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“日本の母”池内淳子さん死去していた

「放浪記」1961年の初演時ポスターを前に笑顔を見せる森光子(左)と池内淳子さん=2004年11月15日、都内のホテル
「放浪記」1961年の初演時ポスターを前に笑顔を見せる森光子(左)と池内淳子さん=2004年11月15日、都内のホテル

 ドラマ「女と味噌汁」や映画、舞台で幅広く親しまれた女優の池内淳子(いけうち・じゅんこ=本名・中沢純子=なかざわ・すみこ)さんが、9月26日午後4時21分、肺腺がんのため都内の病院で死去していたことが30日、明らかになった。76歳だった。葬儀は28日に近親者のみで行われ、お別れの会が11月4日に開かれる予定。

  ◇  ◇

 池内さんは07年4月に間質性肺炎、胸水貯留のために舞台を降板。治療の際、肺腺がんが発見され、抗がん剤治療を続けていた。一度は回復し、女優業に本格復帰。今年5月まで舞台「三婆(さんばば)」に出演したが、同月16日の千秋楽後に再発が明らかになり、再び治療のため、都内病院に入院していた。

 入院中には、代表作「女と味噌汁」や「渡る世間は鬼ばかり」などでコンビを組み、50年以上の付き合いのあったテレビプロデュサーの石井ふく子さんに電話をかけて雑談する元気もあったが、26日になって急変。3人の妹や石井さんにみとられながら亡くなった。

 石井さんは「容体が急変し、病院にうかがったときは、大きい声で呼びかけたけど、答えてくれず、お別れになってしまいました。あまりにも早すぎます。日曜劇場(TBS系)の最多出演女優は池内さん。他人に優しく気遣いも素晴らしい庶民的な女性で、何かに決して染まらない、まるで『白い花』のような方でした」と悔やんだ。

 1955年に映画デビュー。60年に主演した昼ドラマ「日日の背信」で、メロドラマブームの火付け役になり、高度成長期にスター街道を駆け上がった。

 私生活では56年にボードビリアンの柳沢真一氏と結婚したが翌年に離婚。それでも65年から始まったドラマ「女と味噌汁」が大ヒットし、“理想の母親”の象徴的存在となった。73年から87年までは「ほんだし」(味の素株式会社)のCMに出演。「かつお風味のほんだし」のフレーズは、子どもたちも口ずさんだ。03年のドラマ「白い巨塔」でも主人公の外科医、財前五郎の母親役を演じた。

 近年は舞台で活躍、息長い女優人生を送った。治療と並行し、昨年の「三平物語」、今年の「三婆」など舞台に立ち続けた。関係者は「(「三婆」では)食事がのどを通らずつらかったと思うが、そんなそぶりは全然見せなかった。今年いっぱい治療に専念して、来年には復帰したいと話していた」と振り返った。

 最後まで、凛(りん)とした姿で芝居への情熱を静かに燃やしていた池内さん。お茶の間で愛され続けた女優らしい女優がまた1人、旅立った。

(2010年10月1日)

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