パブロ・ピカソ
(1881 - 1973)
《朝鮮の虐殺》
Pablo Picasso "Massacre in Korea"
1951 油彩・合板 110 cm x 210 cm パリ、
国立ピカソ美術館
所蔵
Now connecting to ..... The Aesthetic Elevator Blog - 1 July 2008
http://theaestheticelevator.com/2008/07/01/pablo-picasso-a-modern-master/
壁画を思わせる大きな絵である。右側部分は、銃と剣を構えた兵士達で埋め尽くされている。
全身を鎧や兜、臑当てで武装して、戦闘ロボットを思わせる。最前列の兵士達は筒先を揃えて左側に
向けている。静かにしかし確実に攻撃を仕掛けて来る不気味さが伝わって来る。左側部分は、
裸の妊婦や女子供達、幼児で埋め尽くされている。子供を兵士から守り、自らは無防備の体を兵士達に
晒している。一人の幼児がこの恐怖の事態をよそに無心に土いじりを楽しんでいるのが痛ましい。
苦しげに歪んだ大人の顔からは恐怖と怒りが伝わって来る。
青味掛った灰色一色の中で、草地の緑色と地面の朱色が強い印象を与える。遠景の
崖の上には戦場のトーチカなのか、村の破壊されたサイロなのか、ポツンと残り立っている。
ピカソは、スペインに生れてパリで活躍し、「
青の時代
」から
「
薔薇色の時代
」、「
キュビスム
」を経て「
新古典主義
」、更には「
シュル・レアリスム
」へと新しい
表現を次々と求めて変貌を重ねたた画家、彫刻家である。手法も、絵画以外にパピエ・コレやレリーフ、彫刻等、
様々な表現を追求した。又、主題も、戦争と平和から人間性、そして愛する女性を、と幅広く取り上げた。
ピカソは、スペイン、アンダルシアのマラガで、美術教師を父とする家庭に生まれた。早熟の天才で、
10歳で油彩画を描き、15歳でバルセロナ美術学校の入試課題作をこなした。ベッドに横たわる病気の
女性の傍に、医者と、子供を抱く修道女を伝統的手法で描いたその大作
《科学と慈愛》
(バルセロナ、
ピカソ美術館)は、マドリードの美術展で早くも佳作賞を受賞した。バルセロナ美術学校とマドリードの
美術学校に学び、19歳でパリに出た。
当時主流となり始めていた印象派やフォーヴィスムからの影響には及ぼされる事なく、ダンス・
ホールやカフェに集う人々や盲人、乞食、アルコール中毒者、売春婦等の姿を青を基調とした作品に
描いた。個性的で悲惨な絵のこの時期は「
青の時代
」と呼ばれる。
パリ定住を機に最初の恋人との幸福な関係によって、柔らかな色調の
「
薔薇色の時代
」へと転じた。風景画には興味を抱かずひたすら人間やその群像、例えば
《腕を組んで座るサルタン・バンク》
(ワシントン、ナショナル・ギャラリ)の様な作品を描き、貧困や絶望、
エロティックな欲望を表現しようとした。この時描かれたアルルカン(道化師)の姿は、ピカソ自身の
分身であるとも言われ、後の作品にも繰返し描かれる事になる。
25歳の時に
セザンヌ
と、イベリア彫刻やアフリカ・コンゴの彫刻に感化されて、セザンヌの
《大水浴図》
を思わせる大作
《アヴィニョンの娘達》
(ニューヨーク近代美術館)を発表、この絵に
ショックを受けた
ブラック
と共に「
キュビスム
」を創始した。娘達の裸像は伝統的な理想化された裸婦の
イメージを打破し、荒々しい鋭角の平面を組合せて再構成された画面は、砕けた硝子の様に見え、余りに
斬新過ぎて当時の前衛画家や批評家にすら理解されなかった。キュビスムの名は
マティス
が「小さな
キューブ(立方体)の絵」と言った事に由来すると言う。セザンヌの言葉のままに、モティーフを全て
徹底的に幾何学的に分解して断片化し、異なる角度から見た複数の面を同時に表現する手法を用いた。
「分析的キュビスム」と呼ばれる。ピカソは楽器、静物、友人を題材として好み、単色系で描いた。しかし
やがてそのブラックとも擦れ違い反発し合って分かれて行く。ブラックがキュビスムを自分の一生の
恋の様に絵画のスタイルとして個性化して行ったのに対し、ピカソはキュビスムから次の千変万化の
飛躍の為のヴィジョンを引き出して離れて行ったからである。この段階を経て、パピエ・コレやコラージュを
開拓し、
《籘椅子のある静物》
(国立ピカソ美術館)等の作品が在る。そしてこれ等を「総合的キュビスム」に
展開させた。
《ピエロ
(アルルカン)》(ニュー・ヨーク近代美術館)の様な絵画だけでなく、彫刻にも
積極的に挑戦した。30歳代半ばの頃には、ロシア・バレー団の為の衣装と舞台のデザインにも参画して
いる。
その後、ピカソは、
《牧神パンの笛》
(国立ピカソ美術館)や
《泉の畔の三人の女》
(ニュー・
ヨーク近代美術館)の様に写実的で量感的な作品で「
新古典主義の時代
」に入る。
40歳代には
《海辺の人物達》
(国立ピカソ美術館)や《朝鮮の虐殺》
(上図)
の様な作品で
「
シュル・レアリスム
」に接近した。
《肘掛椅子で眠る女性》
(ニュー・ヨーク近代美術館)や
《座った水浴の女》
(ニュー・ヨーク近代美術館)もそれである。 46歳の時にはスペインのバスク地方へのドイツ軍の空爆をテーマに
夥しい数のデッサンの末、僅か2ヶ月で巨大な壁画
《ゲルニカ》
(プラド美術館)を制作した。歯を
剥き出して嘶く馬とぬっと立つ牛、死んだ子を抱えた母親、倒れた戦士、叫ぶ女達等の緊迫のドラマを
描いた物である。大戦後は、《雄の子牛の頭蓋骨のある静物》や
《納骨堂》
(個人蔵)等、死が主題の
作品を制作。やがて戦争の悪夢を追放する様に牧歌的な牧神やケンタウロスが遊ぶ絵を描いた。又、
陶器や鉄細工も手掛けている。南仏のムージャンで91歳で没した。
その創造力は終生滞る事なく、数万点に及ぶ作品を残している。
主な作品:
青の時代以前
《最初の聖餐式》
(バルセロナ、ピカソ美術館)、
《自画像》
(国立ピカソ美術館)、
《ル・ムーラン・ド・ラ・ギャレット》
(ニューヨーク、グッゲンハイム美術館)、
《グルメ》
(ワシントン、ナショナル・ギャラリ)、
《アブサンを飲む》
、
《鳩を持つ子供》
(ロンドン、ナショナル・ギャラリ)、
《貧困》
(マサチューセッツ、ウィットワース美術館)、
《悲劇》
(ワシントン、ナショナル・ギャラリ)、
《老いたるギター弾き》
(シカゴ美術研究所) 等
薔薇色の時代
《塞ぎ込んでいる母親と3人の子供》(ニュー・ヨーク近代美術館蔵)、
《瞑想
(凝視)》(ニュー・ヨーク近代美術館蔵)、
《アイロンをかける女》
(ニュー・ヨーク、グッゲンハイム美術館)、
《シュミーズ姿の少女》
(ロンドン、テイト・ギャラリ)、
《玉乗りをする少女》
(プーシキン美術館)、
《馬に乗る道化師》
(ヴァージニア美術館)、
(次の2点はワシントン、ナショナル・ギャラリ蔵)
《サルタンバンクの家族》
、
《扇子を持つ女》
、
《黒のマンティラを巻くフェルナンド》
(ニューヨーク、グッゲンハイム美術館)、
(次の3点はニュー・ヨーク近代美術館蔵)《犬と二人の曲芸師》 、
《馬を引く裸の少年》
、
《髪を結う女性》
等
キュビスム
《収穫する人々》
(マドリード、テッィセン・ボルネミサ蒐集)、
《道化師の家族》
(ドイツ、フォン・デア・ハイト美術館)、 構成彫刻
《ギター》
、
(次の5点はニューヨーク近代美術館蔵)
《女性の頭部》
、《森で水浴する人》、《休息》、
《風景》、《果物鉢》
、
《カラフ、ジャグ、果物》
(ニュー・ヨーク、グッゲンハイム美術館)、
《Femme en Vert》
(オランダ、ファン・アッペ市立美術館)、
(次の4点はニュー・ヨーク近代美術館蔵)
《オルタ・デ・エプロの貯水池》、
《女と西洋梨(フェルナンド)》、《静物とリキュール・ボトル》、
《マンドリンを持つ少女(ファニー・テリエ)》、
《裸婦》
(ワシントン、ナショナル・ギャラリ)、
《胸》
(ダラス美術館)、
《ヴァイオリンを持つ男》(フィラデルフィア美術館)、
《ギター弾き》
(ポンピドウ・センタ 国立近代美術館)、
(次の2点はグッゲンハイム美術館蔵)
《アコーディオンを弾く人》
、
《詩人》
、
《クラリネットを持つ男性》
(マドリード、テッィセン・ボルネミサ蒐集)、
(次の7点はニュー・ヨーク近代美術館蔵) 《マ・ジョリ(ギターを持つ女)》、
《建築家のテーブル》、《ヴァイオリンと葡萄》、《ギターの模型》、《ギター》
《トランプをする人》、《緑色の静物》 等
新古典主義
(次の2点はニュー・ヨーク近代美術館蔵)《ピエロ》、《眠る農民》、
《肘掛椅子に座るオルガの肖像》
(国立ピカソ美術館)、
《ピエロとアルルカン》
(ワシントン、ナショナル・ギャラリ)、
《大きな掛け布の裸婦》
(パリ、オランジェリー美術館)、
《母と子》
(ニュー・ヨーク、Alex L. Hillman 家基金)、
《三人の楽士》
(ニュー・ヨーク近代美術館)、
《泉の傍の三人の女》
(パリ、オランジェリー美術館)、
《岩の上に座る女性》(ニュー・ヨーク近代美術館)、
《ギターと静物》
(スイス、Rosengart ギャラリ)、
《海岸を走る女達》
(国立ピカソ美術館)、
《鏡を持つ道化師》
(マドリード、テッィセン・ボルネミサ蒐集)、
(次の2点はワシントン、ナショナル・ギャラリ蔵)
《恋人達》
、
《ピカソ夫人オルガ》
等
シュルレアリスム
《タンバリンと女性》
(パリ、オランジェリー美術館)、
《座る女》(ニュー・ヨーク近代美術館)、
《椅子に座る裸婦》
、
《磔刑》
、
(次の2点はニュー・ヨーク近代美術館蔵)《水浴する人と小屋》、《画家とモデル》、
《黄色の髪の女性》
(ニュー・ヨーク、グッゲンハイム美術館)、
《鏡の前の少女》
(ニュー・ヨーク、近代美術館)、
《夢》
(ニュー・ヨーク、Victor W. Ganz 夫妻蒐集)、
《闘牛》
(マドリード、テッィセン・ボルネミサ蒐集)、
《ヴェールを翳す娘に対して洞窟の前のミノタウロスと死んだ牝馬》(国立ピカソ美術館)、
(次の5点は国立ピカソ美術館蔵)
《ドラ・マールの肖像》
、
《マリー・テレーズの肖像》
、
《泣く女》
、
《人形とマヤ》
、
《表面が破れた帽子を被った女》
、
《帽子を被った女の胸像》
、
《ビーチにて》
(ニュー・ヨーク、グッゲンハイム美術館)、
《ハンカチを持って泣く女》
(ロスアンゼルス郡立美術館)、
《少女像》
、
《人形を抱いたマヤ》
、
《猫と傷ついた鳥》
、
《帽子を被った女の胸像》
(Walker Art Center)、
《抽象:青く曇った空の背景》
(個人蔵)、
《ドーラ・マール》
(ワシントン、ナショナル・ギャラリ)、
《骸骨と水差し》
(ヒューストン、Menil 蒐集) 等
後期作品(戦後)
《大きな赤いロブスタ》
(ドイツ、フォン・デア・ハイト美術館)、
《セルロイドの魚で遊ぶパロマ》
、
玩具の部品をくっ付けて作った
《猿》
(パリ、ピカソ美術館)、
《地中海の風景
:ヴァロリス》(個人蔵)、
《お玉杓子と遊ぶパロマ》
、
《ジャクリーヌと花》
(ジャクリーヌ・ピカソ蒐集)、
《ジャクリーヌ》
、
《アルジェの女達
(ドラクロワによる)》(作者蔵)、
《宮廷の女達 -ラス・メニナス
(ベラスケスによる)》(作者蔵)、
《青い肘掛椅子に腰掛けた女》(個人蔵)、
《接吻》
、
《二羽の羽根を広げている鳩》
(ニューヨーク 、グッゲンハイム美術館)、
《草上の食事
(マネによる)》(国立ピカソ美術館)、
《サビネの女達への陵辱》
(ボストン美術館)、
《レンブラントの肖像とエロス》
(スイス、Rosengart ギャラリ)、
《帽子の中の男の顔》
(フランス、Unterlinden 美術館) 等
この絵は
ゴヤ
がマドリッド攻略時のナポレオン軍による虐殺を告発した
《5月30日》
を下敷きに
して描いたと言われている。朝鮮戦争時に起った「信川集団虐殺」にインスピレーションを得て描いた
大作であり、《ゲルニカ》と共にピカソの代表的反戦作品である。
「信川集団虐殺」とは1950年、米軍が、仁川上陸作戦後から中国軍の参戦で撤収を余儀なく
される迄の間に、当時の信川郡の民衆を虐殺したと言われている事件である。停戦後、北朝鮮が
虐殺現場を保存して作った記念館が、北朝鮮の反米教育の現場となって来たが、いっぽうでは、これの
下手人は米軍ではなく、キリスト教を背景とする反共右翼テロ団であるとの証言もあり、議論の種と
なって来た。 
ピカソはこの民衆虐殺を、《ゲルニカ》に匹敵する大画面で告発したものと思われる。画面に
近付いて眺めているとそこからは残虐さを強烈に憎むピカソの意思が鋭く伝わってきた。
この巨大な画面は、兵士達の右側と女子供の民衆の左側と、両者の間の空間と銃身の中央部分と言う
3つの部分に分割され、構成されている。
参考文献
1)新国立美術館「巨匠ピカソ展」冊子, 2008-10月
2) 〃 〃 〃 ウェブ頁,
http://www.nact.jp/exhibition_special/2008/PICASSO/index.html, 2008年
3)朝日新聞 巨匠ピカソ展記念号外, 別刷り特集号, 2008-10月
4)朝日新聞社「tokyo PICASSO ピカソとピカソ美術館」ウェブ頁,
http://www.asahi.com/picasso/museum/index.html, 2008年
5)梅原龍三郎他「現代世界美術全集7 ピカソ、ブラック」河出書房, 1967年
6)マイクロソフト「エンカルタ総合大百科2005」, マイクロソフト, 2005年
7)愛・蔵太「もう少し調べて書きたい日記」ブログ,
知的刺激 ピカソの絵「朝鮮の虐殺」と信川虐殺事件について,
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070122/gyakusatu
, 2007年1月12日の頁
8)アール・アートグッズ「ヴァーチャル絵画館 -パブロ・ピカソ」ウェブ頁,
http://art.pro.tok2.com/P/Picasso/Picasso.htm, 2008年
鑑賞日 2008-11/7日 巨匠ピカソ展 愛と創造の軌跡
国立新美術館 にて
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