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(うあぁ…、寒い……)
外と内。
両方から凍えそうなほどの冷気がファリスの肢体を蝕んでくる。
既に視界は効かず先ほどから聞こえていたエクスデスの笑い声も届いてこない。
ファリスに感じられることは、尽きることなくずぶずぶと体に入り込んでくる闇の帯のおぞましいまでの冷たさだけだった。
(こ、こいつが……『無』だって言うのかよ……)
『無』という非常なまでに抽象的なもの。
はたしてファリスには『無』というものがそれほどまでに強大な力を発揮できるのかがいまいち理解できなかった。
今、『無』を注ぎこまれているこの瞬間もその考えは変わらない。
ただただ、底冷えするする寒さと体の中を占める強大な圧迫感しかファリスには感じることが出来なかった。
(畜生……こんなわけもわからないものに、体を好きにされるなんてよぉ…)
目が利かないのでよくは分からないが、体の外も中も夥しいほどの闇の帯で雁字搦めにされているはずだ。
上と下の純潔を一片に奪われたにも拘らず不思議と痛みはない。ずるずるっと体内に止め処なく入り込んでくる不快感だけが気になるくらいだ。
そして、別に『無』に意識が支配されるということもない。
ひょっとしたら知らないうちに『無』の支配下におかれているなんてこともありえなくはないのだが、今のところファリスに自分が他の意志に乗っ取られたという自覚はないし、そんな精神攻撃を受けた感じもない。
だったら、反撃の余地はある。
(見てやがれエクスデス……。その余裕ぶった面に、きついいち……)
いち……
その時、ファリスの心に突然大きな穴が開いた。
穴はファリスの心に滾っていた怒り、憎しみといった感情をあっという間に飲み込み、ファリスの心を不自然な平常心で満たした。
(あれ?俺、何をしようとしていたんだ…?)
突然平常心に戻ったファリスは、いま自分が何をしようとしていたのかを逡巡し、すぐさまエクスデスのことを思い出した。
(そうだ!エクスデスのやろ、う、ぉ)
だが、すぐにファリスの昂ぶった心は醒め、なだらかな心へと慣らされてしまう。
(な、なんだこれ……?なんかおかしいぞ俺!!)
そこまで来て、ファリスは自分の身に起こっている変化に気がついた。
どんなに気を高めようとしても、すぐさま気力が萎えてしまうのだ。
いや、それだけではない。
まるで、自分の中の喜怒哀楽といった様々な感情がなくなっていくような感じがしている。
(どういうことだ?!これが『無』の力だっていうのか?!)
自分の変化に戸惑うファリスだが、それが何なのかを教えてくれるものはいない。
その間にも、ファリスの中の感情はどんどんと薄れ、かき消されてしまっていく。
(ち、ちょっと待てよ!!これが『無』に呑まれるってことなのかよ!『無』って一体なんなんだよ!!)
「クスクス…教えてやろうか?」
自分が消される『無』の恐怖に脅えるファリスの耳に、どこかで聞いた声が届く。
なんだ?と思って声の方向へ見えもしない目を向けると、そこには見えないはずの人の姿が映っていた。
しかし、その姿は…
(お………俺?)
「ふぅん。お前には俺がお前に見えているのか…」
そこに立っていたのは、姿形がファリスと全く同じ姿をした者だった。
だが、ファリスと決定的に違うところが1つ。
ファリスの姿をした者の瞳は、鮮やかなエメラルドグリーンではなく、どんな強い光すら通さない漆黒の色をしていた。
(てめえ!誰に断って俺の姿をしていやがるんだ!ひょっとしてお前は『無』なのか?!)
「そうだ。俺はこの世界で最も強大な力『無』だ。お前の姿をしているのは、お前が『無』を形として認識できないからさ」
どうやらこの偽ファリスは『無』そのものがファリスの形を為しているもののようだ。
「お前、なんで『無』が強大かわかるか?」
(わかるわけねえだろ!そんなもん!!)
特に考えもせず反射的に返答してきたファリスに、偽ファリスは苦笑しながらも話を続けた。
「それはな、『無』以外はどんなに巨大な力であっても限界があるからだ。
どんなに鍛えようが、どれほど強化しようが、自ずから限界は訪れる。それは、あらゆる物は有限だからだ」
それはそうだ。
無から有を作り出すことは出来ない以上、どんなものでも上限というものはある。
「ところが、『無』は違う。
『無』とは無限であり無尽蔵。限界すら『無い』からいくらでも力を高めることが出来るんだぜ」
(限界が、ない……?!)
それは無限大に力を高めていくことが出来るということだ。
なるほど。エクスデスがその身に欲しがっていたということがよく分かる。
「でもよ、俺はあまりにも強大すぎたから、こうして次元の狭間に封じ込まれることになっちまった。
退屈だったんだぜ。俺がいくら強大だって言っても、使う奴がいなかったら何の意味も無い。
俺はあくまでも力の根元なだけで、俺自身が力を振るえるわけじゃないからな」
つまり、目の前の偽ファリス=『無』は自身のみでは『無』の力を使えるわけではないようだ。
「だからさ」
その時偽ファリスの口元が不敵に歪んだ。
「俺は嬉しいんだぜ。久しぶりに俺の力を振るう奴が来てくれたことがよ。
あのエクスデスって奴といい、そして、お前といい」
(バ、バカ野郎!!俺は、『無』の力なんて使う気はねえ!!)
偽ファリスの言っている対象にエクスデスだけではなく自分までいることに、ファリスは泡を食って否定した。
だが偽ファリスはそんなファリスにお構いなく、ファリスの体にもたれかかってきた。
「つれないことを言うなよ。それに、お前の体には『無』の力が行き渡りつつあるんだ。
もう『無』から逃れることはできねえよ」
(な、なにを言って…やが、る…)
偽ファリスの言い方に憤ったファリスだったが、また先ほどのように急激に昂ぶった感情が収まっていく。
(ま、まただ…。おいお前!これもお前の仕業か……?)
ファリスは萎えかけている心を精一杯昂ぶらせ偽ファリスを睨みつけ、偽ファリスはそうだとばかりに目を細め、ファリスの頬をつんとつついた。
「ご名答。『無』に捉われたお前の体と心には『無』が行き渡りつつあるって言ったろ?
『無』というのは何もないこと。お前の心の喜怒哀楽。そんなものも『無い』んだ。
お前の心はもうすぐ『なにもなくなる』んだ」
(!!)
自分の心がなくなる。そう聞いてファリスは背筋をゾクゾクと震わせた。
それはつまり、ファリスという人格がなくなってしまうと言っているようなものだ。
(や、やだ!!やめろ『無』!これ以上俺の中に入ってくるな!俺を消すなぁ…!!)
だが、そんな恐怖の感情も次第に収まり平常心…というか、なんの感慨もなくなっていく。
そのことがとても恐ろしいが、その気持ちも次第に消えていく。
そんなファリスに、偽ファリスが耳元で囁いてくる。
「安心しろ。心がなくなるだけでお前の知識や記憶がなくなるわけじゃない。
そして、空っぽになった心は『無』に都合のいい心に書き換えられるんだ。
そしてこの俺の、『無』の力を振るうに相応しい存在になるわけだよ」
(だ、だから…おれは、そんなちから…ふるい、たく……ねぇ……)
心身に『無』が満たされつつあるのか、ファリスの声からは次第に感情が消えてきている。
『無』に抵抗するといった気持ちも無くなり、体内に蠢く『無』の力に全てを委ね始めていた。
体中の力が抜け、『無』に体を思い通りにされていることに心地よさすら感じ始めている。
もっとも、その思いすら『無』はどんどんと飲み込んでいるわけだが。
(あぁ…。なんて穏やかなんだ……)
ファリスの顔は完全に弛緩し、腑抜けた瞳は沼の底みたいに暗く濁っていた。
これまであらゆる場面で緊張のし通しだった日常では、ここまで心安らかな思いをしたことは皆無といってもよかった。
そのためか、ファリスの闘争心はみるみるうちに萎み、もはや『無』に抵抗する気持ちすら消え失せてしまっていた。
「ふふふ…。どうだ。『無』を受け入れる気分は……とっても気持ちいいだろ?」
偽ファリスの勝ち誇った問いかけに、ファリスは口を開くのも億劫なのか僅かに頭を縦に動かした。
その顔には感情というものはすでになく、『無』に侵されたからか瞳の色も真っ黒に変化していた。
(…………ぅぁ…、んぶっ…)
かすかに開いた口から、まるで触手のように幾本もの闇の帯=『無』がごぼごぼと湧き出してくる。
が、それに抵抗する気すら今のファリスにはなかった。
「ははは!どうやら身も心も『無』に侵されたみたいだな!じゃあ次の段階だ。
その身も心も、『無』を扱う者に相応しい形になるがいい!!」
最高の『器』が出来た悦びに偽ファリスは打ち震え、その身が次第にぼやけ始めるとそのまま偽ファリスはファリスの姿と重なっていき、やがて完全にファリスの中へと入っていった。
(んぅ……?ぐっ!!)
体の中に何かが入ってきた感触にファリスは軽い違和感を覚え、次の瞬間
体内の『無』が猛烈な圧迫感を伴って暴れ始めた。
(ん、んんぉ!んぉぉ〜〜〜ぅっ!!)
既に口から噴き出していた『無』がさらに勢いよく飛び出し、ファリスの体に降りかかってくる。
しかも、『無』は口からだけでなく鼻、耳、乳首、臍、膣、尻と体中のありとあらゆる穴から飛び出し、ファリスの体に纏わりついてきていた。
『無』が体から噴き出るたびに、『無』が体に張り付くたびに、ファリスの顔には『無』に侵されて失ったはずの『喜』の感情が色濃く浮かんできている。
もっとも、その『喜』の感情は相当に歪んだ、『狂』に近いものだが。
(お…俺の、俺の体から『無』が、『無』がどんどん出てきやがる!『無』が体に引っ付いてきやがる!!
おあぁ!すげぇぇ!!『無』って気持ちいいぃ!!)
ファリスは『無』に体を苛まれることに強烈な快感を感じ、『無』がもたらす快楽に夢中になっていた。
うねうねと絡み付いてくる『無』に肢体を艶かしくのた打ち回らせ、発情した体は玉のような汗にびっしりと覆われている。
『無』の力で無色になったファリスの心は、今度は『無』の力で『無』に都合のいい心へと変えられつつあった。
「だろ?『無』を取り込んだお前は、『無』にその身を晒されることがこの上なく気持ちいいはずだ。
お前はもっともっと、その身に『無』を取り込みたい。違わないか?」
『無』の快感に溺れているファリスの頭に、あの偽ファリスの声が響いてくる。
(ああ、ああ!もっとだ!もっと『無』が欲しい!この体をもっと『無』で満たしたい!
欲しい、欲しい!欲しいんだよぉぉ!!もっとぉぉ!『無』がよおぉぉぉっ!!)
ファリスはまるで薬物中毒患者のように『無』を求め続けた。
喜怒哀楽という人間の波立つ心を全て『無』に消去されたファリスのまっさらな心は、『無』を取り込むことで『無』の存在を感じることが最高の悦楽と感じるようになっていた。
そう作り変えられていった。
「ふふふ…!なら、もっともっと『無』を受け取るがいい!!」
偽ファリスの嘲笑とともに、『無』の放出でぽっかりと開いたファリスの膣に外から猛烈な量の『無』の奔流が流れ込んできた。
「あっ!あぉぉ〜〜〜〜っ!!」
ただでさえ溢れるまでに『無』に満たされている体はもう受け入れる余裕など無いはずなのだが、ずぐずぐと入り込んでくる『無』をファリスは歓喜で顔をぐしゃぐしゃにしながら難なく受け入れていった。
「うぁああ!すげぇぇ!!『無』がたっぷり流れ込んできやがるぅ!し、痺れちまうよぉぉ!!」
大股に開いた太腿はビクンビクンと小刻みに震え、際限なく『無』を飲み込んでいく秘部の隙間からはぴゅうぴゅうと愛液が噴き出てきている。
限界以上に『無』を取り込んでいる影響か、乳房はファリスの頭より大きくなり、親指より大きくなった乳首からは収まりきらなくなった『無』が噴水のように噴き出してきていた。
「『無』ってすげぇぇ!!クリスタルの力なんか目じゃねえよぉぉ!!
もっと、もっと『無』が欲しい!!この体に『無』を入れてぇぇぇ!!」
だがそれでもファリスは貪欲に『無』を取り込みたがっていた。
すでにファリスの体に『無』の入り込む余地は無く、膣から注ぎ込まれる分だけ乳首から噴き出してきている。
そうはさせまいと乳首を指で押さえつけても、僅かな隙間から『無』は抜け出していってしまう。
そのため、どんなに受け入れても満たされない強烈な飢餓感にファリスは苛まれていた。
「あぁぁぁあああ!!どんなに、どんなに入れても出ていっちまうぅ!!
物足りねえ、物足りねえ!!もっと、もっと俺の体に『無』を満たしてえんだよぉぉ!!」
乳首を掌で握りつぶしながら、ファリスは血走った目を虚空に向けて悶え狂った。
そこにはクリスタルの使命を負った戦士の姿も、荒くれを率いた海賊の頭目でもなく、肉欲に狂った一匹の雌が暴れているに過ぎなかった。
(アハハハ…、無駄だよ。お前の体はもうこれ以上『無』を受け入れるキャパシティは無い。
ここまでの『無』の力で我慢するんだな)
ファリスの頭に偽ファリスの嘲笑が聞こえてくる。『無』である偽ファリスがそういうからにはそれは本当なのだろう。
が、だからと言ってそれを受け入れるファリスではない。
「うるせぇぇ!!俺は、俺はもっと『無』を感じたいんだ!!
こんなものじゃねえ!頭がズガ―ン!とぶっ壊れるような、圧倒的な『無』の奔流を味わいてぇんだよぉ!!
もっとだ、もっと『無』をよこせぇ!!この体がぶっ壊れてもいい!!いいからよぉ!!」
(うーん…、お前の体が壊れると俺も困るんだよ。
俺は俺の力を使われたいのに、その器が壊れてしまったら元も子もないじゃないか……)
お前に壊れられては困る、とでも言いたいかのように偽ファリスは呟いた。が、
(だからと言って、ないわけじゃないぞ。お前がもっと『無』を感じるようになる方法は……)
この偽ファリスの声に、ファリスの心はドクン!とときめいた。
「あ、あるのか!!もっと『無』を感じる方法が!!
お、教えろ!!教えやがれってんだよ!!早く、早く!!」
一刻も早く『無』を取り込みたいファリスは頭の中の偽ファリスを急かし、それに対し偽ファリスは勿体つけるかのようにゆっくりをk句碑を開いてきた。
(そうがっつくな。
いいか、お前の体がこれ以上『無』を取り込めないのは、お前が人間だからだ。人間では『無』を感じる力も容量も限界がある。
だが、お前の体が『無』をより感じるように変化すれば、もっと『無』を受け入れることが出来る……)
「……?」
(つまり、お前が『無』に心身を完璧に捧げ、『無』の眷属になればもっともっと『無』を感じることが出来るようになる……)
「『無』の……眷属に……?」
つまり、偽ファリスはファリスが人間をやめて『無』に近しい存在になれば、より多くの『無』をこの体に取り込むことが出来るようになる、と言っているのだ。
(さあ、どうする?俺としては今のお前でも充分に『無』の力を使えるようになっているからどっちを選んでも構わないがな)
あえて偽ファリスは『無』の下僕になれ、とは聞かなかった。
そんなことを聞かないでも、ファリスの答えは決まっているからだ。
そしてファリスは、偽ファリスの予想に違わない選択をした。
「なる、なる!!『無』の眷属になるぜ俺は!!
なれば、もっともっと『無』を感じられるんだろ?!だったら、なるに決まっているじゃねえか!!」
ファリスにとっては当然の答えだ。今よりもっと『無』を感じられるならば別に人間だなんだとこだわる必要はまるでない。
人間をやめることでより多くの『無』を受け入れることができるようになるならば、人間をやめる事に対して何のやぶさかもない。
だが、『無』を受け入れることでどんな結果が生じるのかファリスには理解できていない。
これほど強大で、自我すら持っている『無』の力がなぜ次元の狭間に封印されることになったのか、そこまで考えが至らない。
もっとも、今のファリスにはそんなことは道端の石ころぐらいどうでもいいことだ。
ファリスにとって『無』とは、自分の底知れない悦楽を満たしてくれるもので、それ以上でも以下でもない。
そして、ファリスの『当然の選択』を聞き届けた偽ファリスは、『これで、完璧な器が出来上がる』と内心で狂喜した。
自分の力を存分に揮い、自分がこの世界に生み出された目的を達せられる『器』が。
(わかった、ファリス。
なら『無』に全てを解放しろ。心、体、内面、お前の全てを『無』に晒すんだ。
そうすれば、『無』がお前の体の隅々まで行き渡り、その体を『無』にふさわしいものに作り変えてくれる)
「わ、わかった。わかった!!」
偽ファリスの言葉に導かれるように、ファリスは自分の全てを『無』に曝け出した。
体中に満ちている『無』が、ファリスの全身の細胞に染みこむ様にずぶずぶと浸透していく。
「あぁ……、『無』が俺の全身を侵していくぅ……気持ちいぃ……」
『無』が染みていくことで、それまで『無』に満たされていた空間に隙間が生じ、そこを膣から流れ込んでくる『無』が隙間無く満たし、その『無』がまたファリスの細胞一片一片に染み渡っていく。
乳首から噴き出していた『無』もその奔出がぴたりと止まり、物凄い量の『無』がファリスの体に染み入っていった。
(そうだ……。もっともっと身も心も解放して『無』を受け入れろ。そうすれば、お前の体は……)
『無』が全身に満たされていく充足感と膣からどんどん『無』が注がれてくる快感で放心状態のファリスに、偽ファリスの冷たい声が響いてくる。
その声が聞こえたか聞こえないか、その間に注がれてくる『無』で冷え切っていたファリスの体内が、突然灼熱の熱さに反転した。
「ぐっ!ぐはぁぁ―――っ!!」
まるで心臓が飛び出そうなほどの大きな鼓動がひとつ鳴ったと思ったら、ファリスの全身から真っ黒な『無』の帯が迸ってきた。
それは見る見るうちにファリスの全身を侵し、ファリスの体を別のものに作り変えていく。
「熱い、あついぃ!俺の、体が あぁ―――っ!!」
まるで全身の細胞が全て焼かれ、別のものに置き換わるような感触。
ファリスにとってそれは、決して不快なものではなかった。
燃えるような熱さにうなされながら、ファリスの顔には満面の至福の笑みが張り付いていた。
自分が生まれ変わることを、祝福するかのように。
「あつっ…あぐ!ぐがぁぁ……っ!!」
体の内から発せられる熱さにのたうつファリスの肌の色が、『無』が注入されている下腹部辺りから次第に血色を失い、毒々しい緑色に変色してじわりじわりと広がってきている。
快感に潤む瞳は毛細血管が張り裂けたかのような血のような赤色に染まり、獣のように縦に裂けた瞳孔は禍々しい金色の光を放っている。
額からは皮膚が変化した鋭い角がベキベキと伸び、背中からは小振りな翼が風を払うように生え、腰からは細長い管のような尻尾が粘液を滴らせながら迫り出してきた。
そのどれもが人間のものとは言い難い意匠であり、ほんの瞬きするほどの間でファリスの体は人ならざるものへと変貌してしまった。
※掲載許可済みです
(うふふ……。素晴らしい『器』だ。ファリス、これでお前は身も心も完全な『無』の眷属。
『無』の力を得たお前は『無』を『無』尽蔵に扱うことが出来る。
その力を使って光も、闇もすべて『無』に帰せ。
それが『無』となった、お前の使命だ)
頭の中に響く『無』の声に、ファリスは真っ赤な目を悦びに歪めながらこくりと頷いた。
☆
エクスデスの前にある黒い光の帯が、一枚一枚ゆっくりと剥がれつつある。
それが完全に解けたときに出てきたのは、全身に『無』の力を行き渡らせ『無』の眷属になったファリスだった。
ファリスの全身から濃く漂ってくる『無』の気配。そして先ほどとは比べ物にならないくらいの魔力の迸りに、エクスデスは満面の笑みを浮かべた。
「おお…、あの小娘がこれほどまでに……!
これが『無』を取り込んだことで起こる変化か…。素晴らしい!素晴らしいぞ!!ファファファ……!!」
『無』のもたらす力に喜びしれるエクスデスを、無の眷属となったファリスは小馬鹿にした目で眺めていた。
(バァ〜カ。お前如きが『無』を扱いきれるものかよ。
今だって『無』の上っ面の、せいぜい上澄みぐらいしか使いこなせていない小者がさ。
お前が無理に『無』を取り込んでも、『無』に自我も何も吸い取られちまうさ…)
エクスデスは思い違いをしていた。
ここにいるファリスは『無』の力に取り込まれたのではなく、『無』そのものになっていたのだ。
『無』を受け入れるということは、身も心も『無』になってしまうということ。
もし、自我を奪われまいと『無』を無理矢理押さえつけて扱おうとするならば、『無』は暴走を起こして対象の全てを『無』に包み込んでしまう。
自我のある力である『無』は、自分の力を『使わせる』ことを望むのであって、『使われる』ことは決して望んでいない。
あくまでも『無』が主体であって、『無』より使用者が前に出てはいけないのだ。
(それが分からないお前には、一生『無』は扱えねぇよ)
ファリスを見ようともしないで馬鹿笑いしているエクスデスを鼻で笑いながら、ファリスはその場から消え失せた。
『無』の力を自在に扱えるようになったファリスに、次元の狭間の壁を超えることなど造作も無い。
「ファファファファ……
さあファリスよ、お前には生き残った光の戦士を………ん?」
延々と笑い続けてようやっとエクスデスが振り向いた時、すでにファリスの姿は跡形もなかった。
☆
ファリスの前に、いつも普通に接していた自然織り成す草花や木々が広がっている。
そんなものを見ても、特に感慨は湧かないはずだ。
だが、それまで何もない次元の狭間で気の遠くなる時間を過ごして来た『無』にとっては、実に久しぶりに見る色のある光景だった。
「…こうして見ると、緑ってのもいいもんだよなぁ…」
そう言いながらファリスの掌には体内で練られた『無』の力が集まって出来た黒い球体が浮かんでいる。
生成した『無』をぽい、とファリスは投げ、手前の背丈の低い木に途端、木は『無』に吸い込まれて跡形もなくなってしまった。
そのまま地面に落ちた『無』は地面すら吸収して消え去り、あとには半円状に抉られた地面だけが残っていた。
「けどよ、こうして『無』に吸い込まれたら全部お終いさ……ふふふっ」
久しぶりに奮えた『無』の力に、ファリスに染み込んだ『無』は天に抜けるような爽快感を味わい、『無』と同化しているファリスもまたゾクゾクとした興奮を感じていた。
「へへっ……、まず手始めに、この辺り一帯を全部『無』で一掃して……、っ?」
その時、動くものの気配を感じたファリスは一旦『無』を引っ込め茂みに隠れた。
物陰からじっと見ているファリスの前を通り過ぎていったのは、
なんとエクスデス城で別れ別れになったバッツとクルルだった。
「バッツ…!クルル……!」
ファリスに気づかず通り過ぎるバッツとクルルを遠巻きに見て、ファリスの心に少しの苛立ちが走った。
「あいつら……、俺のこと放っておいてのこのことほっつき歩いて……」
別にバッツもクルルもファリスの事を忘れていたわけではないだろう。実際、二人の顔には楽しげな表情は見せてはおらず、むしろ何かに焦っているような印象も受ける。
とはいえ、自分が想っている人間が他の異性と一緒に歩いている姿を見るのは気持ちのいいものではない。
苛立ちは怒りに変わり、怒りは殺意へと用意に変貌していく。
いっそこのまま二人とも『無』に吸い込んで……と思って掌に出現させた『無』を巨大に生成しようとして…
「………」
ふとあることを思い浮かんだファリスは掌の『無』をスッと消滅させた。
このまま二人を『無』で消滅させるのは簡単だ。
だが、バッツたちも『無』に取り込めばこの広い世界をより早く『無』に帰すことが出来るではないか。
どうせこの世界の運命は『無』によってなにもなくなることに決まっている。
だったら、それを一人で粛々とやるより気心の知れた仲間と共に行うほうがより面白いではないか。
「そうだ……。この『無』をあいつらにもたっぷりと注ぎ込んで、『無』の素晴らしさと気持ちよさを教えてやらねえとな。
きっとバッツもクルルも泣いて悦んで、俺みたいに『無』を受け入れるはずだぜ…ククク!」
そうと決めたファリスは人間の姿に化けると、つかず離れずの距離をとって二人を追いかけ始めた。
すぐに仲間にするのも面白くない。しばらくはあいつらの世界を救うといった遊びに付き合うのもいいだろう。
どうせ世界の運命は決まっている。
それが早いか遅いかの違いでしかないんだから。
終