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長谷川真士さん
四倉町在住「最初から市内に3軒店を持つつもりだったんです。次は『支那そば』ですかね」と話す
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横浜に「家系(いえけい)醤油とんこつラーメン」という文化がある。その味に着目し、いち早くいわきに持ち込んだのが、「横浜ラーメンとんこつ家」を経営する長谷川真士さん(31)だ。
「家系」とは、店の屋号に「家」がつくグループの総称で、その代表格が「吉村家」。一番の特徴はスープにある。醤油がベースだというのにこくがあり、初めてそのラーメンを食べた長谷川さんは、カルチャーショックを受ける。「こんなにうまいラーメンがあるんだ」というのが実感だった。
長谷川さんは地元の高校を卒業したあと、川崎の工場で検査の仕事に就いた。しかし、転職を繰り返し、落ち着かない日々が続いていた。
転機は結婚だった。「このままじゃだめだ。なんとか身を立てることを考えないと」―。真剣に人生を考え始めた長谷川さんの頭にとんこつラーメンが浮かんだ。「勝負するならいわき」。それは確信に近かった。横浜生まれの由記子さん(28)を説得し、いわきに店を出す準備に入った。
そんな時、1つの出会いがあった。雑誌「近代食堂」に載っていた記事が目にとまったのだ。横浜とんこつの人気店「壱六家」がフランチャイズ加盟店を募集しているという。すぐ飛びついた。それまで、何軒かの店に修業を願い出たが、答えは決まって「5〜10年修業してもらわないと」というものだった。しかし、「壱六家」の主人・渡邉博之さんは「2〜3週間で大丈夫だよ。そのあとも面
倒見るから」と言ってくれた。加盟金100万、材料補償100万、月々のロイヤリティー3万円。さらに、店を出すための各種費用…。父親の貯金と実家の土地建物を担保に資金を準備し、「横浜ラーメンとんこつ家」が誕生した。なんと、フランチャイズチェーンの第1号店。場所は、師匠のアドバイスを受け、国道6号線沿いの平塩に決めた。夫婦2人だけのスタートだった。
オープンから5年。「とんこつ家」は社員が10人に増えた。昨年9月、鹿島町御代に2号店を出し、週末には1,000食以上出る超人気店に成長。行列ができるのが当たり前になった。
麺の硬さ、脂の量、味の濃さが選べるうえ、どんなに混んでいても、2人以上で来たお客さんをバラバラに座らせず、ひたすら順番を守るのが店のルール。だから、たとえ席が空いていたとしても、あとから来たお客さんを座らせることをしない。
その、かたくななまでのサービス精神と安定したスープをつくるための味へのこだわり…。「とんこつ家」の原点はそこにあった。当然、それを貫こうとすればするほど、仕事はきつくなるのだが、その苦しみ、試行錯誤がスタッフを成長させ、「とんこつ家」の評判に拍車をかけた。
長谷川さんは言う。
「オープン当初は休みのたびに横浜へ行き、師匠の教えを請いました。思うような味が出なくて眠れない。でも、噂が先行してお客さんが詰めかける。その連続でした。まだまだ満足はしてないけど、苦しみ抜いてここまで来た、っていう感じですかね」
豚骨(とんこつ)だけでスープをつくる「とんこつ家」のラーメンは、状況に応じて次から次と骨や水を足していくため、火加減が難しい。15杯前後のスープを繰り返しつくっていくのだが、お客さんの入り具合を見ながら、調整していく。だから的確な状況判断と、綿密な計算が必要になる。さらに、お客さんの好みの注文、順番がプラスされる。それを、平均3人のスタッフで回していくのだから、「頭が爆発しそうですよ」というのもわかる。
「いわきで、並んでまで食べたくなるようなラーメンを出したい、って思ったんです。だって、いわきの人って、混んでるとさっさと違う店に行っちゃうんですもん。そういう意味から言うと、少しは目的を達成したかな、とも思います。でも、味はまだまだです。ラーメンは奥が深いんですよ。今でも、わからないことがあると、横浜に電話します。根気強くやるしかないんです」
そう言いながら、長谷川さんはちょっと照れた。 |