惣流アスカの更迭 外伝二話 ユイ、魂の座
今年60歳を迎えるシンジとアスカは、ドイツから日本へ向かう旅客機の中に居た。
還暦のお祝いにと娘のユキと息子のアサヒが故郷への旅をプレゼントしてくれたのだ。
しかし、シンジとアスカは自分達のレストラン『海猫亭』をまだ娘達だけに任せるわけにはいかないと日本行きを渋っていた。
そんな2人に日本行きを決意させたのは、レイからの手紙だった。
「病に伏せっていたユイさんが先日亡くなられました。ユイさんは死の間際に碇君に一目だけでも会いたいと言っておられました。せめて一度だけでもお母様の墓前に姿をお見せください」
シンジはエヴァからサルベージされた後も家族の事を顧みずに自分の好きな研究に没頭するユイに愛想を尽かしていた。
ユイの方もゲンドウとは違ってシンジやアスカにたいして何か連絡をしてくる事は無くお互い無関心な関係が続いていた。
ユイはエヴァンゲリオンの研究をするのは辞めたものの、今度は人間の寿命を延ばすための薬品の開発にいそしんでいた。
シンジの目にはユイは何も反省をしていないと映ってしまったのかもしれない。
ゲンドウも二人の冷え切った関係をなんとかしたいと思っていたが、シンジの静かな怒りとユイの頑固さにどうする事も出来なかった。
そうこうしているうちに長い年月が過ぎ、ユイはついに体を壊して病に倒れてしまった。
「母さんは自分のしたい事だけして死んだんだから、満足なんじゃないかな」
「死んじゃった人の事を悪く言うのは止めなさいよ」
不機嫌そうな顔で座席に座っているシンジをなだめるようにアスカはそう声を掛けた。
そして3列シートの窓際の座席で背もたれにもたれかかって眠っている今年で8歳になる孫娘のマリアに目を向けてからシンジをからかうような目つきで見つめ直す。
「せっかく初めての日本旅行なのに、おじいちゃんがそんな難しい顔をしてたらマリアがガッカリしちゃうじゃない。ほらもっと笑って!」
そうアスカに言われたシンジは、苦笑しながら言い返す。
「マリアの顔を見れば、自然に笑顔になっちゃうよ。……どうして、孫っていくつになってもかわいいんだろうね」
「さあ分からないけど、マリアが中学生になる頃にはアタシ達と居るより友達と遊んでいる方が楽しくなるんでしょうね」
「こうして構ってもらえる内が華ってわけだね」
シンジとアスカは向かい合って乾いた笑い声を浮かべた。
機内に着陸を告げるアナウンスが流れる。
アスカはマリアを起こしてシートベルトを付けさせている。
シンジはそんな2人の頭越しに窓から、自分が子どもだった頃からすっかり様変わりした第三新東京市の姿を見ていた。
第三新東京市は要塞都市の役目を終え、今は富士山をメインにした観光都市となっていた。
兵装ビルの廃墟跡に建てられた真新しい木造風の寺や神社などの建物。
それは外国人観光客を呼び込むためにイメージ先行で作られた、似非の伝統の街だった。
第三新東京市国際空港に降り立ったシンジとアスカは懐かしさよりもガラッと変わってしまった街の風景にあきれ返ってしまった。
そんな2人の心情はいざ知らず、空港で珍しい物の数々を目撃したマリアははしゃいでいる。
「おじいちゃん、アレ面白い」
マリアがそう言って駆け寄ったのは、みやげ物屋に置かれていた千手観音の置き物だった。
「これからそう言うものがたくさん見れる場所に連れていくからね」
アスカはそう言ってマリアの手を引いてタクシー乗り場に向かおうとするが、マリアはその置き物がよっぽど気に入ったのかそこを動かない。
それを見ていたシンジが財布を取り出し、代金を店員に渡す。
「ありがとう、おじいちゃん!」
マリアは満面の笑みでシンジに向かってお礼を言った。
アスカは面白くなさそうな顔で思いっきりシンジの足を踏みつけた。
「痛っ、もう60歳になるんだからさ、本気で踏む事無いじゃないか」
「これじゃアタシが意地悪ばあさんみたいじゃないの」
「シンジおじいちゃんとアスカおばあちゃんっていつもラブラブなんだね!」
マリアにそう言われてシンジとアスカは言い争うのを止めて黙り込んだ。
その後、『だって、ケンカするほど仲が良い』と続くのが分かっていたからだ。
娘のユキが店でのシンジとアスカのケンカを止める魔法の言葉だった。
シンジはアスカのブツブツとした文句を回避する事が出来たとホッと安心して胸をなでおろした。
アスカは右手でマリアの手を、左手にシンジの手を引いて歩き出した。
マリアは左手で買ったばかりの千手観音の置物を嬉しそうに抱え込んでいた。
シンジはそんな嬉しそうなマリアの顔を見て良かったと喜んでいたが、アスカの苦労も分かっていた。
初日からあの種類のお土産を買ってしまうと、邪魔になって仕方が無いのだ。
しかも、細かい細工がされた仏像なので適当に荷物の中に押し込むわけにもいかない。
そんな3人を乗せたタクシーは、直近のリニアレール駅、新箱根へ向かった。
そこからリニアモーターカーに乗って、ゲンドウの住む、そしてユイの墓がある京都の街を目指すのだ。
ゲンドウは随分前から京都で1人暮らしをしているが、近所に住む娘のように接して居たレイが身の回りの世話をしていると言う。
シンジやアスカには他にもケンスケやヒカリ、旧ネルフのスタッフなど知り合いも居たが、今回の旅行でわざわざ会いに行こうとは考えていなかった。
ドイツで子育てをしながら暮らすのに精いっぱいだったし、お互い単なる知り合い程度までといった関係のまま何十年も経っていたのだ。
しかし、シンジ達が新箱根の駅につくとそこには目立つ真っ赤な車に乗った派手な服装をした壮年の女性がシンジ達を見つけて声を掛けてきた。
「やっほー、シンジ君、アスカ!」
そう言ってサングラスを外して髪をかきあげる仕草は昔と全く変わりがなかった。
「ミサトさん!」
「ええっ!?」
70歳を超えているとは思えないスピードでシンジとアスカに駆け寄ったミサトは、シンジとアスカの頭を2人が首の骨が折れてしまうかと錯覚してしまうぐらい強い力で胸に抱き寄せた。
そうして、駅前で抱き合う老人3人と言う光景が出来上がってしまった。
ミサトの腕の力が緩み、やっと解放されたシンジとアスカは体中を使って呼吸をした。
マリアはぼう然と立ったままそんな3人のやり取りを見つめている。
ミサトは側に立っているマリアに気がついて笑い掛ける。
「ユキちゃんだっけ? すっかり大きくなったわねー」
突然日本語で話しかけられたマリアは、訳が分からず戸惑ってしまった。
「バカねミサト、ユキはとっくに成人しているわよ」
「ユキの娘のマリアです」
アスカとシンジの説明で
「初めましてマリアちゃん、私はミサトよ」
ミサトは久しぶりにドイツ語で話しかけると、マリアにも何とか通じたようだ。
「初めましてミサトさん、私はマリアです」
マリアはなるべく聞きとりやすい丁寧なドイツ語でミサトに微笑みかけると、アスカにそっと耳打ちをした。
マリアに耳打ちされたアスカはプッと吹き出して面白がっていると言う感じの眼差しでミサトを見つめた。
「どうしたの?」
「あんまりにも元気なおばあさんだから年齢が知りたいって」
「私は14歳よ♪」
「7が抜けてますよ」
ウィンクをしながらマリアに人差し指を突き出して振る仕草をして話しかけると、シンジがそうツッコミを入れた。
そんなシンジとアスカとミサトの3人の雰囲気を見てマリアは何かを感じ取ったのかクスクスと笑い出す。
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、ミサトさんもみんな楽しそう」
マリアに指摘されて、3人はドイツと日本、数十年と言うとても離れた距離と時間が縮まっているのを感じた。
「まあ、積もる昔話はあるけれど、そろそろ出発しましょうか」
ミサトはそう言って、シンジ達を自分の車に手招きした。
「行くってどこに?」
「決まっているじゃない、あなたのお父さんが待っている京都へよ」
「僕達は駅からリニアに乗って行くので……」
シンジはミサトから離れようとしたが、その腕をミサトが強い力でつかむ。
「大丈夫よ、四つ葉マークは車にきちんと貼っているし♪」
シンジが助手席に引きずりこまれたのを見て、アスカは観念してマリアを連れてミサトの車に乗り込んだ。
「マリア、おじいちゃんとおばあちゃんが心臓マヒでポックリ逝かないように祈っていてね……」
後部座席でシートベルトを締めたアスカはマリアにそう語りかけるのだった。
そんなシンジとアスカの心配をよそに、ミサトは平然と高速道路を運転し京都へと到着した。
運が良かったのか、日本政府の休日高速料金上限1,000円政策により高速道路もほどほどに混んでいて、ミサトもブッ飛ばすわけにも行かなかったのだ。
若い頃のミサトなら車の間を縫って進んで行こうとしたのかもしれないけれど。
ゲンドウの住んで居る家は京都の中心地から離れた北の外れにあった。
古都・京都の観光をしたいと言うマリアの希望には逆らえず、寺や神社を巡ってからシンジ達はゲンドウの家へと向かう事になった。
マリアは10円玉に描かれている平等院の実物を見てとても感動したようだった。
平安神宮、清水寺などで日本人の観光客達が手を合わせるのを真似して、マリアも熱心に祈りをささげていた。
「マリアは何をお願いしたのかな?」
「多分、おじいちゃんとおばあちゃんと同じ願い事」
シンジに聞かれたマリアは笑顔でそう答えた。
「どんな願い事をしたの、おばあちゃんにも教えてくれないかしら?」
「うん、2人でずっとラブラブで長生きできるようにって」
「アンタ、何て事を!」
「違うの?」
「あ、当たっているわよ!」
ミサトにはアスカとマリアの会話は聞こえなかったが、アスカがからかわれているのは分かっていたのでニヤニヤと眺めていた。
シンジ達は夕方になって、ゲンドウの住む家にやって来た。
入口のインターホンをシンジ達が鳴らすと、女性の声が聞こえて来る。
「碇君?」
「そうだよ、綾波」
シンジが昔の名前でレイを呼ぶと、玄関の鍵が開けられる音がした。
そしてドアを開けると、年相応に老けたレイが姿を現した。
レイの方も、シンジの姿、そしてアスカとマリアを見てしばらく黙っていた。
「久しぶりだね」
沈黙を破ったのはシンジの方だった。
レイは穏やかに微笑みながら頷き、シンジ達を家の中に招き入れる。
玄関から足を踏み入れたシンジ達の目の前には障子が開け放たれた和室、そして縁側で庭の方を向いてこちらに背を向ける形で座っている年老いたゲンドウの後ろ姿が見て取れた。
ゲンドウはすっかり痩せこけ背中は丸まっており、かつてのネルフ総司令の威厳は感じられず、矮小な1人の老人にしか見えなかった。
シンジとアスカはゲンドウの変貌に少なからず衝撃を受けて黙り込んでしまったが、ゲンドウがこちらを振り向かない所を見ると、すっかり耳も衰えてしまったのかと思っても無理は無かった。
「シンジか」
近づいて声をかけようと思ったシンジは突然呼ばれて驚いた。
ゲンドウは顔を直接シンジと合わせるのに戸惑っているのだとその場に居る誰もが感じ取った。
マリアも大人しくアスカの隣で立っていた。
「父さんはあれから何年もドイツに来なかったから、悪ふざけが過ぎて怒っているのかと思ったよ」
「私もシンジとアスカ君が心の底から私を憎んでいるのかもしれないと考えたら、怖くなってしまった」
またしばらく沈黙が2人の間に流れた後、シンジが重い口調でゲンドウの背中に話しかける。
「母さん、亡くなったんだってね」
「ああ、私はユイの墓を京都に建てて思い出に浸りながら余生を送ろうと思っている」
庭にそびえ立つイチョウの木が風に吹かれる。
まだ9月と言う事もあり、葉は色づきはじめたばかりだった。
「私はもうほとんど家の中から出る事が無く、庭に植えた木の葉の色付きによってしか季節を感じる事が出来ない。ふっ、私にも死と言うものが確実に近づいているのだな」
「僕はやっぱり、母さんの提唱した理論を元にして建てられた人類補完計画は間違っていると思う」
ゲンドウの皮肉めいた言葉がシンジの心を刺激したのか、シンジはゆっくりと胸の内を語りだした。
レイやアスカ、マリアもじっとシンジの言葉に耳を傾けている。
「人類がエヴァの中で永遠に1人ぼっちで生き続けるなんて、何の意味もないと思うよ」
「人の命は短い、樹木のように何千年も生きる存在の方が優れているのではないか、とユイは言っていたが」
ゲンドウが問いかけると、シンジは首を横に振って答える。
「そんな事をする必要は無いよ。だって、人類の歴史は昔からずっと続いているじゃないか、この京都のように」
「1000年前は平安京と呼ばれていたな」
「男の人は女の人を愛して子供を残して、子供は親から受け継いで、そして孫へと伝わって歴史が出来て行くんだと思うよ」
「そうか、それがユイに対するお前の答えなのか。……ふっ、生きているうちに聞かせてやりたかったな」
ゲンドウはそう呟いたきり、黙り込んでしまった。
誰も言葉を発しない重苦しい空気に耐えられなくなったのか、マリアがシンジの服の裾を引っ張る。
「ねえ、難しい話は終わったの?」
「ああ、終わったよ」
シンジがそう言うと、マリアは笑顔を浮かべてゲンドウの正面に回り込んで話しかけた。
ゲンドウはドイツ語で声を掛けてくるひ孫に驚いた様子だったが、やがて嬉しそうにしわがれた手でマリアの頭を撫でた。
その姿はどこにでも居る普通の老人と変わりは無かった。
シンジ達がドイツに戻ってから1月も経たない頃、ゲンドウが亡くなったと日本に居るレイから手紙が来た。
レイの手紙によると、ゲンドウは悔いもなく満足したような笑みを浮かべながら、静かに眠るように死を迎えたと言う。
ゲンドウはユイと同じ樹齢1200年の楠の生える寺の敷地内にある墓に葬られた。
「アタシは高価な墓石なんて要らないからね」
その訃報を聞いたアスカはシンジに向かってそう語りかけた。
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