時代の風

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時代の風:「ホメオパシー」をめぐって=精神科医・斎藤環

 ◇背景に自己承認の要求

 代替医療として知られる「ホメオパシー」にまつわる事件が、このところ立て続けに起きている。

 そもそもの発端は、本年5月に、ホメオパシー治療で乳児が死亡した事件の訴訟が山口地裁で起こされたことだった。助産師のアドバイスで一般に使用されるビタミンKを乳児に投与せず、ホメオパシーのレメディー(砂糖玉)のみ投与したため、乳児がビタミンK欠乏性出血症で死亡したというものだ。

 このほかにも、やはり本年、東京都国立市に住む40代の女性が、進行した悪性リンパ腫の治療をホメオパス(施術者)にゆだねて病院を受診せず、そのまま死亡するという事件もあった。

 これらの事件をきっかけとして、まずネット上でホメオパシーへの批判や告発が急速に広がり、マスコミでも次第にその危険性が報道されるようになった。

 ホメオパシーとは、約200年前にドイツの医師ハーネマンによって創始された治療法である。ある症状を起こす物質を非常に薄めた状態で砂糖玉にしみこませて服用すると、その症状が治癒するという理論に基づいている。

 しかし本年8月、日本学術会議はホメオパシーに関する会長談話を発表し、効果をほぼ全面的に否定した。ホメオパシーにはいかなる科学的根拠もなく、医療現場で用いることは慎むべきである、と。

 しかし、それでもなおホメオパシーにすがる人々がいる。その中には少なからず著名人の名前も見られる。<信者>は家族にもそれを強要する傾向があり、こうなると問題は輸血を禁ずるカルトなどと同様のものになってくる。

 ホメオパシーは自然治癒力を重視するため、抗がん剤やワクチンなどの西洋医学と敵対しがちだ。過激なホメオパスは患者に医療との接触を全面的に禁ずる場合もあって、こうした行為は問題である。

 ただ、このところのいささか過剰とも思われるバッシングには、別の意味で危険も感ずることがある。

 まず第一に、バッシングの過剰な盛り上がりは、重要なトピックを<祭り>として消費してしまいがちだ。後に残るのは忘却だけ、ということもままある。

 第二に、どれほど過激なバッシングを展開しても、<信者>の態度変更にはつながりにくい。場合によっては逆効果ですらある。ゆきすぎた抑圧や弾圧は、むしろ<信仰のカルト化>を推し進めてしまうのだから。かつて禁酒法やキリスト教の弾圧が何をもたらしたかを想起されたい。

 第三に、ホメオパシーバッシングの背景にあるエビデンス(医学的根拠)至上主義の危険性である。もちろん現代医療はしっかりした実証研究によって得られたエビデンスに基づいて、実施されなければならない。私もそうしている。ただしそれは、倫理や真理とは無関係な説明責任の問題である。エビデンスに従わないと訴訟に負けるのだ。

 しかし、エビデンスに依存しすぎると、医療の方針が不安定化する場合もある。相反する治療方針のそれぞれにエビデンスがある、などということもざらにあるからだ。

 最近、日本脂質栄養学会が「コレステロールが高いほど死亡率が低い」という研究結果を発表して話題になったが(これもエビデンスだ)、だからといってすぐに高脂血症の治療をやめて良いということにはもちろんならない。

 精神科医としての私は、代替医療にかなり寛大なほうだろう。同業の神田橋條治氏がいうように、治療の中ではプラシーボ(偽薬)効果が最上のものであるとする考え方にも親しみを覚える。

 代替医療の強みは、まず安価であること(例外もあるが)、それが有効だった場合に、患者の自己コントロール感を高めてくれることだ。

 しかしさらに重要なことは、人が「治療」に求めるベクトルに、少なくとも2種類あるということだ。「みんなと同じように標準的な水準の治療を受けたい」という願望と、「私だけに効く特別な治療を受けたい」という願望。前者の願望は標準的な医療がかなえてくれるだろう。しかし後者は難しい。少なくとも医療保険内では実現不可能だろう。

 代替医療はしばしば「あなたの体質に合わせて、あなただけのために調合された薬」といった、いわばテーラーメードの医療を自認する。この種の医療は、単なる治療である以上に、強力な自己承認の契機でもあり得るため、宗教やオカルトへの親和性が高いのだ。それだけに、こうした治療へのニーズは決してなくならないだろう。

 そうであるなら、代替医療を非科学的として徹底排除するのは、むしろ愚かしいことだ。イギリスのように保険適用せよとまでは言わないが、誰でも薬局で買えるようなカジュアルな形で流通させることが望ましい。安価さのメリットを維持するためと、地下に潜ってカルト化することを予防するためだ。

 排除の論理よりも共存の道をさぐること。私たちがどうしても治療に自己承認を求めてしまうことをやめられない以上、その形式は多様であることが望ましい。これはエビデンスではなく倫理性の問題なのだから。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年10月3日 東京朝刊

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