ワイドショーリポーター高村智庸さん
捜査段階での取調べは密室で行われている。それだけに捜査官の取調べ方が問題になることがある。違法、不当な取調べに対してどのようにして、正当性と客観性を保障するかということで「取り調べの可視化」が議論されている。日弁連は取り調べの最初から最後までを録画・録音することで可視化は確保できると主張している。これほど確かな「供述」はないと思うのだが、中々実現しないのはなぜだろうか。
2004年2月16日夜、大阪地方裁判所の所長が帰宅途中に4人組の若い男達に襲われた。被害に遭った鳥越健治さんは大阪市住吉区帝塚山の自宅のすぐ傍で4人の若者とすれ違った。その直後、後ろから腰を蹴られて転倒した。4人の若者は「金を出せ」と脅し、鳥越さんが財布から出した7万円を奪って逃げたという。
鳥越さんは腰を骨折し、全治1ヶ月の重傷だった。いつもは公用車で帰宅するのだが、この日は電車を利用して、駅から歩いて帰る途中だった。通報を受けた大阪府警住吉署は強盗致傷事件として捜査を始めた。事件当時は「おやじ狩り」として報じられ、注目された。住吉署は被害者が大阪地裁の所長ということで、なんとしても犯人を逮捕する決意だった。鳥越さんは、犯人が20才前後の4人組のだったということ以外は覚えていなかったのだが、事件現場から逃げて行く後ろ姿が付近の家の防犯ビデオに写っていた。
そして、この事件の30分ほど前に、300m程離れた場所でもうひとつの事件が起きていた。会社帰りの男性が4人の少年達に囲まれ脅されそうになったというのだ。住吉署はこの男性の目撃証言を元に似顔絵を作り、鳥越さんを襲った者と同一犯と見て、現場周辺で問題行動があった少年達を中心に聞き込み捜査を始めた。
そして、事件から4ヵ月後の6月14日までに、16才と14才の兄弟と13才の少年3人と成人2人の5人を強盗傷害容疑で逮捕、補導した。逮捕のきっかけは当時13才のA少年が似顔絵の特徴と似ているということで、警察から事情を聞かれたことに始まる。A少年の取り調べは児童相談所で延々3ヶ月に渡って行われた。A少年は「初めは、やっていないと言ったけど、言っても言っても聞いてくれなくて、脅されたりして……」
警察の過酷な取調べに耐えられなくなったA少年は犯行を認めてしまう。「どうして他の人の名前を出したの?」私の問いかけに「自分から名前は出していません。警察官から『こいつとこいつがやったやろ』と言われて……」名前が挙がったB少年(当時16才)は「お前やったろ、と脅しの言葉ばかりが出てきて、僕がやりましたと言えば、楽になれるのかなと思って……」B少年の弟、C少年(当時14才)は「絶対やっていないと言ったけど、髪の毛を掴まれたり、壁に押し付けられたり、暴力が怖かったし……」こうして3人の少年はやってもいない犯行を認めてしまった。更に成人2人、藤本敦史さん(当時29才)と岡本太志さん(当時26才)も突然逮捕された。藤本さんの自宅に住吉署の刑事が来て、3人の少年達について尋ねられた。そして刑事の言われるままに警察に連れて行かれたという。「それからですよ、地獄のような取調べが始まったのは……」
警察の取調べは暴力そのものだったという。机を押し付けられたり、何を言っても信じてもらえない。好きにしてくれと言うと、馬乗りになって、おまえが犯人だと、暴力行為は更にエスカレートしたという。しかしやっていないことは認められない。と同時に「何で俺の名前を少年達が出したのか……」その訳が見えてきたという。「ああいう取調べをされたら、ましてや少年が暴力的な取調べにあったら、簡単に自白が取れる」それでも藤本さんは一貫して容疑を否認し続けた。
一方、岡本さんは何人もの刑事が突然、自宅に家宅捜索にやって来て、止めようとすると、「動くな」と4〜5人が馬乗りになって押さえつけ、連行されたという。翌日、当番弁護士として接見に訪れた大阪弁護士会の戸谷茂樹弁護士にやっていないことを訴えると、「被疑者ノート」と題した1冊のノートを渡されたという。このノートには取調べが何時、誰に、どのようにされ、どんな事を取調官に言われたかを記入するようになっている。
戸谷弁護士は「被疑者ノートに書こうとすると、取調官がなにを言っているのかよく聞こうという気持ちになり、酷い取調べを受けても、距離を置いて対応できる」という。岡本さんは逮捕されから大阪拘置所に移され、保釈されるまでの8ヶ月に及ぶ取調べの様子と心境をきれいな読みやすい文字で綴った。そこには警察の脅しや、不安感を煽る手法が克明に書かれている。「なにを言おうが、お前ひとりが悪い。藤本君にしても少年達にしても被害者だ」「お前に指示されてやらされるという調書ばかりだ。藤本君を悪く言う子はいないが、お前のことはすごく悪く言っているぞ」警察の取調べは心理的に分断して、不安感を抱かせることから始まったようだ。
ノートには「すべて俺が悪いのか、俺が懲役に行くのが皆の願いなんやろか?そうしたらいいのか?もうしんどい」「怒鳴られて決め付けられて、悔しくて、悔し涙が出そうになります」岡本さんは不安感で揺れ動く心境を書いている。しかしノートを書くことで取調べに耐えてゆく。同じ手法は藤本さんにも使われている。「心をつぶしてくるような取調べだという、『お前には誰も味方はいない』『少年のためにも早く自白したれ』『子供がかわいそうと思わんのか』こんなことを言いながら、警察官は涙まで流して演技した」という。
警察はこの強盗傷害事件をどのように捉えていたのか。被害者の犯人は若い4人組という証言や現場付近の防犯ビデオに逃げて行く4人の姿が写っていることから、実行犯は藤本さんと少年達の4人で岡本さんは主犯格として犯行を指示していたと考えていたようだ。しかし岡本さんと少年達は遊び仲間なのだが、藤本さんとは同じ清掃会社に勤めていて、年上の藤本さんは先輩ということになる。岡本さんは「俺が藤本さんに命令するなんておかしいと思いませんか」と語っている。岡本さんは仕事で車を運転している時に事故を起こし、人の命を奪ってしまった過去がある。そんな岡本さんに「お前は人を殺せるくらいだから、こんな事件は簡単にできるやろ」刑事2人が前と横に座って「人殺し〜」朝から晩まで怒鳴り続けられたという。「やりたくてやった訳ではないのに、人殺しって言われるのは……」これは死なせてしまった者にしか分からない気持ちだという。
また、ノートに挨拶と書かれていた。この挨拶とは「取調べの時、『今日も1日お願いします』と大声で挨拶しろと言うんです」小さい声だと「なんやそれは、もう1回やり直しや」「声が小さい。でかい声で言え」警察署内に響き渡るのではないかと思うくらい大きな声で挨拶をさせられたという。こんな警察のやり方を戸谷弁護士は「日本の警察は取り調べが行き詰まると、被疑者に馬鹿げたことを繰り返しさせるんです。そのことによって、人格的に支配する、あるいは、絶望させる。そういうことを繰り返しやるのです」少年達を無理に自白させたものの、証拠は何一つなかった。そして、被疑者たちが苦しんでいる裏で無実を裏付けるような事実が出てきていた。
5人逮捕のきっかけとなった似顔絵は男性の目撃証言を元に作られ、この似顔絵に似ているということでA少年が犯人の一人とされた。しかし、この男性はA少年は犯人とは違うという趣旨の証言をしていたというのだ。更に、裁判の中で被害者である裁判所の所長自身が身長184センチの藤本さんを見て「こんなに大きい人はいなかった」と証言している。戸谷弁護士は「被害者である裁判所の所長の言葉を信用してくれたら無理だと、高校生風の4人組にやられた。そんな大柄な人はいなかったと明確に証言しているのです」犯人4人の逃げる姿が写っているビデオにもそんな大柄な人物は写っていなかったという。
過酷な取調べに耐え、否認し続けた藤本さんと岡本さんは事件から2年後の2006年3月20日、大阪地裁で無罪を言い渡たされた。裁判長は判決理由の中で「両被告との共謀を認めた少年らの供述は、不自然に変遷を重ねている」「圧迫的な取調べと誘導や暗示、他の少年の供述内容に影響されて、虚偽の自白が作出された」と少年達の供述の信用性を否定した。と同時に「自白獲得を急ぎ、供述に頼る一方、防犯ビデオの解析など客観的証拠による裏づけを軽視した」と捜査方法を厳しく批判している。
成人の2人は一審で無罪になったものの、少年に対する判断は違うものだった。A少年は児童自立支援施設の収容を終えた(民事手続きで名誉回復を図るため国家賠償を求めて提訴中)B少年は大阪家裁が中等少年院送致の保護処分を終えた(刑事裁判の再審にあたる処分取り消しを大阪家裁に申し立て中)C少年は大阪家裁が中等少年院送致としたが、大阪高裁は保護処分決定を取り消し家裁に差し戻した。少年3人の内2人は処分が済んでしまっている。
そして、藤本さんと岡本さんに対して、検察は控訴した。控訴審は今月か始まった。岡本さんは「油断できないです。まだそんなに油断したらあかんなと思います」藤本さんは「僕らが犯人じゃないということは警察や検察の方が一番分かっていると思うんですよ。間違いは誰にでもあることなんですよ。間違いと分かってて、その間違いを押し通すっていうのは人間のすることじゃないというか、おかしいと思うんです」
戸谷弁護士は「検察側は面子がある。被害者が裁判所の所長という特別な事件でしたから、簡単には引き下がれないということでしょう」と後戻りできない警察、検察に大きな問題があると指摘した。事件から3年余り、5人は「無罪」を勝ち取るために戦っている。