DUO
 ディオは、ニックネームがポンタ、とミッコの二人のバンドだった。
 ミッコがピアノを弾き、ポンタがギターを弾き二人でハモル、二人だけのバンドだった
 
 彼らは、KBCのラジオ番組を持っていた。
 深夜の0時から始まるトーク番組であった。

 福大フォークソング愛好会にポンタが入ってきたのは我々がJEFFを結成したばっかりの頃だった。
 彼は、JEFFの練習を何度も見に来ていた。

 ある日、JEFFの練習が終わって、ポンタと話すと彼は大阪からきていて、我々より2歳年上だった。 
 大阪の短期大学を一旦卒業して、福大に入ったらしい。

 彼の顔つきからして、とても信じられなかった。

 「ほんとうかい?」

 「本当ですよ。ほらこれが学生証です」
 と生年月日の入った学生証を我々に見せてくれた。

 その学生証には我々より2年前の生年月日が印刷されていた。

 「本当やないか」と幼い顔つきから想像もできなかったが、事実だった。



 その頃、フォークソング愛好会にメッチャ可愛い女の子が入ってきた。
 それが、ミッコだった。

 この二人が、バンドを組んだと聞いてまたまた信じられなかった。
 
 これは、絶対裏があると私は睨んでいた。

 そしてこの感は当たった。
 数年後、二人が結婚したのである。
 私は「やっぱり」と思った。

 そんな、彼らに、ベースとして加わることとなった。

 デュオの練習場所は、超豪華であった。

 彼らは、ラジオの番組を持っていたので、KBCのスタジオが空いていたらそこで自由に練習ができた。
 歌え若者の公開録音をしている第一スタジオだった。

 このスタジオにはピアノが据え付けられており、私のベースアンプを持ってきて、思う存分ボリュームを上げて、時間に関係なく練習ができた。

 最初に練習した時に、私はJEFFとの大きなギャップを感じた。
 
 彼ら二人はリズム楽器なしで練習していたが、私は三島のドラムに合わせて演奏していたので、最初の曲あわせから全くリズムが合わなかった。

 これには、かなりの時間をかけざるを得なかった。

 デュオに加入して、ワクワクすることがあった。
 それは、JEFFのころは、ベースはあくまでもリズム楽器の位置づけしかなく、ドラムとあわせることが最も重要で、おかずを入れることはあまり、好まれなかったが、それでも、盛んにおかずを入れまくって、顰蹙をかっていたが・・・・・。

 デュオに入ったら、リズム楽器であり、リードベースであり、自分の思うように弾けることからだんだんと面白くなっていった。

 デュオに加入して、最も面白いと思ったのが、KBCへ自由に出入りでき、歌え若者を担当していた、徳永アナウサーや岸川ディレクターとも、親しく話せたことだった。
 そして、他のアナウサーとも親しくなり、KBCに出入りするタレントも紹介され、本当に芸能人になった気分になっていた。

 そして、得したことは、放送局へレコード会社から視聴版として、発売前のレコードが山のように送られてきており、その大半が捨てられることになる。
 これが、私にとっては宝の山だった。

 「これ、持ってかえっていいですか」と岸川さんに聞くと
 
 「ああ、いいよ」と軽い返事。そして
 
 「これも、これもいいよ」と次から次と視聴版を出してきて私に手渡すのだ。
 
 私は、「スゲッー!」普通だったら何千円も出して買わなければならないレコードがただでてにはいるのだから、堪えられない。

 早速、家に持って帰って聞いてみる

 しかし、私はがっかりすることになった。
 
 流石、視聴版だけあって、とてもヒットするような曲は殆どなかった。
 
 「やっぱー視聴版ばい。つまらん」
 
 
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