尖閣問題で、25年前を思い出した。中曽根康弘首相が8月15日に靖国神社を初めて公式参拝した時のことだ。予想通り中国からは猛反発が出た。タカ派といわれた中曽根氏だが、自民党内から「弱腰」批判を受けながらも、意外なほどあっさり翌年の参拝は見送った。なぜか。その後中曽根氏が自著「天地有情」(文芸春秋)で語っている▲当時中国では、改革・開放路線を進める胡耀邦総書記が保守派との権力闘争で厳しい立場に置かれており、靖国参拝がますます彼を追い込んでいた。胡氏が日本の青年3000人招待計画など親日路線を明確にしていたからだ。中曽根氏は胡氏をおもんぱかり、中国とパイプのある稲山嘉寛経団連会長が訪中する際、中国側の本音を探るよう密使役を頼んだ▲稲山氏が帰国前日の早朝6時、宿舎に副首相級の党幹部2人が訪れ、深刻な表情で、ぜひとも参拝を中止するよう懇請した、という。「開明派の胡氏の失脚は世界と日本に甚大な損害を与える」というのが中曽根氏の最終的な判断だった▲結果的に胡氏の失脚は防げず、それが89年の天安門事件の遠因の一つになったのは歴史の教えるところだ。外交の難しさは、譲歩したように見えた方に実は余裕があって、高圧的な姿勢の裏には弱点が潜むことがままあることだ。もちろん、「靖国」と「領土」とは異なるし、あれから両国の力関係も相当変わった▲ただ、今回も未解明な点が多い。中国政権内部でどう意思決定されたのか。権力闘争があったのか。日本政府への伝達は表のルートだけだったのか。日中の将来を展望するためにも複眼的検証が必要だ。
毎日新聞 2010年10月4日 東京朝刊
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