メッシ6年ぶり来日、右足首じん帯を負傷も「調子はいい」
日本代表と対戦するアルゼンチン代表の大トリ、エースFWリオネル・メッシが6日早朝、成田空港着のルフトハンザ機で2004年8月のバルセロナの鹿島戦以来、6年ぶりに来日した。痛めていた右足首にわずかな不安はあるが、同日夕方は非公開で練習。試合を生中継するTBSは4億円の超高級メッシ・カメラを用意。自らの理解者、セルヒオ・バチスタ暫定監督(48)の正指揮官昇格のためにも、日本の地での6年ぶりのゴールを見せる。
「物力論」。広辞苑の中にも見当たらない謎の漢字を背中の腰の部分に入れたTシャツ。ジーンズに黒のショルダーバッグのラフなスタイルで、昨季欧州得点王(34得点)「ゴールデンブーツ」受賞者は、日本の地に降り立った。約10時間のフライトの疲れからか、無精ひげに、じっとり湿ったヘア。バルセロナのMFマスケラーノとDFのG・ミリトと一緒にアルゼンチンの大トリとなった。
「ムイント・ビエン(とっても調子はいいよ)」。約40人の日本人報道陣の呼びかけに短く答え、約100人が集まったファンのサインの求めに応じた。9月20日の国内リーグ、Aマドリード戦で右足首じん帯を負傷。復帰戦となった3日のマジョルカ戦で1ゴールしたが、到着ゲートを歩く右足は、引きずってはいないものの、かばうような少々ぎこちない足の運びだった。
それでも期待は大きい。日本戦を中継するTBSは、Jリーグ中継の約2倍のカメラ26台を動員。そのうち、メッシのスーパープレーを正確に伝えるために、スーパースローカメラ3台、1台1億円もする、1秒間に1000コマを撮影できるハイモーションカメラを4台を投入。「スーパースロー3台は極めて異例。スーパースターのプレーをしっかり伝えたい」と中継関係者は話した。
メッシが来日すればチームには20万ドル(約1700万円)のボーナスが入る契約。しかしモチベーションはほかにある。南アW杯を指揮したマラドーナ前監督(49)が再就任に意欲を示しているが、エースにパッサー役を任せた同監督下のW杯では、メッシは5試合無得点に終わった。「僕をペナルティーエリアの近くでプレーさせてくれた最初の人」と感謝するバルセロナのグアルディオラ監督(39)の方針と同じ3トップの右でプレーさせてくれるのは12月までの暫定で指揮を執るバチスタ氏。同政権続投のためにも、日本戦大勝が必要。9月7日の親善試合スペイン戦から代表戦2試合連続の15得点目を狙う。
都内で非公開練習を行った。午後6時過ぎにバスで、練習場に到着。取材対応はなかったものの、バスから降りたメッシは、リラックスした様子で会場入り。非公開とあってひっそりとした会場の周りにはファンの姿も見られず、警備員が立つのみ。厳戒態勢の中、南米の雄は約1時間汗を流し本番に備えた。
◆メッシの来日戦
▽2003年8月7~10日 第4回豊田国際ユース大会(豊田スタジアムなど)。バルセロナのU―16チームの一員として、MFセスク(現アーセナル)らとともにU―16日本代表、フェイエノールトらと対戦し、3位に貢献。
▽2004年8月1日 親善試合対鹿島戦(国立)。3―0リードの後半29分から途中出場。同43分にFWロナウジーニョ(現ACミラン)のアシストで右足で1得点。5―0の大勝に貢献。
※06年12月、バルセロナが参加したトヨタクラブW杯は負傷欠場。08年7月、北京五輪直前の日本五輪代表戦は、当時、バルセロナが五輪代表招集に反対したため欠場した。
◆メッシの起用法 マラドーナ監督下の南アW杯では、FW中央のメッシが中盤に下がった位置で、つなぎ役やパッサーの役目を果たし、自らゴールを決めることができなかった。バチスタ暫定監督はバルセロナと同じ右FWで、メッシが前線で自由に動き回り、ゴールを決めることができる布陣を組んでいる。
◆リオネル・メッシ 1987年6月24日、アルゼンチン・ロサリオ生まれ。23歳。4歳でミニサッカーを始め、95年、地元のニューウエルズ・オールド・ボーイズ入団。2000年、成長障害の治療費を負担したバルセロナにスカウトされ下部組織に移籍。04年10月のプロデビューから、リーグV4回、欧州CL2回優勝。08年北京五輪金メダル。09年世界年間最優秀選手とバロンドール(フランスフットボール誌選定世界最優秀選手)受賞。国際Aマッチ通算52試合出場、14得点。家族は両親と兄2人、妹。169センチ、67キロ。
[2010/10/7-06:03 スポーツ報知]