さてまずは現時点で最もポピュラーと思われる著書「ドクター中松 の常識やぶりバンザイ!」(KKベストセラーズ・1991)を見て みよう。
まず驚くのは、前書きに四ページにわたって書かれている 肩書きの羅列である。なんでも発明件数二千三百六十件でエジソン の千九十三件を抜き、世界一だとか、フロッピーディスクを発明し たとか、世界発明コンテストで十一年連続グランプリとかである。
その他、主なものを列挙すると、ニューオリンズ市やセン トルイス市(全部で十二の市があるが省略)で名誉市民、ロサンゼ ルス市やセントルイス市(他に七か所があるが省略)が法律で「ド クター中松記念日」を制定。
受賞としてはブッシュ大統領親書(賞なのか?)、米国ナ ショナル大学世界指導者賞、シカゴハイテク研究所天才賞など十一。 肩書きとしてアメリカ発明協会副会長、世界天才会議議長、 国際発明協会会長、脳力学会会長など八つ。
そしてニューズウィーク誌の「世界十二傑」に日本から唯 一選ばれ、その価値一時間一万ドルと評価とある。
まことにスゴい経歴で、とても信じられないようなもので あるが、その実態については後で説明しよう。
本の内容であるが、いろいろ面白いことが書いてある。た とえば頭によい食べ物は何かといったことだ。タマネギとホウレン ソウは頭に悪いそうである。
それがどうやってわかったかというと、ドクター中松はこ
こ二十数年、必ず食事の写真をとっているという。そして食事のあ
と四、五日してから頭がすっきりしないことがあると、その食事が
頭に悪いということがわかるというのだ。食物に対する反応はだれ
でもドクター中松と同じということらしい。これが世界一の発明王
の論理であろうか。・・・
発明件数二千三百六十件の正体
しかし感心(?)ばかりはしてられない。ドクター中松の言うこと
は本当なのだろうか?この謎について、なるべくドクター中松の著
作と一般的知識のみを手掛かりに考えて見ることにした。その結果、
ドクター中松の主張で、まるっきりのウソであると断言できるもの
はいまだに見当たらないのである。
しかし、ここで注意しておきたい。ある主張が「ウソでは ない」ということと、その主張から通常連想されることとの間には、 大きな隔たりがあることがしばしばあるのだ。
たとえば消火器の訪問販売業者が「消防署から来ました」 と言った場合、その業者が消防署と何ら関係がなくてもウソつきと は言えない。その業者が位置的に消防署のある方角から来たことを 否定できないからである。
この業者を詐欺師と呼ぶ人もいるだろうが、むしろ「みご とな話術」と評価すべきである。この例を感心できない人はドクター 中松の著書を楽しむことはできない。彼の著書を読み解くには、こ のような「話術」を見抜くテクニックが必要になる。
いかに話が大きく見えるように工夫した書き方をしている か。この点に注意して読み返して見ると、彼の著書は一種のパズル になり、読書は推理ゲームになってくる。
印象と事実が違っている例を示そう。ドクター中松が二千 三百六十件の発明をしたという主張は有名である。エジソンの千九 十三件を抜いて世界第一位という。
ここで二千三百六十件の特許を取得したことと思ってはい けない。発明と特許は違うのだ。特許は特許庁へ申請しなければな らないが、発明は個人がどう定義してもいいのである。どんなつま らないことだろうと個人が発明だと主張すれば否定することはでき ない。たとえば私が、特許五千件を持っていると主張すればウソで あるが、発明を五千件したといえば他人がけっして否定できないと いう意味でウソとはならないのである。
ドクター中松の著作や記事は数多いが、特許二千三百六十 件と自分で書いてあるものはない。ただし雑誌記事などで記者やイ ンタビュアーが、カン違いして、特許二千三百六十件と書いたもの は実に数多くある。それらはメディアが勝手に書いたものだから、 ドクター中松に責任はない。他人の間違いを指摘しなければならな い義務はないのだ。
特許でなくとも二千三百六十件の発明はスゴいと思う人も いるかもしれない。この二千三百六十件という数字が十年以上にわ たって変わっていなかったという事実はどう説明つければいいのだ ろうか。
この事実を初めてマスコミで指摘したのは「宝島30」誌 の一九九三年十一月号の記事(松沢呉一:「ドクター中松という珍 発明」)である。松沢氏が確認できた範囲では、この数字が出てく る最も古い資料は一九八〇年九月六日の毎日新聞の「ひと」の欄で あったという。それ以降十三年間、一件の発明もしていないのだろ うか。
この記事は、かなり痛烈だったらしく、その後しばらくし てから、ドクター中松は発明件数を三千件以上というようになった のである。
なおエジソンの千九十三件のほうは米国特許の件数である、
これと比較することによって特許と錯覚させるあたり見事な「話術」
である。ちなみに中松義郎氏の特許取得件数は百九十三件という。
しかも、これは日本一ですらないのだ。
「世界十二傑」の驚くべき真相
記念日のことも書いておこう。米国のいくつかの市では「記念日」
や「名誉市民」が実に簡単に授けられるそうである。あるていどの
貢献(要するに寄付金などの経済的貢献でもいい)をすれば誰でも
「名誉市民」になれるし、証明書も発行してくれるという。ほとん
ど記念スタンプに近い制度であり、記念日にしてくれても、もちろ
ん休日になったりするわけではない。しかし、この制度じたいは市
の条例等で決められているのだから「ドクター中松を法律で制定」
というのもウソとはいえない。
ニューズウィーク誌での「世界十二傑」はもっとケッ作だ。 そのもとになった話は一九八九年三月六日号のWho Said Talk Was Cheap?と題された、六十語に満たない本文とリストが出ているだけ の記事である。講演料は如何に高いかという内容で、リストには十 二人の名と講演料が並んでいる。一時間一万ドルとは講演料であっ たわけだ。なお、この講演料は講演者を抱えるエージェントが提示 している値段をそのまま出したもので、ニューズウィーク誌が評価 したものではない。ちなみに他の十一人にはレーガン元大統領やア イアコッカといった超有名人から、シカゴ・ベアーズのコーチやレー サー、超音速機のパイロット、タイタニック号の発見者といった人 まで並んでいる。ドクター中松は、この名かで最も安い一万ドルで ある。みようによっては、こんな人でも一万ドルも取るという意味 に見えないこともない。なお該当するニューズウィーク誌の発行日 は、「ドクター中松の頭をもっと良くする101の方法」(KKベス トセラーズ・一九九二)の巻末にある十二ページに及ぶ経歴書にちゃ んと書かれている。
また米国テスラ学会から、古今のもっとも偉大な五人の科 学者の一人に、キューリー夫人やアルキメデスとともに選ばれたと もあるが、その四ページ後にドクター中松はテスラ学会の本部常任 理事であると書いてある。自分で自分を選んだのだろうか?
「国際発明協会」の会長でもあるが、これは通産省の外郭 団体である「発明協会」とはまったく無関係の団体である。なお世 界発明コンテストの日本における窓口は国際発明協会である。
ブッシュ大統領親書もウソではない。ドクター中松の著書 「政治を発明する」の冒頭に、全文が訳文付で掲載されているのだ。 ただし、これはInternational Inventors Exposition 1988 (すなわち世界発明コンテスト、訳文では国際発明協会)の Chairman(訳文では会長)である中松氏へあてた百語に満たない手 紙である、親書というよりは、イベントの開催に応じた政治家から の祝電のような印象を受ける。世界発明コンテストの代表者が、ド クター中松自身であるとしか思えないが、するとドクター中松は自 分で主催するコンテストに自分が連続受賞しているということにな る。
なお一九八八年には、プッシュはまだ大統領になっていな
いはずなのだが。
フロッピーの発明者ではなかった?
さて最も重要なフロッピーディスクの発明について調べて
見よう。
この発明で不思議なのは発明したのが、一九四八年という
ことである。戦後、三年しかたっていないこの時代にどうしてフロッ
ピーが発明できようか。「常識やぶりマンザイ」では短すぎてわか
らないので、古本屋で中松氏の古い著書を探してみた。「異学発想
のすすめ」(講談社・一九八六)によると、特許を出したのが、一
九四八年、特許がおりたのが、一九五二年、IBMがフロッピーを生
産発売したのが、一九七二年、そしてIBMが中松氏とフロッピーディ
スク関連(!)のパテントのライセンス契約をしたのが、一九七七
年の二月という。契約よりも生産が先とは!もしフロッピー発明者
が中松氏だとしたらはIBM相当おかしなことをしているになる。
「ゴロ寝してスーパーマンになる法」(マネジメント社・一九八七)
には、さらに現在の本と違うことが書いてある。「常識やぶりバン
ザイ!」では、情報をキャッチしたIBMの副社長が特別機で飛んで
きたことになっているが、この本では中松氏の特許をIBMが認めな
かったため、中松氏は防弾チョッキを着込んで米国に渡ってIBMに
乗り込み、契約を認めさせたということを武勇伝のごとく書いてあ
るのだ。これはいったいどうしたことであろうか。
中松氏の著書の中で最も古い「三Xの人生」(学習研究社・ 一九七七)を見ると、驚いたことにフロッピーのことはみじんも出 てこない。コンピューターの時期記録装置の話は出てくるにもかか わらずだ。一九七七年四月の時点で、ドクター中松はまだフロッピー を知らなかったとしか思えない。しかし大きな手がかりがある。一 九四八年、東大在学中に「ナカビゾン」というものを発明し、特許 を取得したと書いてあったのだ。
ナカビゾンとは何か。その前に昔、シンクロリーダーとい うものがあったということを説明しておこう。紙の裏に磁性体を塗 り、紙側を固定して回転するヘッドで裏面を擦って音楽を再生する というもので、磁気記録するソノシートのようなものである。昭和 三十年代に、大いに騒がれたものだが、カセットテープの発達と低 価格化によって今では忘れ去られた発明になっている。
シンクロリーダーは、柔らかい媒体(=紙)に磁気記録を するというもので、強弁すればフロッピーの元祖だといえないこと もない。一九四八年のフロッピーの謎はなかば解けた。紙製のレコー ドのアイデアを出したということのだろう。
ではシンクロリーダーの発明者は中松氏かというと、そう でもない。発明者は東工大の星野教授という人だ。しかし、一九五 八年、三井物産の社員だった中松氏は、学生時代に出した特許が当 時騒がれていたシンクロリーダーの概念に抵触するものであること を、兜町からの電話で知らされる。中松氏は自分が出した新型レコー ド(ナカビゾン)の特許の商業価値に十年間気付いていなかったこ とになる。
…しかしシンクロリーダーもナカビゾンもフロッピーとは 相当かけ離れたシロモノである。多少の類似はあるとしても、権利 がどれだけ認められるというのだろうか?実のところ、前出の松沢 氏に、ナカビゾンに該当する特許広報をみせてもらったのだが、ど う考えれば、これからフロッピーが連想できるのか、私にはさっぱ りわからないのである。 もっと不思議なことがある。特許法によれば出願後二十年 で権利は消滅する。すると一九七七に、なぜIBMはパテント契約し たのだろうか。
この問題についてはさすがになんとも言えない。しかし特 許についていくらか調べて見ると日米の特許法の違いから、こうし た場合でも契約が結ばれることがあることがわかった。ここでは訴 訟社会である米国においては、ときには実につまらない、普通日本 では契約などに至らないような中身でも契約することがあり得ると だけしてきしておこう。もちろん中松氏とIBMの契約がそうだと言っ ているわけではないのだが。
しかし永久機関という究極の発明まで売り物にしてしまっ
たドクター中松は、次は何を「発明」するのだろうか。ネタが尽き
たのではないことを祈るのみである。