自力で兵器をつくれない国になる日本

予算縮減の中で瀕死の状態の防衛産業

2010.09.30(Thu) 桜林 美佐

国防

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今年の春、東京都大田区にある町工場を訪れ、こんな話を聞いた。「1種類の部品を大量に作るのは容易ですが、たくさんの種類の部品を1つずつ作ってくれと言われると非常に苦しみます」。三菱重工業の下請けとして、長年にわたり戦車の部品製造を担ってきた経営者の言葉である。

 また、神奈川県藤沢市でやはり戦車の部品を作る工場では、「十数両の生産が見込まれるという話だったから、思い切って新しい設備を入れたが、大幅に減ってしまった」と不安をもらす声を聞いた。下請けの中小企業にとっては、戦車1両の削減が経営を圧迫し、社員の雇用や生活に大きく響く。

 日本の防衛装備品製造は、帝国陸海軍の頃や諸外国のように国の兵器廠(へいきしょう:官営の兵器生産工場)があるわけではなく、大手から町工場に至る、こうした民間企業に多くを頼っているのである。

 今年7月、私は『誰も語らなかった防衛産業』という本を上梓した。これまであまり語られることのなかった防衛産業の実態を多くの人に知っていただこうという狙いで取り組んだ本である。執筆するに当たり、数多くの防衛装備品製造現場を取材して回った。そこで見えてきたのは、防衛予算の縮減、そして国民の「無理解」の中、瀕死の状態であえぎ苦しむ中小企業の姿だった。

 防衛予算の縮減に伴い、装備品の開発・製造にかかる経費が削られる一方となり、そのしわ寄せは多くの一般企業に及んでいる。

 戦車も年間の調達数は10両以下のペースとなってしまった(2008年度が9両、2009年度が8両。90年代は年間17~18両で推移していた)。量産できないので、約1300社あると言われる部品製造を引き受ける町工場が次々に撤退や倒産しているのが現状だ。

作れない、経験を積めない、技術者が育たない

 プライム企業の三菱重工業でも苦悩は同じで、戦車を製造する神奈川県相模原市の特車事業本部の相模原工場に行ってみると、工場らしからぬ静けさに驚いた。

 同社の技術者は「最盛期は年間60両近く作っていましたが、今はやっとのことでラインを維持しています」と嘆く。工場を稼働できず、金曜日を休みにすることもあるという。

 聞けば、同社の特殊車両操業量は91年に比べて85%減となっており、もうこれ以上、工場を維持できない寸前まで来ていると言っても過言ではないのだ。

 言うまでもなく、戦車の製造には極めて特殊かつ優れた技術が必要とされる。

 例えば、ちょっとした音の違いやわずかな歪みを見つけ、何千にも及ぶ部品を一つひとつ数マイクロメートル単位で正確に調整する技術、複雑な構造のエンジン部などを数十マイクロメートル単位で精密に研削する技術、戦車砲を安定させ、走行しながらの射撃を可能にする技術、安定した高速走行を実現するための履帯(キャタピラ)の設計など、枚挙に暇ない。

 これらの技術を習得し、一人前の技術者になるには少なくとも5~10年を要する。決して一朝一夕には育成できない。作りながら経験を積むことが不可欠であるのに「作ることができない」状態になっているのだ。

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