確かな“目”と、卓越した宣伝力を持つヒットメーカーが、志を半ばに命を絶った。
警視庁石神井署によると、吉田社長の夫人から119番通報が入ったのが7日午後2時46分。吉田社長が自宅1階のトイレで首をつっており、買い物から帰宅した夫人が発見した。救急車で病院に搬送されたが、同3時45分に死亡が確認されたという。遺書などは見つかっていない。
吉田社長は最近、うつ病で通院治療を受けており、5日に出社したのを最後に2日連続で会社を休んでいた。死亡当日の午後2時過ぎには、夫人と電話で話したが、とくに変わった様子はなかったという。だが、親しい知人には病気について相談しており、亡くなる2日ほど前に話した別の関係者は「話が上がったり、下がったりして、何を言っているのか分からなかった」と明かす。
1985年にCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社した吉田社長は、宣伝畑でアイドル歌手やTUBEなどを手掛け、97年に社内に「Tプロジェクト」を発足。メディアを使った宣伝戦略で、実力がありながら埋もれていた平井堅(38)を売り出すなど、次々とミリオン歌手を輩出し、プロジェクトを「デフスターレコーズ」として分社させた。
その手腕を買われ、03年8月に現職へ。コブクロ、絢香(22)、Superflyらを発掘して育て、業績を好転させたが、絢香が俳優、水嶋ヒロ(26)との結婚を機に昨年いっぱいで活動休止。今年3月には所属バンド、JAYWALKの中村耕一(59)が覚せい剤取締法違反で逮捕され、会見で憔悴した表情を浮かべた。
常に現場主義でフル回転。古くからの知人は「冗談をほとんど言わない、まじめな人だった」と評す。また、近年は腹心の部下が会社を離れ、関係者は「社長は孤独だった。相談相手がいなかったのかも」と話した。 その素顔は野球観戦が趣味で、中学1年生の一人息子の影響で西武ファンに。自宅ではサンケイスポーツを愛読して結果をチェック。西武担当を経験した記者に「署名記事を読んでましたよ」と声を掛けた。多忙なスケジュールを縫い、西武ドームに駆けつけるのが楽しみだった。
今月30、31日には東京・北の丸の日本武道館で同社の創立40周年コンサートを控えていたが、一大イベントを前に心の隙間は埋まらなかった。