劉暁波
劉暁波 |
|
---|---|
2008年撮影
|
|
プロフィール | |
出生: | 1955年12月28日(54歳) |
出身地: | |
職業: | 著作家 |
各種表記 | |
繁体字: | 劉曉波 |
簡体字: | 刘晓波 |
拼音: | Liú Xiǎobō |
和名表記: | りゅう ぎょうは |
発音転記: | リュウ シャオボー |
|
劉暁波 (りゅう ぎょうは、リュウ・シャオボー、1955年12月28日 - )は、中華人民共和国の著作家。元北京師範大学文学部講師。人権活動や民主化運動に参加し、中国当局による投獄を繰り返す。2008年の零八憲章を起草して拘束され、2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け服役中。
2010年にノーベル平和賞を受賞し[1]、中国国籍を有する中国人として初のノーベル賞受賞者ともなった[2]。
目次 |
[編集] 概要
1980年代半ば、文学評論家李沢厚に対する批判で、中国文壇の「ダークホース」と呼ばれる。
1989年、中国で民主化運動が勃発、当時米国在留中の劉は即帰国を決め、運動に身を投じ、六四天安門事件直前、劉は他の知識人3名(侯徳健、高新、周舵)と共に、学生たちの断食抗議に参加した。中国軍が天安門広場に突入する寸前、4人は侯徳健を推選し、学生たちに逃げ道を残すように軍と交渉し「四君子」と呼ばれた。事件後に「反革命罪」で投獄され、1991年の釈放後も出国せず、引き続き文章を発表し、六四天安門事件の殉難者の名誉回復と人権保障などの民主化を呼びかけ、2度の投獄や強制労働を受けた。
2008年、「世界人権宣言」発表60周年を画期として発表された、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の起草者となり、再び中国当局に身柄を拘束され[3]、以後は外国要人訪中や人民代表大会会期中は自由を失い、電話・インターネットによる交信が遮断された。2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決が確定して4度目の投獄となり2010年現在も遼寧省錦州市の刑務所で服役中。
[編集] ノーベル平和賞の受賞とその影響
ノーベル平和賞の選考で劉が候補となった時点で、中国政府はノルウェーのノーベル賞委員会に対して「劉暁波に(ノーベル平和賞を)授与すれば中国とノルウェーの関係は悪化するだろう」と述べ、選考への圧力と報道された[4]。
2010年10月8日、劉暁波のノーベル平和賞受賞が発表された。ノーベル賞委員会は、劉暁波の受賞理由は「中国における基本的人権のために長年、非暴力的な闘いをしてきた」ことで、劉暁波への授与の決定は有罪確定時の今年2月には「不可避の状況になっていた」こと、選考は全会一致であったことなどを発表した[5][6]。
これに対して中華人民共和国外交部は、受賞発表直後に「(劉の受賞は)ノーベル平和賞を冒涜するもので、我が国とノルウェーの関係に損害をもたらす」と批判した[7]。更に中華人民共和国政府は在北京のノルウェー特命全権大使に対して劉のノーベル平和賞受賞に強く抗議を行った[8]。また中華人民共和国の国内でノーベル平和賞授与決定を放映中のCNNやNHKワールドのニュース番組が遮断され、その後もインターネット上のメールや検索などの遮断が続いていると報道された[9][10]。翌9日、中国各誌は授与を批判する中国外務省報道局長の談話を報道する形で間接的に報道し、人民日報系の環球時報は「ノーベル平和賞は西側の利益の政治的な道具になった。平和賞を利用して中国社会を裂こうとしている」と批判した[11]。
「中国のネット検閲」も参照
前年度のノーベル平和賞受賞者であるアメリカ合衆国大統領のバラク・オバマは「劉暁波は、民主主義という万国共通の価値を平和的に推進する勇気あるスポークスマン」「基本的人権は何よりも尊重されるべき」と発言し、劉暁波を釈放するよう中華人民共和国政府に要求する姿勢を示した[12]。
また、国際連合事務総長:潘基文は「人権向上の実践を求める国際世論の高まりを示すもの」と劉暁波の受賞を高く評価[13]、フランス外務大臣のベルナール・クシュネルは劉暁波の即時釈放を要求するなど[14]、国際的に劉暁波のノーベル平和賞受賞を歓迎する動きが目立っている。
アメリカ合衆国亡命中の中国人反体制物理学者の方励之は「彼(劉暁波)の受賞は、中国の民主化に積極的な役割を果たすものと思う」旨のコメントを発表している[15]。
[編集] 経歴
- 1955年12月28日: 吉林省長春市生まれ。
- 1969年 - 1973年: 両親と共に内モンゴル農村へ。
- 1974年7月: “知識青年”として吉林省農安県へ。
- 1976年11月: 長春市にて建築作業員。
- 1977年 - 1982年: 吉林大学文学部。1982年同校修士号獲得。
- 1982年: 北京師範大学文学部修士課程入学、1984年同校文芸学修士号獲得。
- 1984年 - 1986年: 北京師範大学文学部で教鞭を取る。
- 1986年 - 1988年: 北京師範大学文学部博士課程を履修、1988年文芸学博士号取得。
- 1988年8月 - 11月: ノルウェーのオスロ大学の要請を受け、中国現代文学を教える。
- 1988年12月 - 1989年2月: 米国ハワイ大学の要請を受け、中国哲学、中国現代政治と知識人のをテーマに研究と授業。
- 1989年3月 - 5月: 客員研究者として米国コロンビア大学へ。期間中に帰国、六・四事件に参加。
- 1989年4月27日 - 6月4日: 民主化運動に参加。
- 1989年6月6日 - 1991年1月: 「反革命罪」で投獄される。
- 1989年9月: 全ての公職を失う。
- 1991年1月 - 1995年: 北京にて文筆活動、人権運動、民主運動に従事。
- 1995年5月18日 - 1996年1月: 再び入獄、釈放後民主化運動、文筆活動を継続。
- 1996年10月8日 - 1999年10月7日: “労働教養”(中国特有の監禁刑罰)に処せられる。釈放後、北京の自宅でフリーライターとして、大量な時評や学術論文を発表する。
- 2003年11月: 独立中文筆会第二任会長に当選。
- 2005年11月2日: 引き続き独立中文筆会会長に当選留任。
- 2008年12月10日: 「零八憲章」の起草者となるも発表直前に身柄を拘束される[3]。
- 2009年6月23日: 「国家政権転覆扇動罪」などの容疑で北京市公安局に正式に逮捕された(新華社通信報道)[16]。
- 2009年12月: 11日に起訴され[17]、25日に北京の第1中級人民法院で「国家政権転覆扇動罪」により懲役11年の判決を言い渡された[18]。
- 2010年2月11日: 北京の高級人民法院が劉の控訴を棄却し、懲役11年および政治的権利はく奪2年の判決が確定[19]。
- 2010年10月8日: 民主化と人権の促進への貢献でノーベル平和賞を受賞。
[編集] 受賞歴
- 1990年・1996年 - 米国「人権観察」の「ハルマン人権賞」
- 2003年 - 中国民主教育基金会第17回「傑出民主人物賞」
- 2004年 - 「国境なき記者団」・フランス基金会の「言論の自由を守る賞」、月刊誌『開放』2004年1月号「マスコミの腐敗は最早ニュースではない」で第9回「人権ニュース優秀賞」
- 2005年 - 月刊誌『開放』2004年9月号「権力者の天国、弱者の地獄」で第10回「人権ニュース優秀賞」
- 2010年10月8日: 民主化と人権の促進への貢献でノーベル平和賞を受賞。
[編集] 作品
- 『天安門事件から「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望』(藤原書店、2009年、ISBN 978-4-89434-721-2)
- 《選擇の批判──李沢厚との対話》(上海人民出版社、1987年)
- 《審美と人間の自由》(北京師範大学出版社、1988年)
- 《形而上学の迷霧》(上海人民出版社、1989年)
- 《未来の自由な中国は民間にあり》
- 《裸のままで神に向かう》(時代文芸出版社、1989年)
- 《終末日の生存者の独り言》(台湾中国時報出版社、1993年)
- 《中国現代政治と中国知識人》(台北唐山出版社、1990年)
- 《劉曉波劉霞詩集》(香港夏菲爾国際出版公司、2000年)
[編集] 脚注
- ^ “ノーベル平和賞、中国で服役中の劉暁波氏に”. 読売新聞. (2010年10月8日) 同日 閲覧。
- ^ 中国人の受賞者としては楊振寧、李政道、高行健が過去にいるが、いずれも中国国籍を放棄している。1989年にチベット亡命政府のダライ・ラマ14世が平和賞を受賞しているが、チベットは中国の一部ではないという見解もある。
- ^ a b 野口東秀 (2008年12月10日). “一党独裁体制終了求め署名 中国、弁護士ら300人以上が民主化要求”. 産経新聞 同月12日 閲覧。
- ^ 産経 「「民主活動家受賞すれば関係悪化」 中国外務次官、ノーベル平和賞選考に「圧力」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース」2010年9月28日。読売新聞 「中国、劉暁波氏のノーベル賞候補に不快感 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2010年9月28日。産経 「「民主活動家受賞すれば関係悪化」 中国外務次官、ノーベル平和賞選考に「圧力」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース」2010年9月28日
- ^ ノーベル賞:平和賞に劉氏 授賞理由「長年、非暴力の闘い」
- ^ 「大国にひるまず」全会一致…ノーベル賞委員長
- ^ 「平和賞を冒涜」中国外務省が反発 産経新聞 2010年10月8日閲覧
- ^ 中国政府、ノルウェー大使呼び出し抗議 読売新聞 2010年10月8日閲覧
- ^ 中国、「ノーベル平和賞」のネット検索を遮断
- ^ 中国当局、海外ニュースを遮断=新華社、外務省談話のみ報道
- ^ 中国各紙、ノーベル平和賞授与批判を報道 ネット規制も
- ^ 【劉氏に平和賞】オバマ米大統領「一刻も早い釈放を」 産経新聞 2010年10月9日閲覧
- ^ 国連事務総長「国際世論の高まり示すもの」 産経新聞 2010年10月9日閲覧
- ^ 仏外相が釈放要求の声明産経新聞 2010年10月9日閲覧
- ^ 「中国民主化に積極的な意味」 在米民主活動家・方励之氏 産経新聞 2010年10月8日閲覧
- ^ 産経新聞「政府転覆を扇動した! 中国が「08憲章」の劉暁波氏を逮捕」2009/06/24
- ^ 産経新聞「中国検察、民主活動家の劉暁波氏を起訴 香港紙報道」2009年12月12日
- ^ AFPBB News「中国の改革訴えた人権活動家に懲役11年、「08憲章」起草の劉暁波氏」2009年12月25日
- ^ 劉暁波氏への懲役11年が確定 中国、人権問題で批判必至、JPN 47 NEWS 共同通信、2010年2月11日
[編集] 関連項目
|