『ショパンのエチュードによる練習曲集』(英語:Studies on Chopin's Etudes)とは、ショパンのエチュード集をベースにして、ピアニストのレオポルド・ゴドフスキー(Godowski,Leopold 1870年~1938年)が編曲した53曲からなる曲集。
言うまでもなく、原曲であるショパンのエチュード全27曲(Op.10/Op.25/3つの新練習曲)はピアノ音楽史上最も重要な練習曲集であり、ピアニストは一生座右に置いて勉強しなくてはならないものである。また、プロ(コンサートピアニスト)を目指す以上は、遅くとも中学卒業までには少なくともOp.10とOp.25の24曲は済ませておかなければならない曲集でもある。
そのショパン・エチュードをさらに改編して難易度を上げたものが、ゴドフスキーのショパンエチュードによる練習曲集。
(以下、便宜上“ショパン・スタディズ”と呼ぶ)
もう“気違い沙汰”を通り越して、鬼・悪魔的な難しさ。ナチスのゲシュタポでもここまでの“責め苦”は考えつかないだろうという物凄さである。
ゴドフスキーのショパン・スタディズは、ショパンのエチュード集(27曲)の倍近い53曲にのぼっている。これは1つの原曲から何曲ものヴァージョンが編曲されているため。
例えばOp.10-5『黒鍵』は7通りの編曲ヴァージョンがあり、左右の音型を逆にしたもの/『白鍵』ヴァージョン・ハ長調/タランテラ・イ短調/カプリッチョ・イ長調/原曲左手バージョン+右手下降和音/原曲上行型対称バージョン/左手バージョン…という具合。

それ以外にも上の譜例のように、右手でOp.25-9『蝶々』&左手でOp.10-5『黒鍵』をセパレートしたバージョンがある。(ショパン・スタディズ/第47番)
ゴドフスキー自身による副題には『冗談(Badinage)』とあるが、冗談じゃない。
他にもマズルカだのポロネーズだのメヌエットだの『鬼火』だのトッカータだのワルツだのノクターンだの、ショパンの原曲エチュードからよくぞこれだけの発想が生まれたものだと溜息が出る。
ゴドフスキーはこの編曲作品を20年かけて出版したらしい。ゴドフスキー本人の死後はこの編曲を人前で演奏(あるいは録音)し得るピアニストが現れず、怪曲みたいに扱われて埋もれていたが、七澤順一さんという人がコンピューターに打ち込んで自動演奏ピアノで再生録音し、1991年にリリースした。

(1991年リリースのショパン・スタディズ/抜粋版)
七澤(ナナサワ)をもじってナナサコフという名前を付け、ミヒャエル・ナナサコフという架空のピアニストを「演奏者」に仕立てる……というユーモアのセンスには脱帽しかない。
私はこのCDをリリースと同時に買い求め、モスクワに“ロートル留学”した際に持って行って、ロシアのピアニスト仲間(ベレゾフスキー、プレトニョフ、デミジェンコ etc)に聴かせてみたら、全員例外なく顔色を変えたものだ。(ベレゾフスキーは後年11曲を抜粋して録音・リリースしている。本人いわく16曲録音したが、なんとか納得出来たテイクだけをリリースしたそうだ)
1991年と云えば、カルロ・グランテやマルカンドレ・アムランがまだCDを全曲リリースする前である。
ホルヘ・ボレットは晩年に数曲リリースしているが、老練な美しさに満ちた演奏でグランテやアムランを凌ぐ名演を遺している。
七澤氏のユーモアから生まれたバーチャルピアニストの「ミヒャエル・ナナサコフ」は、2010年に(20年ぶりに)ゴドフスキーのショパン・スタディ全53曲をリリースした。

(2010年9月にリリースされた、ショパン・スタディズのセカンド・アルバム/2枚組。これには全曲集録されている。)
1991年よりも進化して、生身のピアニストならば当然行うようなルバートやブレスまで含め、実際のピアニストならば当然おこなうフレーズ間の“溜め”までコンピューターに打ち込むという用意周到ぶりである。
このアルバムの凄い所は、ゴドフスキーの書いた楽譜に忠実(完璧)に演奏されている点だろう。
いかに「ピアノ界のターミネーター」の異名をもつアムラン氏も、ナナサコフには敵うまい。アムラン氏の異星人的な演奏能力をもってしても、生身のピアニストではコンピューターを味方につけたナナサコフに分が悪い。
なにはともあれ、七澤さんのお蔭でゴドフスキーのショパン・スタディの楽譜に忠実な“全貌”が明らかになった事は朗報である。1991年リリースの第1アルバムは、ある意味「人間の身体機能的な限界をも超えた」ものだったが、2010年のアルバムは「人間の身体機能的・生理的な限界を考慮しつつ、原譜に忠実に」というコンセプトが伺える。ただ、我々は「たとえ100年練習しても、こうは弾けないだろう」という絶望感を感じる事も事実である。
我々ピアニストにとって「地球から冥王星までマラソンしなさい」と言われたに等しい遠大な課題だからだ。
ミヒャエル・ナナサコフを超える生身のピアニストは、今後200年は現れないだろうが、ゴドフスキーのショパン・スタディ全53曲をライヴで演奏するピアニストは出て来るだろう。
(余談だが、現在私にはゴドフスキーのショパン・スタディばりに編曲中の作品がある。
完成にはまだ時間が掛かるが、ピアノデュオ用の編曲であり、完成したら初披露はpiano-duo“ルフラン”が担う事になる。ルフランのみのオリジナルレパートリーとして、楽譜は門外不出にする。)
……さて、ゴドフスキーのショパン・スタディズがいかに凄まじいか、原曲と楽譜を比較しながら一部紹介しておこう。
◆ショパン・エチュードOp.10-2の場合

ご存知、ショパン・エチュードのOp.10-2。
この原曲は、右手3・4・5指を拷問的に鍛え上げてくれる。
これをゴドフスキーは左手3・4・5指に置き換え、左手1本で、しかも左手3・4・5指で弾く際に1・2指はメロディーもしくは和音を(レガートで!)弾けという。

ゴドフスキー編曲ショパン・スタディズのOp.10-2左手ヴァージョン。(ショパン・スタディズ/第3番)
拷問どころか死刑に等しい。
ゴドフスキーは隻腕のピアニストに何か個人的怨みでもあったのだろうか。
隻腕のピアニストと云えば、第一次世界大戦で右手を失って隻腕となったパウル・ウィットゲンシュタイン(Wittgenstein,Paul 1887年~1961年)が居るが、ゴドフスキーのショパン・スタディ(左手ヴァージョン)を弾いたという記録は残っていない。余りの難しさに弾く気が失せたのだろうか。
私自身も元々は左利き(内弟子時代の7年間に右利きに矯正された)だったから、右手よりは左手のほうが多少指が廻るのだが、それでもゴドフスキーのショパン・スタディにある左手ヴァージョンの曲は手こずる…と云うか、人前で弾く勇気がない。
◆ショパン・エチュードOp.25-1の場合

これはショパンの原曲。「エオリアンハープ」とか「牧童」とかの別名もついている。この原曲自体の難易度はそれほど高くはない。
これをゴドフスキーは、

左手のみのヴァージョンに編曲。(ショパン・スタディズ/第23番)

さらにその上に右手を乗せ、「4手演奏のような印象を与える」ような巨大な響きを要求する。(ショパン・スタディズ/第24番)

さらに右手が即興的パッセージを演奏するのがショパン・スタディズ/第25番である。美しい曲だが、右手パッセージが1小節たりとも同じ音型でないところが頭痛のタネである。ゴドフスキーの“底意地の悪さ”が垣間見える。(笑)
◆ショパン・エチュードOp.25-6の場合

ショパン・エチュードOp.25-6…ご存知「三度音程の練習曲」であり、極めつけの難易度の高さをもつ。

ゴドフスキーはショパンの原曲をご丁寧にも左右入れ替えて編曲した。つまり“三度音程の練習曲の左手版”というわけでありますね。(ショパン・スタディズ/第36番)
実は、この第36番こそゴドフスキーが全53曲中最初に作曲し、1894年に単独で出版(最初のこの曲のみH.Kleber社刊)されたものである。
この曲を献呈されたのはサン=サーンス。プライドが高く、ピアノの名手を自認していて他者に毒舌をもって鳴らしていたサン=サーンスは、このトンデモナイ曲の楽譜を見てどんな反応をしただろうか。

ショパンの原曲(Op.25-6)のラストは、右手が高音から中低音にまたがって、短三度で長大な半音階下降している。これだけでも大変なのだが、ゴドフスキーは事もあろうにラストの半音階下降を両手でやれ、と編曲している。(譜例・下)

もう、筆舌に尽くしがたい。
こんなウルトラE難度の曲が53曲並んだのが、ゴドフスキーのショパン・スタディズなのだ。
こうして記事にして説明するのもクタビレる曲集だが、ナナサコフ氏の全曲CDに加えて楽譜も国内版で出版されているらしい。(上・下巻/ヤマハミュージックメディア/ ISBN978-4-636-85586-9 & ISBN978-4-636-85587-9 )
日本語訳だから、ゴドフスキーの底意地の悪い解説や指示がストレートに読める。楽譜だけを眺めながら解説や指示だけ読んで行くと、性格ヒン曲がりそうだから注意したほうがよいだろう。
……ああ疲れた。5日間も書き溜めた記事がやっと終わった。(電車移動中にしか記事原稿を書く暇がないのでスミマセンです……泣)
一世(Issei)
1 ■・・・・
「俄かには信じがたいものも世の中には在る」 ということだけは理解できました・・・。これ以外言葉が出ません・・・。ただ唸るのみ、でございます。