「左翼の戦争展」こと「平和のための戦争展」取材。19年続く実力を見た。
前回「右翼の戦争展」こと「もうひとつの戦争展」を取材いたしましたが、今回は「左翼の戦争展」こと、「あいち・平和のための戦争展」のレポートをお送りします。
右翼の戦争展が「もうひとつの戦争展」となっているのは、左翼の戦争展を意識してつけられたもので、それを考えると左翼の戦争展は「元祖戦争展」といってもいいかもしれません。
・「右翼の戦争展」こと「もうひとつの戦争展」を取材。民族派に「日本人とはなにか」と聞く。
http://www.janjanblog.com/archives/12712
「左翼の戦争展」が行われている場所は、名古屋市公会堂というところです。
公会堂は、鶴舞公園という、色々な意味で由緒のある(*1)のなかに建っている、とても古い建物です。
昭和一桁の頃に建てられたふるい建造物ですが、現在でも貸しホールとして利用されており、コンサートなどの会場になっています。
「左翼の戦争展」こと「あいち平和のための戦争展」の会場は、公会堂の4階のフロア全域を使って開催されていました。
4階に上ってすぐのところに受付があります。
入場料は500円。
写真撮影をする人は受付で登録をすることになっているようです。
氏名などを書き、撮影章であるリボンのようなものを受け取ります。
受付の人の話では、在特会の人たちがやってきて騒動を起こしたこともあり、管理を強めているという話でした。
会場は一番大きなホール、会議室、ホールの前の空間など、4階のすべてのエリアを使って、かなりの広さの展示が行われています。
展示物には、パネル展示、戦争当時の写真、飛行機や爆弾の模型、戦時中の使われていた品物の実物展示、など、色々なものが含まれています。
内容も、第二次世界大戦の話だけでなく、沖縄やベトナムなどの現代の戦争の話、シベリア抑留の話、日韓併合100年のパネルなど多岐にわたります。
展示内容についての解説はのちほどするとして、まずは実行委員長の倉橋正直さん(愛知県立大学名誉教授)に、「あいち平和のための戦争展」の概要についてお聞きしたことを紹介します。
Q:戦争展について教えてください。
A:「平和のための戦争展」というのが正式名称で、1992年より開催しています。今年で19回目となります。
私がか関わるようになったのはここ10年ほどのことで、初期のころのことまではよくわかりません。
Q:この平和展はどのように運営されていますか?
A:平和のための戦争にかかわる展示をする、という趣旨に賛同した各団体の方に出展していただいています。
それぞれの出展団体とは別に運営委員会があり、そこで出展団体の方の審査をしたり運営にかかわることをしています。
運営委員は7~8人ほど居ます。
Q:運営委員会は、外部の団体から独立したものですか?
A:各地で開催されている平和展では、統括団体のある団体もあります。
埼玉、京都などの平和展ではそのような運営していると聞いています。
統括団体があると、毎年必ず開催されるし、組織もしっかりしているという利点があります。
ですが、どうしても方向性が強く出ますし、趣旨への賛同というよりは、統括団体自身の好き嫌いや、統括団体にたいする好き嫌いのようなものが出てしまいがちです。
そのようなものを避けるために、愛知では実行委員会形式で運営しています。
Q:展示内容などはどのような企画されるのでしょうか?
A:メインのテーマとなる企画や、公演内容などは考えます。
各団体の展示スペースは、それぞれの団体が思い思いの展示をしています。
ですから、展示内容はバラバラです。場合によっては重複しているものもあるかもしれません。
ほかの参加者の団体の展示には口を出さないことがルールです。
Q:新規で参加をした場合はどのように申し込みますか?
A:新しく参加を希望される団体については、平和のための戦争展ですから、その趣旨に合っている団体かどうかを運営委員会で話し合います。
さいきんでは参加団体が増えてきて(40団体ほど)、スペースが少なくなってきており、それとは別に断る場合もあります。
Q:かなり大きな会場が各団体の展示で埋め尽くされていますが、運営は大変ではないでしょうか?
A:会場費は60万円近くかかります。全体では費用は150万円ほどかかります。
その費用は、入場者のみなさまから頂いている500円の入場料と、参加団体からの参加費、
あと、郵便カンパを集めていますので、それでまかなっています。
それほど財政は豊かではなく、毎年やっとで運営しています。
Q:来場者数はどれくらいでしょうか?
A:ここ数年は2000人ほどです。過去に溥儀の展示をしたときには、7500人の来場者があった年もありました。
そのときには、右翼のひとたちのやっている「もうひとつの戦争展」も同じ建物で開催していました。
その年には右翼の戦争展のほうにもたくさんの来場者があったようです。
(今年の来場者数は2150人)
Q:先日、右翼の戦争展にも取材をしてきたのですが(*3)、右翼の戦争展の人たちは、こちらの戦争展に参加したがっているようですね。
A:私達の戦争展は「平和のための戦争展」ですから、日本の侵略戦争を肯定している方達の展示を一緒に行うというのは、難しいと思います。
Q:右翼の戦争展の方達の話では、こちらの展示は「プロ」や「プロ市民(*4)」の人が関わっているとのことでしたが?
A:「プロ」や「プロ市民」という言葉がなにを指すのかによりますが、私達の展示会に関わるスタッフは、運営委員も出展者も会場スタッフも、すべて手弁当のボランティアです。
戦争展の「専従(*5)職員」がいるわけでもありませんので、それを職業にしている人がいるわけではありません。
展示方法やパネル作成、資料調べなどに詳しい人がいるのは、長年開催してきて色々な人が関わっていることが、大きく影響していると思います。
長く活動している団体さんは、展示方法も凝っているし、内容もよく、見ごたえがあります。
また、戦争展を始めた当初は、展示方法も居間に比べるとうまくなかったと聞いています。
参加団体によっては、それぞれの団体の専従職員がいる場合もあると思いますが、戦争展そのものの専従職員はいません。
Q:右翼の戦争展の人たちによると、日教組が関わっていて生徒が動員されている、という話でしたが?
A:私達の戦争展は実行委員会方式で運営しており、日教組と特に関わりがある、というわけではありません。
確かに学生さんの参加も多くみられますが、組織的に動員しているわけではありません。
長く活動していて、色々な団体が関わっていますので、その成果として、色々な人が見に来ているのだと思います。
Q:在特会の人たちが見に来たそうですが?
A:私達の戦争展では、特になにかがわる、という年でなくても、毎年警察に警備を依頼しています。
いままで依頼をしても、警備にきてくれることは無かったのですが、今年は向こうから自主的にやってきました。
制服の警察が車で来て外を警備しており、在特会の人たちは、私服警官と一緒に混じってやってきました。
人数は10人~7人ほど、私服が7~8人だったようですが、実際の数は両者が混ざっていたのでよくわかりません。
Q:お勧めの展示を教えてください。
A:ほんとうに色々な団体が関わっています。
今年の目玉としては、日韓併合100年を記念した企画展示があります。今年はピースあいち(*6)の展示もあり、防空壕が再現されています。
私も関わったものとしては、愛知県の工場地帯が爆撃されたききの様子を、当時の米軍の写真と地図を使って再現したものがあります。
そのパネル展示で使用されている、空襲で爆弾が投下される時の写真に、とても鮮明に爆弾が写っているものは、新聞にも掲載されました。
あとは、長く戦争展をしていると、本当に色々な人が関わっていて、軍事マニアの人たちも参加しています。
爆撃機の模型を作って展示している人や、当時の兵器の色分けなどを詳しく調べて展示している人もいて、面白いと思います。
(ここで紹介されている「鮮明な爆弾の写真」は確かに新聞記事になっており、インターネット上でも紹介されていました。ただし、どの新聞社の記事かは忘れました。)
戦争展は、4階の部屋すべてを使って行われていました。
入り口の受付の周辺では、今回の戦争展の目玉である「日韓併合100年・特別企画」が行われています。
日韓併合企画は、ひとつだけではなく、色々な団体の展示があるようです。
むかしの朝鮮半島の写真パネルの展示や「族譜(*7)」の展示があります。
三菱女子挺身隊(*8)の展示や慰安婦関連の展示もありました。
なかでも目を引いたのは、伊藤博文を射殺した安重根の写真が英雄として紹介されていますが、
まったく同じ写真が、右翼の戦争展では「テロリスト」となっていたことです。
安重根が血で書いた韓国の旗も紹介されていました。
この旗には大韓独立と書いてあるのですが、この文字が血で書かれたもののために、あまり上手ではありません。
この旗を模したものたが「日韓併合100年映画祭」の会場にも飾ってありましたが、事情を知らない筆者は
「なぜか字がビミョーにきたない」などという感想をもっていました。
会場内には、ほんとうにさまざまな団体が、所狭しと、色々な展示を繰り広げています。
戦争当時のヘルメットの実物が触れる状態で展示してあったり、
(筆者は実際にかぶってました。本物は小さな穴が開いていて、結構重いことが判明)
各地の空襲の記録、戦時中に反戦活動をした人の展示、戦時中の生活についての展示、戦争と宗教者のかかわりの展示、
学童疎開についての展示、戦争中の兵器についての展示などが、写真や資料のパネルだけでなく、実物や模型の展示など、さまざまな方法で行われています。
時代背景も、第二次大戦だけでなく、イラクの問題を扱っている団体や、沖縄の辺野古や高江の基地問題を取り組む団体の展示、
県内の郡基地の問題や、子ども兵士の問題を扱っている団体もあり、見ごたえがあります。
全体的に資料数も、スタッフ数も、来客も多く、たいへん活気があります。
いろいろと見て回っていると、それぞれ場所で、お茶やおかしをもらったりすることもありました。
全体的に「右翼の戦争展」よりも、関わっている人が多く「層が厚い」感じがするとともに、いろんなものがありすぎて「まとまりがない」印象もあります。
正面中央には「ピースあいち」の特別展示があり、無人偵察機などの現代の戦争兵器のパネルや、防空壕の模型、爆弾が突き破った天井の板などの展示がありました。
倉橋教授の「オススメ」にあった空襲の爆弾の写真は、かなり鮮明なもので、とても興味深いものでした。
爆撃されて煙をあげる白黒の写真の中に、道路や川などの線が引かれ、地名が書かれています。
筆者も実際に通ったことのある道路がそこにあり、現在とは町並みなどの様子こそ違うものの、
道路の走り方や、川との交差の仕方は、まさに現在と同じ配置であり、筆者の住む町がこの当時、空襲で焼け野原となる、紛れも無い「戦場」だったことが思い起こされました。
もう50年以上も前の写真ですが、現在と道の配置がまったく同じ地域に、鮮明に写った爆弾が投下されている写真が、妙にリアルに感じられて、戦慄を覚えました。
筆者は、アイヌに限らず、機械を逃さずに、意識的にお年寄りに話を聞く機会をもつこつにしているのですが、
実際に愛知県で空襲にあった体験での話で、よく出てくるのが
「B-29の光る胴体」と「街の焼ける匂い」の二つです。
B-29は、非常に高高度を飛んでいるのですが、丸い銀色の胴体をしており、よく光って見えたそうです。
昼間には銀色に、夜間は燃え上がる地上の光を映して赤く。
とても「憎たらしいもの」として、語られます。
街の燃える匂いは、野焼きで生ゴミと古い材木を一緒に燃やした時のような、焦げた据えた匂いだそうです。
人と家の焼ける匂いなのでしょう。
展示会場でスタッフをしていた方に、在特会の人たちがやってきたときのことを、聞いてみました。
Q:在特会の人たちが見に来たようですが、どんな感じでしたか?
A:在特会の人たちは2回来たたようです。一回は私も目撃しました。
在特会の人たちは、ひとつに固まって色々な展示を見て歩き、いろいろな団体の展示に、いろいろとケチを付けていきました。
沖縄の展示をしている団体の方が、在特会の人達にも、サータアンタギーを薦めていたみたいです。
あげなくていいのに。
在特会の人たちは、入り口で入場料を払って入ったようですが、私服警官は払わず入ってきたようです。困ったものです。
Q:在特会ではないそうですが、右翼の戦争展が博物館で開催されています。戦争展というか日本の歴史の展示のようなものでしたが、興味はありませんか?
A:太平洋戦争での日本の行為を肯定したり正当性を主張したりする展示には、興味が無いです。
Esamanさんも、よくそんな所に行きますね(かなり困った顔をされる)。
こちらの展示を見に来る段階でも「私服警官」は、在特会の人たちと一緒になって、傍若無人に振舞っていたようです。
傍若無人に振舞っていたのは、在特会の方かもしれませんが、何人かの目撃者に話を聞いたところ、私服と在特会の区別は、まったくつかなかったそうなので、私服警官も一緒ということにしておきましょう。
この「区別が付かなかった」というのは、来場者やスタッフに対して、一緒になって圧迫感を与えていた可能性も高く、警備計画に問題があるようにしか思えません。
事実、在特会の一団に私服警官が混じっていることを認識していない人もいました…
筆者(以下E):在特会の人たちがきたそうですが?
スタッフ(以下S):きましたきました。怖かったですよ。
E:どんなことをしていったのですか?
S:展示に文句をつける人と、周囲を警戒する人に役割分担をしていました。
E:周囲を警戒ですか?
S:在特会の人ってガタイがよくて無愛想で通信機をもっているんですよ。「良いデカ悪いデカ」みたいに役割分担しているんじゃないかな。
E:えーっと、通信機をもっているのは、私服警官じゃないんですかね?
S:そうだったの? 在特会と私服警官は連携しているとはしらなんだ。 戦前の特高警察のようなもの?
E:うーん、ちょっと違うと思いますが、会場のスタッフのみなさんに、在特会と一緒になって圧迫感を与えているとしたら、なにを考えとるんだという話ですね。
次は、何人かで会場に来ていた学生の方に、話を聞きました。
Q:今回はどのようなご縁で参加したのですか? 日教組の動員ですか?
A:自分の関わっている映画会の方が、展示に関わっているというので、興味があって見に来ました。
なにかの動員ではなく、自分で興味があって来ました。
学校では見られないようなものが多数あって、面白いと思います。
Q:どうして戦争展に着てみようと思いましたか? 見てどう思われましたか?
A:私が映画会に関わったのは、世界で戦争があった子ども達が苦しんでいるということに興味があって来ました。
この会場でいろいろなものを見て、世界にもたくさんの戦争があることだけでなく、
日本も戦場になっていたことが実感としてわかった気がします。
いままで、愛知県でも空襲があったことや、日本でも子どものような年の人たちが戦争に駆り出されていたことを、
知識としては知っていましたが、遠い国の話のような、あまりハッキリとは実感できないものと思っていました。
ここの展示を見て、戦争が「本当のことだったんだ」と思えるようになりました。
戦争展というと、もっと怖いものかと思っていましたが、思っていたよりも気軽にみれて意外でした。
友達などにも来てほしいし、もっとたくさんの人に見てほしいと思いますが、宣伝がそれほどうまく行われていない気がして残念です。
どうにも残念なことに、右翼の戦争展の人たちがしきりに言っていた「日教組による動員学生」というものに、おめにかかれません。
昔とちがて、いまはもう日教組も力がないのでしょうか? それとも、もととそんなものはいなかったのでしょうか?
ここでトラブル発生。
来場者やスタッフに、いろいろと話を聞いてまわり、そこかしこで写真撮影をしていた筆者に対し(登録をして許可済み)
若いスタッフが声をかけてきて
「会場で撮った写真を消せ」などと、いちゃもんをつけてきました。
まるで戦時中の憲兵か、共産圏の政治委員か、はたまた、生活指導員かなにかのようです。
これは取材であり、受付で許可を得て、実行委員長にも許可を頂いているぞという話をするも、
しつこく文句をいってくるので、
「いい加減しろ、受付で確認してから来い」と追い払います。
先日の在特会の騒ぎのこともあったのと、スタッフの数が多すぎて話が行き届いていない所もあったようです。
会場には、いろいろな人が居てかなり面白く、何時間か話し込んで帰りました。
「左翼・右翼の戦争展」を両方みた感想としては、
やはり左翼の展示のほうは、長い歴史を感じさせる動員力と層の厚さを感じました。
展示スタイルには多様性と個性があり、会場に長く居ても、まったく飽きの来ないものとなっていました。
スタッフも、いろいろな会の人がたくさん会場に居て、人との交流が楽しめるものになっていたと思います。
ただし、資料が多過ぎるのと、人が多すぎるのとで、少々疲れます。
右翼の戦争展では、会場では、映像資料などを巨大な液晶テレビで流しており、それを座ってみる客席が作られていました。
映像資料は実行委員会が作ったものではないのですが、色々な資料があり、気軽に座って見ることができました。
展示パネルも、左翼の戦争展示に比べれば、かりすくないわけですが、展示パネルは毎回冊子にして出版していることを考えると、
過去の展示の内容を、来場者以外にも伝える能力では、左翼の展示よりも優れている点であると思いました。
全体的に、左翼の戦争展は人海戦術と参加者の多様性、会場の楽しさで優れており、
右翼の戦争展は、新しいメディアの活用、展示記録の保存出版に優れていたようです。
メディアへの取り上げられ方は、左翼の戦争展のほうが数段上手をいっており、来客数も多いようですが、出展記録を製本している右翼の戦争展のほうが成果が「後に残る」工夫をしているので、長い目で見ると有利かもしれません。
思想や立場や正当性の主張には、時間もかかるしオタッキーな話も多いでしょうから、どちらの話にも、付き合わされるのは、ごめんこうむりたいのですが(そもそも筆者は日本人かどうか怪しい*9)、双方の展示関係者には、お互いの「技術と手法」については、どちらにも一長一短あるので、お互いに学んでほしいものだと思いました。
*1 由緒のある鶴舞公園
鶴舞(つるま)公園は、明治42年に整備された名古屋初めての公園。
沼地を新堀川を掘削した土砂で埋め立てて造成された。
当初は動物園などがあり(後に東山に移転)、園内にあった池では大杉栄(*2)が泳いだりしたという逸話がある。
名古屋初のメーデーも鶴舞公園で開催された。
公会堂だけでなく、普選檀(ふせんだん…普通選挙記念檀)などの歴史ある建造物がいまも健在である。
本来の名称は名古屋弁の「つるま公園」であったが、後の時代に「鶴舞」という当て字が使用され、JRの駅の名称も「つるまい」とされたことから、
「つるまい公園」とも呼称されるが、本来の名称は「つるま公園」である。
一部の名古屋人は「つるみぁあ公園」が正しいと主張するが、その真偽のほどは定かではない。
*2 大杉栄
明治後期から対象にかけて活躍したエスペランチスト、無政府主義者。
ヨーロッパの国際アナキストと大会に出席した逮捕されたり(暴れたのではなく、当時はメーデーで演説するだけで逮捕された)、海外の著作の翻訳をしたりと、当時の日本人としては国際的で広範囲な活動を行う。
関東大震災のどさくさにまぎれて、憲兵隊により、伊藤野枝、橘宗一(6歳の甥)と共に虐殺され井戸に捨てられた。
後に開催された大杉らの葬儀には右翼が乱入して遺骨を奪うという騒動も発生した。(甘粕事件)
*3 右翼の戦争展を取材
私も呼びかけ人になっている「日韓併合100年・東海行動」の主催の映画際に、在特会の人たち(滋賀支部)が抗議活動に来ており、
そのチラシまきをしていた方(右翼の戦争展のスタッフの方)に色々と話を聞いたところ「もうひとつの戦争展(右翼の戦争展)」を紹介されて訪問した。
筆者は在特会の人(ただしマイクでアジっていた人ではないが)と友好的に話をしていたものの、その後、警察(と自称する手帳も掲示できない怪しい匿名の集団)に言われもなく包囲され、執拗に邪魔されることになった。
参考:「日韓併合100年映画会」にて在特会と遭遇。特に騒ぎは発生せず、警察に邪魔される。
http://www.janjanblog.com/archives/12200
*4 プロ市民
「市民活動が仕事(職業)になっている人」「市民活動にプロのように習熟した人」「一般市民を装いつつ、一般市民を政治活動に利用している何かの専従職員」
などの意味で使用されることが多い言葉。すくなくとも「右翼の戦争展」ーの取材時には、そのような意味で多用されていた。
言葉の本来の意味からすると、左翼系だけでなく右翼系の人たちにも使用されてしかるべきであるが、実際には、保守系・右翼系の人たちが、左翼系と見做した相手にたいしての蔑称として使用している場合が多い。
しかしながら、今回の取材にもみられるように、実際のところは「プロ(専従…職業)」として関わっている人は、戦争展スタッフにはいない。左翼系活動全般で見ても「ブロ」は、すくないはずである。左翼も、それほど広く一般市民に支持されているわけでなく、お金がないのである。
右翼の人たちは、単に相手側(左翼側)のノウハウ(展示方法、チラシまきやデモの手法)が、自分達より勝っていることを「仕事(業務)としてやっているからだ」と誤解して使用しているだけかもしれない。
また筆者は「市民活動にプロのように習熟した人」という意味で「プロ市民」を使用する場合、右翼活動家で同様の状態の人にも「プロ市民」という呼称を使用しないと不公平であると思うので、使用しないことにしている。単に「専門家」と呼べばすむことである。
*5 専従(せんじゅう)
労働組合、市民団体、NPOなどで、その活動に関わることで賃金を得る(職業にしている)状態で生活している人を指す。
単に弁当代や交通費、最低賃金に見合わない日当が出る場合はもちろんのこと、一日だけ賃金が出ている場合なども「動員」とは言っても「専従」とはいわないようである。
「ヤミ専従問題」とは、自治体の労働組合の組合員が、勤務時間中に勤務しているフリをして労働組合の活動などをしていたことが問題視されているもので、「専従」というものの存在そのものが悪い、というわけではない。
ヤミ専従問題は、日本の自治体職員特有の特殊な条件下で発生したもので、一般企業の労働組合では、まず発生しない。
*6 ピースあいち
名古屋市郊外にある、NPO法人・平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会が運営する民間の博物館。
2007年開館。長年開館のための運動が行われていたが、愛西市の方からの土地と1億円の寄付により完成した。
開館 火曜日~土曜日(祝日開館) 午前11時~午後4時
〒465-0091 名古屋市名東区よもぎ台2-820 TEL/FAX 052-602-4222
参考:戦争と平和の資料館 ピースあいち
http://www.peace-aichi.com/
*7 族譜
中国、ベトナム、朝鮮などにある一族のことを書いた系譜。
*8 三菱女子挺身隊訴訟
三菱名古屋・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟。
「日本に行けば学校にも通え賃金が出る」と勧誘されて朝鮮半島から来て名古屋の軍需工場で働いていた元隊員達が起こした訴訟。
国に対して未払い賃金と慰謝料を求めた。
判決では、韓国では元隊員に対する差別もあり、相応の被害が出ていることを認定したが、日韓請求権協定を根拠に訴えは退けられた。
参考:三菱名古屋・朝鮮女子勤労挺身隊
http://www.geocities.jp/teisintainagoya/
*9 筆者は日本人かどうか怪しい
筆者は、もちろん「日本国籍をもった日本国民」である。
ここでは「先住民族」であるアイヌ民族が、はたして「日本人(国籍以外の色々な意味が含まれる)」なのかどうか、甚だ疑問が残る、という意味である。
戦後の日本では、右翼も左翼も「国内の民族問題」については、植民地を失って以後、存在しないという姿勢をとってきた。教科書でもそう扱ってきた。
筆者の属するアイヌ民族は「日本人に同化してなくなった」ということが、長らく政府の公式見解であったし、右翼左翼ともに、なにも考えずそう思っていたようだ。
しかしながらアイヌ民族は、容赦ない差別からのがれ生活を維持するために、支配者に表面的に同化したフリをしているだけで、まったく同化していない人たちも多数おり、近年、その存在を示しつつある。そして筆者はその一員である。
戦前の日本は、いろいろと問題はあるにせよ、立派に「多民族国家」であったのだが、植民地の韓国が独立しても、それが解消されるわけではない。
その部分を考えると、左翼の戦争展の展示は「多民族国家日本」については踏み込めていないし、右翼も同様である。
アイヌの問題については、右翼も左翼も、まじめに取り組んでいない、というのが、現在のところの状態であるようだ。
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中国戦線、沖縄戦を戦った元兵士の体験談
http://www.news.janjan.jp/living/0910/0909280877/1.php
インディーズ系メーデー中部。アースデイあいち・LOVE&ビンボー作戦本部。反貧困名古屋。生存組合。などで活動しています。
Chisitomare_Esamanihi
【ご意見板】3 件の書き込みがあります
Esaman様、
記事、有難う御座います。もし、私が見に言っていたら、すごく否定的な感想が並んだでしょうが(^^;、雰囲気が良く伝わってきて、良い記事だと思いました。先の「右翼の戦争展」こと「もうひとつの戦争展」の記事と合わせてバランスも取れているし、その様な点でも素晴らしいと思います。
一つ残念な事があるとしたら、「右翼の戦争展」で取材されていた「日本人」とか「民族」についての質問をされてないところでしょうか。両者の意識というか認識の違いを確認してみたかったです。
あと、なんとなく「ああ、やっぱり」と思ったのが、
《太平洋戦争での日本の行為を肯定したり正当性を主張したりする展示には、興味が無いです。》
《Esamanさんも、よくそんな所に行きますね(かなり困った顔をされる)。》
《在特会と私服警官は連携しているとはしらなんだ。 戦前の特高警察のようなもの?》
《ここでトラブル発生》
まぁ、一事が万事ではないのでしょうが、何だか、「自分の見たいもの信じたい物しか見ません、聞きません」といいながら、勉強をせずに(ちゃんと多角的に調べずに)自分よがりに考えてしまい、自分と考えの異なる(行動が異なる)者を排除しようとする傾向が見えてきちゃう辺り、「何だかなぁ…」と思いました。
Esamann様が、左翼に対して日本人とは何かと積極的に質問していないように思われました。すこし残念です。
ただ最後に、右も左もアイヌに関してはとありますが、これは事実だと思います。残念ながら。
戦後の日本は、なにか引き裂かれたような、なにかを感じるときがあります。負けた事実とそれに対する反発です。これがどこかでグルグルしているように思います。共産党と自民党の政策方針のどっかが同じとか。
これは私だけの意見ですが、まだ日本は戦後から抜け出していないのと思います。だから混乱している、そう見えます。
挺身隊ですが、以前日本人で挺身隊にいた女性にあったことがあります。ずっと手袋していたのですが話しが進むうちに彼女は手袋を脱ぎました。凄まじいケロイドの後。兵隊さんの衣服を洗濯しているうち、慢性の凍傷でこうなったそうです。
彼女の手袋は、今の日本なのではないのか、いまそう考えています
おもしろい記事です。
さまざまな平和、についての展示会なりを見るのは
大事でしょうね。
なんせ、わが国にはまともな戦争博物館がありませんからね。
大英帝国戦争博物館を見に行ってつくづくそう思いました。