朝木明代殺害事件への私見と関わり (2)
朝木事件の前に起きたビル転落不審事件について。(前編)
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自殺データベースなるサイトがあります。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/db4.html
(4) 平成の自殺 (1989−1998)
☆1992年 9月30日 政治結社「新生政経研究会」代表、韓国籍、全国明(日本名・橋本剛)が東京都港区赤坂2ビルから転落死、自殺?
☆1995年 9月1日 市議会で創価学会と対決していた東村山市議会議員、朝木明代が東村山市本町2丁目ロックケープハイムビルから飛び降り自殺?
このサイトがどのような人によって作られたものなのか、私はしりません。膨大な自殺者がここに記載されています。しかし、中には(?)の符号が付けられたものがあります。
殆ど見当たりませんが、上に紹介した全国明と朝木明代さんの二人にはこの(?)の符号がついています。これはやはりこのデータベースを作成した人が、この二つの事件に関しては自殺であるとは思えなかったことを示しています。
では、何故疑問符が付けられたかですが、朝木明代さんに関しては、もう説明する必要はないでしょう。これはどうに考えても万引きを苦にして自殺など図るとはとても思えないからです。何者かによって突き落とされたと考えるのが自然です。
さて、もう一人の人物在日韓国人全国明(日本人名・橋本剛)なる人物とはどのような男だったのでしょう。そして、何故この男には疑問符がついているのか?
この事について本日は述べて行きます。世間でこの橋本剛が注目を集めたのは三井埠頭の株買い占めで個人筆頭株主として新聞などに登場してからです。
橋本剛(全國明) - ニュースソース・NewsSource(会員制サイト)
しかし、この橋本剛の実像を知る人はほとんどいないと思います。実は私はこの人物とは長い間付き合いがありました。在日韓国人で犯罪歴も半端でなく、最後には右翼団体の会長までやった訳ですが、この右翼になった経緯は私の影響が大きかったと思います。
彼が私を突然訪ねて来たのは、『国士・中曽根康弘先生」という単行本を私が出版した直後でした。昭和59年でしたが、彼は私の本を見て感動したと言って尋ねてきた。
どこで本を見たのかと言えば、群馬県の中曽根先生の後援会の幹部の家で見せられて、どんな人物か会って来て欲しいと頼まれたというのです。(だいぶ後で分かったことですが、前橋刑務所を出所、保護観察官の自宅に行った時に本を見た。保護司が中曽根先生の後援会の幹部であることは間違いなかった。)
大きな身体でハンサムで魅力的な所があり、一緒に飲みに行っても、この男だけが女性にもてて、遊び上手な男だった。福島のクラブで知り合った女性が、この橋本に惚れて東京まで着いて行った程でした。
橋本が三井埠頭の株買い占めや様々な仕事で知られるようになったのは、実は私がそのような人脈を紹介したからでした。この頃私は彼が在日だとは全く知らなかった。日本人と思って付き合っていた。
橋本から仕事の依頼を受けた。当時の私は本のゴーストライターなどをしていたが、群馬県の福田赳夫を失脚させるだけのネタが入手できたので単行本を書いてくれとの依頼だった。
中曽根先生の後援会幹部と親しいと信じていた私はその仕事を受けた。私が書いて彼が発行した本が下記の本でした。表紙のデザインなどは橋本がやった。余り上手な作りとは言えないが、私は取材して原稿を書いた。
何故、今こんな古い本を紹介するかと言えば、私がこの橋本と親しい関係にあったことを知ってもらうためです。この頃の彼は右翼団体員でもなければ、ヤクザ者でもなく、正体不明の所があった。
彼から突然私は「自分は実は在日朝鮮人だ。しかし、日本の国を愛しているし、右翼の活動をやってみたいので協力してくれないか」と打ち明けられた。
正直戸惑った。何と答えて良いものやら咄嗟には判断できなかった。しかし、当時の私は反共運動に重きをおいていたので、韓国人ということにはたいして反発する意識はなかった。
半分日本人の血が入っているということなので、応援することにした。綱領を書いてやったり街宣の手法を教えたり、他の人が教えて欲しいと言ってきた時と同様なことを教えた。
お互い忙しかったが、それでも月に一回程度は必ずあっていたし、私に取っては別に害になる存在でもなく、世間的に見れば色々問題児ではあったが付き合いは長く続いた。
最後にあったのは銀座のクラブで偶然あった。私も数人といたが橋本も数人で呑んでいた。いつも背広を着てダンディーな恰好してるのに、ジーパンの上下でくたびれた印象を受けた。
宗教など信じていないやつなのに、何故か手首に数珠をはめていた。その時に「何だ、これ?どうしたの」と聞いたら、「お守り」だと答えた。
そして、「実は俺今やばいんだ。」と言った。
「何がやばいの?」と聞いたら、「消されるかも知れない」と元気のない声で答えた。
それまでのいつも陽気でかっこつけてる男とはまるで違った、その姿に一体何があったのか?他の客が座っていない場所に移動して聞いた。
この時の会話は今でも忘れていない。
「創価学会に頼まれて、大石寺を攻めていたが、訴えられられそうになったりしてさんざんな目にあっている。トラブルに介入してカネにしようと思ったが、今カネになるどころか、命を狙われることになった。」
このような会話だった。この時は「余り危険なことはするなよ。命落としたら損だからな」と言って別れた。彼の生き様からして、何があっても乗り切れるだろうと、その時には余り心配もしなかった。
その後彼がビルから転落して死亡したと聞いた時には、何か背筋に冷たいものを感じた。実はより具体的に何がやばくなっているかを聞いていたからでした。
この事件の後に朝木明代さんの事件を知った。朝木さんが創価学会を厳しく追及していたことなどを知って、とても朝木さんの事件が単なる自殺ではないとこの時から思ってきたのです。←ブログランキング応援クリックお願いします。