|
オマエに云っておくことがある。
オマエ等創賊は、大石寺門流の伝統教義を破壊することに血道を挙げておる。それは、正宗の化義・化法を破壊することによってオマエたち創賊を浮き上がらせようとする稚拙な妄論によるものである。
与えて云おう、仮に・仮にである。オマエたち創賊の主張のごとく、興尊に二箇相承が無かったとしよう。宗祖からの唯授一人の血脈相承が無かった、としよう。与・奪・破の「与義」による創賊に与えて云う仮説である。
当時の六老門下の現状を見よ。
(一)、宗祖の第三回忌にあたり、身延山久遠寺に登った六老最古老の日昭師は、宗祖が久遠寺に備え門下の弟子が久遠寺に登山したおりに披見せよと云い残された遺戒に背き、註法華経を勝手に持ち去り久遠寺を去った。これは大導師の行いではない。
(二)、同じく日昭師の甥にあたり、宗祖がご実の子供のごとく愛された日朗師は、宗祖が墓所のかたわらに立て置けと遺言された遺戒に背いて立像釈尊像を持ち去った。これは日興上人が「奪い取った」と非難したごとき宗祖違背の行為である。これは大導師の行いではなかろう。
(三)、駿州の教区をまかされた日持師は、布教の責任を放棄して海外布教に旅立たれた。これは大導師の行いとは云えない。
(四)、日頂師は富士の日興上人に帰依し、重須に遷化されている。これは大導師の振る舞いではない。
(五)、日向は、身延山久遠寺の日興上人のもとに下って学頭職に就いている。これは日興上人の下位を認め甘んじたもので、大導師の行為ではない。
(六)、日興上人はご自身が身延山久遠寺を離山するにあたり、『原殿御返事』に、
「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ、日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当つて覚え候えば、本意忘るること無くて候」
と、この一文を拝して落涙の思いが涌かないものは宗祖の門下とは云えまい。『原殿御返事』は以下の御文で結っせられている。
「元より日蓮聖人に背き進する師共をば捨てぬが還つて失にて候と申す法門なりと御存知渡らせ給うべきか。何よりも御影の此の程の御照覧如何か。見参に非ざれば心中尽くし難く候」
と、
アホロムよ、これらの史跡を考察すれば、五人所破抄において「天台の弟子を名乗った五老僧」と、宗祖大聖人の弟子を名乗った日興上人と、どちらが宗祖の御本意を悟られていたかは明白である。
アホロムよ、オマエの意見を述べよ。
法太郎・敬白。
※それにしても、良い掲示板になっているのう。富士宗学研究と称する謀略団は、虎視眈々
と狙っておるであろうが、それで良い。
もし、教義無用の謀略でオレたちに対応するのであれば、それもよかろう。いつでも来い。
実世界で知られたオレやれいな君と対等に闘おうとするのであれば、オマエたちは実世界に
降りなければならなくなる。
それが出来ないオマエたち創賊謀略団には限界があるのダ。オマエたちがオレの警告を受け
入れるので有れば、オレも引くことにやぶさかではない。よく、考えることである。
・
|
|