のもつ逮捕権限を乱用して事件を捏造(ねつぞう)したのではないか。最高検はそうした疑惑についても捜査を尽くさなくてはいけない。
問題のフロッピーディスクは昨年5月末、村木さんの部下で先に逮捕された係長の自宅から押収された。
前田検事は当時、村木さんが2004年の「6月上旬」に偽の証明書発行を係長に指示したとみて捜査を進め、それに沿う関係者の供述調書が作成された。ところが、ディスクを分析した同僚検事がそれより早い「6月1日未明」に偽証明書ができていたことをみつけ、前田検事に報告した。
だが、前田検事は都合の悪いその証拠を隠し、上司の決裁をとって村木さんを逮捕した。そして起訴後にディスクのデータを書き換え、間もなく同僚検事にその事実を告白したという。
証拠の改ざんは、村木さんに容疑がなかったことを覆い隠すための事後の工作だったのではないか。最初から不都合な証拠を隠し、冤罪(えんざい)を生んだのだとすれば、その罪はより重い。
事件の構図が崩れたのは、「6月1日」と正しく記載された捜査報告書のためだった。検察が証拠開示したその報告書は裁判で弁護側の証拠として採用され、村木さんの無実を証明する決め手になった。
前田検事はその報告書の存在を知らなかったという。もし報告書に気づいて、開示する前に抜き取っていたら、村木さんは有罪になっていたかもしれない。大きな権限をもつ検事が暴走したときの恐ろしさを感じる。
それにしても、前田検事の上司らはどんな決裁をしていたのだろうか。
この事件は証明書の偽造という文書犯罪である。ディスクは極めて重要な物証であり、それに注目するのは捜査の常道だ。村木さんの逮捕前に押収の事実や解析結果が報告されず、上司も報告を求めなかったとすれば不自然だ。逮捕の後も、上司が捜査報告書を見ていれば、起訴するまでに見立て違いを見抜けたはずだ。
前田検事が「決裁が通らないのが怖かった」と供述している大阪高検の幹部は、決裁にどうかかわったのか。改ざんを告白された同僚検事はなぜ不正を知らせなかったのか。最高検が解明すべきことは、なお山積している。
取材で知ったことを報道の目的以外に使ってはいけない。ましてや、捜査対象となっている相手に伝えるとは、報道の基本を踏み外している。
警視庁が大相撲の野球賭博問題で家宅捜索に乗り出すという情報を、NHKスポーツ部記者が、渦中にあった時津風親方に携帯メールで送っていた。今年7月、親方の部屋が捜索を受ける9時間前である。
親方は当時、賭博に関与したとして捜査の対象になっていた。警視庁はこの記者から任意で事情聴取し、証拠隠滅や犯人隠避などにあたらないか調べている。そうした刑事責任の有無を別にしても、記者の行為は重大な問題をはらんでいる。
記者はNHKの内部調査に対し「関係づくりに生かそうと思った」「手柄になるかもと考えた」と話している。
NHKでは2年前、記者ら3人が特ダネ情報を入手して一足先に株を売買するインサイダー取引が発覚した。その後まとめた「新放送ガイドライン2008」にも「業務上知ることのできた機密や個人情報、プライバシーなどの情報を、決してほかに漏らすことはしない。情報漏洩(ろうえい)は重大な不正行為であることを認識し、適正に管理する」とうたわれている。明白な違反だ。
メールを送った記者は、他社の記者から聞いた捜索情報だったと説明しているそうだが、記者だから知り得た情報である重大さに変わりはない。
新聞や放送の記者は、知り得た情報を読者や視聴者に届けることを使命としている。法廷や競技場の最前列で取材できるのは人々の知る権利に応えるためだからこそだ。決して記者個人や所属する組織の利益のためではない。
今回のような逸脱が続けば、報道機関全体への信頼がゆらぎ、ひいては自由な報道で国民が情報に接する民主主義の根幹を揺るがしかねない。
NHKは警視庁の捜査を待つだけでなく、第三者委員会を設け、問題の記者をふくめ報道局全体で過去に情報漏洩がなかったか調査すべきである。
NHKスポーツ部の中でも相撲担当は特殊な位置づけにあるという。今や大相撲の中継はNHKだけが続けているからだ。制作局にいたプロデューサーは「取材対象者との距離感に問題はなかったのか」と話す。
NHKが払っている相撲中継の放映権料は年間で28億円程度といわれる。NHKと相撲協会は力をあわせ、相撲ファンにこたえてきた関係にある。
その長年の関係を考慮してもなお、不祥事を繰り返した相撲協会に法令順守を求めるために、NHK会長が名古屋場所の中継をやめると決めた。そのことを放送で説明した直後に、記者はメールを送った。
問題を重視し、NHKは全力で信頼を回復してほしい。