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続・岡崎市立図書館事件(1)
要約:高木浩光氏は、twitterによる・第三者の・不正確な要約をもとに、他人を罵倒してもよいと考えている人のようです。
経緯:
- 大屋、討論会でパネルとして発言。
- 参加者の中に、内容を要約してtwitterで発言していた人がいる。ただし欠けている・落ちている部分が必然的にあったほか、不正確な部分もあったと指摘されている。
- たとえば以下の展開。
「岡崎事件の事例。今回と同様のプログラムを意図的に使用したら、完全に偽計業務妨害となる。いまから利用したら結果に対する予期と認容される。」(twitter)↓
「大屋先生の発言の通りかtsudaってくれた方の誤要約なのか不明なのであれですが、とにかく「今回と同様のプログラムを意図的に使用したら、完全に偽計業務妨害となる」は明確に誤り。「脆弱性の手当がされないままのサーバに対して」という限定がない限り。」(twitter)↓
「その限定付きでの話でした。」(twitter) - あるいは参加したと思われる方々の印象。
「パネル討論会に参加した印象から言うと、『大屋先生の話が正しく伝わってない』 に同意。」(twitter)「しかし、帰宅後 #librahack を読んでみると、わたしには不正確ではないかと思われる記述もあり、また、そのツイートをさらに誤読していると思われるツイートもあり、特に大屋氏の発言について議論が紛糾していて驚きました。他のパネリストの発言にあまり触れられていないのも驚きました。」(twitter)
- たとえば以下の展開。
- 高木氏、伝聞情報をもとに批判開始、ヒートアップして罵倒へ。
「出鱈目。」(twitter)「これはひどい。今日のパネリストは駄目だな。」(twitter)「例だろうが、出す以上、今回の事件との関係性を持たせて話しているわけで、だからこそ「なぜサーバに欠陥がないことを前提にしたのか」の発言につながっているのではないの?」(twitter)
- 「伝聞をもとに論評するのってどうかねえ」と大屋に間接的にたしなめられる。
「どうも参加者の中にtwitterで実況を試みていた方がいたらしく、いやその方はがんばっていると思ったのだがしかし本質的にいろいろと限界があるわけで(......)それをもとに論評しはじめる方々というのはなんだかなあと思った。」(おおやにき)
- 高木氏、自己正当化。
「まさに、まるでおわかりでない。素人が語るな、というレベル。」(twitter)「誤解? その説明を聞いた上で言いますが、それは不適切な喩え話であり、専門家の話として流布されることが想定される場で発言されたものであるからには有害です。」(twitter)「言った通りに書かれたものに対して、どう不適切かを述べているのですが?」(twitter)
※しかし高木氏が読んだもののなかに大屋が「言った通りに書かれたもの」は一切ない。「講演すれば、講演者に不本意な内容で伝聞されるリスクは常にある。だから誤解を予測しながら防止すべく話を構成するのがプロであるし、誤解が出ているならば、個々の誤解に対して直接打ち消す言論をすればいいだけの話。久しぶりに前世紀の言論態度を見た」(twitter)
最初に言っておくと、事前に打ち合わせなどをしているわけでもなく(全体の構成とか文脈を理解して要約できるわけではない)、専門家でもない(専門用語の使い分けや議論の内容を十分に理解できるわけではない)人が、しかもリアルタイムで時間的制約の強い状況で要約するというのがとてつもなく困難なことで、それをあえてやった人の努力というのは認めるべきだと思う。しかし同時に、人の話をまとめる訓練を受けている新聞記者の人の・終わったあとで=全体の構造を踏まえて・時間的余裕のある状況で作られた要約(「取材してきました。面白いシンポだったのに、ツイッターではうまく情報が伝わっていないように思います。」(twitter)以下)と比較すれば、申し訳ない言い方にはなるが、品質の面で相当に問題があるということは言わざるを得ない(後者ですら「言った側」としては意図とズレているとか重要な留保が落ちていると感じる部分もあるが、もちろんそれは発言者側の表現が不十分だったのかもしれない)。
もちろんしかしそのような制約があるということは読む側で理解できることなので、そういうものとして読めば有益だろうし、そうしなければ有害ということにもなろう。そうではなくて、140字単位の細切れで・文脈と切り離して・議論の順序も入れ替えられ・留保や条件を切り落とされた・不正確な要約になったとしても誤解の余地を一切与えないような発言をするのが(高木氏の言う「前世紀の言論態度」と対照的に)新世紀の言論だというのなら、まあそういうのはそれで構わないのでお好きな方でご自由におやりください、私はお付き合いを丁重にお断りさせていただきますと、まあそういうことになろうか。でもまあそれ、まともな法学者は誰も付き合わないだろうけどね。教科書を読み漁った程度で「役に立たない」とか一丁前の口をききたがる人にとってはそういう環境の方が快適なのかもしれないけど、なんかニセ科学とかカルトの人とそっくりの行動形態だという気もしきり。
うんうん、そういうことにしておいた方が専門家のいないところでお山の大将をやっていたい人にとっては嬉しいよね。ホメオパシーの人なんかと言ってることがそっくりだわ。というわけで、高木浩光氏は私のなかで「うかつ箱」にしまわれることになりました。どっとはらい。
そもそもustream+twitterの方が今回の事例よりマシだ、と言っている時点で論点は前世紀か新世紀かというようなところにはないとわかりそうなもんだと思うんだけどねえ。さらに「誤解が出ているならば、個々の誤解に対して直接打ち消す言論をすればいいだけの話」とか、いや私が自分でtwitterで発言したわけでもないんでね。高木氏によると、たとえば私が授業で言った内容をどこかの誰かが曲解して掲示板に書いたら私は探し出して訂正して回らないといかんということですね。そんなん読む側が「要出典」タグを貼ればいい話なんじゃないだろうかね、あほらしい。
高木氏は「ちなみに、これは私自身が講演する際には実践していることですので。念のため。」(twitter)と発言しており、かつそれは不正確な要約についても適用されることをご自身の行動で示しているので、みんなも高木氏の発言を不正確に要約してそこらじゅうに書いて回るといいと思います。きっと新世紀の言論態度を実践してくれるんじゃないかな。
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