2010年8月13日 11時13分 更新:8月13日 14時26分
東京や大阪など空襲被害者の全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」が14日、発足する。空襲死者は原爆を含み50万人を超えるとされるが、被爆者団体を除けば全国組織はなく、戦後65年の今年3月に救済法制定を求めて初会合を開き、準備を進めてきた。同じ県内に被爆地があり、あまり空襲被害が注目されてこなかった長崎県佐世保市や広島県呉市からも期待の声が上がっている。【森禎行】
協議会は、「東京空襲犠牲者遺族会」(星野弘会長)や、国に1人1100万円の損害賠償と謝罪を求めた東京大空襲訴訟(昨年12月請求棄却、控訴中)の原告団が今年春に呼びかけ大阪、名古屋、沖縄、佐世保、呉などの遺族会や被害者、空襲の歴史を調査研究する「空襲を記録する会」などの市民団体が参加する。
14日は東京都台東区民会館で結成集会を開く。空襲被害を受けた国民には、軍人や被爆者と異なり補償など救済する制度がなく、「空襲被害者等援護法」制定や犠牲者の被害実態の調査を求めていく。
「闇夜に光がさしたようだった」。佐世保空襲犠牲者遺族会の岩村秀雄会長(81)は、東京空襲関係者の参加呼びかけにすぐに賛同した。1945年6月の空襲当時、呉市に近い江田島の海軍兵学校にいて無事だったが、家族5人全員を失った。佐世保市内を捜し回り、途方に暮れて呉市に帰る途中、原爆投下3日後の広島市を通った。被爆者援護法の救済対象となる「入市被爆」になるが、証明するすべがなく申請をあきらめた。
75年に遺族会を結成。長崎市の被爆者団体と協力して歴代厚相(当時)や国会議員に陳情を重ねたり、戦後50年の95年には土井たか子衆議院議長あてに請願したりしたが、空振りに終わった。「自衛隊関係者の多い地元では今も『平和』を訴えづらい雰囲気がある。挫折ばかり感じてきた」と打ち明ける。
呉市の空襲の被害者で「呉戦災を記録する会」の朝倉邦夫代表(74)も「戦争被害を広く知ってもらう大きな契機になる」と期待する。広島原爆の救援活動で2次被爆した市民も多く、「空襲でも原爆でも戦争犠牲者の戦後は悲惨だった。一体となった声をあげてほしい」と話している。
1945年 都 市 死 者
3月10日 東 京 約10万人
13~14日 大 阪 約4000人
5月29日 横浜・川崎 約3800人
6月5日 神 戸 約3500人
9日 名古屋 約2100人
19~20日 静 岡 約1700人
28~29日 佐世保 約1200人
7月1~2日 呉 約2000人