ベルギー訪問後に流産したこと
2010/10/10 Sun 05:30
その後、12月13日に懐妊の兆候があると宮内庁が発表しましたが、12月30日稽留流産と診断され、手術をしたそうです
ベルギー訪問後に妊娠の発表、そして流産の発表と続いたことから、ベルギー訪問をしたことと流産の因果関係があちこちで語られているのは私も知っていました
批判サイトについていた事件名は、「ベルギー訪問の際、懐妊兆候を知りながらそれを隠して渡欧、ワインを普通に飲んだり、帰国した後に流産。因果関係は不明だが、そもそも8年間不妊で妊娠初期状態を知っていたら、まともな女性なら用心して飲酒しないだろ事件」というもの
情報源は「週刊朝日」1999年12月24日号だそうです
記事の内容をざっと読んだところ、雅子さまが懐妊したと発表された後・流産と発表される前に書かれた記事のようです
とても長い記事なので要所要所を引用します
雅子さまが体の変化に気づいたのは11月下旬だったという。生理がなく、基礎体温が上昇していた。侍医に相談して、12月初め、妊娠検査薬を使ったところ、陽性。1993年6月のご成婚から6年半、待ちに待った朗報だった。
ところが12月3日からはベルギー皇太子の結婚式に、皇太子とともに出席することになっていた。
「体のことだけを考えると、キャンセルしたほうがよかったかもしれない。でも、ドタキャンすればマスコミに「ご懐妊では?」とまた詮索されることになるし、日本の皇室にとってベルギー王室は特別な存在なので、出席したかったようです」(皇室に詳しいジャーナリスト)
宮内庁幹部は、皇太子夫妻の意向も踏まえて、雅子さまのベルギー訪問にゴーサインを出した。ただ、万一を考えて侍医を随行させた。短期の海外訪問で、通常は侍医が同行することはない。外務省にも「ご懐妊」は知らせなかったため、外務省や宮内庁内部で、「なんで侍医がついていくんだろう」と噂になったという。
滞在中は、兵藤長雄大使の公邸に泊まったが、兵藤大使はこう驚く。
「ワインも普通に飲まれていたし、まったくそんなそぶりはなかった。今考えれば、侍医がついてきていたのはそういうことだったんですね」
ベルギーから7日に帰国した雅子さまは、再び簡単な検査をして、やはり陽性の反応を得た。天皇、皇后には報告したが、ベルギーからの帰国報告のため賢所を参拝する予定は、「風邪気味で発熱があるため」(宮内庁)として延期。東宮御所での運動も控えていたという。13日に宮内庁病院で超音波による精密な…(記事の画像が不鮮明なため内容不明)…「雅子さま 懐妊の兆候」とスクープ報道し、「平成の慶事」が表に出た。この時点で妊娠5週目ほどといわれ、出産予定は来年夏。男児なら皇太子に次いで皇位継承順位2位の「お世継ぎ」となる。
皇太子妃の懐妊発表は、戦前は妊娠から3ヶ月以後、安定してから行なわれてきた。しかし、美智子さまが浩宮さまを懐妊したときは、妊娠2ヶ月の時点で非公式に発表された。2度目以後の懐妊は、3ヶ月程度。秋篠宮妃(紀子さま)の場合は、眞子さま、佳子さまの二度とも妊娠2ヶ月で発表された。
今回は妊娠2ヶ月足らずの発表予定だったが、
「報道の過熱ぶりからみて、隠しとおせないだろう」(宮内庁関係者)
との判断もあったようだ。ただ、今回は突然の報道となり、宮内庁には宮家からも、
「懐妊って書いてあるけど、本当か?」
という電話が相次いでかかってきたという。
皇室取材記者の一人は、
「今思えば、ということが多い」
と言う。
いつものことながら、これらの情報を提供している「皇室に詳しいジャーナリスト」や「宮内庁関係者」は一体誰なんだって思います
誰からの情報かは定かではありませんが、雅子さまが体の変化に気づいたとか、生理がなかったとか、基礎体温が上昇していたとか、妊娠検査薬を使ったとか、そんなプライベートなことをどうやって知り得たのか…週刊朝日に聞きたいですね
それはさておき、この記事を読んで、いわゆる状況証拠と言うのでしょうか、雅子さまが懐妊していたであろうという証拠らしい証拠はベルギー訪問の際侍医が同行したということだと思いました
その他の証拠らしい証拠になるようなものは、「今思えば、ということが多い」という言葉で済まされているように思いました
これって後から「そういうことだったのだ」とわかってから、「そう言えばあれもこれも…」という感じで、結びつけてしまうようなものに思えてしまいます
雅子さまがワインを普通に飲んでいたことも「妊娠を知らずに飲んでいた」のではなく「妊娠を知っていたのに飲んでいた」とされているのもどうなんだろうと思いますね
この記事を読んだとき、「うーん、批判されても仕方がないかもなあ」という思いを抱いたのですが、よくよく読んでみると「おかしいなあ」と思うことがありました
とりあえず、この記事を事実とした上で時系列にまとめてみます
11月下旬:雅子さま体の変化に気づく・生理がない・基礎体温が上昇している・妊娠検査薬で陽性反応
12月3日:皇太子夫妻ベルギーへ発つ
12月7日:皇太子夫妻帰国・簡単な検査で陽性反応
12月13日:宮内庁病院で超音波による精密な検査(妊娠が確認されたと考えられる)(妊娠5週目ほど)
12月30日:稽留流産の手術
妊娠が確認されてから稽留流産の手術を受けるまでに診察などを受けているとは思うのですが、いつかわかりませんでした
でも、それがわからなかったとしてもこれだけの情報からわかってくることがあります
11月下旬に雅子さまが生理がない・基礎体温が上昇しているなどの体の変化に気づき、妊娠検査薬で陽性反応が出たとのことですが、これは生理予定日近辺の反応ですね
一般的に妊娠検査薬というのは生理予定日から一週間後から使用しますが、私の経験からいうと、生理予定日を少し過ぎたあたりで薄い反応が出ることがあります
妊娠の月の数え方ですが、妊娠していた場合、次の生理予定日の時点で妊娠2ヶ月目に入ります
つまり、妊娠1ヶ月は一番最後の生理が始まったときから数えるわけで、1ヶ月目が始まった時点では妊娠は愚か受精もしていません
人によってそれぞれ差があるものの、一般的に生理周期は28日、受精してから妊娠に至るまでには2週間かかります
わかりやすく説明するために、1日に生理があったとします
14日が排卵日、この日に性交をし、卵子と精子が受精します
受精卵は細胞分裂を繰り返しながら一週間かけて卵管から子宮に移動します
子宮に移動した受精卵はそこから約1週間ほどかけて着床(子宮の壁にくっつく)します
妊娠は着床した時点で始まるものですが、妊娠に気づくのはこの時期でつまり次の生理予定日・妊娠2ヶ月目に入ったあたりということになります
妊娠の週の数え方ですが、週数は0週から数えます
妊娠1ヶ月は0〜3週、妊娠2ヶ月は4〜7週、妊娠3ヶ月は8〜11週です
もし雅子さまが11月下旬に生理がないだとか基礎体温が上昇していただとか陽性反応が出たのだとしたら、12月13日の時点で妊娠5週目であるはずがありません
11月の下旬…25日が生理予定日だったとすると、11/25から妊娠2ヶ月目(4週目)になり、12/13の時点では6週目後半あたりということになります
12/13時点で5週目だとすると…仮に12/13を5週目の中間日とすると…11/25は2週目の最終日になり、この時点では妊娠はおろか、受精もしていない状態ということになります
ちなみに12/13を5週目の1日目または7日目としてみたとしても、11/25の時点では2週目または3週目にあたり、まだ生理予定日は来ていませんから、「生理が来ない」という状態ではありません
11月下旬は21〜30日までですから、「11/25よりも前にわかっていたんじゃないか」とつっこまれそうなので、11/21を4週目初日としてみると、12/13の時点では妊娠7週目に当たりますし、「それじゃあ25日よりももっと後だったんじゃないか」とつっこまれることも考えられるので、11/30を4週目初日としてみると、12/13は5週目最終日となり、ぎりぎり「5週目」ですが、これだとベルギー出発前に妊娠していると判断するには微妙になってきます
これらのことを考慮すると、雅子さまはベルギー出発前には妊娠を自覚していなかったのではないかと思います
何らかの兆候を感じることもある時期ではあるものの、それは個人差がありますし、少なくとも妊娠検査薬などで反応が出るには微妙な時期ではないでしょうか
また、11月下旬に妊娠検査薬で陽性反応が出たのに、なぜ12/7にまた妊娠検査薬だけでのチェックになったのかにも疑問があります
検査薬で陽性が出はじめる時期に病院に行っても、「一週間後に来てください」などと言われることがあります
これはまだ胎芽などがあまりに小さいため、超音波で妊娠したかどうかの確認はできないからです
超音波検診は生理予定日から約2週間後から可能とされ、これは妊娠2ヶ月の半ば・妊娠5週目ということになります
自分の経験からだと、もう少し早い段階でも確認できた気もします
11月下旬で陽性反応が出ていたのだとすれば、早くても妊娠2ヶ月目に入っていたと考えられ、12/7には超音波での診断ができる時期だと言えます
なのに超音波検診が行なわれたのは12/13ですから、12/7の時点ではまだ超音波診断ができる状態ではなかったと考えられるのではないかと思うのです
こういった点から、この記事の内容は間違った情報が入っていると思います
すべてが間違っているのではないかも知れませんが、この記事のいくつかの情報を元に分析するとつじつまが合わない、という状態です
それから、雅子さまが流産した原因がベルギー訪問をしたからだとありますが、ベルギー訪問がまったく関係ないとは言えないものの、これが原因であるとも言えないと思います
雅子さまの流産は初期流産といって、妊娠12週までに起こる流産を言います
妊娠12週とは、妊娠4ヶ月の1週目です
この初期流産は、全体の15〜30%という高い確率で起こるもので、原因のほとんどは染色体異常などの避けられないものであり、決して「あの時無理をしたから」ではないとのこと
ネットで調べてみればたくさん情報が出てきます
私の経験からいうと、9〜11週目あたりまで育つと母子手帳がもらえるので、最近では3ヶ月の半ばくらいになれば大丈夫かな…とほっとできるような気もしますが、医学的見知からはわかりません
流産したことで雅子さまを批難する声がありますが、いちばん悲しく思っているのは雅子さまだったでしょうし、いちばん自分を責めたのは雅子だったのではないかと思いますね
初期流産の原因は胎児側にあるとは言いながらも、どうにか避けられなかっただろうか…と考えてしまうものなのだと思います
それなのに雅子さまを責め立てることがどんなにひどいことなのか…もう少し思いやりの心を持ってやることはできないのでしょうか
どのサイトだったかわかりませんが、このとき男子を妊娠していたなどと言っているサイトがありましたが、これもひどいものです
こんな時期に性別なんてわかるはずもありません
わかっていて言っているのか、わからなくて言っているのか…
雅子さまが不妊に悩まれているのだとしたら、なおさらひどい仕打ちだと思います
批判派の「事件」名にも雅子さまが長年不妊に悩んでいたであろうとの記述がありますが、不妊に悩む辛さにはまったく言及がないことにも思いやりのなさを感じました
経験しなければわからないことなのかもしれないですけど、それにしてもひどい言い方だと思いました
雅子さまが妊娠に気づいていたかどうか…これはご本人しかわからないことだと思いますが、もし雅子さまがタイミング療法などの不妊治療を行なっている状態だったとしたら、妊娠の兆候などに気づけなかったのかもしれないと私は思います
これも私の経験ですが…、なかなか2人目を妊娠せずにいた頃、タイミング療法と黄体ホルモンを高める注射をして「今度こそは…」と期待していると、なんだか体温が高い気がしたり、ちょっとふらふらするような気がしたり、下腹がちくちくするような気がしたり、「妊娠したのでは?」と思える症状をことごとく感じたりしました
そのたびに「もしかして♪」と期待が高まったものです
でも生理が来てしまい、妊娠していないことがわかってがっかりして…なんてことが何度かありました
生理が来ても「この感じは絶対に妊娠だから、これは着床出血に違いない」などと悪あがきをしたこともありました
つまり…妊娠を望んでいるとあらゆる妊娠の兆候を感じてしまったりします
私も何度かそういうことを繰り返し、しまいには何が何だかわからなくなってしまいました
そんなふうに妊娠することばかり考えてしまうのがストレスになり、最終的には体の微妙な変化や感覚に耳を傾けなくなり、前だったら「あれ?もしかして…」って思ったことにも「勘違いだから!」と自分に言い聞かせたりしていました
日数を数えるのも体温を測るのもやめて、「妊娠したかどうか」を考えるのを極力避けていました
雅子さまがこの段階で不妊治療をしていたのか、私のようになかなか妊娠しないことに悩んでストレスに感じていたのかどうかはわかりませんが、もしそうだったとしたら、妊娠の兆候がわからなかったってこともあるのかもしれないなあと思います
私の場合、ひどいときには走ったり、飛び跳ねたりすることもしませんでした
「着床しようとしているときに動いたら着床できないかもしれない!」なんて本気で思っていました
生理が来たとたん、ガリガリ動き始めたり…不妊で悩む人には多かれ少なかれそういう経験があるんじゃないかと思います
そういうことを考えすぎるのもまたストレスになってしまうわけで、あまり考えすぎずに普通に生活しよう、「妊娠してるかも…」と思ってセーブするのはやめようって思ったり…雅子さまもそういう状態だったのかなあと私は想像します
普通に生活することが流産を招くわけではありませんからね
これも想像に過ぎないのですが、雅子さまは不妊治療を休憩していた時期だったのかもしれないとも思います
不妊治療を行なうときに、体調や気持ちを整えるために不妊治療をせずに過ごす周期もあります
毎周期やってると本当に疲れてしまうのです
「今周期はちょっとお休みしよう…」という声もよく聞きますし、そんなときに限って自然妊娠したという話もよく聞きます
妊娠によくないのは「ストレス」ですから、不妊治療のストレスから解放されたとたんに妊娠するということはよくあるんだとか…
想像に過ぎませんけれど、そういう可能性だってあると思います
お世継ぎを期待する気持ちはわからなくはありませんが、それにしたってもう少し節度と思いやりを持ってあげることはできないのか…本当に悲しく思います
ヒールの高さが低かった、風邪だとの情報、少しふっくらした…そういうことを何でもかんでも「ご懐妊」に結びつけては大騒ぎします
もし私が皇室に嫁ぐようなことがあったら(絶対ないですけど)、週刊誌の類いは一切目にしないようになる気がします
それでも、皇室内からのプレッシャーもありますから、なかなかたいへんそうですよね…
宮家からも妊娠したのは本当かと電話がかかってきたとありますから、皇室内に関わらずそのまわりからも「まだかまだか」というプレッシャーがかかっていたのでしょうね
雅子さまがどんな思いで過ごしていたのか…想像がつかないくらいたいへんだったと思います
私が不妊に悩んだのは1年ほどでしたし、受けた治療もそれほど大したものではなかったのですが、それでも病院に通い、タイミングを図り、期待と不安の日々を送り、撃沈し…というのを繰り返すのはけっこうつらかったです
雅子さまはもっと長いあいだ苦しんでいたでしょうし、あちこちから「まだかまだか」という期待をかけられ、がんじがらめになってしまっていたように思います
それを思うと、雅子さまが適応障がいになってしまったのも不思議ではないように私には思えるのです