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2010/10/10

番外編 おいらの自伝です その4

自伝の最終回ですw つうか、アリス出版入社以降については別の章で触れてます。で、なんでここに番外編を持ってきたかというと、1970年代の中盤には、劇画においても、写真においても、革新的な動きがあった、という事で、たまたま学生時代のおいらは「三流劇画」とかいって、エロ劇画のアジテーターやっていたわけだ。この「昭和ポルノ史」は、主に自販機、通販などのグラフ誌の歴史を書いてるんだが、同時代的な動きとして、「三流劇画ブーム」というのが存在した、という話ですね。とはいえ、自分の事なのに忘れてしまった事が多い。漫画雑誌の編集やりたくて出版界に入ったものの、ひょんな事から写真中心の世界に流され、そこからまた「小説家」なんて呼ばれる身の上になり、飽きたし、そもそもカネにならないので引退してネットでゲリラ活動と、まぁ、落ち着かない自分ですw 

昭和ポルノ史
昭和ポルノ史・序説
第一章 非合法エロ写真と実話誌
第二章 エロ系実話誌の世界
第三章 初期通販本と松尾書房
第四章 エドプロと初期通販本版元
第五章 北見書房と素人モデルたち
第六章 自販機ポルノは港町で生まれた
第七章 初期自販機ポルノの世界
第八章 アリス出版の栄枯盛衰
第九章 アリス出版に関する覚書
第十章  LANDA.SSと九鬼(KUKI)
第十一章 その他の東京雑誌系版元
第十二章 東京雑誌グループ以外の版元
第十三章 ビニ本の発祥
第十四章 ビニ本ブームの狂乱
第十五章 アングラ・グラフ誌の分類
第十六章 擬似少女と擬似レズ
第十七章 自販機本特有の「企画物」という世界
第十八章 余は如何にしてエロ本屋になりしか
第十九章 オンナだけは素人の方が価値高い
第二十章 写真機材と素人モデルについて
番外編 おいらの自伝です その一
番外編 おいらの自伝です その二
番外編 おいらの自伝です その三

番外編 おいらの自伝です その4


迷宮の集会に出入するようになったのは1977年なんだが、1977年というとおいら大学の4年で、その当時は10月就職活動解禁だったわけだ。で、同人誌で三流劇画を取りあげようというのでおいら、東京にあるエロ劇画の版元をあちこち訪ねていたんだが、劇画が好きな学生さんというので、その10月になるとみのり書房という会社から電話が掛かってくる。呼ばれてのこのこ行くと、喫茶店でちょっと話をしただけで、そのまま働く事になってしまい、さっそく写植貼りからですw

一般的に写植というモノはゴム糊で貼るんだが、おいらが働く事になった「官能劇画」の編集長という人は、セロテープでした。両面テープですらない。セロテープをジャッ・・と引き出して、片手でクルッと丸めて簡易両面テープにして貼りますw みのり書房という会社は、紙問屋をスポンサーとして誕生し、ベンチャーコミックという劇画誌を出していたんだが、能條純一とか送り出してますね。おいらが入社した時期には、官能劇画というのと、漫画スカットと、二誌体制です。もちろん増刊なんぞも出します。ただ、会社としては「月刊OUT」というのに力を入れていて、OUTはもとは単なるサブカル雑誌だったんだが、たまたま二号目で宇宙戦艦ヤマトの特集をやって馬鹿売れ、雑誌なのに増刷までして、以後、アニメ雑誌になるわけだ。なので、おいらの背中では、同じようにいい加減な経緯で入社した同世代の連中がOUTを作ってました。

艶楽書館という和風なサブカル雑誌もあったんだが、そちらはもう潰れてましたね。まぁ、新しい出版社なので、編集者も寄せ集めと新人ばかりです。で、基本的にはエロ劇画誌というのは一人で作れるモノなので、おいら、仕事がないです。編集長から言われたのは、「OUTは忙しそうにしているから、暇そうにしていちゃいかん。外に出て、本屋さんでも見て来い」というんだが、エロ劇画誌の場合、書店営業なんてないので、神保町で遊んで歩くような日々ですw で、そんなお仕事のかたわら、なんだが、迷宮で作っていた「漫画新批評体系」で三流劇画を取りあげるようになる。1978年の2号というのを前回紹介したんだが、パート2とあるので、1号にも何か書いてると思う。

さて、1978年に入って大学を卒業する頃にはすでにおいら、いっぱしの編集者気取りで、卒業式にも出てないんだが、10月に入社して3月くらいまでは官能劇画の編集をやり、春からは新創刊の漫画雑誌にとりかかるわけだ。入社半年で、大学卒業したばかりの人間に編集長やらせようというんだから無茶苦茶なんだが、その当時のマイナーな版元なんて、そんなもんです。サン出版のjuneも、おいらと同世代の、コミケ関係者が作っていたし。で、おいらが作ったのはPEKEという漫画誌なんだが、SFとか鬼太郎とかCOMとか、まぁ、そんな感じですw 

この時期、おいらが同人誌で煽った三流劇画というのがメディアに注目されるようになり、大阪で出ていた情報誌、プレイガイドジャーナルの1978年8月号で座談会が行われるんだが、そこではおいらの肩書きは「新創刊誌の準備中」となってますね。おいらも特にSFやニューウェーブ系漫画をやりたかったわけじゃなく、エロ劇画でも良かったんだが、たまたま会社がアニメで当てたので、その連続性の企画を宛てがわれたわけですね。

まぁ、PEKEというのは、あまり売れなくて半年で潰れるんだが、おいらへそ曲がりなので、最後の号の表紙にデカデカと「廃刊号」と入れ、編集後記で大見得切ったわけだ。アジテーションは得意だからw で、あまり売れないと言ってもそれなりには売れていたわけで、「止めないで」という葉書が5000通ほど届いたらしい。経営者が葉書の山に仰天して、でも、おいら、もう会社辞めちゃってるし、廃刊しちゃったしで、後の祭りw そこで後釜として作られたのが、「月刊COMIC AGAIN 」です。コレは、COMの編集をやっていたというオジサンをどっかから連れてきて、創刊号がCOM特集part2(part1はPEKEの廃刊号)というのだから、実質的な復刊ですね。実はおいら、立上げ当時のCOMIC AGAINの記事ページの編集まかされて手伝っていたんだが、他にも、別冊新評という出版社で企画していた「三流劇画の世界」という本にかかわるわけだ。

Img001

さて、懐かしい写真ですw その、三流劇画の世界という本からの転載です。右で鍋食っているのがおいらで、まん中が米澤くん。左側が劇画アリスの編集長だった亀和田氏です。 発行年月日が1979年4月10日になっているので、実際には3月発行です。という事は、座談会は冬ですね。みんな長髪で笑えるんだが、おいらは何故か、レイバンのサングラスにヒゲです。みのり書房を辞めたのが確か12月だったので、その直後です。つうか、みのり辞めたあと、慌てて次の就職先を探さなかったというのは、月刊COMIC AGAINの下請けやったり、この本の原稿描いたりしていたからです。三流劇画の世界という本は、前半は文化人、識者の署名原稿なんだが、後半部分は、おいらと米澤くんと、もうひとり、橋本くんという迷宮関係の人物と、三人で大量の無署名原稿を書いてます。もともと三流劇画ムーブメントというのは、おいらがアジって始まった部分もあるので、プロである編集者以外にはほとんど書き手がいなかったので仕方ないw で、Wikipediaでこのあたりの動きを見てみると、

当初からエロ劇画の世界で自分の世界を築き上げる作者も多かった。もちろん、エロでなければ描けない世界というものもある。また一つにはエロが必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台が好まれたという面もあるらしい[要出典]。例えばダーティ松本、北哲矢、村祖俊一、あがた有為、中島史雄、土屋慎吾、羽中ルイ、宮西計三、沢田竜二、三条友美、石井隆、小多魔若史などが代表的な作家であった。

石井隆らがエロ劇画でありながら高い評価を得るなど、エロ劇画に低俗である以外の評価が与えられる例が出始め、一種のエロ劇画ブームが見られるようになった。そのような状況の中から、1978年に三流劇画ムーブメントが起こった。

三流劇画ムーブメント [編集]
これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた「漫画大快楽」「劇画アリス」「漫画エロジェニカ」の編集者(亀和田武、高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだものであった。

彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は「ビッグコミック」を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。

彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、吾妻ひでお、いしかわじゅん、諸星大二郎など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられない若手作家たち(ひさうちみちお、高野文子、山田双葉(山田詠美)、さべあのまなど)に実験的な作品発表の場が提供された。こうした潮流は橋本治、飯田耕一郎ら理論派の論客や奇想天外や宝島などのサブカルチャー雑誌を巻き込んで展開されたが、彼らの目指したところはいわゆる一般読者の支持を得られず、亀和田アリスはほどなく廃刊に至る。エロ劇画誌における評論や冒険的な編集姿勢は「劇画ハンター」「ラブラブ」「映画エロス」などの諸誌にも広がったが、高取のエロジェニカからの撤退を期にほどなく収束していった。

この座談会ではおいら、「ロリコン系のエロ劇画誌を作ってみたい」とか発言しているようなので、既に次の仕掛けを考えていたというのがうかがえますw つうか、PEKEの廃刊号でも「写真集リトルプリテンダーが」とか書いてるので、根っからのアジテーターとして、次のネタは「ロリコン」だと狙っていたのが判りますねw

さて、この本が出版される頃には、おいら、そろそろ次の仕事探さないと、と考えていたんだが、そこにアリス出版から電話が掛かってきて、色んな経緯があって入社するんだが、入社してすぐに亀和田氏は辞め、じゃあ、劇画アリスが任されるのかと期待したらそれは米澤くんに行ってしまって、おいら、エロ本屋としてカメラ担いで走りまわる日々が始まり、すっかり漫画からは離れてしまうのでした。

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