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続・岡崎市立図書館事件(3)
でまあその。企画者の側からは当日のプレゼンテーションを公開してもらえないかという依頼も受けたのですが、いやソースに基づく議論という研究者であれば基本中の基本と言ってよいふるまいができないのか故意にしないのか、とにかくそういう人々がこれだけ群れているところに・口頭で説明/補足することが前提の資料を出すとか、さすがに私でもそういう餌の与え方はできないねえ。教祖さまが自分の無謬性を守るために好き勝手利用しはじめるに決まってるんじゃないかな。
しかしまあ私はいらんこと親切なので、当日来ていた方なら個々の話題がどのように全体の枠組に対応しているのかがわかるように追加の説明をする。ちょっと参加者の興味を引くために構造が見えにくくなったところはあるかなあと思ってもいるのでね。なお刑法理論の観点から「そんなに簡単に書いていいのか」と思う人はいるでしょうが、そこは割り切ってわかりやすさを優先しました。さて。
- (1) 犯罪=違法かつ有責な行為 ......両方が揃わないと刑罰の対象にはならない。
- (2A) 違法性=構成要件に該当し、被害と因果関係があること。また違法性を否定する事情がないこと。
- (3A) 構成要件該当性:ここでは欺罔・誘惑、あるいは錯誤・不知を利用したこと。
「相手が甚しく困惑」したことが構成要件である「偽計」にあたる=無言電話の事例(*) - (3B) 被害:アクセス不能状態の発生。
- (3C) 因果関係:物理的な因果関係があっても、刑事法上は否定される事例もある。(**)
未知・予測不能の相手方の問題は、それに該当しない=脳梅毒の事例 - (3D) 違法性阻却事由がない:ほぼ争いなし
- (3A) 構成要件該当性:ここでは欺罔・誘惑、あるいは錯誤・不知を利用したこと。
- (2B) 有責性=故意・過失があり、責任能力があり、他に責任を否定する事情がないこと。
- (3E) 故意(原則)・過失(定めのある場合)の存在:今回は故意犯のみ
客観的事情から判断することになる=オーバードーズ事例 - (3F) 責任能力:今回は争いなし
- (3G) 責任阻却事由がない:ほぼ争いなし
- (3E) 故意(原則)・過失(定めのある場合)の存在:今回は故意犯のみ
- (2A) 違法性=構成要件に該当し、被害と因果関係があること。また違法性を否定する事情がないこと。
(**) 典型的には第三者の故意の行為が介入した場合が挙げられる。相手に軽度の傷害を負わせたところ、救急車で搬送された先の病院に被害者に恨みを持つ第三者がたまたまおり、抵抗不能な状況に乗じて被害者を刺殺したという事例を考えると、最初に怪我をさせなければ被害者が救急搬送されることはなく、従って病院で第三者に発見されて殺害されることもなかったであろうから、物理的には傷害行為と死という結果のあいだに因果関係があるわけである。しかしまあだからこれ傷害致死だというのはひどいよねえという話があり、途中でより強く結果と結びついた第三者の故意行為が介入した場合には元の因果関係が切断されるというような説明をする。
法律学の基本手法というのは、このように最終的な論点をより部分的な構成要素へと分解していって、それぞれについて、その限定的な範囲において似ている過去の事例などを参照しながらYesかNoかを決めていき、その総和として結論を出すというところにある。今回で言えば、脳梅毒事件はあくまで「未知・予測不能の被害者側の事情が(法的)因果関係を切断するか」という論点の範囲でのみ類例として参照されているので、「『蹴った』という行為とクローリングを同一視するのか」と聞かれても「それは構成要件該当性の問題だから知らないよ」ということになる。そもそもまったく同じ事件というのが二度起きるわけはないし、特に新しい技術とか社会現象が関係している場合には全体としてそっくりとか似ているとかいう事例があるわけはないのであって、一方、ないから「裁判官とか人民の『常識的で正しい法感覚』に任せましょう」というのは(特に少数派にとって)危なくて仕方がない。
だから上記のような分解・再構成を通じて一定の相場というか、法感覚を維持していきましょうということになっている。刑法の場合、上記のように分解した上でそのすべての論点について「Yes」ということにならなければ最終結論が「犯罪あり」にならないという基本的な枠組があるので、教科書などはそのすべての個別の論点がどういう場合にYesになり・Noになるかを検討しているわけだ。その際、構成要件該当性については個々の罪名罰条によって当然要件が変わってくるのだが(だから刑法各論の方でそれぞれ念入りに議論していくわけであるが)、因果関係が切断されるかとか故意の有無などといった論点では結局犯罪がどういうものだろうが一緒なわけで、なんとなく派手なので殺人とか強盗とかが使われる傾向はあるだろうが、それはあくまで因果関係についてとか故意についての議論であり、殺人にしか通用しない分析でもなければあらゆる犯罪を殺人や強盗と同じものと考えているわけでもない(行為自体が故意によるものか過失によるものかという論点と、行為と結果の因果関係が肯定されるかどうかという論点は独立なので、犯罪類型に過失犯規定があるかどうかは後者の議論にまったく影響しない)。
まあもちろん、近代科学一般に対してと同じように、そういう「分解・再構成」という方法論ではモノゴトの本質を見失うのではないかという批判は可能だと思うが、オルタナティブがいるよね、とはすでに書いた通り。まして、その方法論自体をまったく読み解けずに
とか書いてしまうのは、プログラム言語の教科書を読んで「僕の欲しいプログラムのソースコードが載ってない!」って文句言ってるのと同じなんだよね。そういう人間に対して高木浩光氏がどう言うのかを録音しておいて耳にタコができるまで聞かせたいなあ。
おまけ。
「自明」なんだって。すごいね、これだけで相当因果関係説ぜんぶ葬り去りましたよ。すでに述べたように、物理的な因果関係の存在が「自明」でも法的には切断できる場合があるよねということを議論しているのが因果関係論なんだけど、何のためにそういう細々した検討をしているかという目的がまったく理解できなかったということですよね。教科書を読み漁ったことが何一つ役に立っていないということを示している好例と言えようかと思います。
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先生!大前提が間違っています。
Librahack氏が行ったのは「大量アクセス」ではなく「通常より多いが常識の範囲内のアクセス」です。
なぜサーバーが応答しない状態が発生したかは「大量アクセスによるサーバー負荷」ではなく、「MDISのLibraの仕様上の欠点によるAPPの停止」です。
つまり2Aも2Bも構成できていません。
ではなぜLibrahack氏が浮上したかというと「すでに別の図書館上ではLibraの欠点を修正していた」MDISが調べた結果です。
で、警察はMDISの言うことを信用してLibrahack氏を逮捕した節があります。
と、ここまでは#Librahack上では共有知識(まとめにまとめてある)なので、たぶん話がかみ合ってないのだと思います。