私と絵(2) -何を描いたらいいの?-
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今回は、「私と絵」の第2回目です。
幼稚園を卒業するまでは、とにかく、毎日毎日、好きなだけ絵を描いてすごしていました。
幼稚園で、かさ地蔵の昔話を聞いて、それを絵に描きましょうということがありました。
私の頭の中には、かさ地蔵のお話の情景がありありと見えるようでした。その情景を一生懸命に描きました。すると、幼稚園の先生がものすごく誉めて、みんなに見せたりしてくれました。
これが、家族親類以外の人に絵を誉めてもらったはじめての体験だったと思います。母も先生から絵が上手だとほめてもらって得意満面だったようです。
ところが…
小学校へ入学すると、私はどの教科も人並み以下の「おちこぼれ」になってしまいました。
唯一、人並み以上だった図画工作の時間だけが楽しみでした。
しかし、学校で作る作品は、どれもこれも、萎縮してしまっていたのか、月並みなものしかできませんでした。家で、のびのびと自分の好きなものを何の制限もなく描くのとは、まったく勝手が違っていたのです。
そんなある日、「遠足で楽しかったことを絵に描きましょう」というお題が出されました。
私は、困りました。
奈良公園といえば、鹿です。
私の印象としては、間近で見た鹿がとってもびっくりして、ものすごく印象的だったのです。
しかし…
当たり前のことながら、カメラアイではないので。私の中には鹿の雰囲気しか残っておらず、詳細を覚えていません。しかも、普段から見慣れているものではないので、頭の中に確定したイメージができあがっていません。
実は、今でもそうなのですが、私の頭の中に確定したイメージが出来上がっているものしか描けません。
描く前に頭の中で絵が完成していないとだめです。あるいは、各対象物が目の前にあって、それを写し取るか、どちらかでない描けないのです。
普段からよく目にしていて、イメージが確定しているものは、自然にその輪郭が線として浮き上がってきて、デフォルメされて絵やイラストとして頭の中にでき上がるのです。あとはそれを画用紙の上に描き移すだけなのです。
逆に、イメージが確定されていないものは、まったく煙のような状態なので、絵に描けないのです。
このときも、鹿は見慣れないものだったので、頭の中に絵として浮かんでこなかったので、描けなかったのです。
---
「鹿が描きたい。」
そう思ったものの、鹿を描くための参考資料は何もありません。
せめて、鹿の写真でもあれば、そこから自分の見た鹿のイメージを詳細にしていけたのですが…。
ですから、私はとても困りました。
「鹿を描きたいけど、鹿の細かいところがわからへんっ!!描かれへんっ!!」
手渡された画用紙は、いつも家で描いている画用紙の2倍の大きさの大きな画用紙でした。
机が一杯に広がった真っ白な画用紙…。
鹿を描きたいけど、わからないから描けない…
じゃぁ、何を描いたらいいんだろう…
呆然として、真っ白な画用紙を見つめていました。
周りの子供達は、いろいろと描き始めています。
先生が見回りに来て「早く描きなさい」といいました。
どうも、周りの子供達は、お弁当を食べているシーンを描いている子が多かったので
しかたなく、お弁当のシーンを描くことにしました。
でも、お弁当は一緒に食べる子がみつからなくて、先生の指示で無理やりグループに入れてもらって、端っこで食べました。気の毒に思った1人の子が、横に座ってくれました。
私にとっては、「楽しい」とは正反対の「めちゃくちゃ辛かった思い出」のシーンだったのです。
でも、他に何を描いていいかわからないので、そのシーンを描きました。
当然、寂しい思い出ですから、ぜんぜん描いていて楽しくありません。
いつもは描くのが楽しいからこそ、どんどんとあれもこれもと、画面が一杯になるまで描き込むのです。
このときは楽しくもなんともありませんでしたから、最低限のもの「自分と横に座ってくれた友達」を描いて終わりました。
とにかく、何かを描かないと怒られるので、その場をやり過ごすためにとりあえず描いた…そんな感じでした。
さて、図画工作の時間は、とりあえず描いたので怒られることは避けられました。
その後、しばらくしてこの絵を家に持って帰りました。
この絵を見た母は、烈火のごとく怒ったのです。
母「この絵はなんやっ!」
なんやと言われても、それしか描けなかったわけですから仕方ないんですが…
母「こんな、大きな画用紙やのに、まんなかにちょこんとっ!!!何でもっと大きく描かへんのやっ!!」
なぜか、どんどんと母の怒りはエスカレートします。仕方がないので、理由を話しました。
私「鹿が描きたかったけど、鹿の細かいとこがわかれへんかったから描かれへんかってん…」
母「そんなもん、鹿のこまかいとこなんかわからんでもええやないか!!鹿の雰囲気が出てたらええねん!茶色でぐりぐり丸でもかいて、4本つけといたら、鹿に見える!!」
そんな母の言葉に、心の中で
「そんなヘタクソな絵なんか描けるかっ!ちゃんとした絵が描きたかったんやっ!!!ちゃんとした鹿やないと描いても意味ないわっ(怒)」
と不満でしかたがありませんでした。
母は泣きそうな声で
「あんたは、こんな絵を描く子やないやろうがぁっ!」
と、ものすごい剣幕で怒鳴られました。
けれど、私も描けなくて困って、なんとかやっと描いたわけですから、そんなこと言われても困ります。
ただ、黙って怒られるしかありませんでした。
---
さて、なぜ、たかが1枚の絵で母はこんなに怒り狂ったのでしょうか。
実は、私は小学校へあがるまでの成長は、非常に早かったのです。
歩き始めるのも、同じ年頃の子よりも早く、言葉も非常に早くから話すようになりました。
しかも、特に教えたわけでもないのにひらがなも覚え、どんどんと勝手に自分で周りの大人の真似をして吸収していったのです。ですから、周囲も親も「この子は頭がいい」と信じ込んでいたのです。
ところが、いざ小学校へ入ると、どの教科も平均以下…というか、クラスで1・2を争うおちこぼれになってしまいました。
その事実は、幼少時の印象が強い母にとっては受け入れがたいことだったのです。
ですから、何かあるごとに「お前は、ほんまは頭がええのに、やろうとせんからあかんねんや!」と怒鳴られたのです。
そんな状態で、母が唯一希望をつなげていたのが図画工作だったのでしょう。
その唯一の希望の絵ですらも、平均以下になってしまったことが、耐えられなかったのですね。
だからといって、小学校の1年生の子供に、「こんな絵を描く子やないやろ!」と怒鳴ったところで何の効果もありません。
実は、このときに「あんたはこんな絵を子やないやろうがぁ!」と言われたときに思ったことあります。
私が絵が上手くなくなったら、
おかあちゃんにとっては、
私はどうでもええ子なんや…
そう、強く感じました。
この思いは、中学校である決断をするまで、ずっと私の心を支配し続けました。
そのため、学校の図画工作の時間は「私は上手い絵を描かなければいけない」というプレッシャーを常に感じる
ようになりました。
(今後の記事でその辺にも触れていきます。)
しかし、この後、私の父方の祖母の計らいで、私は私らしさを取り戻すことになります。
(注:以前登場したピーマンの祖母(母方)ではないです。)
続きは次回。
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できなくなった…
それは
心が潰れてしまった証拠
かもしれません
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