第一章

神仙の郷

−−幻想的な日本像


『中国史のなかの日本像』

王 勇

 

 ■まえがき

 ■「倭」の地理像

 ■後漢書』の倭国像

 ■東夷観の成立

 ■注釈

 

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第一章【註釈】

(1)石原道博「中国における日本観の端緒的な形態」(『茨城大学文理学部紀要(人文科学)』第一号、一九五一年)。

(2)袁珂著『山海経校注』(上海古籍出版社一九八〇年版)三二一頁を参照。ちなみに、「蓋馬」の位置について、唐の李賢は『後漢書』に「蓋馬は玄菟郡の県名である。その山は今の平壌城の西にある」と注記している。

(3)中国人学者の諸説は武安隆ほか著『中国人の日本研究史』(六興出版一九八九年八月版)一九頁注(1)に挙げられた文献を参照されたい。日本人学者による諸説は国分直一氏著『東シナ海の道−−倭と倭種の世界』(法政大学出版局一九八〇年五月版)一五四〜一五八頁に詳しい。

(4)鳥越憲三郎「『倭人』とその渡来」(中西進・王勇共編著『日中文化交流史叢書・人物』所収、大修館書店一九九六年十月版、三一頁)参照。

(5)古田武彦著『邪馬壹国の論理』(朝日新聞社一九七五年版)。

(6)松下見林著『異称日本伝』巻上一。




作成 浙江工商大学日本文化研究所