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【大リーグ】AKI猪瀬コラム「決戦の秋」 ハラデーの愛称「ドク」の由来2010年10月8日 紙面から 1977年5月14日、ロイ・ハラデーこと、ハリー・レロイ・ハラデー三世はコロラド州デンバーで生まれました。ミドルネームのレロイと呼ばれることが多く、いつしか周りの大人たちがレロイを短縮してロイと呼ぶようになりました。 パイロットの父ハリーと硬式球を使ってキャッチボールのまねごとを始めたのは3歳。小学生時代は同級生より頭一つ抜け出るほど背が高く、体格もよかったハラデーは野球とバスケットの才能がずば抜けていました。息子の投手としての才能を信じた父は、ハラデーの中学生時代に自宅の地下室に特製マウンドを作り、簡単なウエートトレーニングができる器具や打撃ケージも設置しました。親子2人、かつてノーラン・ライアン(史上最多5714奪三振)やランディ・ジョンソン(同2位4875)を育て上げた名投手コーチであるトム・ハウス氏の著書を片手に練習に明け暮れ、地元デンバーの高校に進学するころには、メジャーの地域スカウトの注目選手となるほどに成長します。94年、デンバーを本拠とするロッキーズが誕生し、16歳だったハラデーはスタジアムに頻繁に通いました。のちに、本人は「メジャーリーガーのプレーを生で見られたことが、野球選手として成長する過程でいろいろと参考になった」と語っています。 ブルージェイズにドラフト1位で指名されたのは2年後の95年。98年にメジャーデビューし、2001年まで通算18勝。その間、00年の大幅なフォームの改造に伴いシンカー・ボーラーに生まれ変わり、カーブはナックルカーブへと進化して、02年(19勝)に現役最強右腕ロイ・ハラデーが誕生するのです。そして、このころから「OK牧場の決闘」に登場する19世紀のガンマン、ドク・ホリデーに名前の響きと風ぼうが似ていることから、ファンは彼のことを「ドク・ハラデー」と呼ぶようになったのでした。 (大リーグ・アナリスト) ◆03年にサイ・ヤング賞 ハラデーは今季まで13シーズンで通算346試合に登板し、169勝86敗1セーブ、防御率3・32。03年Bジェイズ時代にサイ・ヤング賞、同年(22勝)と今季(21勝)に最多勝。今季は自己最多の219奪三振を記録した。球宴は7度選出。
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