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この数年、何度も集会に参加し、沖縄からの参加者に直接話を聞いています。
県議、市議、村議、新聞記者、大学教授、漁師、市長、その他。
沖縄は、終戦時の沖縄戦でもそうですが、その後の米軍占領でも
ずっと「支配される歴史」「被害を受ける歴史」の中にありました。
復帰まえは米軍の軍政下にあったわけで、いわば「主権」が無かった。
また米軍基地も、本土の米軍基地のほとんどが国有地を貸しているのに対して
沖縄ではほとんどが民有地と自治体所有地です。
それを45年の上陸作戦時に暴力的に米軍に奪われたまま、返してもらえなかった。
また現在と同じく「米軍による被害」がたくさんありました。
だから沖縄人は「米軍から自立したかった」わけです。
しかし、琉球国として自立する経済力はありません。
当時、復帰するなら日本しかなかったでしょうね。
もともと「中国の支配下」にあったことは一度もありません。
清朝までの中国の周辺国との関係は「植民地と宗主国」の関係ではありません。
「朝貢外交」という、独特なものでした。
しかし、薩摩は完全に侵略者で、支配者だった。
それを明治政府が引き継ぎ、併呑したわけです。
沖縄が日本に復帰したかったのは、「復帰すれば基地がなくなる」と考えていたからですよ。
しかし、日米政府の取引によって、基地をそのままに「復帰だけ」がなされた。
「あれ?話がちがうじゃないの」というのが沖縄人の感想です。
だまされた、と思ってる。そして、ダマしたその政府のもとで
本土の人々も、なぁ〜んも沖縄のことなんか考えちゃくれない。
これが正直な沖縄人の感想ですね。
だから尖閣諸島については沖縄県議会の決議も含めて、ホンネは「沖縄のものだ」という事なんですよ。
日本のもの、というよりもね。
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