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女優の池内淳子さん(本名・中沢純子=なかざわ・すみこ)が9月26日午後4時21分、肺腺がんのため亡くなった。76歳だった。1960、70年代には出演するテレビドラマが軒並み高視聴率をマークし、“20%女優”の異名を取るなど活躍。晩年は舞台を中心に活動していたが、07年4月には間質性肺炎・胸水貯留のために倒れ、治療中に肺腺がんが見つかった。関係者によれば、抗がん剤治療で腫瘍(しゅよう)は消えたが、今年3月に再発した。葬儀は家族のみで済ませ、誕生日にあたる11月4日にお別れの会を開く。
“日本のお母さん”池内さんが人知れず、この世を去った。長年の友人であるドラマの石井ふく子プロデューサー、家族らがみとり、30日までに家族のみで葬儀を済ませた。
07年4月に間質性肺炎・胸水貯留が発見され、3か月の安静加療が必要と診断された。このとき実は、右上葉に肺腫瘍が見つかっていた。
その後、間質性肺炎の治療を行うとともに、肺腫瘍の確定診断で肺腺がんと判明。すぐに抗がん剤治療を開始し、腫瘍はなくなり、通院による治療を続けていた。しかし、今年3月頃から再発したという。がんについては公表はしていなかった。
それでも、98年7月から主演し、晩年の代表作となった「三婆」(有吉佐和子原作)が4月5日、福岡・博多座で通算400回を達成。花束を受け取った池内さんは「こんなに回数を重ねることなど考えてもみませんでした。(主人公の)松子は分身!! これからも一緒に年をとっていこうと思います。これからも健康で皆様と一緒に上演できればいいと思います」と喜んでいた。
「三婆」は5月16日の名古屋・中日劇場の千秋楽まで441回出演。関係者によれば、夏頃までは仕事を続けていたという。
池内さんは54年、雑誌のカバーガールに選ばれたことをきっかけに新東宝に入社し、翌年、映画「皇太子の花嫁」でデビュー。56年には、高倉健(79)、故石原裕次郎さんらと第1回日本映画製作者協会新人賞を受賞。久保菜穂子、三ツ矢歌子とともに、新東宝現代劇女優三羽ガラスとして脚光を浴びた。
だが57年6月、俳優の柳沢真一(79)と婚約するとともに芸能界引退を発表。11月に結婚。しかし、わずか67日後には理由なく別居生活を強いられ、そのまま離婚。芸能界にカムバックした。
その後は女優として一気に躍進。60年にはドラマ「日日の背信」が昼ドラとして驚異的な視聴率26・2%を記録し“よろめき女優”として人気者に。以後、出演ドラマが軒並み高視聴率を記録。65年放送の「女と味噌汁」で、地位を不動のものにし、“20%女優”の異名を取った。74年から80年までの6年間、日テレとテレビ界で初の専属契約を結んだ。
舞台でも活躍。69年に「天と地と」で初舞台を踏み、75年からは10年連続で明治座での座長公演。女優としての長年の功績がたたえられ、2000年には菊田一夫演劇賞の大賞を受賞。02年には紫綬褒章が贈られた。
大の巨人ファンとしても知られ、以前は後楽園球場時代から年間シートを持ち、時間があれば球場で声援を送っていた。特に高橋由伸のファンだった。
◆池内 淳子(いけうち・じゅんこ)1933年11月4日、東京都生まれ。三越デパート勤務を経て、55年に映画「皇太子の花嫁」でデビュー。代表作は松本清張原作の「けものみち」(65年)、昼ドラマ「日日の背信」(60年)。「女と味噌汁」シリーズも大ヒット。ほかにNHK連続テレビ小説「ひらり」「天うらら」や「白い巨塔」など。舞台では69年の「天と地と」以降、大劇場への出演も多く、明治座公演で長年にわたり座長を務め、「おさん」などで円熟の演技を見せた。近年は「三婆」「女たちの忠臣蔵」など舞台を中心に活動。2002年に芸術選奨文部科学大臣賞と紫綬褒章を受け、08年には旭日小綬章を受章した。
(2010年10月1日06時05分 スポーツ報知)
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