チベット子供村
信徒さんから、NHKテレビが放映した「アジアンスマイル『チベット子供村』の祈り」をDVDにしていただいた。
7歳の時にインドのダラムサラへ亡命し、育てられた恩返しに教師となった青年ノルブの目線で『チベット子供村』の様子を伝えている。
『チベット子供村』は1960年にチベットの自由を実現する人材を育てることを目的に造られ、現在は幼稚園から高校まで1900人の子供たちと236人の教師が学んでいる。
(ダラムサラ全体では約1万人の子供たちがいる)
子供たちの生活費と教育費は無料、経費は世界中のチベット人や支援者から送られてくる。
チベット語の授業が中心だが、国際性のある若者を育てるため、英語は必須科目となっている。
民族のアイデンティティーを教えるため、民族の証として、チベットの手工芸「カデン」を見せたりする。
チベットから亡命した子供たちはまず、「難民受け入れセンター」に到着する。
初めはホームシックで泣いても、すぐに子供たち同士が仲良くなり、いつまでも泣いている子はいないという。
子供たちが描いた故郷の様子は恐ろしく、哀れでもある。
町中のいたるところに銃を持った中国人が立ち、住民や僧侶はあちこちで脅されている。
いかに自由がないか、その緊迫感が推し量られる。
チベットに未来がないと考えた親は、もう、二度と会えないかも知れないと覚悟しつつ、可愛い我が子を危険な旅に出す。
「ダライ・ラマ法王のもとで、教育を受けさせたい」一心が、苛酷な決断をさせる。
そして、7歳ほどの子供も含め、2週間以上かかるいのちがけの亡命が行われる。
授業の柱はチベット仏教である。
まだ小学生ほどの幼い子供も、専門の僧侶が行うような「問答」を行う。
教師が「時は永遠か?」「空は永遠か?」「写真に写った花は花か?」などと問い、子供は「天気が変わるから空は変化している。変化するものは永遠ではない」などと答えている。
宗教が見事に排除された学校で教育を受け、刺激的なアニメなどに見入って時を過ごしがちな日本の子供たちとはまったく異なる心の世界が形成されることだろう。
拝金主義を背景にして異様な経済成長を続ける中国では、宗教への取締が厳しい。
日本も中国も欲望を解放するのに熱心で、宗教を逼塞(ヒッソク…閉じこめること)させたままであれば、国の未来はどうなることだろう。
ダラムサラには、子供たちが共同生活する寄宿舎が42棟ある。
寮母が母代わりとなり、年長の子供が小さな子供の面倒をみている。
朝食のチャイは、感謝の祈りを捧げない限り食べられない。
カメラは祈る子供たちの清浄な表情を追うが、父親から「お前はがんばって勉強し、大きくなったらチベットへ帰れ」と言われて送り出されたばかりの子供は、家族の身を案じて顔を出せない。
学校では、高校生が後輩へ歌や踊りを通じて文化を伝えるために「文化祭」を行う。
参加する難民二世の高校生は言う。
「私たちには国がないから、他の国の子供が一歩前進する時、二歩も三歩も進まねばならない」
自分で壊れたリンブー(横笛のようなもの)を修理して「チベットの母を讃える曲」の演奏に挑む男子は言う。
「親と遠く離れて暮らす子供たちの心へ響くようにやります。リンブーはチベット文化の一つなので一生、演奏を続けてゆきたい」
教師となったノルブは言う。
「ここで生まれてチベットを知らない子供たちと、チベットから逃れてきた子供たちが文化祭を通じて一つになるようにしたい」
いつの日かチベットへ帰られることを信じ、次の世代へチベットの心を伝えようとする『チベット子供村』の活動は尊厳に満ちている。
故郷チベットで待つ父母が元気でいるうちに故郷へ帰られるよう、帰るはずのチベットが地上から抹殺されないよう祈りたい。
最後に、アルピニスト野口健氏のブログを紹介しておきます。
平成20年3月22日付の「チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜」は、こう締めくくられています。
実際、これ以降、中国政府は野口健氏へ入山許可を出さず、野口健氏を支えていたスポンサーで降りるところも現れました。
しかし、野口健氏は臆することなく人権侵害への抗議の声を挙げ続けています。
まぎれもなく、菩薩です。
「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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7歳の時にインドのダラムサラへ亡命し、育てられた恩返しに教師となった青年ノルブの目線で『チベット子供村』の様子を伝えている。
『チベット子供村』は1960年にチベットの自由を実現する人材を育てることを目的に造られ、現在は幼稚園から高校まで1900人の子供たちと236人の教師が学んでいる。
(ダラムサラ全体では約1万人の子供たちがいる)
子供たちの生活費と教育費は無料、経費は世界中のチベット人や支援者から送られてくる。
チベット語の授業が中心だが、国際性のある若者を育てるため、英語は必須科目となっている。
民族のアイデンティティーを教えるため、民族の証として、チベットの手工芸「カデン」を見せたりする。
チベットから亡命した子供たちはまず、「難民受け入れセンター」に到着する。
初めはホームシックで泣いても、すぐに子供たち同士が仲良くなり、いつまでも泣いている子はいないという。
子供たちが描いた故郷の様子は恐ろしく、哀れでもある。
町中のいたるところに銃を持った中国人が立ち、住民や僧侶はあちこちで脅されている。
いかに自由がないか、その緊迫感が推し量られる。
チベットに未来がないと考えた親は、もう、二度と会えないかも知れないと覚悟しつつ、可愛い我が子を危険な旅に出す。
「ダライ・ラマ法王のもとで、教育を受けさせたい」一心が、苛酷な決断をさせる。
そして、7歳ほどの子供も含め、2週間以上かかるいのちがけの亡命が行われる。
授業の柱はチベット仏教である。
まだ小学生ほどの幼い子供も、専門の僧侶が行うような「問答」を行う。
教師が「時は永遠か?」「空は永遠か?」「写真に写った花は花か?」などと問い、子供は「天気が変わるから空は変化している。変化するものは永遠ではない」などと答えている。
宗教が見事に排除された学校で教育を受け、刺激的なアニメなどに見入って時を過ごしがちな日本の子供たちとはまったく異なる心の世界が形成されることだろう。
拝金主義を背景にして異様な経済成長を続ける中国では、宗教への取締が厳しい。
日本も中国も欲望を解放するのに熱心で、宗教を逼塞(ヒッソク…閉じこめること)させたままであれば、国の未来はどうなることだろう。
ダラムサラには、子供たちが共同生活する寄宿舎が42棟ある。
寮母が母代わりとなり、年長の子供が小さな子供の面倒をみている。
朝食のチャイは、感謝の祈りを捧げない限り食べられない。
カメラは祈る子供たちの清浄な表情を追うが、父親から「お前はがんばって勉強し、大きくなったらチベットへ帰れ」と言われて送り出されたばかりの子供は、家族の身を案じて顔を出せない。
学校では、高校生が後輩へ歌や踊りを通じて文化を伝えるために「文化祭」を行う。
参加する難民二世の高校生は言う。
「私たちには国がないから、他の国の子供が一歩前進する時、二歩も三歩も進まねばならない」
自分で壊れたリンブー(横笛のようなもの)を修理して「チベットの母を讃える曲」の演奏に挑む男子は言う。
「親と遠く離れて暮らす子供たちの心へ響くようにやります。リンブーはチベット文化の一つなので一生、演奏を続けてゆきたい」
教師となったノルブは言う。
「ここで生まれてチベットを知らない子供たちと、チベットから逃れてきた子供たちが文化祭を通じて一つになるようにしたい」
いつの日かチベットへ帰られることを信じ、次の世代へチベットの心を伝えようとする『チベット子供村』の活動は尊厳に満ちている。
故郷チベットで待つ父母が元気でいるうちに故郷へ帰られるよう、帰るはずのチベットが地上から抹殺されないよう祈りたい。
最後に、アルピニスト野口健氏のブログを紹介しておきます。
平成20年3月22日付の「チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜」は、こう締めくくられています。
「チョモランマは私にとっての聖地でもあります。
中国にとってタブー中のタブーであるチベット問題について発言を繰り返せば二度とチベットに入れなくなるかもしれない。
すでにその手の忠告がないはずもない。
ひょっとすると、もう二度とチョモランマに帰れないかもしれない。
私の故郷が一つ奪われてしまうかもしれない。
極めてデリケートなテーマだけに正直、発言に躊躇もしたが、しかし、現場を知っている人間は逃げられない。
そして語らないことは加担する事と同じだ。
確かに一登山家に出来る事は限られている。
しかし、私にも何かが出来るはず。
そうせめて声を上げ続けていきたい」
実際、これ以降、中国政府は野口健氏へ入山許可を出さず、野口健氏を支えていたスポンサーで降りるところも現れました。
しかし、野口健氏は臆することなく人権侵害への抗議の声を挙げ続けています。
まぎれもなく、菩薩です。
「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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