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2010年10月7日(木)付

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検察改革―独善の体質を見直せ

大阪地検特捜部を舞台とする一連の事件をきっかけに、検察の存在そのものが厳しく問われている。見直すべきは、与えられている権限や組織、仕事の進め方から、その体質や風土まで広[記事全文]

ノーベル化学賞―「鈴木反応」が花開いた

鈴木章・北大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授が、今年のノーベル化学賞に決まった。授賞対象になった有機合成化学は、物質をうまく反応させて、医薬品からエレクトロニク[記事全文]

検察改革―独善の体質を見直せ

 大阪地検特捜部を舞台とする一連の事件をきっかけに、検察の存在そのものが厳しく問われている。

 見直すべきは、与えられている権限や組織、仕事の進め方から、その体質や風土まで広範に及ぶ。掛け値なしに解体的出直しが求められる。

 主任検事はなぜ証拠を改ざんし、事実を知った上司はなぜそれを隠し、いったんは疑問の声を上げた同僚らは、なぜ沈黙してしまったのか。

 捜査を尽くし、その結果を改革につなげなければならない。

 柳田稔法相は検察のあり方を見直すため、第三者による検証機関を設けることを表明した。当然の判断だ。起訴の権限を一手に握ってきた検察は、ただでさえ独善に陥る危険をはらむ。外部の風をあて、多様な目にさらして初めて、再生への道が開かれる。

 大林宏検事総長の去就も問われる。氏は郵便不正事件の捜査指揮にかかわってはいない。だが、検察の組織と人事を掌握する法務省の官房長や事務次官を歴任してきた。暴走と不信の現場を生んだ責任は免れない。

 捜査に区切りがついた時点で、身の処し方を含め、今後の対応について自らの考えをはっきり示すべきだ。時に政界の不正に切り込んできた検察は、この先も政治と適切な緊張関係を保ち続けなければならない。そのトップの進退が政治に追い詰められたような形で決まれば禍根を残す。

 検察の役割については、以前から警察など第一次捜査機関の指揮と公判に専念すべきだとの声がある。しかし、捜査を警察にすべてゆだねるのが適当とも思えない。肝心なのは、今回の事件を通して欠陥が明らかになった、組織内のチェック機能をいかにまっとうに働くものにするかだ。

 仮に特捜部を解体しても、同じシステムのままでほかの部署が同じ役割を担えば、同様の不正を引き起こす危険が残る。起訴状に署名する者は捜査に直接関与した者とは別の所属の検事とし、違う目で事件を洗い直すなど、踏み込んだ対策を検討すべきだ。

 取り調べ過程の録画や、不都合なものも含む証拠の弁護側への開示、それを怠った場合の制裁強化などについても真剣に取り組む必要がある。

 何より直視すべきはその体質だ。

 検察官の評価方法や人事配置に問題はないか。「公益の代表者」と位置づけられる検察官の職責と職業倫理を、どう教えてきたのか。組織にしみつき、事件が改めて浮かび上がらせた「検察は間違いを犯さぬ」という無謬(むびゅう)主義をどう克服するか。

 検察の再生は、ひとり検察にとどまらず、社会全体の課題である。法務・検察は議論の土台となる情報や分析を国民の前に明らかにし、衆知を集める環境を整えなければならない。

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ノーベル化学賞―「鈴木反応」が花開いた

 鈴木章・北大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授が、今年のノーベル化学賞に決まった。

 授賞対象になった有機合成化学は、物質をうまく反応させて、医薬品からエレクトロニクス材料まで、さまざまな物質を作り出す分野だ。

 一般にはなじみが薄いが、研究者にとっては理論的な面白さと同時に、実用的にもきわめて重要な意味を持っている。

 根岸さんと鈴木さんが開発した、パラジウムという金属を触媒とする「クロスカップリング」という方法は、有機物質の骨格を作る炭素と炭素を自由に結びつけることができる。

 2人の方法は「鈴木反応」「根岸反応」と呼ばれて、研究領域として大きく広がっている。とりわけ鈴木反応は広く使われている。

 パラジウムを使った有機合成は、日本人の化学といわれるほどに、日本人の貢献が大きい分野だ。

 ほかにも日本人の名前がついた反応がたくさんある。2人と共同受賞したリチャード・ヘック氏が見つけた反応も、亡くなった溝呂木勉氏と連名で、溝呂木・ヘック反応と呼ばれる。

 化学的に面白くて有用な反応を見つける仕事は、アイデアさえあれば、少ない費用でできる。まだ研究費が十分でなかった日本に向いた研究領域だったともいわれる。

 そんな領域が大きく花開いたことを示すのが今回の受賞だ。反応に名を連ねた多くの研究者たちを代表しての受賞といっていいだろう。日本流の化学の力を示したともいえる。

 物理学や医学生理学をふくめた日本人の科学分野でのノーベル賞は湯川秀樹さん以来、合計で15人になった。1900年代は5人だったが、2000年から3年連続で4人が受賞してはずみがついた。ノーベル賞は日本にとって、決して珍しいものではなくなってきた。日本の研究水準の高さを示すといっていいだろう。

 もっとも、日本の科学の現状は決して楽観できない。このところ、短期的な成果を求める風潮が強まり、じっくり腰を落ち着けて取り組む研究がしにくくなっているのが気がかりだ。

 人材が重要といわれながら、博士号を取っても就職は厳しい。研究現場は若者たちが夢を持って飛び込んでいける場ではなくなりつつある。

 事業仕分けでの研究への厳しい評価が、若い研究者の意欲をそいだことも指摘されている。

 改めて、日本の研究を伸ばすことを考えなければならない。科学技術にこそ、日本の未来がかかっている。

 これからも、独創的な研究成果を生み出す国でありたい。若い人たちにはぜひ、先輩たちに続いてほしいし、そのための環境作りが大切だ。

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