第一章

神仙の郷

−−幻想的な日本像


『中国史のなかの日本像』

王 勇

 

 ■まえがき

 ■「倭」の地理像

 ■後漢書』の倭国像

 ■東夷観の成立

 ■注釈

 

目録に戻る

 

 

 

 

 

『呂氏春秋』

  紀元前239年に秦の宰相である呂不韋が編さんし、当時の天地万物の知識や学説等をすべて網羅していたとされる類書。

 中国人の持つ日本像を解きあかすにさきだって、古代中国の宇宙図式をまず理解しておく必要があるように思われる。というのは、秦漢より清末に至るまで、中国人の外部世界への認識は、ほとんど既成の宇宙図式に左右されているからである。

 ところで、中国人の宇宙図式とは、どんなものであろうか。かいつまんで紹介すると、次のごとくである。

 春秋戦国(前七七0〜前二二一)の時代は、孔子や老子らをはじめ異色の学者が輩出し、思想学問の論争が盛んに行なわれたことによって特徴づけられる。そのなかで、北方の周文化圏に属する五行家たちは、自然万物より木火土金水といった基本元素を抽出して、これらの元素の相生相克の理論をもって、宇宙のメカニズムを説きあかそうとする。

 こうした北方の経験的・即物的・動的な宇宙観に対して、南方の楚文化圏に属する道家らは従来の陰陽説を吸収し、さらに森羅万象の究極のところに「道」「無」「太一」の概念を設定して、抽象的・瞑想的・静的な宇宙観を築きあげたのである。

 紀元前二四六年、「戦国七雄」のひとつに数えられる秦は、始皇帝の改革によって国力を強めつつ、中原に鹿を逐おうとする競争相手の韓・趙・魏・楚・燕・斉をつぎつぎとほろぼして、中国統一の大業をなしとげた。秦王朝のもとで、貨幣・文字・度量衡がひとしく統一され、強力な中央集権のイデオロギーは社会の隅々にまで浸透していった。その勢いの赴くまま、人間界の原理と法則は自然界、さらに宇宙にも押しつけられるようになった。

 『呂氏春秋』などに描かれている宇宙秩序はまさしくその結果であろう。そこには秦の統一王朝にふさわしい南北論理の融合がみられ、太一は陰陽にわかれ、陰陽から五行を生みだし、森羅万象はまた五行に対応される、といった気宇壮大にしてかつ秩序整然とした図式が展開されている。

 右の宇宙図式は自然界と人間界のすべてをことごとく包容している。たとえば、物質・時間・空間・民族をそれに即して図示すると、次のようになる。 

陰───陽

[物質]木  火   土   金  水

[時間]春  夏  土用  秋  冬

[空間]東  南  中央  西  北

[民族]夷  蛮  中華  戎  狄

  秦代に大成をみた陰陽五行を骨子とする宇宙観は、時間的には二千年来の中国人の思考様式を特徴づけ、空間的には東アジア諸国の制度・思想・宗教・風俗・社会の隅々にまで影を落としている。したがって、中国人の世界観および日本観も、この宇宙図式と関連して検討しなければならない。




作成 浙江工商大学日本文化研究所