2009-12-03 00:00:00
中国共産党の「日中韓仏教統一戦線」が判明
テーマ:情報メモ 胡錦濤政権では、日本や韓国での根強い「反中共」を緩和する戦略として、「仏教」によって日中韓を結ぶという統一戦線が発動されている。それと同時に、仏教と道教をミックスした形を共産党は推進していると思わせる「微笑戦略」も、毛沢東を偶像崇拝の対象として廟堂(びょうどう)に祀る形で動き始めた。
仏教戦略では、江沢民の信任厚い特殊工作員の最高幹部だった「台湾の青雲大師」を胡錦濤政権が全面支配し、日中韓に青雲大師の作った仏教系新興宗教「仏光会」の寺院を各地に建設することになっている。
まず毛沢東の偶像崇拝だが、現在湖南省から始まっているが、三国志の関羽を勝負と商売の神として崇拝する「関帝廟」にあやかって「毛帝廟」の建設が進んでいる。いずれ北京や上海に、そして日本にもお目見えするだろう。これは日本や台湾では、「黄檗宗(おうばくしゅう)」や「臨済宗」の寺籍買取によって宗教寺院として届けられ許可を受けている。
「仏光会」の寺院は、日本国内には富士山の麓に「本栖寺」を建てて「日本本山」とし、関西本部は兵庫県宝塚市にある。支部は茨城県や福島県にもあり、全て日本の臨済宗の寺院として届け出されているそうだ。不思議なことに、「仏光寺」の行事には台湾華僑婦人部が中心となって、華僑や日本人を大量動員し、中国領事館からは中国人留学生を動員している。つまり、現在の台湾国民党と中国共産党は連帯しており、お人好しの日本人は「台湾」というだけで郷愁と哀鱗の情が掻き立てられ利用されているのである。
この戦略の中心人物の青雲大師は、中国・南京生まれの84才。乞食同然で台湾に渡り、仏教寺院の乗っ取りで有名になり、江沢民に呼び出されて特殊工作員となり、経済的・権力的な背景で台湾仏教界を完全制覇した人物である。その後、現在の胡錦濤主席に所有権が委譲されて、青雲大師は江沢民と胡錦濤の二重支配と二重指令を受けて、縦横無尽に活躍している。
まず毛沢東の偶像崇拝だが、現在湖南省から始まっているが、三国志の関羽を勝負と商売の神として崇拝する「関帝廟」にあやかって「毛帝廟」の建設が進んでいる。いずれ北京や上海に、そして日本にもお目見えするだろう。これは日本や台湾では、「黄檗宗(おうばくしゅう)」や「臨済宗」の寺籍買取によって宗教寺院として届けられ許可を受けている。
「仏光会」の寺院は、日本国内には富士山の麓に「本栖寺」を建てて「日本本山」とし、関西本部は兵庫県宝塚市にある。支部は茨城県や福島県にもあり、全て日本の臨済宗の寺院として届け出されているそうだ。不思議なことに、「仏光寺」の行事には台湾華僑婦人部が中心となって、華僑や日本人を大量動員し、中国領事館からは中国人留学生を動員している。つまり、現在の台湾国民党と中国共産党は連帯しており、お人好しの日本人は「台湾」というだけで郷愁と哀鱗の情が掻き立てられ利用されているのである。
この戦略の中心人物の青雲大師は、中国・南京生まれの84才。乞食同然で台湾に渡り、仏教寺院の乗っ取りで有名になり、江沢民に呼び出されて特殊工作員となり、経済的・権力的な背景で台湾仏教界を完全制覇した人物である。その後、現在の胡錦濤主席に所有権が委譲されて、青雲大師は江沢民と胡錦濤の二重支配と二重指令を受けて、縦横無尽に活躍している。
読者の中には行かれたことのある人もいるだろうが、南京大虐殺記念館の正面に飾られている、中国民間人の女子供が血塗れで死体の山となっている油絵がある。この油絵が南京大虐殺記念館のシンボルとなっているのだが、この油絵は青雲大師が奉納したものである。最近になって韓国から聞こえてくる話で、韓国仏教界に青雲大師が急接近し、台湾仏教界・日本仏教界の名前を勝手に使ってフォーラムや催物を盛んに行っているというものがある。韓国にはチャイナタウンが存在せず、中国人に対する警戒心が特に強いので、台湾と日本の仏教界が連合して韓国仏教に近づいているという印象を捏造しているのである。
韓国人は「瞬間湯沸器民族」と呼ばれるほど、騙されたり裏切られたりしていることが分かれば大爆発する。だから「日中韓の仏教界が仲良くしよう」という方便で、青雲大師を代表であるかのように偽装しているのだ。
日本や韓国には、中国語を無料で教える「孔子学院」という中国共産党直轄組織が親中派の大学や自治体に誕生していたが、ほとんど実績を上げられなかった。そこで今度は、仏教による日中韓の統一を図り、そこから東アジア共同体を指向する共産党戦略が立てられているのである。
日本や韓国には、中国語を無料で教える「孔子学院」という中国共産党直轄組織が親中派の大学や自治体に誕生していたが、ほとんど実績を上げられなかった。そこで今度は、仏教による日中韓の統一を図り、そこから東アジア共同体を指向する共産党戦略が立てられているのである。
これから各地で目にすることになる「毛帝廟」や「仏光会」に関して、少しは監視を強めるべきだろう。