フルラウンド闘い抜いた体に、確信が宿る。12回を終えた李冽理は、力強く右腕を突き上げた。「新チャンピオン!」。コールが響きわたると、「人生をかけてリングに上がった。感無量です」。声が震え、号泣した。
身長差で10・3センチ、リーチで8センチ上回る体格の違いを生かしきった。前進してくる王者に、左ジャブを突き刺して距離を取る。接近戦になれば右アッパー、右ストレート、左フックをまとめ打ちし、主導権を握った。5回には王者の左目上をカットさせ、相手を懐へ入れさせなかった。
4年間負けなしのプーンサワットに比べて実績はなく、初の世界挑戦。WBAから派遣されたイタリア人の立会人は「ビッグ・アップセット(大番狂わせ)」とつぶやいた。
リングサイドには尊敬するアニキがいた。大阪から応援に駆けつけた元WBC世界フライ級王者・徳山昌守氏(36)だ。中学までバスケットボールをしていた李冽理は、同じ在日3世を公言して世界の頂点に就いた徳山氏の活躍に刺激を受け、大阪朝鮮高からボクシングを始めた。プロ入りの際にも後押しした徳山氏は「自分のボクシングを貫き通し、相手を焦らせたのが最大の勝因。腕っ節が強いヤツじゃなく、うまいやつが勝つんだ」。
2人のオヤジにも恩返しができた。08年2月にがんで亡くなった父・吉春さん(享年62)は「個の力」をとき、個人競技を勧めてくれた。もう1人は、同年6月に息を引き取った横浜光ジム・関光徳前会長(同66)。ジムで李冽理とミット打ちをしている際に、倒れてこの世を去った。
「2人の墓前にベルトを持っていきたい」。動かし続けた両足裏の皮はズルむけになり、激しく出血していたが、最後まで痛みは感じなかった。(江坂勇始)