平成22年(2010)9月26日更新 平成13年(2001)3月6日開設
帝国海軍呉鎮守府管轄下の大東亜戦争戦没者約13万余柱の御霊が合祀されている
バックに流れているのは「海ゆかば」の旋律です
開設120年を迎えた呉海軍墓地
沿 革
呉海軍墓地は、明治23年(1890)に海軍軍人の戦没者、殉職者等の埋葬地として広島県呉市長迫町(旧和庄町)に設置されました。
以来、海軍呉鎮守府の管理のもと、毎年慰霊祭が丁重に行われてきましたが、昭和20年(1945)大東亜戦争の敗戦により慰霊行事等は総て廃止されました。
また敗戦の年,呉地方は空襲による戦争災害と大水害に襲われ、海軍墓地全体が廃墟と化してしまいました。
そのため、当時の呉地方復員局は、地元有志の協力を得て復旧し「大東亜戦争戦没者の碑」を建立しました。
その後は、「自分だけが生き残って申し訳ない」との思いにかられる生存者を始め、心暖かい有志の奉仕活動により、清掃と供養が続けられてきました。
敗戦後の混乱期を過ぎ、日本経済が安定してきた昭和40年(1965)頃より、先の大戦で、祖国と日本民族の安泰を願って悠久の大義に殉じた戦没者の御霊を、呉海軍墓地にお迎えし、その功績を碑に託してご冥福をお祈りしたいとの願いから、生存者やご遺族の手によって、鎮魂の碑が相次いで建立されるようになりました。
呉海軍墓地には現在、開設以来120年、各艦船、部隊毎の慰霊碑91基、個人碑157基、英国水兵の墓1基が建立されております。
その意味から呉海軍墓地は13万余柱の御霊が安らかに眠る聖地であり、また、日本帝国海軍の歴史を刻んだ貴重な史跡遺産でもあります。
昭和46年(1971)有志相諮り呉海軍墓地保存会を結成し、毎年秋分の日を式日と定め「合同追悼式」を盛大に行い、英霊の遺徳を顕彰すると共に、清掃と墓地の維持管理に努めてきました。
平成7年(1995)10月に海軍関係者を中心に募金活動の結果得られた1億円余を基金に、財団法人呉海軍墓地顕彰保存会」を設立し、梶本光義が初代理事長に就任しました。
旧呉海軍墓地保存協力会(のち呉海軍墓地保存会に改称)発会式記念写真
昭和46年(1971)6月16日呉海軍墓地保存協力会発会式記念↑前列右から5人目神津初代会長
2列目一番左が梶本現理事長。この写真に写っている殆どの方は既に故人となられた。鳴呼!
高松宮・同妃両殿下を囲む昼食会記念写真
高松宮・同妃両殿下のご来臨を賜り第15回呉海軍墓地合同追悼式が執り行われた
昭和60年9月23日正午より開催の「高松宮・同妃両殿下を囲む昼食会」の記念写真
お願い:写真の上にマウスポインターを置いて下さい。もう一枚の写真が見られます。
大東亜戦争終戦65年、呉海軍墓地創設120年目の大きな節目の年
公益財団法人の認定を受け、登記も完了した呉海軍墓地顕彰保存会の主催により
第40回呉海軍墓地合同追悼式は開催された。
湯崎広島県知事、泉呉地方総監を始め約100人の来賓、ご遺族ら因縁深い人々は、
折から秋雨前線の南下で悪天候の中にもかかわらず、全国から約1,500人が集まり、
心を込めて厳粛盛大に執り行われました。
海上自衛隊儀仗隊敬礼↑
弔銃発射↑
梶本光義追悼式委員長式辞↑
湯崎英彦広島県知事追悼の辞↑
小村和年呉市長追悼の辞↑
長迫小児童代表追悼のことば↑
遺族代表謝辞を述べる鈴谷軍医長遺族・小切間克彦氏↑
参列者献花↑
追悼演奏の海上自衛隊呉音楽隊↑
追悼歌「長迫の丘」斉唱の長迫小PTA、コーラス丘の上のみなさん↑
広島県海交会主催の平成22年春季慰霊祭
3月21日(春分の日)11:30より仏式によりしめやかに開催
式典には、寺田稔前衆議院議員を始め50名が出席。土生広島県海交会会長の祭文に続き、
梶本理事長が追悼の辞を捧げた。総員が、読経のうちに焼香して御霊のご冥福を祈った。
合祀碑外大東亜戦争戦没者名碑除幕式・慰霊祭
既存の合祀碑に刻銘されていない英霊で遺族の希望される御英名を碑に刻んで永久に残そうと、約120柱の御英名を刻んだ
「大東亜戦争戦没者名碑」の除幕式と第1回の慰霊祭が、3月21日(春分の日)12:00より、ご遺族約60名参加してしめやかに開催された。
巡洋艦「筑摩」飛行長で戦死された齋藤 仁様始め120柱の英名を刻み込んだ「大東亜戦争戦没者名碑」の除幕
除幕式に続いて慰霊祭が行われた。小野忠明発起人代表が祭文を切々と読み上げ、梶本光義理事長が追悼のことばを目を潤ませて述べた。
法眼寺住職の読経で、岐阜県や愛知県など遠隔の地から参加された遺族たちは、積年の深い感慨を秘めて全員が焼香して、霊を弔った。
呉教育隊第112期初任海曹候補学生90名は、
住田副長引率の下に平成22年3月12日0915呉海軍墓地を訪れ、梶本理事長の講話を聴取した後、
緻密な計画に従い墓地全域の清掃奉仕活動を行った。
就役10周年を迎えた訓練支援艦「てんりゅう」の笹野艦長以下乗組員は、
平成22年2月、10日と24日の2陣に分かれ、緻密な計画の下に呉海軍墓地の清掃整理の奉仕活動を展開した。
当日は、梶本理事長から旧海軍のことなどの説明を聴取し、同名艦初代「天龍」の慰霊碑に献花・参拝した。
駐日英国大使館防衛武官ギャレス・デリック海軍大佐
平成21年(2009)4月15日、第六潜水艇殉難100回追悼式に参列のため来呉されたデリック大佐は、
同日0920、アリソン夫人と長男エドワード君を伴い、呉海軍墓地の「英国水兵の墓」に参拝された。
梶本理事長と平岡事務局長が出迎え、案内した。↑敬礼し準備した花束をお供えする大佐夫妻↑
海上自衛隊各部隊の清掃奉仕活動相継ぐ
海上自衛隊・護衛艦「やまゆき」乗組員80名は、平成21年3月27日14:00から約2時間、
呉海軍墓地の雑草刈りなどの清掃奉仕活動を展開した。
「やまゆき」の乗組員80名にお礼の挨拶をする梶本理事長↑
平素手の届かない雑草刈りをする「やまゆき」乗組員たち↑
平成21年呉海軍墓地春季慰霊祭
好天に恵まれた3月20日(春分の日)11:00より、広島県海交会の主催、財団法人呉海軍墓地顕彰保存会の後援で開催された。
式典には、寺田 稔衆議院議員をはじめ梶本光義理事長ら60名が参加し、仏式によりしめやかに行われた。
式典は、定刻11:0開会、全員で国旗・軍艦旗に敬礼し、13万余柱呉海軍墓地に眠る英霊鎮魂の黙祷を捧げた。↑
土生 明・広島県海交会会長の式辞につづいて、梶本光義・理事長が追悼の辞を述べた。↑
明西寺住職の読経が殷々と続く中、参加者一同が丁重に焼香を捧げ11:55に閉式した。
訓練支援艦「てんりゅう」艦長中村早速二等海佐以下95名は、平成21年2月18日1300から
呉海軍墓地に乗組員一同からの寄付金を贈呈。清掃奉仕活動をした後、天龍の慰霊碑に献花し、
黙祷を捧げました。
写真は梶本理事長からお礼の挨拶を受ける「てんりゅう」乗組員一同↑
2枚目は、天龍慰霊碑に黙祷参拝する95名の乗組員↑
掃海隊群司令松本幸一郎海将補が財団法人呉海軍墓地顕彰保存会に表敬訪問
平成21年2月13日、呉港に集結された掃海隊群の司令松本幸一郎海将補は、財団法人呉海軍墓地顕彰保存会に表敬訪問され
同群の隊員一同120名は、翌14日0900Fバースから徒歩で呉海軍墓地に到着、清掃奉仕活動を展開された。
平成21年2月13日、財団法人呉海軍墓地顕彰保存会に表敬訪問された松本幸一郎掃海隊群司令↑
2枚目は、翌14日0900、呉海軍墓地の沿革などについて梶本理事長の挨拶を受ける掃海隊群一同↑
隊友会呉支部会員と呉水交会会員とが一体となり
勝山 拓元海将,山本 效元海将補以下100名は、平成20年12月14日(日)0900より1100までの2時間、約1万坪に垂んとする呉海軍墓地の全域の清掃を行った。幸いにも好天に恵まれ、折しも膨大な落ち葉に埋もれ尽くした聖地を、総員が心を込めて清掃作業に当たり、新しい年を迎えるに相応しい状態に整備された。
約2時間の清掃作業が終わって梶本理事長からお礼の挨拶を受ける参加者一同↑
清掃作業中の女性を含む参加者(↑2枚目)
第12護衛隊(司令・小林 磨 1等海佐)
「やまゆき」64名、「まつゆき」26名、「せとゆき」5名、合計95名の乗り組員の皆さんは、
平成20年11月6日14:00〜16:00の2時間にわたって、呉海軍墓地の清掃奉仕作業を行われた。
作業開始前に、梶本理事長から呉海軍墓地の沿革などについての話を聞き↑
95名は岩永3尉、市来先任伍長らを先頭に墓地内広範囲に分散して作業に当たった。↑
第38回呉海軍墓地合同追悼式
終戦63周年を経た平成20年9月23日(秋分の日)10:30より、小村呉市長、杉本海上自衛隊呉地方総監ら
100名の来賓を始め、全国各地よりご遺族、嘗っての戦友たちなど約2,000名が参列し、盛大かつ厳粛に開催された。
国旗軍艦旗掲揚と神津副委員長の開式の辞↑
梶本追悼式委員長の式辞と小村呉市長の追悼の辞↑
儀仗隊の弔銃発射と胡中さんの追悼吟詠↑
長迫小学校6年生児童の追悼のことばとコーラス丘の上らによる追悼歌「長迫の丘」合唱↑
海上自衛隊呉音楽隊による追悼演奏と参加者献花↑
社団法人呉シルバー人材センター呉海軍墓地の剪定作業奉仕
呉シルバー人材センターの舩尾忠満理事長始め49人は、9月4日午前中,
3時間余にわたり、呉海軍墓地の樹木剪定作業奉仕活動を行った。
平均年齢70歳を超えると思われる一行は、高所作業をも厭わず、プロ顔負けの見事な仕上がりぶり。
9月23日に合同追悼式を迎えるに当たり、参列者の目を一段と楽しませてくれるものと思われます。↓
写真は「ロールオーバー効果」。マウスポインターを写真の上に置いて2枚目の写真をご覧下さい
海上自衛隊第1期一般海曹候補生清掃奉仕活動
第1期一般海曹候補生128名は、8月8日の修業式を前にした4日、午前と午后の2班に分かれ、
呉海軍墓地の清掃整備の奉仕活動を行った。清掃活動前に管理棟内で梶本理事長や平岡常務理事
から呉海軍墓地の沿革など旧海軍の伝統について講話を聞いた。
長迫小学校児童の清掃奉仕活動
梅雨晴れの6月12日午后、長迫小学校6年生の児童28名は、校長以下3名の教師と共に、
清掃用具持参で一所懸命、清掃奉仕活動を行い、心地よい汗を流した。↑
工作艦朝日・山彦丸・山霜丸戦没者合同慰霊祭
好天に恵まれた5月17日、呉海軍墓地で遺族・関係者50名が参集し仏式によりしめやかに執り行われた。
呉海軍墓地に「呉市観光案内板」が設置された。↓
第37回呉海軍墓地合同追悼式
平成19年(2007)9月23日(日・秋分の日)呉海軍墓地に於いて10:30より、
小村呉市長、半田呉地方総監はじめ約2,000名参加して盛大・厳粛に執り行われました。
海上自衛隊による国旗・軍艦旗掲揚↑と梶本光義実行委員長式辞↑
海上自衛隊儀仗隊弔銃発射↑と遺族席↑
和庄小学校児童のついとうのことば↑と梶本委員長献花↑
海上自衛隊呉音楽隊の追悼演奏↑と追悼歌「長迫の丘」合唱↑
遺族代表井伊磯子さん謝辞↑と献花↑
海上自衛隊員による清掃整備の奉仕活動!相続いて行われる!
海上自衛隊呉基地業務隊の一等海尉・田岡良英施設科長以下37名の隊員の皆さんが、
6月5日13:20〜15:00呉海軍墓地の清掃作業をされ、終わって「艦船写真展示」を見学された。
呉海軍墓地に合祀碑がある艦船の写真・画像展示と
呉海軍墓地鎮魂のあゆみ展を、
平成19年5月23日から開設しました。
開館時間は平日の13:00〜17:00、土日祝日は10:00〜16:00
海上自衛隊護衛艦隊が呉に入港し、
艦隊の約70名の隊員たちが呉海軍墓地の清掃奉仕作業に
汗を流した。危険な斜面や個人墓の区域など平素手の届きにくい場所を懸命に清掃整備してくださった。
梶本理事長から感謝の挨拶を受ける海上自衛隊護衛艦隊の有志と、墓地内役割分担の指示を受ける隊員たち↑
平成19年集合訓練に参加した海上自衛隊自衛隊員たち有志は、呉海軍墓地の高所に位置する157基を数える
平素お参りのない日清日露の戦争で亡くなられた個人墓など聖域の清掃に惜しみない汗を流した。↑↓
英国大使館駐在武官サイモン・チェルトン海軍大佐は、4月15日朝,
呉海軍墓地にある「英国水兵の墓」を参拝された。
英国水兵の墓は、今から100年前の1907年4月15日、
呉海軍工廠での戦艦「安芸」進水式祝賀参加のため、来航中の英国極東艦隊「アラクリティー」
乗り組みの「ジョージ・ティビンズ水兵」が、4月13日宮島沖で転落溺死した。
当時の帝国海軍が、海軍礼式に則り呉海軍墓地に丁重に埋葬したものである。
呉海軍墓地(長迫公園)内に管理棟が呉市によって建設され、
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会事務所は管理棟内に4月1日に移転しました。
海軍兵学校の生徒館・呉鎮守府の庁舎をイメージした建築↑
平成19年4月4日11:00より,
小村和年呉市長、竹川和登呉市議会議長ら来賓をはじめ52名が出席し,
「財団法人呉海軍墓地顕彰保存会事務所開き」を行った。
(ロールオーバー効果2枚目の写真)
事務所開きを祝って、当日は、国旗と軍艦旗を掲揚した。呉海墓の桜は爛漫と咲き乱れていた。↑
第36回呉海軍墓地合同追悼式
絶好の秋日和に恵まれた平成18年9月23日(秋分の日)10:30より、全国よりご遺族を初め来賓約100名、嘗っての戦友たち、英霊追悼の誠を捧げる篤い思いを胸に約二千名余が、呉海軍墓地に参集し、盛大且つ厳粛に整斉と開催された。
参加者一同は、若い命を国に捧げられた至純のこころに思いをいたし、深い感動をもって御霊前に献花し、11:45式典の幕を閉じた。
写真の上にマウスポイントを置いてもう一枚の写真をご覧下さい。
国旗と軍艦旗が半旗に掲げられた式場と梶本光義追悼式委員長の式辞↑
式辞を述べる梶本光義追悼式委員長と追悼の辞を述べる小村和年呉市長↑
海上自衛隊儀仗隊の弔銃発射と追悼演奏する海上自衛隊呉音楽隊↑
追悼のことばを捧げる長迫小学校児童と児童達が千羽鶴を献納↑
追悼歌「長迫の丘」を合唱するコーラス丘の上・長迫小PTAとテント内の参列者↑
遺族代表の謝辞を述べられる雲鷹艦長の遺児・佐藤泰子さんと白菊を献花する参列者たち↑
第22回「三工作艦」慰霊祭
工作艦は、連合艦隊の損傷艦艇を応急修理するため、優秀な技術を発揮し、戦力の保持と士気高揚に貢献してきた。 その工作艦「朝日」「山彦丸」「山霜丸」の三隻で戦没された718柱鎮魂のための第22回慰霊祭が、新緑爽やかな五月晴れの5月14日(日)12:00より全国各地から集まった約80名のご遺族ら参加のもとに仏式によりしめやかに開催された。
第22回三工作艦合同慰霊祭集合写真↑梶本光義理事長追悼のことば↑
呉鎮潜水艦戦没者合同慰霊祭
呉鎮守府合同潜水艦35隻約3,000柱の御霊鎮魂の平成18年慰霊祭は、4月23日13:00より約80名参加し、慰霊碑前で仏式により開催された。
幸いにも好天に恵まれ、僧侶の読経の後、高見俊作会長の式辞、遺族代表の追悼の言葉、元乗組員の追悼の辞などが心を込めて述べられた。呉鎮合同潜水艦の会も解散し、来年からは、4月23日10:00に自主参拝ということになった。↑
戦艦大和61周忌慰霊祭
戦艦大和61周忌慰霊祭は、全国各地から自発的に集まってきたご遺族や関係者ら約60人が、積もる思いを込め銘々が合掌して鎮魂の祈りを捧げていた。
戦艦大和の慰霊祭は、「大和会」が解散したため、慰霊碑世話人の高本廣登さんらが進んでお世話していた。当日は櫻満開で大和戦没者3,000の御霊をお慰めしていた。↑
平成18年春期慰霊祭
平成18年春季慰霊祭は、広島県海交会の主催により、3月21日11:00から仏式により約100人参加して開催された。
追悼の辞を朗読する理事長代理の平岡武夫事務局長と国旗と軍艦旗を半旗に掲揚ししめやかに開催された慰霊祭↑
呉海軍墓地追悼歌「長迫の丘」歌碑除幕式
呉海軍墓地追悼歌「長迫の丘」の歌碑除幕式は、3月21日10:30春季慰霊祭に先立って関係者約100参加し財団法人呉海軍墓地顕彰保存会主催によって厳粛盛大に開催された。
歌詞を認められ感謝状を受ける書家の宮川清圃氏。除幕式で「長迫の歌」を合唱する「コーラス丘の上」の皆さん↑
以下の写真は「ロール・オーバー効果にしております。画面の上にマウスを当て、もう一枚の写真もご覧下さい
この度、呉海軍墓地の追悼歌「長迫の丘」の歌碑を建立いたしました。
この追悼歌は、軍艦「球磨」の元乗組員・松岡清徹さんが作詞したものを、實輝長良さんによって作曲されました。海上自衛隊呉音楽隊の演奏により合同追悼式などで合唱されています。
第35回呉海軍墓地合同追悼式
第35回呉海軍墓地合同追悼式は、平成17年(2005)9月23日(金・秋分の日)午前10時30分より開催されました。残暑なお厳しい日でしたが、幸いにも好天に恵まれ、全国から約2,300名のご参列の下厳粛盛大に開催されました。
国旗・軍艦旗掲揚↑ 式辞を述べる梶本実行委員長↑
追悼のことばを述べる藤田広島県知事↑ 小笠原呉市長↑
追悼のことばを述べる長迫小児童たち↑ 儀仗隊の弔銃発射↑
呉海軍墓地追悼歌「長迫の丘」の合唱↑ 海上自衛隊呉音楽隊の演奏↑
参列者献花↑ 謝辞を述べる戦艦日向遺族大槻さん↑
呉海軍墓地誌「海ゆかば」出版
平成17年(2005)は、日本海海戦100周年、終戦60周年の記念すべき節目の年にあたり、我が財団法人呉海軍墓地顕彰保存会にとっても、創立35周年、任意団体から財団法人成りして10周年。の合同追悼式は第35回目を数え、真に大きな節目の年の記念行事の一つとして平成17年7月1日に、呉海軍墓地誌「海ゆかば」(B5版370頁)を出版いたしました。
「海ゆかば」には、嘗っての呉海軍鎮守府管轄下の艦船や陸上部隊で、呉海軍墓地に建立されている合同慰霊碑90基の艦船や部隊などの戦歴や艦影、慰霊碑の写真などと、個人墓碑158基を合わせ35,377柱のお名前とを掲載しています。
「海ゆかば」は非売品ですが、ご希望の方には実費(\2,000郵送料は別)でお分けいたします。
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会あてのメールkurekbk@m18.alpha-net.ne.jpか、
電話&FAX0823-25-1362(平日の13:00〜1700)でお申し込み下さい。
既に1,500部が頒布されました。ご協力に深謝申し上げます。
この上とも呉海軍墓地にたいし、一層のご理解とご支援の程をお願いします。
呉海軍墓地の桜
マウスポイントを画像に上に置いてください。別の写真が見られます。
戦艦大和命日60周年慰霊祭で深い鎮魂の祈り
古今東西史上、空前絶後の「海上特攻作戦」に第二艦隊旗艦として出撃し、沖縄に向かう途中、米艦載機延べ千機の攻撃と潜水艦の魚雷10発によって、昭和20年4月7日14::23東シナ海の海底深く沈没。伊藤整一司令官、有賀幸作艦長以下2,736人が「大和」と運命をともにした。平成17年4月7日あれから60周年の命日に当たる。数少ない生存者の石田直義、高本廣登、八杉康夫の3氏を始め約100名のご遺族らが集まって、敬虔な鎮魂の祈りを捧げた。
戦艦大和戦死者の碑前で深い鎮魂の祈りを、映画「おとこたちの大和」に出演の俳優と東映会長・常務にかこまれての生存者の石田さんと八杉さん↑↓
焼香する遺族の皆さん、60年前「大和沈没時の実相」を語られる石田直義さん↑
平成17年度春季合同慰霊祭
日本海海戦100周年、終戦60年の節目の年平成17年春季合同慰霊祭は、平成17年3月20日春分の日うららかな春の日差しの中1100から、広島県海交会の主催により、呉市「亀山神社・太刀掛宮司」を斎主として、約80名参加の下、厳かに執り行われました。
画面の上にマウスポイントをおいて見てください。2枚目の画像が見られます。
国旗軍艦旗の掲揚と参列者↑
慰霊祭会場風景と定刻1100に時鐘6点鐘を打つ田部海交会副会長↑
亀山神社宮司による祝詞奏上と梶本顕彰保存会理事長の追悼のことば↑
第34回呉海軍墓地合同追悼式
第34回呉海軍墓地合同追悼式は、戦後59年目の秋分の日平成16年9月23日10:30から秋雨前線の影響で時折驟雨に見舞われる中全国から2,100名場参列し、厳粛盛大に開催されました。
工作艦 朝 日、山彦丸、山霜丸 第21回戦没者慰霊祭
三工作艦(朝日・山彦丸・山霜丸)第21回戦没者慰霊祭が、新緑爽やかなH17.5.15(日)
12:30からご遺族ら約70名参加して呉海軍墓地でしめやかに開催された。↓
(写真の上にマウスのプロンプトを置いて頂くと写真が換わります。
航空母艦信濃第60回忌慰霊祭
「戦艦扶桑戦没者」1、637柱の60回忌慰霊祭が、命日に当たる平成15年10月25日絶好の秋日和に恵まれ、慰霊碑前で全国より遺族たち約110名参列ししめやかに仏式により営まれた。
戦艦扶桑60回忌慰霊祭↑↓
呉海軍墓地の春
H14年4月1日撮影:梶本光義
隊友会会の皆さんは、年末を控え、平素手の届かない急斜面の整備などを重点的に担当され、見違えるように綺麗になった。
(写真下2葉)
平成14年7月24日(月)1315、防衛大学校第3学年の学生20名が、教官引率の下呉海軍墓地を訪問、炎天下、梶本理事長の呉海軍墓地についての約35分の講話を熱心に聴き、大東亜戦争戦没者の慰霊碑に参拝した。
平成14年9月20日(金)早朝より、長迫老人クラブの30名の皆さんが海軍墓地の清掃奉仕活動をされた。
亦、同日、江田島の海上自衛隊海上自衛隊第一術科学校少年部の生徒75名が呉海軍墓地に到着、0845より30分間梶本理事長の講話を聴いた後、1時間にわたって清掃奉仕活動を展開した。
第58回忌戦艦大和戦没者慰霊祭↑
八杉康夫氏(生存者)藤本黎時氏(遺族)梶本理事長 ↑ 大和生存者の石田直義副会長、細田久一会長
航空母艦飛鷹慰霊碑が、平成14年(2002)4月17日、和歌山県白浜町から呉海軍墓地に移設された。同碑は昭和58年8月8日建立されたが,この度事情があって呉海軍墓地に仲間入りした。呉海軍墓地では89番目の合祀碑となる。↓
呉海軍墓地に眠る13万余柱の御霊に新たに飛鷹戦没者704柱の戦友の御霊を迎えた。
航空母艦飛鷹慰霊碑の移転建立祭並びに戦没者慰霊祭は、58年目の命日に当たる平成14年6月20日0945より、呉海軍墓地において、ご遺族、元乗組員ら約60名参加し、神式により開催され704柱の御霊の冥福を祈った。↑
駆逐艦東雲の慰霊碑が平成14年(2002)5月17日付、呉海軍墓地に建立された。東雲は、大東亜戦争開戦劈頭の昭和16年12月17日ボルネオ島ミリー沖で敵と交戦沈没し、艦長笹川 博(海兵50期)以下237名の乗組員全員が戦死された。この度艦長夫人笹川智恵子さん始めご家族の61年間の切々たる熱い思いが叶い、慰霊碑建立実現を見たものである。同艦は恐らく大東亜戦争での水上艦沈没1号と思われる。呉海軍墓地では90番目の合祀碑となる。
同艦戦没者237柱の姓名が不詳であったが。この度靖国神社のご協力によって詳細が判明しました。↓
海上自衛隊「呉海曹会」は、平成14年7月31日0900より呉海軍墓地の清掃整備奉仕活動のために呉港入港の護衛艦隊から85名が参加。梶本理事長の挨拶を受けた後、炎天下、3班に分かれ呉海軍墓地全域の清掃整備作業に当たり、尊い汗を流した。
海上自衛隊「呉海曹会」は、呉港入港の護衛艦隊から猛暑の中85名が参加。
梶本理事長の挨拶を聴取し、3班に別れ清掃整備作業に汗を流した。H14.7.31↑↓
海上自衛隊「呉海曹会」85名、奉仕作業終了後の集合写真↑
駐日英国大使館付武官ジェームス・ボイド海軍大佐は、梶本理事長の案内で英国水兵の墓を参拝。
田枝常務理事、平岡事務局長、ふれボラ隊代表らが出迎えた。↑H13.4.15
戦艦大和戦没者第57回忌慰霊祭で生存者・渡邊英昌氏(海兵70期)を囲んで
景山 崇(海兵74期)副理事長と梶本光義(海兵76期)理事長↑H13.4.7
小笠原呉市長と海軍墓地ガイドの長迫小「ふれぼら隊」女子児童たち↑H13.3.7
呉海軍墓地の歌「長迫の丘」(潮路はるかに)が、
平成13年7月29日開催の合同追悼式実行委員会で、
採用決定され、今後の合同追悼式で合唱することになった。
作詞:松岡 清徹氏、作曲:實輝 長良氏
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摘要 |
合同慰霊碑命日・碑建立日一覧の頁へ |
呉海軍墓地にある合祀碑の命日が解ります | |
第29回合同追悼式の頁へ |
平成11年(1999)9月23日開催 | |
第30回合同追悼式の頁へ |
平成12年(2000)9月23日開催 | |
第31回合同追悼式の頁へ |
平成13年(2001)9月23日開催 | |
第32回合同追悼式の頁へ |
平成14年(2002)9月23日開催 |
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平成15年(2003)9月23日開催 |
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