長妻厚労相更迭が突きつけるリアリティー 鈴木亘
2010年10月07日07時00分 / 提供:SYNODOS JOURNAL
鈴木亘
一言でいえば、厚労省の官僚、とくに厚労省の幹部たちとの政治力勝負に長妻氏が負けたということである。情報戦・マスコミ操作力においても、与野党政治家や業界への根回しにおいても、人海戦術的マンパワーにおいても、すべてにおいて厚労官僚に力負けし、長妻氏は土俵から寄り切られたのである。ついでに、長妻氏同様に国民の期待の大きかった山井、足立両政務官もうっちゃられてしまった。
もちろん今夏以降、参院選挙、民主党代表選が矢継ぎ早に行われるなかで、多忙を極める閣僚たちの政治主導力が急速に失われ、官僚の猛烈な巻き返しがあったことも大きい。また、早くもレイム・ダック状態となっている菅=仙石政権が、とにかく政権を維持させるためだけの現実的手段として、官僚融和路線(じつは社会保障・福祉の多くの分野では、自民党時代とほぼ変わらぬ「官僚丸投げ」が現在、行われつつある)に転換したことも、長妻大臣更迭が判断された背景である。
しかし、こういった政治的な環境変化がなくても、長妻氏はいずれどこかの時点で、やはり負けるべくして負けたように思う。厚労省というまさに巨大な組織とその政治力に真っ向から対峙するには、長妻氏はあまりに準備不足であったし、能力・資質も残念ながら不足していた。
また、何よりも副大臣、政務官を含めて5人という三役のマンパワー(それも一枚岩とはいえない)では、巨大な組織を前にして如何にも非力であった。ランボー並みの破壊力をもった大臣とはいえ、5人の傭兵部隊が、正規軍の一個師団に対峙するような趣では負け戦は必至であった。
◇長妻元大臣から呼び出されて◇
長妻氏が内閣を去って、もはや迷惑がかからないと思うので書くが、じつは昨年末のある日、わたしはある学者とともに、長妻大臣に個人的に呼びだされ、じっくりと官僚対策について話し合う機会があった。
当初、秘書から「ご意見を伺いたい」とだけしか聞かされていなかったため、わたしはてっきり年金の話でご下問があるのか、それとも医療、介護、はたまた保育、生活保護、ホームレス対策という可能性もあるだろうかなどと考えていろいろ用意して行った。
だが、いざ大臣室に入ってみると、相談内容というのは「厚生労働省の官僚たちの抵抗が非常に激しくて困っている。自分の政策方針に合うように、官僚たちに言うことを聞かせるにはどうしたら良いだろうか」というものであった。
当時、三役が官僚たちに洗脳されることを恐れて、官僚たちのご進講(レクチャー漬け)を避け、ひとつずつの内容を確認してからしか決済を行わないために、通常業務が完全に立ち往生していることが伝えられていた。
また、これまで官僚たちが審議会を使って積み上げてきた規定路線の政策をしばしば覆したり、官僚を怒鳴りつけたりするので、官僚からは「独裁者だ」とか「魔王だ」などという陰口も叩かれていた。そのせいもあってか、野党時代に掲げていた年金改革などの諸改革もまったく手が付いていない。
したがって、わたしはこのまったく専門外の質問に驚きつつも、「ああやっぱり、かなり困っているのだな」と思ったことを覚えている。しかし、それにしてもこの時点に至って、これまで面識のない外部の人間に、このあまりに基本的な戦術を尋ねるようでは、この人たちは本当に大丈夫なのだろうかと、長妻厚労大臣の行く末を案じる思いがした。官僚に対峙するためには、相当事前に周到な戦略を練っておかなければ、勝負になるはずがない。
◇官僚をコントロールするための4つのアドバイス◇
結局、急ごしらえであったが、わたしのアドバイスは、以下の4つであった。
第一は、厚労省独自の「事業仕分け」を行うことである(これは同席したもう一人の学者も提案した)。第一次の事業仕分け同様、傍聴者やマスコミを入れ、インターネットの動画配信を行って賑々しく実行する。
とにかく党内基盤の弱い長妻氏が抵抗の大きい改革を実行するには、国民の熱烈な関心・支持に後押ししてもらうことが不可欠である。そのためには、事業仕分けで「既得権を守る官僚+業界団体VS長妻大臣」というわかりやすい構図で、国民の側に立って戦っていることを国民にみせつづけなければならない。また、年金を初めとする官僚たちの情報操作・大本営発表をすべて暴露し、改めて国民の怒りを改革のエネルギーにかえなければならない。
第二は、人事権に介入することである。大臣は厚労省内の人事に不介入ということが伝統的な原則であるが、本来的には人事権を行使することは可能であり、幹部人事の前には候補者を面接して、長妻氏の政策方針を支持するかどうか踏み絵を踏ませてはどうか。はじめは人事権に介入することはなかなか難しくても、少なくとも影響力があることをみせつけることが重要である。
将来的には、OECDで行われている幹部ポストの公募制度(たとえば局長、課長人事に対して、外部も含めて複数の応募を受付け、閣僚が面接の上、適任者を決定する。その下の課長補佐などについては、選ばれた局長、課長が異動希望者のなかから決定する)を行えば、やる気と志をもつ官僚が、自分が活躍したい分野で能力を発揮できることになる。組織の風通しもよくなり、とくに優秀な若手が活躍する機会が増える。
第三は、社会保障審議会の各部会など、すべての厚労省審議会、委員会、検討会をインターネット動画配信する。もちろん、記者クラブ以外のマスコミ、傍聴者も入れる。国民がみている場では、業界団体や御用学者も露骨な利益誘導を行いにくくなり、それを利用している官僚たちの思惑通りには行かなくなる。また、こうした審議会をいわば隠れ蓑の承認機関に使っている官僚たちの顔も公衆の面前にさらされる。
さらに、審議会の答申・報告書は最終的な決定とするのではなく、マスコミ、インターネット動画を入れた上で、最後の山場として、審議会の座長に、長妻氏ら閣僚の前で答申を説明させ、おかしなところはどんどんやりあうところを国民にみせる。最後に答申を拒否することがあってよい。そうすれば、事務局主導のおかしな結論を座長が無責任にスルーするようなことはなくなるし、説明力の乏しい御用学者に座長が務まらなくなる。つまりは、審議会を利用する官僚主導の力を大幅に弱めることができる。
第四は、政治家の三役側に各分野の専門家によるブレーンチームをつくることである。チームは、学者や有識者のほか、志をもって辞めた官僚OB、地方自治体の関係部局からの出向者(敵の敵は味方である)、民間からの出向者から構成する。官僚と政治家のあいだの圧倒的な情報格差とマンパワー格差があるかぎり、まず官僚を統御することは不可能であり、政治家のバーゲニング力を強めるために、専門家集団を政治の側に付けることが不可欠である。
◇政治主導と改革の困難◇
さて、その後の経緯をみると、たとえば厚労省独自の事業仕分け実施や、厚労省管轄化の独立行政法人における幹部人事の公募導入など、一部はわたしたちの意見を取り入れてもらったのかもしれないと思う。また、人事評価基準の改革や、各種の改革プロジェクトチームもようやく軌道に乗り始め、長妻色が出はじめたところであった。
厚労省官僚の天下り先の公表や、非現実的な年金積立金の運用目標を拒否するなど、目立たないながらも長妻氏のファインプレーがちらほらとはみえはじめていた。しかしながら、如何せん、当初の準備不足と戦略不足、多勢に無勢が響いて捗捗しい成果が出ず、厚労省の政治力とマンパワーの前に屈したというところであろう。
人事についてはわたしの想像をはるかに超える乱暴なこともやったようであるが、そのやり方はともかくとして、長妻氏の目指した方向性自体は、わたしは間違っていなかったように思う。
日本の社会保障制度を取り巻く環境変化の激しさを考えると、もはや既得権益業界の利益を代弁し、財政膨張をすることでしか調整できない旧態依然とした厚労省幹部たちに政策を任せることはできず、官僚組織と真っ向から対決するよりほか、日本の社会保障制度に活路は見出せないように思われる。現在の官僚融和・丸投げ路線などもってのほかであり、官僚任せでは永遠に真の改革は不可能である。
しかし、長妻氏や、同じく今回更迭された山井氏、足立氏ほどの専門性(政治家にしては相当の専門家であった)をもってしても、準備不足と戦略不足、多勢に無勢では、所詮、厚労省の官僚組織の敵ではなかったのである。
正規軍に対するには、それなりの人数の専門チームを作り、官僚の抵抗を完全にシミュレートした上で、周到な準備の上で戦略的にどんどん手を打っていく必要がある。長妻氏達の更迭によって、政治主導の難しさ、改革の難しさのリアリティーを、国民は改めて実感すべきである。
◇本日の一冊◇
著者:鈴木 亘
講談社(2010-09-16)
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今年9月16日に公刊された新刊書。読者対象は、社会保障の知識のまったくない入門者層である。社会保障全般と日本の財政全体の危機的状況を扱っており、改革まったなしの状況がよく分かるように執筆した。
菅政権で現在行われている2011年度の予算編成では、すでに一般歳出の半分を占める社会保障関係費27.3兆円を「聖域」とし、さらに高齢化による自然増1.3兆円を上乗せするために、教育費や国防費といったその他の歳出を1割削る方針をとっている。
しかしながら、高齢化による社会保障関係費の自然増は、今後、毎年1.3兆円ずつ膨張してゆくのである。このままでは、2011年度で22兆円となる「その他の歳出」は、十数年後にはゼロとなり、国の一般歳出はすべて社会保障関係費ということになってしまう。
つまり、小学校・中学校、自衛隊もなくなり、国の予算が「社会保障に乗っ取られる」のである。この状況をどう考えるか、どうすべきか、日本国民全員が身近な問題として考えなければならない問題をまとめている。
鈴木亘(すずき・わたる)
学習院大学経済学部教授。1970年生まれ。上智大学経済学部卒。経済学博士(大阪大学)。主な著作に、『生活保護の経済分析』(共著、東京大学出版会、2007年、第51回日経・経済図書文化賞受賞)、『だまされないための年金・医療・介護入門』(東洋経済新報社、2008年、第9回日経BP・BizTech図書賞)等。
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