ガサガサと森の中で草がかき分けられ、踏みつけられる。
音を立てているのは中肉中背の青年であり、その手には竹で編まれたつぼ型のかごが提げられている。
山の奥深くまで進んでいる青年はまだまだ余裕があるらしく、足取りも軽々としていた。
ここは青年しか足を踏み入れない聖地。
貴重な薬草が他者のことを気にせずに採れるし、獣などを狩ることもできる。
つまるところ、彼にとっての仕事場だった。
そして、今日も青年は薬草を採取していた。
「ん?」
だが、青年には僅かな違和感が感じられた。
虫や動物たちの気配が少ないのだ。毎日響かせている鳴き声などは一切聞こえない。
「なにかあったのか?」
青年は考える。
ここに来るまでは異常らしい異常はなかったので、なにかあったとすればおそらくもっと奥の方だ。
動くべきか。帰るべきか。
青年は少し躊躇ってから結局動くことにした。
手に提げていた薬草入りのかごは何があってもいいようにその場へと置く。
そして自分の懐に手を入れて己の武器を忘れずに持ってきていることを確認し、慎重に行動を開始した。
■
あちこち探し回っている中で、青年はなにかに気づいて急に足をとめた。
「血のにおい……か」
職業が職業故に幾度となく嗅いだ事のある匂いだった。
獣のものではなく、どちらかというと人間の血のにおいに近かった。
少々鼻につくその匂いは出所を十全と教えてくれる。
「――あっちだな」
嗅いだ匂いの濃度からいって、流れている血は少量ではすまなそうだった。
自然、彼は速度を一段階あげる。
(馬鹿な客か、それとも遭難者か。どっちでも面倒な事態になりそうだ)
位置的にはこの場所からさほど離れていない。
後数十メートル程度のはずなのだが、なにせ視界が悪い。
どんなことが起きても対処が可能なように警戒を張り巡らせる。
「……ん」
「――っ!」
手前にある茂みの中から声がした。青年はその声に反射的に後方へ跳んだ。
着地した後身を低くするが何も起こらない。
青年はたっぷり数秒待ってから、ゆっくりと茂みに近づいて行った。
そして、茂みをかき分けた。
「なっ――!?」
そこにいたのは、全身を血で濡らした少女だった。
頭のてっぺんからつま先まで至る所に血がこびりついている。
さらに、その少女の背中には――
「くそっ!」
青年は少女が生きているのを確認するとすぐさま応急処置をその場で行い、背中に背負うと来た道を戻りだした。
■
「……ここは?」
「おれの家だよ」
目を覚ました少女に、青年は振り返るようにして答えた。
少女は布団でくるまれるようにして寝かせられており、青年は料理を作っていた。
青年を中心にいいにおいが漂っている。
「私、死んだはずじゃ……」
「確かに致命傷だったな」
それほどまでに少女の怪我は酷いものだった。放置していれば死んでいただろう。
体中についていた細かな切り傷は大したことはなかったのだが、問題は袈裟に斬られたであろう大きな刀傷だ。
加えて、失血も多すぎた。あの状況からここまで回復したのは、青年が医者であったことと彼独特の医術のおかげといえた。
「あなたが助けてくれたの?」
「ああ。まぁ偶然だけどな」
「そう……ありがとう」
「困った時はお互いさまってやつだ。気にするな」
それよりも、と青年は言いにくそうに言葉を口にする。
「背中のは……羽なのか? いや、俺が幻を見た可能性もあるんだが」
そう。それは彼が一番気になっていることだった。
青年が少女を発見した時は確実に見たであろう背中の紅に染まった羽は、背負ってここまで来る間にいつの間にか消えてしまっていたのだ。
一瞬自分の目を疑っていたが、どうしてもあの光景が頭から離れなかった。
しかし、結果的に今の彼女に羽はない。
だから青年は少女が一度でも否定すればあれは幻覚だと思うことにしていた。
少女の答えは非常にあっさりとしていた。
「そうよ」
肯定的な意味で。
それに対して青年は
「そうか」
と返しただけだった。
青年にとっては別に少女に羽がついていようが腕が八本ついていようがさほど気にはならなかった。
大事なのは少女が青年の患者であることと、少女が生きているという事実のみ。
今の質問はただの好奇心。
だからこそ、彼は少女に尋ねるのを躊躇っていたのであった。
まぁ当人があまり気にしていないので杞憂に終わったようだが。
「なんにせよ、生きててよかった」
「……ありがとう」
「だからいいって。折角目を覚ましたことだし、飯でも食べますか」
「わかった」
少女は自然な様子でまずは上半身だけ起き上がろうとしたが、体に力が入らないらしくすぐにぽすっと布団の上に倒れこんだ。
「あんまり無理するな。食わせてやるからそこで寝てろ」
「でも……」
「患者は医者の言うことに従うの」
有無を言わせない青年の言動に、少女はわかったと呟いて大人しく待っていることにした。
それに満足したのか青年は一つ頷くと、慣れた手つきで料理を仕上げていく。
食欲をそそる匂いが少女の鼻孔をくすぐった。
■
今日の料理は粥一品だった。
粥といってもただの粥ではなく、料理にこだわりがある青年は病人用に味と栄養に気を使ったアレンジを加えていた。
故に――
「……おいしい!」
それは美味であり、少女は感嘆の声をあげる。
「それは良かった」
褒められた青年は機嫌を良くし、再び粥を掬って少女の口元へと運んだ。
それを少女は小さな口をあけて食べ、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。
青年は食事の合間を見計らって声をかけた。
「そういや名前聞いてなかったな。なんていうんだ?」
「……サーシャ」
「サーシャ、か。呼び捨てでいいか?」
「構わない」
「ん。俺はサクヤだ。まぁ適当に覚えててくれ」
「サクヤ?」
「そうだ。何か用があったら呼んでくれ」
「わかった」
最後の一粒まで食べた少女は、腹が満たされて眠くなったのか軽く欠伸をした。
「まだ体力が戻ってないんだから、そのまま寝とくといい」
少女は一度小さく頭を縦に振り、すぐに寝息をたてはじめた。
■
サクヤの家は二つある。
一つは薬の調合と保管を目的とした家で、もう一つは生活を目的とした家だ。
その二つは青年の仕事場である山の麓にあった。
山といっても標高は低く、さほど大きいわけでもない。
どちらかというとそれは森に近かった。
■
サァァァと木の葉どうしが擦れ、その間からやや赤みがかかった陽光が漏れている。
目を凝らせば四方八方に活動を始めた虫たちが見える。
だが木にもたれて遠いどこかを見ている青年――サクヤはそんなことに気づきもしなかった。
サーシャ、と少女は名乗っていた。
白い白い、どこまでも白い少女はこの山でその身を紅く染めていた。
あどけない少女につけられた大きく深い刀傷。
治すことには成功したが、誰かがサーシャの命を狙っていたことは確かでサーシャ自身もそれを受け入れていた感じがした。
(わけありみたいだから少し注意しとくか)
厄介事に巻き込まれたのか。
存在自身が厄介事なのか。
誰が何のためにサーシャを斬ったのか。
どうしてあの場所に倒れていたのか。
疑問は次々と浮かんでくるが、情報が足りなさすぎるのでいくら考えても解決されることなく疑問のまま処理される。
追手が来ないとも限らない。
警戒するに越したことはないだろう。
面倒事は極力避けたかったが、サーシャはサクヤの患者だ。
少なくとも自分からどこかに行かない限りは見捨てることは出来なかった。
幸いなことに山の周辺のこの土地一帯は国に保護されている。
加えて昔立てた功績によりサクヤはここの私有を認められている。
サクヤの友人や患者以外でこの土地に足を踏み入れるということは難しいといえた。
だから、警戒するのは新たな患者だけでいい。
(もっとも、国相手じゃどうしようもないけどな)
せめてサーシャがそんな大物に狙われていないように、とサクヤは願った。
「ま、なんとかなるか」
一つ呟いて、肌寒くなってきた空気を後に家へと戻って行く。
■
家に入ると少女は既に起きていた。
まだ力は入らないらしく布団の上で横になっている状態だったが、両の目はぱっちりと開いており瞳は天井に向けられていた。
「起きてたのか」
「ん」
確認するように言うと軽い返事が返ってくる。
「どっか痛むところはあるか? 違和感がある所でもいい」
「大丈夫。なんともない」
「そっか。ならよかった」
「ん」
伺うようなサクヤの質問にサーシャはやはり軽く返した。
サーシャは言い方は悪いが【普通ではない】ので心配したのだが、どうやら杞憂だったようだ。
安堵して、ホッと胸を撫で下ろす。
やはりある一点を除いたらサーシャは【普通】のようだ。
「なぁ、どうやってこの山に入れたんだ?」
「……山? ここは山なの?」
「そうだ、知らなかったのか?」
サーシャはコクリと首肯する。
表情には戸惑いの色が見えた。
「私は――何があったのか思い出せない」
ポツリと、漏らした。
(軽度の記憶喪失か)
「そっか。思い出せないなら無理に思い出そうとする必要もない。自然にひょっこり思い出すだろ」
「ん、わかった」
「多分明日には体は動かせるようになる。まだ絶対安静だけどな」
笑いながら乱れている布団をサーシャにかけなおす。
「それじゃ、また明日」
「ん」
そうしてサーシャは再び眠りについた。
「さて、と」
サクヤは静かに家から出て、もう一つの家へと足を運ぶ。
今日中に終わらせなければいけない仕事がまだ終わっていないのだ。
採った薬草を調合して、きちんと保存しなければただの雑草となんら変わりがなくなってしまう。
「頑張りますか」
朝までは時間がある。
夜はまだ、始まったばかりだった。
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続く……?
アドバイスにより、題名を変えました。