DNA型鑑定

2009年04月25日

 新聞各紙が、いわゆる「足利事件」の再審請求審で再鑑定が行われた結果、犯人とされ無期懲役刑が確定している男性と被害者の衣類に付着していた体液では、DNA型が一致しなかった、と報じた。
 「足利事件」とは、1990年5月12日に栃木県足利市で4歳の保育園児が連れ去られ、殺された事件。翌年12月、同市内の幼稚園バス運転手だった菅家利和・現受刑者が、女児の下着についていた精液とDNA型が一致したとして逮捕された。任意の取り調べを受けた当初は否認していた菅家受刑者は、鑑定結果を知らされて犯行を認めたが、一審の途中から無罪を主張。しかし、主張は受け入れられず、2000年7月に最高裁で有罪判決が確定した。この最高裁判決によって、DNA鑑定という手法が初めて刑事裁判での証拠価値にお墨付きを与えられた。
 4月21日付東京新聞の記事によれば、検察側と弁護側がそれぞれ推薦した鑑定人の鑑定結果が、いずれも付着精液と菅家受刑者のDNA型が「不一致」と出たという。これが事実であれば、他に菅家受刑者と事件を結びつける物的証拠や証言がない限り、速やかに再審が開かれなければならないケースだ。
 
 DNAの型で個人識別を行う鑑定は、1980年代から刑事事件の捜査に導入が試みられていたが、本格的に有罪の決め手として使われたのは、この「足利事件」が最初。ただ、当時の鑑定は今より精度が低かったと言われており、弁護側は精度が格段に上がった現在の技術で再鑑定をやるべきだと主張してきた。
 再審が開かれ、無罪判決が出れば、この事件は殺人などの凶悪事件でDNA型鑑定を使って無実を証明した最初の事件、ということにもなる。
 
 アメリカでは、日本のより遙かに早く、DNA型鑑定が無罪の証明にも使われてきた。有罪になった無辜をDNA鑑定によって救おうと、法律家や科学者などで作られたNGOイノセント・プロジェクト(IP)によれば、すでに死刑囚17人を含む237人が再審無罪となった。
 最近では、強姦事件で有罪とされ、受刑中に病死したティモシー・コールさんについて、テキサス州オースティンの地方裁判所が4月7日、「100%無実だ」と宣言した。コールさんは1985年に起きた強姦事件で懲役25年の判決を受けた。1999年に刑務所でぜんそくのために死亡した時、彼は38歳だった。
 事件が公訴時効を過ぎた1995年に、別件で無期懲役判決を受けていたジェリー・ウェイン・ジョンソン受刑者が、自分が犯人であると告白する手紙を検察官と裁判官に送っていたが握りつぶされていた。後に行われたDNA鑑定では、ジョンソン受刑囚と事件の関連が証明された、という。
 IPの働きかけにより、ジョンソン受刑者が法廷で証言を行い、今回の裁判所の判断に至った。
 報道によれば、事件の被害者も、再審判決に立ち会った。被害者は、コールさんが無実だと知り、自分のせいでコールさんが犯人とされたのではないかと自らを責めていた。
 裁判官は、コールさんが犯人ではないことを示す証拠を無視した警察官の捜査を厳しく批判し、被害者がコールさんの自宅から押収された衣服などを「覚えていない」と言ったことも無視したと述べた。
 コールさんの家族は判決後、被害女性を抱きしめ「彼女が気の毒だ。(冤罪のために)二度も傷つくことになった」と述べた。
 
 また3月には、オハイオ州で2件の強姦事件で有罪判決を受け、25年間以上服役していた61歳の男性が、そのうち1つのケースでDNA型が異なることが分かり、釈放された。
 この男性ジョセフ・フィアーズさんは、仮釈放の機会を失っても無罪を訴え続けてきた。しかし検察側は、「すでに証拠は紛失した」として取り合わなかった。そんな中、地元新聞がキャンペーン企画「有罪判決を検証する」を展開。その中で取り上げた、別の受刑者のDNA鑑定が実現し、無実が明らかになった。この一件が、フランクリン郡オブライエン検察官に衝撃を与えた、という。オブライエン検事は部下に命じ、フィアーズさんの件と別の受刑者の件についての証拠類を探した。そして被害者の体内から採取した顕微鏡用スライドを発見。それをFBIのデータベースにかけると、すでに死亡したミシガン州の重罪事件の犯人のものと一致した、という。
 オブライエン検事は、フィアーズさんの釈放に同意。有罪となった2件のうち、もう一件に関してもフィアーズさんの弁護士は無罪を求めていくと述べた。オブライエン検事は「弁護士には協力する。私は、公正と正義を求めているだけなのだから」と、地元紙の取材に答えている。
 
 この2つの事件から分かるように、冤罪は誤って犯人にされた人たけでなく、その家族、そして事件の被害者をも苦しめる。
 アメリカでも、無実の訴えがすぐに聞き入れられるわけではなく、冤罪を晴らすのは容易ではないようだが、ひとたび有罪判決に疑問が生じれば、その後の動きは速い。検察や裁判所が、何が何でも過去の有罪判決を守ろうとするのではなく、誤った裁判が行われいればそれを正すのも正義であり、自分たちの役割だと心得ているからだろう。検察官や裁判官の仕事は、過去の有罪判決を死守することではない。「公正と正義を求めているだけだ」というオブライエン検察官の言葉は、とても印象的だ。
 翻って、日本の裁判所や検察はどうだろうか。
 ひとたび出た有罪判決は、何が何でも守ろうとして必死になって、再審をできるだけ開かないように、最大限の努力をする。犯人とされた者と事件とを結びつける証拠が崩れた後でも、なかなか改めない。検察は無罪方向の証拠を隠し続け、裁判所はあれこれ理屈をこねて、再審開始決定を出さない。名張毒ブドウ酒事件のように、物的証拠が完全に崩れて、ようやくまっとうな再審開始決定が出されても、別の裁判官が「だって自白してるじゃないか」と、その決定をひっくり返してしまう事態もある。検察官以上に、裁判官には過去の確定判決にしがみつく傾向が強いように思われる。
 その伝でいくと、足利事件の場合も、「DNA型鑑定は違ったかもしれないが自白があるじゃないか」と再審を開かない判断をすることも考えられる。新たな鑑定が出たからといって、決して予断を許さない状況だ。裁判所がどういう結論を出すのか、しっかり注目したい。
 卑劣な犯罪にはとことん厳しく。無辜は速やかに救済を――これが、多くの国民が刑事司法に望んでいることだと思う。検察官や裁判官には、そういう使命感をもって仕事に臨んで欲しい。
 刑事司法に対する信頼は、再審無罪を出さないことによってではなく、過ちは速やかに正されることによって醸成される。
 そのためにも、たびたび言ってきたことではあるが、再審請求を審理するのは、今のような職業裁判官ではなく、検察審査会のように一般市民が判断するか、もしくは裁判員方式で職業裁判官と一般市民の合同チーム(ただし人数は一般市民の方が多い)によって行うようにすべきだ。
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