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鉄オタ社長独り言

フラワー長井線「カリスマ?販売員」誕生物語(2)

張り切っている野道君
(入社したばかりの頃。長井駅のホームにて)

 「ウチで働いてみないか?」

 私は、さっき知り合ったばかりの男性にとんでもない発言をしてしまいました。その男性の名前は野道大君。37歳・独身。転職を5回もして素性もよく分からない人物です。だだ一つだけわかっていることは、筋金入りの「鉄ちゃん」ということだけです。

 「こんな私でも、東京で仕事を持ってますし、彼女だって一応いるんです。どうしようかな?……でも、働かせてください。私なんかでも大丈夫なんでしょうか?」と野道君。

 「あのな。はっきりしろよ! まぁ、やる気があっても、面接通らなければダメ。ちゃんとそれなりに応募者だっている。公明正大に選考させてもらうのが前提だぞ」。私は、きっぱり言い切りました。

 結果、彼は東京の生活をすべて捨て、我が社の面接を受けることとなるのです。

 「あ・あのぅ。の、野道大と申します。わ、わたしは、山形が大好きで、でして……」

 我々面接官まで伝染してしまうくらい、彼は緊張しまくっています。顔面蒼白でほとんど何も言えないまま、面接時間は無残にも過ぎ去ってしまいました。

 「最後になにか言い残すことは?」私は、死刑の宣告を告げるように、野道君に声をかけます。

 「お願いです! 私を雇ってください! なんでもします!」

 気がつくと、彼は土下座をして頭を深く下げていました。

 (う〜ん。熱意だけはだれにも負けない。いろいろ問題のある人物だが、その意気込みだけは、買おうではないか! この世にダメな人間なんていない。この際、彼がどれだけ輝ける人物になれるのか、かけてみよう!)と、私は、青くさい理論を自分自身に言い聞かせ、彼の採用を決めてしまったのです。

 しかし、それが私にとって大変な試練になろうとは、このときは想像だにしませんでした。

 今年の新人は4人。あとの3人は20代の女性。男性は野道君1人だけです。社会人経験が豊富な先輩として野道君に3人を引っ張ってもらえるものだと期待していた私が浅はかでした。彼は、社長である私とちょっと面識があるからといって「俺様は君たちとは別枠だ」と言わんばかりに、やたらと先輩風を吹かしています。

 例えば、「鉄道会社の社員なんだから、鉄道雑誌を購読して勉強しなくちゃダメだよ」とか、「モハ」だの「クハ」だのと、車両の形式の講釈なんかもしています。野道君は、本当に余計なお世話ばかりする世話焼き社員なのでした(苦笑)。

 そんな彼の仕事ぶりは、「企画やってます」とばかりに、一日中、パソコンの前にかじりついています。しかし、1か月たっても、企画書はおろか、まともなアイデアのひとつも出て来やしません。出て来たのは無駄にプリントアウトされた資料の山と周囲の社員のため息ばかりです。

 「野道君は鉄道好きなんだから『鉄ちゃん』の気持ちがよくわかるよね。だったら記念キップでも作成してみないか?」と、彼の上司の朝倉課長は、野道君に課題を与える作戦を思いつきました。

 「ぜひやらせてください!」

 さっそく食いついてきた野道君。鉄道のこととなると、目がキラキラ輝きます。そんな彼の初仕事は「すごろくキップ」の作成です。フラワー長井線と他の鉄道会社の路線図をすごろくに見立て「遊べる記念キップをつくろう」という、なかなか楽しそうな企画です。

 しかし、待てど暮らせど、パソコンに向かっては、ため息ばかりつく野道君。呆れた同期の大塚さんがサクサクと「すごろくキップ」の試作品をものの1時間で完成させてしまいました。大塚さんは地元芸術大学の出身。こんな作業は朝飯前です。

 野道君は、これ幸いと言わんばかりに、あたかも自分でやったかのように涼しい顔で作成苦労話をするものですから、大塚さんも内心穏やかではありません。

 「社長! 私、どうすればいいんですか? これじゃ野道さんの仕事がなくなっちゃいますよ。それに、野道さん自身が育たないし……」

 そう、言われてしまっては、私も立場がありません。

 「野道! お前のパソコンは取り上げだ! 明日から草むしりでもしてろ!」

 「でも、すごろくキップはどうするんですか!」

 野道君も負けじと反論して来ます。

 「ばかやろう! なにが、すごろくキップだ! お前なんかさっさと『ふりだし』にもどっちまえ!」

 とうとう私の堪忍袋の緒が切れてしまいました。

同期の新入社員4人です

 ご飯をおごっても「ごちそうさま」といえない野道君。彼のために叱ってやれば「ちぇっ!」と舌打ちをする始末です。

 人の話もロクに聞かず、話に興味のないときはいつも「だんまり」を決め込んでしまいます。いざ、鉄道の話になると饒舌(じょうぜつ)になるのですが、そんな野郎にいくら仕事を教えても、気力が失せてしまうだけです。

 感情がないというか、「自分自身」がどっかに行っちゃっているのか「あの鉄道がこうだ」とか「この鉄道はこうやって再生した」とか、インターネットの検索エンジンみたいな人間なのです。

 いつだったか、野道君とウチの家族で食事を共にすることがありました。

「野道さんていう人、事実しか述べないから、つまんない」と娘が言ってました。う〜ん、やはり子供は正直です。

 何も出来ないくせに、プライドだけは高い。しかも、私のことを「友達」だと思っている野道君。釣りバカ日誌の「浜ちゃん・スーさん」の関係みたいな仲だとも思っているのでしょうか?

 (このままでは彼の為にも、他の社員にも良くない影響を与えてしまう)
 私は、心を鬼にして、やんわりと彼を諭さねばいかんと思い立ちました。

 早速、長井市内の中華料理店に彼を誘います。ここの「エビチリ」は辛くてとても美味しいのです。しかし、今日は、料理だけでなく「辛口な言葉」を野道君に言わなければなりません。とても気持ちが重いです。

 野道君は、私のそんな気持ちなどおかまいなしに、料理に舌鼓を打ち、紹興酒なんかも嗜(たしな)みながら、ご機嫌な様子です。

 飲み慣れない酒で、ろれつが回らなくなってしまった彼。そう、野道君は、酒を飲むとネガティブになってしまう傾向が少なからずあるのでした。そんな肝心なことを忘れていた私が迂闊(うかつ)でした。

 「私だって、一生懸命にやっているんですよぉ。野村社長が来てくれ!と言うから、ここに来てあげたんじゃないですか……そんな言い方されるなんてひどいですよぉ!」。

予想どおり、野道君が私に絡んできます。

 「……」
 私は、とにかく彼の話を聞くことに徹します。

 「社長! この際だから言っちゃいますけど、『野道君は、会社の為に仕事してるんじゃない。野村社長の為に仕事してるんだよ』ってみんなに言われてるですよぉ……」

 「……」

 「私はね、休みの日だって、野村社長の駄菓子屋のお手伝いをしました。東京まで付いて行って、社長の講演会で物売りもしました。交通費なんか自腹でね。冗談じゃないっすよ……」。彼は、かなり自虐的になっています。

 「野道君それは誤解だよ」と、私は、努めて冷静に彼をなだめました。

 「いや。誤解なんかじゃない! 私は、良かれと思ってやったんですよ。それなのに……やっぱりこんな所、こなきゃよかった! 私は社長を見損ないました! もう東京に帰らせていただきます!」彼は、さらに声を荒らげ、机に突っ伏し泣きじゃくってしまいました。

 その勢いで、紹興酒のボトルが倒れたのか、テーブルの上には茶褐色の液体が広がり、床にまでポタポタとしたたり落ちています。まさに修羅場。『覆水盆に返らず』とはこのことです。

 『ガシャン!』……けたたましく何かが割れる音がしました。

 「誰が、お前なんかにウチに来てくれと頼み込んだんだ! 土下座して雇ってください!と頼み込んだのはどこのどいつなんだ!」

 私は、1万円札を思いっきり、野道君に投げつけると、勢いよく店を飛び出してしまいました。

 ……この話は次回に続きます。

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山形鉄道株式会社社長 野村浩志
 1968年2月、埼玉県生まれ。駒沢大学文学部地理学科卒。元来の「鉄道オタク」。鉄道風景画の「移動美術館」をフラワー長井線の長井駅前で開く。街の活性化の手伝いをしているうちに、その鉄道会社の公募社長に選ばれた。 山形鉄道のURLは、http://www.flower-liner.jp/
 
2010年09月30日  読売新聞)

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