解決済みの質問
真意が伝わりづらかったようなので質問取り消しましたが、 「人を殺していけない...
真意が伝わりづらかったようなので質問取り消しましたが、
「人を殺していけないのは当たり前」ということに疑問を持たないひとが多すぎませんか?
「常識」も「道徳」も、状況と環境と時代で変化します。
人は殺しちゃいけないのに、人とほとんど遺伝子上変わらないチンパンジーを殺すのは構わないんですか?
戦争中なら敵国の人間を大量に殺せば称えられます。
日本は死刑のある国です。
「当たり前」の線引きはどこにあるんですか?
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- 質問日時:
- 2009/6/10 16:32:35
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- 解決日時:
- 2009/6/10 17:22:49
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ベストアンサーに選ばれた回答
何処で見たのかは覚えていないのだが
生き延びる為に集団生活を送る事を必須とする人間が集団を維持する為のルールだから
と言うのが最も理論的な理由だそうだ
例えば人間より強い猛獣は世の中に多く存在するが
人間は武器を作り、体を鍛えた人間が集まって戦う事でそれらの存在に勝利する事が出来る
この時武器を作った人間が他人に武器を渡す為には、
武器を渡された人間が武器を作った人間を殺さないという保障が必要になる
そうでなければとても自分を殺せる道具を作って他人に渡すなど出来ない
かと言って武器を作る専門家が武器を持って猛獣と戦っても、
戦いの専門家に武器を渡して戦った時と比べて良い結果は得られないだろう
そうならないように、武器の受け渡しがスムーズに行えるように作られたのが
「仲間を殺すな」と言うルールだそうだ
現代にしたって、社会がスムーズに回る為には、見知らぬ誰かがしている仕事が
自分の生活のどこかには関わっている
もし他人を無差別に殺してしまえば、食べ物や水はもちろん
電気やガスも、移動手段も確保できなくなり
当然今のような生活を送る事は出来ない
戦争が起こった国ではインフラが死ぬだろ?
何時殺されてもおかしくない可能性が一定を超えると、
働いてなんていられなくなるからだ
当たり前の生活を送る為に「人を殺していけないのは当たり前」
という考え方で世が満ちている事が必要というわけだ
戦争に関しては一種の異常事態として処理される
ある意味仕方の無い側面もある
人間同士なら、どうしても意見の合わない人間がいれば
距離をとればよいだけの問題だが、これが国同士なら話が別だ
国土は動かせないのだからな
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- 回答日時:2009/6/10 17:10:46
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ベストアンサー以外の回答
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死刑は殺人ではなく刑の執行です。
通常の殺人とは訳が違いますよ。
>>チンパンジーを殺すのは構わないんですか?
ってか動物を平気で殺せるような人はいないですよ?
それにだれが「構わない」なんていってるんでしょうか?
で、結局、質問者さんは
誰に対して何を訴えたいのでしょうか?
「自分より下の人間がいるのだから、そっちの方を相手してくれ、俺にはかまうな」とでも
いいたいのでしょうかね?
そもそもそういう犯罪者的な心理をいつまでも考えてもしょうがないでしょう?
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- 回答日時:2009/6/10 17:05:49
線引きなんてできないですよ。
バラの花を見て「美しい」と感じる美意識も、状況・環境・時代で変化します。
バラの花が美しいかどうかなんて線引きできないですよね。
感性や道徳というのは理屈ではありません。「線引き」などという論理的な思考とは異なるものです。
ただ、「人を殺してはいけない」というのは普遍の道徳だと思います。戦争や死刑で人を殺すことも道徳的には「いけないこと」にかわりありません。道徳は理屈ではないのです。
戦争や死刑は理屈をつけて人を殺すことを正当化しているだけです。
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- 編集日時:2009/6/10 16:51:50
- 回答日時:2009/6/10 16:46:30
線引き…ですか?
多数決、ですよ。
この世の人間が決めたものは。
社会の秩序、治安を守るためには人を殺していいとなったら、この世界、ぐちゃぐちゃです。
みんな平和に暮らしたいから、殺されたくないから、自分達に都合の悪いことは『いけない』ということに決めました。
だから快楽のために人を殺すような人は特に、社会は許せません。社会的に抹殺するのです。
他人に殺されていいと思う人は『殺しを肯定』でいいと思います。そういう人から殺してほしい。
戦争は一部の人間が始めたもので、国民は被害者です。
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- ケータイからの投稿
- 編集日時:2009/6/10 16:46:20
- 回答日時:2009/6/10 16:43:08
phinlodaさん
哲学・倫理ということなので、そちら寄りの解釈をさせていただきますが、
「殺してはいけない」というのは、本能的には種族を維持するためとされています。その点だけに注目すれば、人間以外の動物を殺しても人間という種族の維持には直接関わらないことになります。間接的にという話は出てくると思いますが、それは別の話として考えるべきでしょう。
「当たり前」というのは、対称性によって説明することができます。もし人を殺しても構わないというルールがあれば、それは即ち自分が殺されても構わないというルールになります。ところが大抵の人は、自分が殺されるのは嫌なのです。そのような条件がある限り、人を殺してはいけないという共通のルールは自然に発生します。
その点に注目しますと、「自分は殺されたくない」ということが、説得力のある合理的な線引き条件となります。つまり、自分あるいは他の人間が「殺されないために」という目的がある場合のみ、殺すことを正当化できるのです。
戦争は、敵に殺されないためと解釈できます。死刑は、その犯罪者が社会に出ると他の人が殺されてしまうという危険を防ぐためと解釈できます。刑法には正当防衛という言葉も出てきます。
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- 編集日時:2009/6/10 16:43:01
- 回答日時:2009/6/10 16:42:01
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