〈緊急連載 第一回〉
虐待――
なぜ母は
一線を越えたのか
いつまでも泣きやまない、ご飯を食べてくれない――ふとしたきっかけで、子どもに手を上げ、はては死なせてしまう母親たち。彼女たちは自分と違う特殊な人だと、あなたは言い切れますか。虐待はなぜ起こるのか、どうしたら防げるのか、4回にわたって探っていきます。今回は作家の柳美里さんと、虐待を追い続けるジャーナリストの2人に話を聞きました。現代日本のひとつの極北とも言えるこの問題を、みなさんといっしょに考えていければ、という渾身のシリーズ、スタートです。
私は長谷川さんのカウンセリングを受けるまで、親からされたさまざまな仕打ちを虐待という言葉では捉えていませんでした。なぜなら、そうされるにはそうされるだけの理由が必ずあったから。たとえば、すごくぶたれたり、全裸で外に放り出されたりするのも、万引きをしたり噓をついたからだと、どこか親の立場に立って親を正当化していたんです。だから、自分が息子を罵ったりするのも、息子が噓をついたからだとか、言うことをきかないからだとか、どこかで正当化していたと思います。
それでも、カウンセリングを受けようと決めたのは、息子は来年の1月で11歳になり、難しい思春期にさしかかるからです。私が家を出たのは15歳なので、一緒にいられる時間はそう長くないかもしれない。だとしたら、今、子どもとの適切な距離を見つけなければという思いがありました。両親との関係も同じです。あまりかかわらないようにしてきましたが、父と母の年齢や健康状態を考えると、そう時間はありません。
精神的にバランスを崩していたのも、大きいですね。5年ほど前から、若いときの鬱病が再発して、病院に通って抗鬱剤や睡眠薬を処方してもらっていますけれど、薬の量は増える一方。これでいいんだろうかという疑問が出てきました。薬で抑えたところで、自分の根源的な不安や恐怖、哀しみというのがなくなるわけじゃない。
私には、自分でもわからない闇があります。記憶がない部分があるんですね。ある人から、私がその人のカバンに手紙を入れたと言われて、手紙を見せられたことがありました。まったく覚えがないのに、確かに私の字で「(自分のことを)わかってほしい」などと綴られていた。私の奥底には、わかってもらえないという不信感や疎外感があるのでしょう。その感情に基づいて行動するときのことは、覚えていない。
(『婦人公論』2010年10月22日号より一部抜粋)