ベルギー訪問の際、郊外Durbuyのレストランに行ったこと
2010/10/05 Tue 05:30
皇太子さまと雅子さまは1999年12月にベルギーのフィリップ皇太子の結婚式に出席した際、当時のベルギー駐日大使夫妻とともにデュルビュイというアルデンヌ地方の山村を訪ねられたそうです
情報源は前回の記事と同様「文藝春秋」2002年1月号のベルギー大使だった兵藤長雄さんの記事です
この件についてつけられていた事件名は「ベルギー訪問で郊外Durbuy (デュルビュイ)にあるレストラン「Les Sanglier des Ardennes」まで悪路を長距離グルメ旅行、そこで大皿交換といったとんでもないマナー違反事件」というものでした
引用した記事はごく一部なのですが、記事すべてを読んでもデュルビュイまでの道のりが悪路だったとか長距離だったとか、大皿交換をしたといった記述はありませんでした
これもまた想像に想像を膨らませていたらいつのまにか事実になってしまったという批判材料なのでしょうか
念のため、皇太子夫妻が泊まっていたブラッセルからデュルビュイまでの道のりを調べてみました
ブラッセルから南西へ113km〜116km、時間にして1時間半から40分ほどかかる距離でした
長距離というほどではないのではないかな、と私は思います
道路の状態ですが、「デュルビュイ 悪路」で検索したのですが、それらしき情報は出て来ず、悪路だと言っているのは私が何かと参考にしている雅子さま批判のサイトだけです
実際に行ったことがないのでたしかなことは言えませんが、悪路で長距離だというのは正しい情報ではなさそうです
次に、大皿交換の件ですが、皇太子さまと雅子さまはベルギー駐日大使夫妻が私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分け合います」と言ったのに応じていくつかのベルギー料理を注文し分けあって食べたことが「大皿交換」と書かれているのではないかと思いました
こういった食べ方がマナー違反かどうか…それはその場での食べ方に適しているかどうかだと思います
例えばフランス料理などのコース料理で、個々に盛りつけられた料理を2人でつつき合うのはたしかにあまりお行儀が良いとは言えませんよね
しかし、皇太子さまは非公式で、プライベートでここを訪れたわけです
それに、同行したベルギー駐日大使夫妻がそうやってよく食べるんですよ、と言ったのを聞いて同じようにしたわけですから、私は皇太子夫妻がさりげなく気を使ったように感じました
ですから問題になるどころか、これは「いい話」の要素が強い話だと思いますね
ちなみに…その後に続く庶民料理のムール貝の酒蒸しの食べ方に関しては、批判材料になっていませんが、こちらのほうはOKなのでしょうか
批判材料になるのならこちらのほうなのではないかと思うんですけどね…批判する基準が私にはよくわかりません
どちらにしても、私にはプライベートで訪問したレストランで庶民と同じように食べることがいけないとは思えませんが…
それから、そのレストランに皇太子さまと雅子さまの写真が飾られているそうなのですが、その写真に添えられた文章についてもいろいろ言われているようです
こちらがその写真

添えられた文章は「S.A.I.LE PRINCE NARUHITO ET SON EPOUSE MASAKO OWADA」です
批判サイトによると、「結果今も店に飾られている記念写真で雅子は“La Princesse”ではなく“SON EPOUSE”と書かれ店側に貴賎結婚認定、本人は気付いているかどうだか知らないが店を訪れる数多の客に馬鹿にされ続けてますよ事件」ということらしいです
「結果」とありますから、雅子さまが「悪路で長距離グルメツアー」を行い、「大皿交換」をしたために、このように記載された、と言いたいのでしょうか
「SON EPOUSE」の意味を調べてみたら、「son」は「彼の」「息子,義理の息子,子孫」(2010.10.8修正)のことで、「epouse」は未定義とのこと
フランス語ではないのかなあ…と思っていたら、「epouse」は正しくは「épouse」と書くらしく、こちらで調べたら、「女性配偶者。要するに妻」とのこと
この2つをあわせると「SON EPOUSE」は「彼の配偶者」「息子の配偶者」(2010.10.8修正)ってことになりますよね
「彼」というのは皇太子さまのことだと思われます息子っていうのはこの場合皇太子さまのことを指すのでしょうか(2010.10.8修正)
「皇太子さまの配偶者」という書き方は、批判サイトが述べているようにおかしな言い方だと思います
雅子さまは皇太子妃ですから、「princess」でなければなりません
このような書かれ方をしたのはなぜなのか…店側のミスのような気もしますが、実際はどうなんでしょう
少なくとも「悪路で長距離グルメツアー」や「大皿交換」をしたが故ではないと思いますけどね
この写真は今も飾られているのでしょうか
実際に行ってみるわけにもいかず、確かめようがないのですが、このような書き方は雅子さまに失礼に当たりますよね
このことで責められるのは雅子さまではないと思います
この一連の記事を読んで思ったのは、皇太子さまたち皇族は自分で好きなメニューを選んで食べるという自由もふだんはあまりないのではないかということです
御所での食事は栄養管理がされた食事が用意されるわけで、多少好みは聞いてもらえるでしょうけど、私たちがレストランに行って「どれにしようかなあ」と選んで食べるのとは大分違っていますよね
要人との食事の際もメニューは決まっているでしょうし、選ぶ楽しさはあまり味わっていないのかも知れません
皇族の食事は御料牧場で育った野菜など、栄養面も衛生面も、もちろん味も問題はないもので作られるわけですけど、食べる楽しみとしては欠けるのかもしれませんよね
特に健康管理は厳しくなされるでしょうから、食事の内容もかなり考えられたものになっていると思います
そういったものを食べるのは皇族として義務のようなものでもあるでしょうし、例えば雅子さまになかなか子どもが授からなかった頃には、妊娠しやすい体になるようなメニューも考えられていたのかも知れません
それを知りながらの食事は、あるときには希望になるかも知れませんけれど、時によっては負担にもなりそうです
そんなふうに考えると、プライベートで気兼ねなくリラックスして食事をするのが大きな息抜きになるのではないかと思いますね
雅子さまがミシュランから星をもらった都内のレストランによく行くなどという批判もいろいろありますが、心の元気を回復するために御所を離れてレストランでリラックスして食事をすることは有効なのではないかなあとも思います
情報源は前回の記事と同様「文藝春秋」2002年1月号のベルギー大使だった兵藤長雄さんの記事です
皇太子殿下とは、オックスフォード大学留学からご帰国の途次、米国に立ち寄られた際、いくつかの場所をご案内したり、お食事に同席したりしていたので、お人柄は存じ上げていた。そういうことで、両殿下にはベルギーでは公式行事以外にはできるだけリラックスしていただきたいと思案した。例えば、ブラッセルのレストランに家内とお忍びでご案内し、たまにはと思いメニュー選びの楽しみを味わっていただいたりした。お二人のむつまじいメニュー選びが続く中で「私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分け合います」と申し上げたところ、「それはいい」と言われて幾種類かのベルギー料理を仲よく分け合って楽しまれた。また公邸で庶民料理の一つ、ムール貝を酒蒸しして貝のまま山盛りにしてお出ししたとき、庶民の食べ方は一つのムール貝の殻で他のムール貝の中身を挟み出して食べますと申し上げると、早速手で同じようにムール貝を楽しまれた。気がついたらフライド・ポテトまでベルギーの庶民のように手で召し上がっておられ爆笑となった。
この件についてつけられていた事件名は「ベルギー訪問で郊外Durbuy (デュルビュイ)にあるレストラン「Les Sanglier des Ardennes」まで悪路を長距離グルメ旅行、そこで大皿交換といったとんでもないマナー違反事件」というものでした
引用した記事はごく一部なのですが、記事すべてを読んでもデュルビュイまでの道のりが悪路だったとか長距離だったとか、大皿交換をしたといった記述はありませんでした
これもまた想像に想像を膨らませていたらいつのまにか事実になってしまったという批判材料なのでしょうか
念のため、皇太子夫妻が泊まっていたブラッセルからデュルビュイまでの道のりを調べてみました
ブラッセルから南西へ113km〜116km、時間にして1時間半から40分ほどかかる距離でした
長距離というほどではないのではないかな、と私は思います
道路の状態ですが、「デュルビュイ 悪路」で検索したのですが、それらしき情報は出て来ず、悪路だと言っているのは私が何かと参考にしている雅子さま批判のサイトだけです
実際に行ったことがないのでたしかなことは言えませんが、悪路で長距離だというのは正しい情報ではなさそうです
次に、大皿交換の件ですが、皇太子さまと雅子さまはベルギー駐日大使夫妻が私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分け合います」と言ったのに応じていくつかのベルギー料理を注文し分けあって食べたことが「大皿交換」と書かれているのではないかと思いました
こういった食べ方がマナー違反かどうか…それはその場での食べ方に適しているかどうかだと思います
例えばフランス料理などのコース料理で、個々に盛りつけられた料理を2人でつつき合うのはたしかにあまりお行儀が良いとは言えませんよね
しかし、皇太子さまは非公式で、プライベートでここを訪れたわけです
それに、同行したベルギー駐日大使夫妻がそうやってよく食べるんですよ、と言ったのを聞いて同じようにしたわけですから、私は皇太子夫妻がさりげなく気を使ったように感じました
ですから問題になるどころか、これは「いい話」の要素が強い話だと思いますね
ちなみに…その後に続く庶民料理のムール貝の酒蒸しの食べ方に関しては、批判材料になっていませんが、こちらのほうはOKなのでしょうか
批判材料になるのならこちらのほうなのではないかと思うんですけどね…批判する基準が私にはよくわかりません
どちらにしても、私にはプライベートで訪問したレストランで庶民と同じように食べることがいけないとは思えませんが…
それから、そのレストランに皇太子さまと雅子さまの写真が飾られているそうなのですが、その写真に添えられた文章についてもいろいろ言われているようです
こちらがその写真
添えられた文章は「S.A.I.LE PRINCE NARUHITO ET SON EPOUSE MASAKO OWADA」です
批判サイトによると、「結果今も店に飾られている記念写真で雅子は“La Princesse”ではなく“SON EPOUSE”と書かれ店側に貴賎結婚認定、本人は気付いているかどうだか知らないが店を訪れる数多の客に馬鹿にされ続けてますよ事件」ということらしいです
「結果」とありますから、雅子さまが「悪路で長距離グルメツアー」を行い、「大皿交換」をしたために、このように記載された、と言いたいのでしょうか
「SON EPOUSE」の意味を調べてみたら、「son」は「彼の」
フランス語ではないのかなあ…と思っていたら、「epouse」は正しくは「épouse」と書くらしく、こちらで調べたら、「女性配偶者。要するに妻」とのこと
この2つをあわせると「SON EPOUSE」は「彼の配偶者」
「彼」というのは皇太子さまのことだと思われます
「皇太子さまの配偶者」という書き方は、批判サイトが述べているようにおかしな言い方だと思います
雅子さまは皇太子妃ですから、「princess」でなければなりません
このような書かれ方をしたのはなぜなのか…店側のミスのような気もしますが、実際はどうなんでしょう
少なくとも「悪路で長距離グルメツアー」や「大皿交換」をしたが故ではないと思いますけどね
この写真は今も飾られているのでしょうか
実際に行ってみるわけにもいかず、確かめようがないのですが、このような書き方は雅子さまに失礼に当たりますよね
このことで責められるのは雅子さまではないと思います
この一連の記事を読んで思ったのは、皇太子さまたち皇族は自分で好きなメニューを選んで食べるという自由もふだんはあまりないのではないかということです
御所での食事は栄養管理がされた食事が用意されるわけで、多少好みは聞いてもらえるでしょうけど、私たちがレストランに行って「どれにしようかなあ」と選んで食べるのとは大分違っていますよね
要人との食事の際もメニューは決まっているでしょうし、選ぶ楽しさはあまり味わっていないのかも知れません
皇族の食事は御料牧場で育った野菜など、栄養面も衛生面も、もちろん味も問題はないもので作られるわけですけど、食べる楽しみとしては欠けるのかもしれませんよね
特に健康管理は厳しくなされるでしょうから、食事の内容もかなり考えられたものになっていると思います
そういったものを食べるのは皇族として義務のようなものでもあるでしょうし、例えば雅子さまになかなか子どもが授からなかった頃には、妊娠しやすい体になるようなメニューも考えられていたのかも知れません
それを知りながらの食事は、あるときには希望になるかも知れませんけれど、時によっては負担にもなりそうです
そんなふうに考えると、プライベートで気兼ねなくリラックスして食事をするのが大きな息抜きになるのではないかと思いますね
雅子さまがミシュランから星をもらった都内のレストランによく行くなどという批判もいろいろありますが、心の元気を回復するために御所を離れてレストランでリラックスして食事をすることは有効なのではないかなあとも思います
そのように店の方もお皿を数枚用意してくださるので、マナーに反しているのかもしれませんが、そのようにしています。
皇太子さま、雅子さまも、お二人で分けられてはどうでしょうか?の問いに快く応じていたのですし仮に「いやです」と言った方が批判材料になると思います。
ただ、雅子さまがミシュランのレストランに出掛けるのはどうかなぁ?と私も思ってしまいます。
そこは、管理人さんとは違う意見です。
普通、息抜きって頑張って働いた人がする楽しみを息抜きっていうのではないでしょうか?
私も雅子さまが週に一度月に4〜5回、公務をされていたら息抜きにミシュランのレストランに行かれてもいいと思いますし、あまり批判はされないのではないか…と思っています。
私は、主人の肺癌と子どもの自閉症と就学前の悩みで、不眠になり適応障がいと最初は診断されました。
でも、誰も助けてはくださらず、家事をして保育園に送って、病院へ行ってと息抜きすらありませんでした。
私以外にも同年齢だと子どもの進学やご主人の仕事の悩み、高齢の親の介護などで、大変な思いをされている方も多いと思います。
健常者だけでは無く精神疾患の方からも批判されている事ですから、私は、雅子さまにもっと配慮すべき点もあると思っています。
もちろん、雅子さまが一流レストランにこだわっているとは思いません。喫茶店でもいいんじゃないかと私は想像しています。
警備上の問題もあるでしょうね。
やはり、不景気の今、楽しむことも選ばなければいけないのでは…と感じています。
だからと言って雅子さま批判派になったと皆さん、誤解しないでください。
一般的に、コース料理などでお皿を交換するのはマナー違反だと聞いたことがありますが、アラカルトで注文して分けて食べるのはよくあることだと思います
「よくこうやって食べるんですよ」と言われて「それじゃあそうやって食べましょう」という話になったわけですから、問題はないと思っています
ミシュランのレストランに行く件では、ひなさんの意見はよくわかります
たしかに、実際にそういったレストランによく行くのは好ましくはないと思います
雅子さまのような皇族となると、それなりにきちんとしたレストラン(たとえば個室があったり、警備の人が控えるような部屋があったり)である必要があるでしょうし、そうなるとミシュランに載るようなレストランになるのではないかと思っています
どうやってレストランを選ぶのかはわかりませんが、雅子さまサイドが選ぶこともあるでしょうし、一緒に行く人サイドが選ぶこともあるでしょうし、私がもし皇族とどこかで食事をするとなると、やはりミシュランに載るようなレストランを選ぶと思います
雅子さまの場合、公務などで外に出てくることが少ないので、マスコミも報道が過熱している部分はあるんじゃないでしょうか
最近はミシュランのレストランに通っているとはあまり聞きませんが、少し重なっただけでいろいろ言われてしまい、それが日常的に行なわれているかのように思われてしまうのも問題かなと私は思います
これも「事件」になっていれば、追々調べて記事にするつもりですが、どういう状況で誰と行ったのかや何度行ったのかなどを調べてみたら、わかってくることがあるような気がします
今の時点では、ひなさんと同じように「もう少し配慮してもいいことなのではないか」という思いもあります
大皿交換のお話しで、ちょうど今読んでいた翻訳小説にこんな下りがあったので、以下引用してみます。
(ここから)
ウェイターが本日の特別料理を、愛のこもった華麗な表現で、たくさんのフランス語の単語を交えて説明した。理解すべきなのに、ジェーンにはできなかった。
「英語で言うとなんなの?」彼女は質問した。
「大雑把に訳しますと」彼は声を低くして言う。「ミートローフとシチューです。しかし、けっしてよそでは味わえない最高のミートローフとシチューです」
「シェリィ、二人でそれぞれを注文しよう。で、交換すればいいし」
「ジェーン、ここじゃ、料理のやりとりなんかしないの」シェリィが叱るように言った。「あんたがそんな不作法な提案をしたと聞いたら、ご両親は卒倒するわ」
「お客様めいめいに、半分ずつ両方のお料理をお出しすることもできます」ウェイターが申し出た。
「あなたっていい人ね」ジェーンは言った。
(ここまで)
場所は現代シカゴ郊外、「気合を入れてストッキングとヒールの高い靴を履いてトライする」ようなフランス料理店。
ジェーンは両親こそ世界を飛び回る高級官僚でも本人は郊外の一戸建てで家事と子供達の世話に追われる主婦、
シェリィはその隣人で親友、旦那さんがまあ成功している社長だけど週1で掃除婦さんを頼む程度。
とある件のお礼や慰労を兼ねて二人でちょっと贅沢にレストランへ、という場面でした。
アメリカの中流階級でも、しかるべき店ではそういうマナーがあるのだなと。
もっとも、このエントリー記事中の引用文では、実際にどのように料理を分け合ったのか、よく分かりませんね。分け合った皿をもらったのか、皿を交換したのかは書かれていません。
思うのですが、もし雅子様が、ごく普通に皇太子妃として頑張っていらしたら、こういうエピソードも「私的な場面では形式にとらわれず、大らかに食事を楽しまれる」などと好意的に解釈されたのではないでしょうか。多少のマナー違反や失敗も、お遊びも、微笑ましいこぼれ話扱いにしてもらえる。皇室報道を見ていると、そう感じることがあります。
雅子様の場合は、好意的な解釈による報道に次第に無理が生じてきて、疑問や違和感が一線を越えてしまい、そうなると「あの解釈もあの話も、実は違う見え方があるのでは」と全てがオセロのコマのようにひっくり返り、逆に何でも悪い方へ解釈してしまう…という勢いが強くなっているのを感じます。またそちらの解釈の方が、さまざまなエピソードに対して、矛盾が少なく説明できてしまうように感じられる。
もちろん、個々の「事実」を歪めた話は流布されるべきではないと思います。
まいさんのコメントを読んで、なるほどたしかにそうかも知れない、と思いました
今の雅子さまは皇太子妃としての役割を十分には行なえていませんし、そういう状態に不満を抱いている人はけっこう多いのだと感じています
私は適応障がいというものがどのようなものなのか、具体的にはっきり知っているわけではないので、治療にどれくらいの期間がかかるのか、どういった経緯を経て治っていくものなのか、わからないのですが、雅子さまが適応障がいと診断されて以来、もうずいぶん長い年月が経っていますし、公務などの復帰具合も徐々に増えていってるとも感じられないですし、最近では愛子さまの不登校の問題まで出てきて、全体的にいい方向に行っているという雰囲気はないように思います
そういう状態であることは、決していいことではないですから、不満を持つ人が出てくるのも納得が行く部分もあるのですが、私としてはそういう状態にあるということよりも、なぜそのような状態になったのか、その原因・理由のほうに目を向けたいと思っています
雅子さまが適応障がいになったのはどうしてなのか、公務ができていないのはどうしてなのか…そちらのほうも考えていってほしいのです
以前に、たしか旧ブログだったかと思うのですが、雅子さまのことを書いたときに、「不登校をしている生徒に対し、不登校であることを批判するのではなく、なぜその生徒が不登校になったのか、その原因を考え、どうしたらその原因となっているものを取り除けるのかを考え、結果登校できるようになるように考える」と言ったことを例に出したことがあります
何事にもそれなりの理由があると思うのです
雅子さまへの報道が、「好意的な解釈による報道に次第に無理が生じてきて、疑問や違和感が一線を越えてしまい、そうなると「あの解釈もあの話も、実は違う見え方があるのでは」と全てがオセロのコマのようにひっくり返り、逆に何でも悪い方へ解釈してしまう」「そちらの解釈の方が、さまざまなエピソードに対して、矛盾が少なく説明できてしまうように感じられる」というのは大いにあると思いますね
マスコミにも原因はあるのだと思います
雅子さまが皇太子妃に内定したときは、いいことばかりを並べ立て、中には身に覚えのないものもあったでしょうし、それが実はそうではなかったと後になってわかって、まるで雅子さまが嘘をついていたかのように言われることもありますよね
今は、どんなにいい話も悪いほうに取られているところがありますし、私にはそれが少し度が過ぎているように思います
私の姿勢としては、雅子さまに対する批判をひとつずつ調査して語っていく上で、これは批判されても仕方がないと思えるものにはきちんとその旨を記載しようと思っています
事実そういった内容の記事もあります
まいさんが言うようにさまざまなエピソードが悪いほうにとられているということもよくありますが、実際にいろいろ調べてみるとそれに無理があったことがわかったり、信憑性のない情報に基づいていたりすることもあって、「事実」を歪めた話も相当に多いことに気づかされます
私が批判の対象としているのは、雅子さまをはじめとする東宮批判をする批判派たちです
何でもかんでも批判の対象にしてしまう、都合のいい情報だけを信じているという状態にもの申したいと思っています
またご意見がありましたらお聞かせくださいませ
会社で働いていて精神的な病になり、その事を告げたら、即解雇される方がほとんどだからです。
今は即戦力のある人材を求めていますし、精神的な病の人は振り落とされる時代だからです。
会社の方が「どうして精神的な病になったのか?」なんて考慮してくれるのは本当に少ないと思います。
精神的な病は人それぞれ症状も違うと思います。
ミシュランのレストランに出かけるのも、ドクターの指示もあるかもしれませんね。
でも、雅子さまに限らす精神疾患の方には冷たい世の中なんです。
どうしたら冷たい対応をとられなくなるのか…と考えた時に、完治までいかなくても、やはり治す努力と病に甘えない考え方が必要になると思っています。
雅子さまだけでは無く、雅子さまのご両親や姉妹の方々も批判されていて言いたい放題ですね。
私は雅子さまのお父様が計画してご成婚まで導いたとは思えません。
私は、皇太子さまに求婚されて雅子さまは、仕方なく結婚をお決めになったとは思えません。
きっと雅子さまにも皇太子さまへの愛情はあったと思います。
結婚って思い通りにはいかないですね。
私も、こんなはずでは無かったと思った事は度々ありました。
今は、諦めというか普通に生活を送れている今、小さな幸せを貴重に感じ生活しています。
何故、雅子さまにだけ、このように苦しい試練があるのかつい自分の事のように感じてしまいます。
会社などの場合、営利目的で運営されているわけですし、慈善事業ではないため、即戦力にならないとわかると振り落とされてしまうのでしょうね
日本はまだまだ精神的な病いに対しての理解もないし、身近な問題としては感じていないように思います
私だって、身近にそういう人がいないので、具体的にどう接していったらよいのかわからない状態ですし、精神的な病いのことも知識として多少知っているだけで、ちゃんとわかっているかというと、そうではないと思います
ただ、わからないなりに「私にはわからないような事情がいろいろあるのだろう」と思うようにしています
たしかに、「どうしてなのか」を考える人は少ないのかも知れません
以前、相撲協会の賭博の問題で、NHKが放送をしなかったときがありましたが、テレビのニュースで「大相撲の放送を楽しみにしていたのに、NHKはその楽しみを奪った」と述べている人の姿を見ました
この人も「どうしてこうなったのか」を考えてはおらず、自分の楽しみが奪われたこと…自分の主観だけで語っていると感じたものです
雅子さまのことも、もし自分が雅子さまの立場だったらどうなのか…と考えたり、皇室に入ると世継ぎのプレッシャーを受けたり常に人に見られたりするのは当然だと突き放すのではなく、皇太子として避けては通れないことだとしてもたいへんだろうなあ…と思いやる気持ちをもう少し持てないものかと思います
治す努力と病いに甘えない考え方…これは精神的なものですから、精神的な病いを患っている人たちにはなかなか難しいことですね
治さなくちゃ、甘えちゃいけない…と思うことが精神的に負担をかけてしまいそうで心配になります
でも、前向きになるという意味でなら、周りのサポートを受けながらそういう思いになっていけたらいいと思います
雅子さまを批判しているサイトはいくつかありますが、その中で私のブログのことがよく書かれるサイトにはちょこちょこ見に行っています
なんというか、芋づる式に批判対象が広がっている気がします
雅子さまがはじめから皇太子妃の座を狙っていたと言ってみたり、皇太子さまを嫌っていたと言ってみたり、まさに言いたい放題ですね
最近気になるのは「雅子さまの妹や雅子さま本人が書き込みなどをしている」という書き込みでしょうか
なぜそんなことを知りうるのか、なぜそう断定できるのか、不思議で仕方がありません
私も自作自演だとかいろいろ言われているので、そう言った書き込みの内容が間違っているであろうことは想像つくのですが、わかっていてやっているのか、それともそうだと本気で思い込んでやっているのか、疑問に思います
そういう批判派たちの姿勢は思いやりのかけらもないし、匿名で人を誹謗中傷して楽しんでいるように思えてなりません
そういう行為をしている自分自身に対して嫌にならないのかなあと思います
結婚はたしかに「こんなはずではなかった…」の連続ですね(笑)
どんな人でも一度は「これでよかったのだろうか」と思うことはあると思います
そんな中でも、まあなんとかやっていこうかと思ったり、やっぱりこれでよかったんだと思ったり、そうやって続いていくものなのだと思います
雅子さまのことは、私自身が不妊の辛さを経験したことから、お世継ぎ問題のたいへんさを身にしみて感じています
適応障がいなどの原因もそこにあるのではないかと私は思いますし、そう思うと今のなかなか思うように皇太子妃の役割が果たせないことだけを取り上げて批判するのはどうかと思いますね