昨日、拙稿
「冨士宗学研究ブログ百稿記念の御礼」の記事をアップするとコメントの投稿、またメールにて法華講員同朋から御祝詞を頂戴した。妙輪寺御信徒からもある人物の情報をお知らせ頂き、その文末に御祝詞が書かれていた。当該記事は一日で三十三拍手も頂戴した。誠に有り難く、皆様方に厚く御礼申し上げる次第です。
またさる人物が小生のことを似非信徒等と云っているとの情報も頂き、心配されてメールを下さった方もおられたが、冨士門流掲示板でさる人物
本人が縷々述べられているように、小生が法華講員であることをさる人物は知っているので心配は有り難いけれども御無用です。来年の春季総登山(法華講連合会総会)の砌には、小生は日正寺支部の宿坊に足を運び、さる人物に面会を求める所存です。
八月二十二日附け拙稿
「黒川和雄一派の宗規違反及び違法行為に与同する方々へ(覚醒への道)」の中で
「私は負けたであるとか、邪教などと言われても痛痒を感じません。それは先ほど申し上げた御妙判に『名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり』ともありますように、今生の名聞名利などは全く興味がないからです。巷間では創価学会の池田大作氏が勲章や称号を金銭で買っているとの指摘もあるようですが、実のない名声など虚しいものです。ですから負けたであるとか、邪教などと言われても痛くも痒くもないのです」と書いたけれども、その意味が理解できない者がいるようです。
小生は何を言われても構わないのですが、その意味を理解できない者がいることが残念なのです。小生の所属する講中でも「広布の青嵐」等は唄いますけれども、今では唄われない歌も小生は思い出すのです。それが「地涌の同志(とも)」と云う歌なのです。その二番の歌詞を小生は特に好むのです。
源流は遠き七百年
その名も薫る熱原の
烈士の血潮我にあり
刀杖その身に及ぶとも
忍辱鎧を身に著けん
今般の件は日蓮大聖人様の御事と比べれば忍辱鎧と云うほどでもないのですが、夕の勤行で過去帳を捲ると小松原御法難と記されており、妙輪寺御信徒が六月に「忍辱の鎧を纏われながらその欠点を指摘」する小生に敬意を表するとのメールを下さったことを思い出したのです。その時は「汚い言葉を浴びようとも構いません」と返信したのですが、斯様なメールを下さることは誠に有り難いことであると思うのです。
講中の子供達が元気一杯に「唱えてゆこう妙法を」を唄う姿は感動を覚えずにはおれないのです。
小生は年齢からは想像もつかないようなスポーツやトレーニングをしているのですが、自分に嘘を吐くことが通用しないのです。嘘を吐くと全て現身に帰ってくるのです。例えば腕立て伏せにしても「やったつもり」でいては実際にはやっていなければやっていないと云う結果が現身に帰ってくるのです。
信仰においても、勤行したつもり、唱題したつもりは意味がないのです。こうなってくると剋己の精神が肝要であろうと思うのです。例えば今日は一時間しか唱題行ができないのであれば、明日はそれに五分プラスする、こうしていくと何時間でも唱題ができるようになるのですが、実際に唱題をしていなければ結果は得られないのです。
平成二年に創価学会問題が表れて、それ以後、御宗門と創価学会の間で「お尋ね」「お伺い」の遣り取りがあった訳ですが、あのように自分に嘘を吐ける創価学会首脳はやはり御本尊様の前でも嘘を吐けるのであろうと思うのです。
法華講員の子供達にあっては「唱えてゆこう妙法を」を唄う中で、御本尊様に嘘を吐かない、自分に嘘を吐かない、自分を誤魔化さないと云うことを学んで根っからの法華講員になっていくのだろうと思うのです。
正直は一見は遠回りのように思えることもあるかも知れませんが、一番の近道なのです。法華講員の子供達は「唱えてゆこう妙法を」を唄って、「自分自身の気持ちを顧みて、そしてお題目を唱えていく」のです。
前にも奉載したけれども、平成十六年七月三十一日の
第十三回法華講連合会少年部大会での御隠尊日顯上人猊下の御指南を再々奉載して本稿の結びとするものです。
「今日はこれから歌うことになっておるようですが、『唱えてゆこう妙法を』という歌は本当にすばらしい歌ですね。昨日、どなたが作ったのだろうと考えておりまして、まだ聞いておらず、そのうちに教えてもらえるかも知れませんが、とにかくこの歌詞を作った人は偉いなと思いました。一番も二番も本当にすばらしいです。特に締め括りとしての三番の最初の文句が『勇気、
正直、正義の木、心に三つの木を持とう』ということですが、このことは大聖人様の教えにそのままぴったりであり、我々一人ひとりの生活の上に当てはめられる言葉だと思います。〈中略〉その次が
『正直』ということです。『勇気、
正直、正義の木』のなかの
『正直』ということですが、私はこのことについて、いつも周りの者達、すなわち私の弟子達に言っております。これはもちろん、私の弟子というよりも
大聖人様のお弟子として、白衣を着て、あるいは袈裟・衣を着けて毎日修行しているのですが、この者達にもいつも
『必ず正直ということを忘れるな』ということを言っています。
正直にすると損をするように思っていませんか。これまでに、本当のことを言わないで嘘をうまく言うと、何か得をしたようなことがあったと思います。だから、うまく嘘を言っていったほうがよいと思うかも知れないけれども、そこが違うのです。どんなに損をしてもよいから正しいことを正しく言おうと、自分の気持ちを素直に出し、
また悪いことしたら誰に対してもそのことを素直にはっきりと話をする。すなわち正直に『私はこういうことをしました』と言うことが大事だと思うのです。
そこで自分をごまかしてはいけません。
自分をごまかさないということが正直ということなのです。ですから、あなた方がしょっちゅう歌っているこの歌は本当に立派な歌ですから、この歌を歌いながら、しかも歌の文句で
自分自身の気持ちを顧みて、そしてお題目を唱えていくことがよいのです」と。
【連絡事項】
SNSに「六器三器一器の意義と師弟相対」のプロットをアップしたので、化儀に感心のある登録者は御覧下さい。
- 2010/09/10(金) 19:03:58|
- 徒然雜感|
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コメント:3
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>しかし、よくできた謀略板でしたね。
宗規違反や著作権侵害の質問状にも回答できない人が何を言って信用されません。これで黒川和雄さんのウソツキ謀略体質もよく分かりました。
それに比べてこきちさんや管理人さんの信仰への誠実さやご宗門への忠義はどの記事を読んでも分かります。
この記事も管理人さんの正直さとご指南を貫こうされるお姿が伝わってきます。
- 2010/09/13(月) 03:49:56 |
- URL |
- 海斗@法華講 #-
- [ 編集]
すべて現身に帰ってくるとは黒川和雄にも言えると思います。
これからも富士宗学研究様を応援しています
- 2010/09/13(月) 10:05:04 |
- URL |
- 源五郎 #-
- [ 編集]