前前々回(「チャタレイ夫人は誰がどう見てもわいせつか?)、前々回(「相対的わいせつとしてのサド・マゾ」)と「わいせつ」をキーワードにネットワーク情報と責任の問題を考えているわけですが、ここで改めて刑法175条の条文を見直してみたいと思います。
第百七十五条 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。
この条文には「わいせつな文書、図画その他の物」を対象に「頒布」「販売」または「公然と陳列」する者を対象として刑事罰を準備しているわけですが、ここで「インターネット」の「ウェブページ」というモノはどう考えればよいか、改めて考えてみると、よく分からないことがたくさん出てきます。例えば「頒布」これは要するに「配る」ということですが、この概念がネットにはうまく当てはまりません。今ネットのウェブページを例に考えてみましょう。
刑法175条ではネットをカバーできない
ウェブページというのは、元来はメモリー内の情報データに過ぎません。適切なアウトプットがなければ、人間は目にすることができない。どこかのサーバー・コンピューターに情報をアップロードすれば、誰かが閲覧することが可能な状況を準備することはできます。しかしこれは単に準備であって、それだけでは頒布と断言できるかというと、微妙な問題が残ります。今、誰かがどこかに、誰も知らないような形でブログをアップロードしたとしても、黙っていたら、また、誰も訪れる人がいなければ、その情報は知られることがないでしょう。
ネット上でブログやツイートなどが広まるのは、しばしば検索エンジンがデータとして収集し、それを別のサイトに複製したものが、ユーザーの目に触れることがきっかけになりますが、検索エンジンの多くはシステムが自動的に働き、完全に無作為です。仮にどこかに「わいせつ画像」や「わいせつ文書」のウェブページがあったとして、それをYahoo!(ヤフー!)のようなロボットエンジンが自動的に探索、「キャッシュ」としてコピーを作ったとしても、それだけをもって「わいせつ物の複製」などということはできないでしょう。しかし、意図せず行われたこのコピーが、検索エンジンのシステムを通じてネットワーク上で「頒布」され、結果的に人々が知るところとなるなら・・・一体誰にどういう「わいせつ」の責任を問えばよいことになるのか?
むろんブログをアップロードした人に責任があるわけですが、錯綜したネットワークの世界で、社会のごくごく一隅のブログ・サーバーに情報をアップすることが、現行の刑法175条にいう「頒布」「販売」「公然と陳列」にどう相当するのか、しないのか、現状の文言だけでは「純粋な情報」が責任主体の意図を超えて複製の運動を続けるインターネットという世界を、全くカバーできていないのです。
「よく分からない」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんので、少しシステムに踏み込んでみます。
仮にネットにアップロードすることが「公然と陳列」だと断言してしまうなら「アクセス制限をかけ、パスワードを入れないと見れない<個人的な情報>ページはどうですか?」と問われた時、話のワケが分からなくなります。
今、誰かが、ごく一部の人間、例えば夫婦とか家族とか、サークルの仲間だけが共用するために、パスワードでかぎをかけてネットにアップロードした<個人的な情報>として「わいせつ情報」をネットに載せたなら、どうなるでしょう?
「セキュリティに配慮しているから、これは『公然と陳列』にはならない」という主張が、アップロードした人サイドから可能になります。しかし、このアップロードした人からパスワードを聞いて、仲間がこの「個人的な情報」にアクセスすれば、仲間のマシンには「キャッシュ」として自動的にコピーが残ります。何かの具合でこれが意図せずに外部に漏れたなら・・・などなど、実は規制を考えようとしても、杓子定規には行かないことが山ほど出てくるわけです。
コピー&ペースト、どこかにあった情報を単に写して貼り付けるだけ、というようなことをシステムが自動的に行う時、誰に何の責任をどこまで問うことができるのか? ネットに特有なこうした問題を「わいせつ」をキーワードに考える時、1972年に起き、1980年に最高裁で結審した「四畳半襖の下張」事件は、様々なことを問いかけてくるように思うのです。
実は2つある『四畳半襖の下張』
1972年7月、月刊誌「面白半分」に永井荷風(1879〜1959)の作とされる春本『四畳半襖の下張』が掲載されました。これが刑法175条のわいせつ文書販売の罪に当たるとされて、同誌の編集長を務めていた作家の野坂昭如と版元の社長が起訴されます。
被告側は丸谷才一、吉行淳之介、五木寛之、井上ひさし、開高健、有吉佐和子といった有力文学者が証言台に立ちますが、第一、二審とも有罪の判決で野坂昭如に罰金10万円、社長に罰金15万円の支払いが命じられ、最高裁に判断が問われました。
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