風知草

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風知草:周恩来の大局観=山田孝男

 腰砕け外交批判の嵐の中でニュースにはならなかったが、9月30日の衆院予算委で、公明党の富田茂之(57)が、尖閣諸島に関する日本の主張を補強する外交資料を示し、閣僚が聴き入る一幕があった。

 注目の資料は1972年7月28日、北京で行われた竹入義勝公明党委員長と周恩来首相の会談記録である。

 この中で周は、尖閣諸島の領有権をめぐる中国の主張が、海底石油資源目当てのにわか仕立てであることを、驚くほど率直に認めている。以下、ポイントの部分を引く。

 竹入「細かい問題は残りますが、(日中国交回復という)大筋の問題は時間をおいてはいけないと思います」

 周「そうです。尖閣列島(ママ)の問題にもふれる必要はありません。竹入先生も関心がなかったでしょう。私もなかったが、石油の問題で(中国の)歴史学者が問題にし、日本でも井上清(歴史学者。故人)さんが熱心です。(しかし)この問題は、重く見る必要はありません。平和5原則にのっとって国交回復することに比べると、問題になりません……」(カッコ内は筆者が補った)

 中国が尖閣諸島に関心を示し始めたのは、68年、この地域の海底石油資源を確認した国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の学術調査が公表されてからのことである。

 71年、中国外務省が声明を出して領有権を主張。72年、国連海底平和利用委で日中が衝突した。周・竹入会談はこの流れを背景にしている。

 竹入は周の感触を田中角栄首相に伝えた。これが田中訪中の決定的な伏線になった。周は日中国交回復を重視していた。発言記録の行間に「台湾との関係や、まして尖閣にこだわって大局を見失うな」と説く周の気迫がにじんでいる。

 周発言の中の「井上清」はマルクス史学の大御所だ。「『尖閣』列島」という本を書き、日本は日清戦争の勝利に乗じて中国から尖閣を奪った--と論じた。当時も、今も、きわめて特異な主張である。

 日清戦争後の下関講和条約は台湾などの割譲を定めたが、尖閣には触れていない。どのみち火事場泥棒じゃないかという主張が中国側に根強いが、周の判断はまるで違う。

 日本に留学経験があるとはいえ、井上の著作まで読み込んだ周の目配りに驚く。

 公明党の富田は、当時の同党訪中団関係者から周発言の存在を聞き出し、ネット上で公開されている「日本政治・国際関係データベース」に当たった。原典は周・竹入会談に同席した外交官のメモである。

 竹入は後に公明党・創価学会と対立し、除名された。この事情から、富田はあえて竹入の名を伏せて質問しているが、そのことはおく。

 平和になれすぎた日本で、尖閣など小さな問題とは言うまいが、大局を見失うなという周の遺訓は不滅だろう。当時の大局は日中国交正常化だった。今日の大局とは何か。

 「もしも全人類がアメリカ人の生活様式を真似(まね)するなら、地球が6個必要だ」とフランスの経済学者が言っている(ラトゥーシュ「経済成長なき社会発展は可能か?」)。

 軍拡を背景に資源をむさぼるのは破滅的な時代錯誤だ。暴走を阻み、もはや運命共同体となった地球経済の発展の方向を問い直す。それこそが今日の大局ではないか。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

毎日新聞 2010年10月4日 東京朝刊

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