しかしEMHもCAPMもブラック=ショールズ公式も、過去の多くの危機を生き延びてきた。それは現実の市場データに合致しているからではなく、市場がどうあるべきかを示しているからだ。複雑で予想しにくい市場では、トレーダーは取引の基準を求める。彼らがCAPMに従って取引すれば、CAPMに合致した価格がつくのは自明の理である。それは「太陽の黒点活動が活発になると景気がよくなる」という理論でも同じだ。
著者も指摘するように、現実の市場データを完全に説明する理論は過去にもなかったし、今後もありえないので、どういうモデルを選ぶかは「社会学的」な問題だ。EMHを基準にしてリーマンショックを「アノマリー」として説明することも可能だし、逆にミンスキー理論を基準にしてEMHもDSGEも嘘だと主張することも、論理的には同格だ。異なるパラダイムは通約不可能なので、その優劣を最終的に決めるのは経済学界の出世競争である。
だからEMHが凋落するという著者の予想は、はずれるだろう。DSGEの地位も、ソローのような大御所が批判してもゆらぐ気配はない。それは個人の行動をメカニカルに定義しているので数学的に単純で美しく、計量分析にも乗りやすいからだ。こうした数学的スキルは頭のよさをシグナルするには便利だから、競争の激しいアカデミズムで研究者を選別する道具として使いやすい。
要するに、経済学者は合理的に行動しているのである。彼らの目的は経済政策をつくることではなく論文を書くことだから、論文の生産性を最大化するEMHやDSGEが好まれるのは当たり前だ。今どきケインズ理論で論文を書いても、どこの大学にも採用してもらえない。ハイエクやコースは、今の大学では博士号も取れないだろう。神話が事実を説明するとは誰も信じていない。それは快適で美しく、そしてすべての人々に信じられることに意味があるのだ。
だからEMHが凋落するという著者の予想は、はずれるだろう。DSGEの地位も、ソローのような大御所が批判してもゆらぐ気配はない。それは個人の行動をメカニカルに定義しているので数学的に単純で美しく、計量分析にも乗りやすいからだ。こうした数学的スキルは頭のよさをシグナルするには便利だから、競争の激しいアカデミズムで研究者を選別する道具として使いやすい。
要するに、経済学者は合理的に行動しているのである。彼らの目的は経済政策をつくることではなく論文を書くことだから、論文の生産性を最大化するEMHやDSGEが好まれるのは当たり前だ。今どきケインズ理論で論文を書いても、どこの大学にも採用してもらえない。ハイエクやコースは、今の大学では博士号も取れないだろう。神話が事実を説明するとは誰も信じていない。それは快適で美しく、そしてすべての人々に信じられることに意味があるのだ。
コメント一覧
科学者には池田先生のおっしゃることは説得力があります。我々にも経済があり、「最小努力で最多の論文を書くこと」が「競争社会」における鉄則です。そのためには流行の分野に乗り、主流解釈に逆らわず、むしろ「主流解釈からこんなことまで出来る」という、要は最先端の論文の枝葉になることが重要になりがちです。
以前の日本の大学は競争社会でなかったとされ、しかもそれが礼讃されるのは、科学はそういうものではないと考えるからでしょう。もちろんだからといって、昔の大学の研究が今より平均レベルが高いとはとてもいえず、競争が「経済」を発展させることはこの世界においても否定できません。
まあ会社における生き様も全く同じで、破壊的イノベーションをやる人は損してるんでしょう。
経済素人の私は日本の需給ギャップの根本原因も「合理的市場が神話である」ためであると考える。
需給ギャップとは何か。「潜在的に作ることの出来る価値」が、「潜在的に欲しいものの価値」より大きいということを示す。しかし我が家のまわりを見てまわっても、欲しいものが無くて困っている人なんて無欲な僕くらいで、みんな欲しいものが買えなくて困っている。
みんな3Dテレビが欲しいわけでも、プレステIIIが欲しいわけでもない。高級フレンチレストランで高いワインが飲みたい訳でもない。普通に移る安い液晶テレビと、新鮮なおいしい野菜や魚の料理と、ふかふかのソファーのあるほどよい広さのうちが欲しくてたまらない。
しかし、テレビは韓国で、野菜は中国で、魚に至ってはラトビアやら世界中で、ソファーは北欧でつくっている。
またお皿やスプーンや収納グッズは100円でいい人も多い。しかし「それならみんなが必要としている100円グッズを作ろう」と考える日本人は皆無である。米も野菜も作らず、魚も捕らない。いすも作らなければ、コンビニの店員にもマックの店員にもならない。その横で日本人は、3Dテレビを作ったり、維持するのも高い車を作ったり、果ては占い師の代理業であるコンサルティングをやろうとしている。
最初の言葉に直すと、「潜在的に欲しいもの」はたくさんあるが、他国の人が作っている。日本人は欲しいものを作らず、代わりに、よく言えば見かけ上の価値の大きい、悪く言えばがらくたを作っている。
「需要があるものを市場のプレイヤーが合理的に選択して製造する」という考えから抜け出せなければ、日米欧のデフレは、絶対に抜け出せない。