投稿者 aumer_yasu | 10月 15, 2009

『創世期経』

ブッダからのメッセージPART1

 (91.9.14初版)

 すべては、心の現われである--この言葉は、今から二千五百年前、サキャ神賢(仏陀釈迦牟尼)がお説きになった世界観のポイントを示す言葉である。
 この「すべては、心の現われである」という意味は、どういうことであろうか。
これは、心の働きによって微細・中位・粗雑なエレメントが反応し、そして世界ができ上がるということを意味しているわけである。
 『旧約聖書』や『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」や、あるいはマホメットが説いたイスラム教、あるいはヒンドゥー教、このすべての世界観は、これからわたしが説き明かす原始仏教の世界観の中に包含される。
 なぜ、すべての世界観が包含されるのかというと、それはキリスト教やイスラム教やユダヤ教、あるいはヒンドゥー教といったものの教えの本質は、「有」つまり生存の世界に限定されているが、原始仏教の世界は、その有を超越した「超有」、あるいは「非有」の世界観を併せ持っているからである。
 そしてこれは、今キリスト教を信じている方やイスラム教を信じている方やユダヤ教を信じている方やヒンドゥー教を信じている方や、あるいは仏教を信じている方、そのすべてが読むだけで、その世界の成り立ち、そしてわたしたちが何をなせば本当に幸福になれるのかを説き明かした「啓示の書」ということができるであろう。            
 ところで、これらの内容は、深いサマディに入って経験することのできる内容である。そして、現代の疑い深い日本人にその原典である『創世期経』を示すことにより、わたしの経験しているものと、そして原始仏教の経典とが一致していることを証明したいと考え、巻末にデーヴァナーガリー文字のパーリ語で『創世期経』の原本を載せることにした。
 この経の流布によって、すべての魂が真実に気付き、正しい生き方の実践をなされるとするならば、幸いであると考える。

1991年7月21日 黎明のとき              麻原彰晃

投稿者 aumer_yasu | 10月 15, 2009

第一の啓示 虚空、そして創造

その1 母なる十字金剛

 そのときのことを、あなたはおそらく覚えてはいまい。長い転生のうちに、あなたはすっかり迷妄と忘却にとらわれてしまったのだ。
 今、わたしはあなたにそのすべてを告げることにしよう。
 わたしは、今生そのためにこの世に降りてきたのである。
 わたしがあなたの前に現われたのは、まさにその記憶をあなたに呼び覚ますためなのである。

           *

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 それは大いなる虚空のときであった。
大宇宙の扇は完全な静寂と静止の中にあったのだ。
 しかし、創造のときが近付いていた。
 そのとき、四方を貫いて大いなる風が巻き起こった。その大風は、集められ、凝縮され、その空間から黄金色に光り輝く緑色の十字金剛が立ちいでたのである。
 強い風の集結と圧縮によって形成されたこの十字金剛は、堅固であった。
そして、いかなるものによっても壊すことのできないものであった。
 やがて、その十字金剛の上方に、黄金色のくびき形の雪がたちこめ、大粒の雨、小粒の雨が十字金剛に降り注がれた。
 降り注がれた雨水は、十字金剛を形どっている風の力の覆いによって、もれなく蓄えられ、ついには大海のようになったのだ。
 そして、その中央に千の金の導華が現われた。
「素晴らしい」
これを見た浄土の神々はこう叫ぶのだ。
なぜならば、これが千の覚者方の現われるしるしであることを神々は知っているからである。
「なんと素晴らしい」
「優れた時代の到来だ」
と、神々は歓善し、叫ぶのであった。
 十字金剛の中の大海は、強烈な風によってかき混ぜられる。
 やがて、その十字金剛を包むように、オレンジ色の楕球が現われるのである。


 その二 降り注ぐ雨、巻き起こる風

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 これは真理であり、それゆえあなたの観念を超えるものである。
よって、その観念を捨て、よく聞きなさい。
          *
 この球の内側に、引き続き雨が降り注ぐのだ。
 このとき、既に十字金剛の内側の水は飽和状態になっている。そこで、雨は楕球と十字金剛の間の隙間に絶え間なく降り注ぐ。この雨は非常に粘性の強い水溶性の元素でできているのである。
 このようにして、十字金剛と楕球との隙間が外側の海となるのだ。
 この海は、やむことのない風によって激しくかき混ぜられ、「最高・中位・劣悪」という三段階のエレメントをつくり出すのである。
 やがて、この楕球の海の底部に、千個の半月型をした黄金色の台座が現われる。
それは神々によって、「大いなる力」と呼ばれるのだ。
 この千の黄金色の台座の上には、七つの金の山脈、四つの大陸、八つの隣接した島々、多くの他の島々、金の山々などが同時に現われるのである。

 

その三 讃えよ、メール山

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 これは真理であり、それゆえあなたには謙虚さが必要である。なぜならば、傲慢さはあなたに何の利益も与えないからである。
                      *
 この黄金の台座の中央には、巨大なメール山がそびえているのだ。それは、「最高のエレメント」から作られ、海面から八千ヨージャナ上に延びており、なだらかで山頂は丸みを帯びている。
 ところで、このメール山という名は、本来は正しくはない。この山の名を正しく語るならば、それは「完全無欠山」とするのがふさわしいのである。
 そしてこの山には、四つの側面があるのだ。
それは、東の面は水晶、南はアクアマリン、西はルビー、北は黄金という四つである。
 空は、それぞれの色をはっきりと反射している。
 このメール山には、海面から山半分の高さまでに四つの段がある。このふもとにあるのが第一天界、ふもとから山頂にかけてが第二天界である。
         *
 ここであなたが、その近い前生を思い出すならば、この第一の天界とは今、東にはガンダッバが住み、西には龍が住む世界であり、また、この第二の天界とは今、有能神の住む世界であると知るに違いない。
 このように、あなたは注意深く、敬意を払ってこの話に耳を傾けるべきである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 「中位のエレメント」はメール山の外側の七つの山脈を形成するのである。これは、メール山を取り囲む外輪山である。その七つとは、
(一)くびきの形をした山
(二)すきの形をした山
(三)「アカシアの木の場所」という山
(四)「見て美しい」という山
(五)「馬の耳」という山
(六)完全に折り曲がった山
(七)外周を形成する山
という名である。
 それらの山脈の間の空間は湖になっていて、それぞれは八つの性質を持っている。それは、
(一)冷たさ
(二)おいしさ
(三)軽さ
(四)柔らかさ
(五)透明さ
(六)無臭性
(七)飲んでも喉に害がないこと
(八)飲んでも胃に害がないこと
という八つなのである。

 

その四 四つの大陸、八つの島々

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 これは真理であり、それゆえあなたには智慧が必要である。智慧ある者は、これを如実に理解することであろう。
          *
 「劣悪なエレメント」は、七つの山脈の外側にある四つの大陸、八つの隣接する島々、多くの他の島々、金の山脈からなる外縁を形成するのだ。
 四つの大陸とは、
(一)東 高貴なる身体を得る大陸
(二)南 バラリンゴの大陸
(三)西 願いがかなう牛の大陸
(四)北 悪しき音の大陸
である。

 八つの島々とは、
(一)東 「身体」という島
(二)東 「高貴なる身体」という島
(三)南 「尾状の扇」という島
(四)南 「別の尾状の扇」という島
(五)西 「動き」という島
(六)西 「完全な道を踏む」という島
(七)北 「悪しき音」という島
(八)北 「悪しき音の月」という島
である。そして、四つの大陸それぞれには名もない大きさ、形も様々な数多くの島々、そして千の付属的な地域があるのだ。
 これらを取り囲む山脈は、火山性の鉄でできており、外側の境界つまり外縁を形成している。
これを名付けて「黄金の山々」という。
 大陸を除く、黄金の山々の外側から外縁までは塩水で満たされていて、「塩水の海」と呼ばれている。
 この海は外縁の馬の顔をした山脈と接するが、この山は火山で、その火が海を蒸発させ、その境を越えさせないようにしているのである。
          *
 ここで、あなたの心に少しでも不安や恐怖の念が生じるならば、それは幸いである。なぜならば、この外縁の山脈は決して望ましくなく、あなたに喜びをもたらさない所だからである。
 そのように、あなたは一刻も早く、思い出さなければならないのである。
          *
 このように、メール山の世界とそれ以下の世界ができ上がるのだ。すると、その山の上方に四つの雲状の空間が現われるのである。
 それと同時に、黄金色に輝く緑色の十字金剛には、十方 から吹き込まれる風の働きが止む。そして、それは球状の 光り輝く黄色い神聖球になるのである。
 この黄色は、レモン色のようにも見える。実に、この球 体こそ、後に神聖天として知られる世界なのである。
           *
 ここまでが、一つの全容である。これ以上のものは存在しない。また、これ以外のものも存在しないのである。
 あなたは、このわたしの言葉を繰り返し何度も味わうが よい。それは、あなたに大いなる利益を与えるに違いない であろう。
 わたしは、このように語る者なのである。

投稿者 aumer_yasu | 10月 15, 2009

第二の啓示 転落の始まリ

その一 光を放ち、飛来する日々

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、さらによく聞きなさい。
 次にわたしは、今あなたがあなたと知る魂について語ろうとするのだ。
          *
 見るとこのオレンジ色の楕球の上には白い光球があるのだ。そして、そこに住む人こそ、まさにかつてのあなたなのである。
 その住人は--いや、ここであなたのよく知る「神」という言葉を使うことにしよう--神々は、美しい透けるような身体をし、意識から成り立ち、喜びを食べ、自ら光を放ち、空中を飛行し、至福の状態で存在しながら、久しく大変長い間、そこにとどまっているのである。

          *
 あなたはおそらく覚えてはいまい。
それは、善業に満ち、功徳があり、今のあなたに比べてはるかに幸福の多い世界の様子なのである。
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 真理勝者は時を選び、場所を選び、この哀れな人間界に降り、その記憶を呼び覚まさせようとするのである。
 よって、あなたはわたしの言葉を正しく聞かなければならないのである。

 

その二 落下、苦悩へ

 さて、ところがである。
大変長い時が過ぎ、この世界が創造されるとき、この光音天の世界の一人の神の放つ光が弱まるのだ。
          *
 この光が弱まるとは、どのようなことであろうか。
 かつて、自らが光を発する存在であったことを忘れてしまったあなたにその意味がわかるであろうか。
 それは、大変悲しむべきことなのである。
          *
 彼はその世界から落ち、白い光の世界から消え、瞬間的にレモン色の神聖天の世界へと転生するのだ。
 すなわち、魂の落下が始まったのである。
 彼はここで、神聖天に存在するただ一人の住人として、威厳を有し、喜びを食べ、空中を飛行する。しかし、その自らが放つ光はずっと弱くなっており、また彼はたった一人であるための孤独にとらわれている。そして、彼はこう考えるのである。
「本当に、この世界に他の魂がやってこないであろうか」
と。
 ちょうど同じころ、白い光の世界からまた一神、二神と、神々が光を失い、色あせ、もがきながらその世界を落下するのである。そして、彼らは一神、また一神と神聖球の世界へと転生する。彼らはここでやはり意識から成り立ち、喜びを食べ、空中を飛行し、至福の状態で存在しながら、大変長い間とどまるのである。
 しかし、その自らが放つ光はずっと弱くなっている。そして、初めにこの世界に転生した神が大変威厳を持っているのに対して、ずっと威厳がなくなっているのである。
 このとき、万物すべては水となっており、暗闇があり、暗闇の暗黒がある。そして、月と太陽、恒星と惑星、夜と昼、半月とひと月、季節の周期などは認識し理解されず、女と男といった性別も認識し理解されない。すなわち、「衆生は衆生である」と命名され、この段階においては性の分化はなされてはいないのである。

 

その三 錯覚

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 ここであなたは思い出さなければならない。このとき、あなたには誤った見解が生じたのだ。それは、間違った見解であり、とらわれた見解である。
          *
 すなわち、あなたは初めにこの世界に転生した大神聖天によって、自らが創造されたと錯覚を起こし、その大神聖天を敬うようになるのである。そして、大神聖天も同じように自らが他の魂を創造したと錯覚を起こすのである。
 このようにして、ここで神々の間に一つの煩悩である「身分の上下」が生じるのである。

 

その四 渇愛の生起

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 ここでまた、長く繰り返される災いの新たなきっかけとなるときが近付こうとしているのだ。
          *
 長い時が過ぎたあるとき、この神聖天に「地の味」というものが現われ、水中に均一になった。そして、あたかも牛乳を熱して冷やすと表面に広がるように、「地の味」は出現したのである。
 それには、色彩と香り、そして味があった。あたかも、発酵したバターや他のバターが持っているかのような色彩と、また純粋である極めてまれな蜂蜜のような味わいがあったのだ。
 ここで、あなたは思い出さなければならないのだ。
 そのとき、ある貪欲な一人の神が「地の味」を指で味わったのだ。
「おや、これは何だろう」
と。
それは実に単なる興味であり、小さな好奇の心であった。しかし、それがもたらした結果は甚大であったのだ。
 それは彼を喜ばせ、その結果、彼に渇愛が生起したのである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、この宮びとはやがて大いなる苦悩を伴うものであることに、そのとき彼は気付かなかったのである。
 渇愛とその膏びとは、まさにそのようなものなのである。
                    *
 他の神々は、初めそれをいぶかしげに見守っていた。しかし、そのうちに集まってきた神々の中にも同じように「地の味」を指で味わう者が現われたのである。
「おいしい」
「本当に、おいしい」
このようにして、それを味わった他の神々の中にも、同じように渇愛が生起したのである。
 そこで、この「地の味」がおいしいということがわかった神々の中に、今度は「地の味」を手でちぎり取って食べ始める者が現われたのである。
          *
 あなたは、このことから知らなければならない。
このように、煩悩に支配された者の欲求は、増大していくのである。そして、それはあなたの心を粗雑なものへと縛り付け、自由を損なわせ、喜びの裏側にある苦しみを生起させ、ついにはただ落下をもたらすのである。
 なぜならば--このとき、それまで神々が自ら放っていた光が消えたからである。

 

その五 月と太陽、夜と昼の誕生

 神々は「地の味」を食べるようになった。
それを食べ物とし、栄養とするようになると、その神々の身体は粗雑化し、容色は色あせていった。
 そして、「地の味」を食った神々とそうしなかった神々との間に容色の差異が生じ出したのである。
 やがて、容色の良い神々は、容色の悪い神々を軽蔑するようになったのである。
「我々は彼らより容色が良い。
彼らは我々より容色が悪い」と。
そして、この容色の自負によって、「慢」が生じたのだ。

          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 この軽蔑、そして慢とは、あなたが今よく知るところのものである。このような邪悪な心は、食りというものを背景として、こうして少しずつ少しずつ形成されていったのである。
 そして、それは落下をもたらすのみなのである。
          *
 こうして、自ら放つ光が消え、微細な光の身体から粗雑な身体へと変化したとき、食りの強かった神々は神聖天から落下したのである。そして、その貪りの度合によって、第六天界、第五天界、第四天界、第三天界へそれぞれ転生したのである。
 このときである。月と太陽がはっきりと出現したのだ。
そして、恒星と惑星が出現したのだ。そして、夜と昼、半月とひと月、季節の周期が認識し理解されるようになったのである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、このようないきさつを見るならば、あなたがこの月と太陽とを崇めることは、果たして正しいことなのであろうか。しかし、人を迷わせてやまない多くの無明の凡夫は、この天体を賛美し崇拝させるのである。
          *
 このときをもって、この大宇宙は虚空の時期を終わり、再び創造の時期へと移行するのである。これをある者たちは、「成劫」と呼んでいるのだ。

投稿者 aumer_yasu | 10月 15, 2009

第三の啓示 繰り返される喪失・消滅

その一 嘆き悲しむ

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 第六天界、第五天界、第四天界、第三天界--この世界には「地の味」がなかったのである。そこで、ここに転生した神々は、大変嘆き悲しんだ。
「ああ、素晴らしい味覚よ。ああ、素晴らしい味覚よ」
と。
 ここで、あなたは気付くことであろう。つまり、現在でも、人は何らかの素晴らしい味を得たとき同じように、
「ああ、素晴らしい味覚よ。ああ、素晴らしい味覚よ」
と言うということを。
 つまりこの言葉とは、本来このような意義のものだったのである。それがその意義が理解されないまま、今も使われているということなのである。
          *
 ところで、ここでこの落下した魂が、嘆きや悲しみの原因について理解することができたならば、幸いであった。しかし哀れにも、それはできなかったのである。そのために、あなたは今なお多くの悲哀を味わわなければならないのである。
 よって、あなたは、今この瞬間にも悟らなければならない。
 そのためにこそ、わたしはこの法則を明かしているのである。

 

その二 新たなる落下

 ところが、ここで第六天界、第五天界、第四天界、第三天界それぞれの世界に新たに粘り気のある「地の餅」が出現するのである。それは無智に覆われた者にとっては、新たな不幸の因となるものであった。
 それはちょうどキノコのようなものであり、まさにキノコのように出現したのである。それには、色彩と香り・そして味が期わっていた。すなわち、ちょうど、発酵したバターや他のバターが持っているような色彩や純粋で極めてまれな蜂蜜のような味わいがあったのである。
 そこで、神々は「地の餅」を食べ始めたのである。そして、彼らはそれを大変長い間食べ物とし、栄養としたのだ。
 すると、その身にはさらに非常に粗雑なものが現われ、容色が一層色あせていったのである。
 そして、それはこの「地の餅」をどれだけ食ったかによって異なり、神々の間で差異が生じたのである。そこで、容色の良い者たちは、ここでも容色の悪い者たちを軽蔑するのであった。
「我々は彼らより容色が良い。彼らは我々より容色が悪い」と。
 そして、この容色の自負によって、ここでも「慢」が生じたのである。
 このとき、貪り続けた神々は、容姿が悪くなり、第六天界、第五天界、第四天界、第三天界から落下し、第二天界、第一天界へと転生したのである。

 

その三 慢の増大

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 わたしはこのように、あなたに不幸の因とその起源を説いているのである。そして、それを、あなたが遥かずっと以前から延々と繰り返してきたということを説いているのである。
                         *
 さて、第二天界、第一天界の神々は、それぞれの世界につるくさ蔓草が出現したことに気付いた。それはちょうど竹のようなものであり、まさに竹のように出現したのである。それには、色彩や香り、そして味があった。すなわち、ちょうど発酵したバターや他のバターが持っているような色彩や純粋で極めてまれな蜂蜜のような味わいがあったのだ。
 そこで、神々は蔓草を食べ始めたのである。そして、彼らがそれを大変長い間食べ物とし、栄養とするうちに、その身にはまた一層粗雑なものが現われ、容色がさらに色あせていったのである。それはこの蔓草をどれだけ貪ったかによって異なり、神々の間に差異が生じたのである。
 そこで、容色の良い者たちは、ここでも容色の悪い者たちを軽蔑するのであった。
「我々は彼らより容色が良い。彼らは我々より容色が悪い」と。
 そして、この容色の自負によって、ここでも「慢」が生じたのである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 あなたは、今も傲慢さに心を支配されているが、果たしてそれは正しいことなのだろうか。
 わたしがあなたに、このような高い世界を説いているのは、あなたが今大切に考え、誇りと考えているものがそれだけの価値のないものであることを証明するためでもあるのだ。
 ここで、あなたは謙虚さと少しの勇気を持たなければならない。
 それは、あなたの心を解放する上で大きな助けとなることであろう。

 

その四 いとわしき性の分化

 ところが、長いこと食されたこの蔓草は、ある日第二天界、第一天界から消えてしまったのである。そこで、神々はまた大変嘆き悲しんだ。
「ああ、なくなった。ああ、蔓草が消えてしまった」
と。
 ここでまた、あなたは気付くであろう。
つまり、現在でも、人は何らかの苦の法則に触れたとき、このように言うのだ。
「ああ、なくなった。ああ、消えてしまった」
と。
 つまりこの言葉とは、本来このような意義のものだったのである。それがその意義が理解されないまま、今も使われているということなのである。
 そして、蔓草が消えたとき、今度は耕さなくとも自然と生え、しかもそのまま食べることのできる米が出現したのだ。この米には、米ぬかやもみがらがなく、よい香りがする米粒がなるのであった。さらに、それは夜夕食のために持ち帰っても早朝には熱して再び生長し、早朝朝食のために持ち帰っても夜には熱して再び生長し、決して途切れることがないのである。
 そこで、神々は、この米を大変長い間食べ物とし、栄養とした。すると、その身には一層粗雑なものが現われ、容色がさらに色あせていったのである。
 そして、ここで男性と女性の別が初めて生じるのだ。つまり、女性には女性の性器が出現し、男性には男性の性器が出現したのである。
 そこで、長い間、女性は男性を切望し、男性は女性を切望するようになった。そしてお互いに切望し合ったことから愛著が生じ、色情が生じたのである。そして、色情によって性交にふける者たちが現われたのである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 これが性の交わりの始まりである。そして、それは新たなる錯覚の始まりでもあったのである。
 今日、あなたはどれほどこの異性というものに心を縛られ、煩わされているか、思い出すがよい。
 このようないきさつを知るならば、それは本来、要らぬものであったと、あなたは知るであろう。
 あなたは、この生殖器の喜びによって、大変大きなものを失わなければならないのだ。

 

その五 家の始まり

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 そのとき、その性交にふけっている神々に、他の者は泥や灰、または牛糞を投げ付けて罵倒したのである。
「不浄な者よ、滅びろ。不浄な者よ、滅びろ。なんでこんなことをするんだ」
と。
 ここで、あなたは気付くことであろう。現在でも、そのような風習がある地域には残っていると。例えば、ある地方では花嫁が連れ出されるとき、泥や灰や牛糞を投げ付けたりするのだ。
 つまり、それは本来このような意義のものだったのである。それがその意義が理解されないまま、今もなされているということなのである。
 性交にふけった者たちは、ひと月もしくはふた月の間、村や町に入ることが許されなかった。
 ここで、性交にふけることが邪悪な法則とされ、長い間虐待を受けることとなったために、性交にふけろうとする者たちはそれを隠すために、家に入ったのである。
 これが、家の始まりなのである。
 ところが、性交にふけっていた者たちを罵倒し続けた者も、批判のカルマによって容色が衰え、形状が変化して、湖の下にあり大きな蓮華のある憤怒天へと転生したのである。
 しかし、この憤怒天という言葉は本来は正しくはない。
実際は、「意識堕落愛欲神天」というのが正しいのである。

投稿者 aumer_yasu | 10月 15, 2009

第四の啓示 人間界へ、性交と怠惰

その一 貯蓄の始まり

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 第二天界、第一天界の神々の中には、怠惰な者がいたのである。そこで、彼はこのように考えたのである。
「どうしてわたしは、朝食や夕食のために朝夕米を運ばなければならないのだろうか。これを一度に運んだらどうだろうか」
と。
 そこで、彼は夕食と朝食の米を、一度に運んだのである。そして、ある神が彼の所を訪れた。
「さあ、米を食べに行こう」
「もういいんだ。僕は朝食と夕食の米を一度に運んだんだ」 この話を聞いたやはり怠惰な神は、同様に今度は一度に二日分の米を運んだのである。
 このようにして、怠惰な神々は二日分、四日分、八日分とまとめて米を運ぶようになったのである。
 このようにして、貯蓄が始まったのである。そして、第二天界、第一天界において、性交にふける神々が現われ、かつ米を何日分も蓄えて生活するようになった段階で、貪りの心の強い神々は容色もかなり衰え、身体の形状が変化して天界から落ち、この人間界へと転生したのである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、あなたは現在この貯蓄というものを一つの美徳と考えているが、しかし本来それはあなたを堕落させるものだったのである。
 そこで、いにしえより聖者といわれる魂は、この貯蓄というものを禁じたのである。
 そして、このようないきさつを知るならば、あなたはこの人間の世界に生を受けたことを賛美できるであろうか。
 よって、あなたは聖者の言葉に耳を傾けなければならないのである。

 

 

その二 苦しみだけの世界

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 この転生のプロセスは、言い換えれば徳がなくなっていくプロセスなのである。したがって、あなたが住むこの人間界というものが、功徳という点においていかに低い世界であるかをここで認識しなければならない。
 もし、そうではなく、この人間の世界を礼賛するものがあるとするならば、それは大変誤った見解である。しかも、それはさらにあなたを堕落に導き、不幸に陥れる考えであるということができよう。
 これが、真理を知る智慧者の考えである。
そして、わたしはそれを説く者なのである。
 よって、あなたは謙虚さをもって、よく耳を傾けるべきである。
          *
 人間界へと落下した者たちは、第二天界、第一天界にあった米を食べることはできず、米ぬかやもみがらがあって、刈り取られたら長い間生えることのない米を栽培し、食べなければならなかった。
 そこで人々は集まり、泣き叫んだのである。
「ああ、邪悪な法則が衆生の問に出現したものだ。
 我々は以前、意義から成り立ち、喜びを食べ、自ら光を放ち、空中を飛行し、至福の状態で存在しながら、大変長い間とどまっていた。
 ところがあるとき、『地の味』が水中に均一になった。
それは、色彩や香り、そして味があった。そこで、我々は『地の味』を手でちぎり取って食べ始めたのだ。すると、我々が自ら放つ光が消えたのである。
 自らが放つ光が消えたとき、月と太陽がはっきりと出現した。そして、月と太陽、恒星と惑星、夜と昼、半月とひと月、季節の周期が認識し理解されたのだ。
 そして、我々は『地の味』を食べ物とし、栄養とし、久しくとどまっていたが、邪悪な善からぬ法が出現し、『地の味』は消えたのである。
 『地の味』が消えたとき、『地の餅』が出現した。
そして、同じように、我々はそれを食べ物とし、栄養としていたが、邪悪な善からぬ法が出現し、『地の餅』は消えたのである。
 このように、次には蔓草が、次には耕す必要もなく、そのまま食べられる米が出現した。しかし、それらは同じように善からぬ法のために消え、今や我々の前には、米ぬかやもみがらがあり、刈り取られると栽培しなければ生えることがない米が残ったのである」   
       *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、あなたはここで知らなければならない。
 それは、今では、米に米ぬかやもみがらがあることを嘆く者はどこにもいないということである。つまり、もはや人間はそれを当たり前と考えるために、何の疑問も悲しみも感じることができないのである。
 そして、人間はそのような徳のない食べ物を喜び、食道楽やグルメといった楽しみを形にしてきたのである。果たしてこれは、哀れなことであろうか、それとも哀れではないことであろうか。
 これが高い世界の記憶を失うことの恐怖である。
 人間界の常識というものは、あなたを決してより多くの楽しみと喜びのある高い世界へ導くことはない。それはあなたをこの世界へと固定し、真実を見えなくさせ、やがてはさらに低い世界へと陥れるものなのである。
 よって、天から降りてきた者や、少しでも高い世界の記憶を持つ者にとっては、人間の世界は苦しみだけの世界となるのである。

 

その三 盗み、罰が加えられる

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 こうして、人間界へ転生した者たちは、自分が食べる米を栽培しなければならなくなったのだ。そして、米を分け、土地の境界を定めて所有するようになったのである。
「さあ、米を分けよう。境界を決めよう」
と。
これが労働の始まりであり、所有の始まりである。
 そのとき、ある意地汚い者が、自らの分け前を保持しながら、与えられていない分け前を取って食べた。
そこで、人々は彼を捕らえた。
「ああ、友よ、邪悪なことをなしたものだ。
さあ、二度とこのようなことをなしてはならない」
「わかりました、友よ」
と、その者は応えたのである。
 しかし、この意地汚い者は二度、三度と自らの分け前を保持しながら、与えられていない分け前を取って食べたのである。
 そこで、人々は彼を捕らえ、彼に罰を加えたのである。
彼は手や土の塊やこん棒で打たれたのだった。
 このように、ここで人々の間に、盗み・非難・嘘、そして刑罰が認識し理解されたのである。
 人々は集まった。集まって泣き叫んだ。
「ああ、友よ、邪悪な法則が出現したものだ」
と。
 しかし、衆生よ、そして高貴なる魂よ、今このことを嘆き悲しむ者がいるであろうか。

 

その四 身分・階級の発生

 やがて人々は、彼らの中で、より容姿や見た目が良く、感じの良い、偉大なる能力がある一人の者を選び、その者に文句や非難、追放を決定する権限を与え、それに対する報酬を与えることにしたのである。
 この「大勢の人々の中から選ばれた者」というのが、「偉大な崇拝の対象」のことであり、ここで「偉大な崇拝の対象」という第一の言葉が生じたのである。
 また、「田畑の主」というのが、武人のことであり、ここで「武人」という第二の言葉が生じたのである。
 そして、「法則によって他人を喜ばせる」というのが、国王のことであり、ここで「国王」という第三の言葉が生じたのである。
 これが、武人階級という集団の誕生なのである。

 

その五 祭司・庶民・奴隷などの階級

 さて、ある者たちに、このような思いが生じた。
「ああ、邪悪な法則が出現したものだ。盗みが、非難が、嘘や刑罰が、追放が認識し理解されたのだ。我々は邪悪な善からぬ法則を追い払おう」
と。そこで、彼らはこの法則を追い払った。
 この「邪悪な善からぬ法を追い払う」というのが、祭司のことであり、ここで「祭司」という第一の言葉が生じたのである。
 また、ある者たちは森の境域に草ぶきの小屋を作り、そこで瞑想と思索を始めた。そこには、炭火も煙も杵もなかった。そこで、彼らは夕方と早朝に、村や町や王都に行き、食物を求めるのであった。そして、再び草ぶきの小屋に戻り、瞑想と思索を繰り返したのである。
 この「瞑想と思索をする」というのが、灯明を灯す者、すなわち静慮者のことであり、ここで「静慮者」という第二の言葉が生じたのである。
 また、ある者たちはその瞑想と思索はできず、村の近くや町の近くに退いて、経典を作って読む。そこで、人は彼を見て、このように言った。
「この者たちは、瞑想と思索はできず経典を作って読む。
今や彼らは静慮しない」と。
 この「今や彼らは静慮しない」というのが、学者のことであり、ここで「学者」という第三の言葉が生じたのである。
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、この学者という階級は、その当時卑しいと見なされていたのである。しかし、現在では最上と見なされているのである。
 これが、祭司階級の誕生なのである。
一方、別のある者は、性交を記憶実践して、個々の職業に従事した。
 ここで、「性交を記憶実践して、個々の職業に従事する」というのが、庶民のことであり、ここで「庶民」という言葉が生じたのである。
 これが庶民階級の誕生なのである。
 そして、残りの者たちは、猟師を営むようになった。
 この、殺生という下劣な営みである「猟師の営み」をなす者が、奴隷のことであり、ここで「奴隷」という言葉が生じたのだ。
 これが、奴隷階級の誕生なのである。
 このようにして、様々な階級が誕生したのである。そして、これ以外に階級というのは存在しないのである。なぜならば、過去・現在・未来を通してこの法則以上のものは存在しないからである。
          *
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 このようにして、現在よく知られている様々な階級と役割が生じたのである。しかし、果たしてそれは、望ましいものであろうか。
 あなたの今住む世界をよく見てみるがよい。
よく観察するがよい。そこに生きる人々の心をよく考えるがよい。
 結局それは、人の権力や地位に対する欲求を刺激し、それを得たときには要らぬプライドの満足を生じさせ、凡夫が凡夫を裁くことをよしとする考えをはびこらせ、この世界に対する誤った信頼を形成させただけなのである。
 そして、このように生じたものをたとえあなたが得ることがあっても、それによってあなたが幸福になることはないのである。
 衆生よ、そして高員なる魂よ、あなたはここで理解しなければならない。
 それは、現代の社会における競争も名誉も、本来価値がないのだということなのである。

投稿者 aumer_yasu | 10月 15, 2009

第五の啓示 帰還--永久の至福へ

 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 一切は無常である。このように形成された人間の世界も、転配軍の登場の後、転輪聖王が現われなくなり、天界の祝福が注がれなくなると、悪がはびこり、やがて餓鬼・動物・地獄という「三悪趣」の世界が形成されるのである。
 よって、現在この人間界には前生高い世界にいた者もいれば悪趣から転生してきた者もいるということなのである。
 ところで、この人間界に転生した魂の中には、この高い世界の前生を潜在意識においてぼんやりと記憶している魂がいるのだ。
 この魂にとって、つまり天から降りてきた魂にとって、この人間界はまさに膏びや楽しみの少ない世界、苦しみと悲しみだけの世界ということができよう。
 このような魂は、やがてこの人間界を支配するものが「三苦」であるということを理解するのである。
 すなわち、「痛みや、あるいは生まれながらの肉体の欠陥といった本質的な苦しみ」「得ていた幸福が壊れさる『変化』という苦しみ」そして「求めたものが手に入らないという苦しみ」--この三つの苦しみである。
 よって、これらの崇高な魂は、「変化しないもの・絶対的なもの・本質的なもの」を求めて、この人間界の風習や、観念、常識を放棄し、出離し、「修行」の道に入るのである。
          *
 ところがである。衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 そのためには、真に生死、生まれる前、死後、大宇宙の創世、魂の流転--これら一切を知り、知るだけではなく体現し、超越し、それを他の魂に説き明かすことのできる選ばれた魂が登場しなければならないのである。
 ところが、そのような魂がこの人間界に登場することはまれなことであり、しかもその魂をそのような魂であると認めることは、迷妄や錯覚、あるいは人間界の常識といったものにとらわれた者たちにとって、至難の技なのである。
 なぜならば、人間界とは、悪趣から転生した者にとっては、喜びや楽しみの多い世界だからである。
 そして、またこの人間界には、利得や供養や名声を得ようとして、邪法を展開し、この世をいたずらに礼賛し、人間を神として礼賛し、低い世界の喜びに人を縛り付けようとする、善からぬ魂が数限りなく現われるからなのである。
 よって、大変長い間--いや、実際は大宇宙の創世のプロセスから見れば、一瞬のことなのであるが--ごくまれに覚者、悟れる者とされる魂が登場する時を除いては、この苦界、人間界を出離する道は閉ざされていたのである。
 衆生よ、そして高貴なる魂よ、よく聞きなさい。
 無常を知りなさい。そして、楽の嚢にある苦を知りなさい。そして、この人間界が実に低い、本質的に苦しみの世界であることを知りなさい。そして、聖なる修行の道に入りなさい。
 わたしは、あなたにそれを告げるために、その道を開くために、この人間界に降りてきたのである。迷妄に覆われ、愛欲に憑かれたあなたに、真の至福、自由、喜悦、そして安らぎを与えるために、この世界に降りてきたのである。

          *

 わたしは、あなたを導こう。
 偽りの喜びと苦しみしか存在しないこの世界からあなたを出離させるために、わたしはあなたに多くの法則を説き明かそう。
 もっともっと素晴らしい、多くの喜びが存在する世界へあなたをいざなうために、わたしはわたしのすべてを捧げよう。それが、わたしのグルであり、すべての魂の済度を願っておられるシヴァ大神、諸々の真理勝者、諸々の覚者方のご意思なのである。

 すべての魂の苦悩が、わたしの内側に内在することをここに願って。
 ヴァジラ・ナマ・マハー・グル・シヴァ・サティヤン

一九九六年四月二十四日(AM10:00) 尊師公判意見陳述 於・東京地方裁判所第104号法廷一九九六年四月二十四日(AM10:00) 尊師公判意見陳述
      於・東京地方裁判所第104号法廷
      【素読み校正:谷口(970319)】
      ●人定質問
      (裁判長)名前は何と言いますか。
      (尊師)麻原彰晃と言います。
      (裁判長)戸籍上の名前は何と言いますか。
      (尊師)麻原彰晃と言います。
      (裁判長)松本智津夫と言うのではありませんか。
      (尊師)その名前は捨てました。
      (裁判長)戸籍上はそういう名前はあるのですか。
      (尊師)麻原彰晃と言います。
      (裁判長)生年月日は。
      (尊師)一九九五年三月二日です。
      (裁判長)昭和三十年ですね。本籍は。
      (尊師)覚えておりません。
      (裁判長)静岡県富士宮市人穴381-1ではありませんか。
      (尊師)いや、覚えておりません。
      (裁判長)住んでいる所は。
      (尊師)覚えておりません。
      (裁判長)山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺39-1ではありませんか。
      (尊師)いや覚えていません。
      (裁判長)仕事は何ですか。
      (尊師)オウム真理教の主宰者です。
      (裁判長)起訴状には無職とありますが、オウム真理教の主宰者ということですね。
      (尊師)はい。
      ●尊師の意見陳述
      (尊師)わたしは逮捕される前から、そして逮捕された後も、一つの心の状態で生きてきました。それは、すべての魂に、絶対の真理によってのみ得ることができる絶対の自由・絶対の幸福・絶対の歓喜を得ていただきたい、そのお手伝いをしたいと思う心の働き、そして言葉の働きかけと行動、つまりマイトリー、聖慈愛の実践。
       絶対の真理を知らない魂から生じる不自由・不幸・苦しみに対して、大きな悲しみを持ち、哀れみの心によって、それを絶対の真理により取り払ってあげようとする言葉と行動、つまりカルナー、聖哀れみの実践。
       絶対の真理を実践している人たちに生じる絶対の自由・絶対の幸福・絶対の歓喜に対して、それを共に喜び称賛する心、そしてその言葉の働きかけと行動、つまりムディター、聖称賛の実践。
       そして、今のわたしの心境ですが、これら三つの実践によって、わたしの身の上に生じるいかなる不自由・不幸・苦しみに対して、一切頓着しない心、つまりウペークシャー、聖無頓着の意識。
       わたしはそれ以上のことをここでお話しするつもりはありません。以上です。
      《終了》
         

              
                 

 

投稿者 aumer_yasu | 4月 25, 2009

聖者誕生 1

チベット仏教の高僧が、インドのヨーギーが、世界の聖者が絶賛した!
法を語り合う“真の法友”たちには国も宗派もない
チベット仏教ニンマ派、カムトゥル・リンポチェ師

時空を超えた魂の再会
チベット仏教カギュー派、
故カール・リンポチェ(カール・リンポチェ)師

(『マハーヤーナ』寄稿「インド・アメリカレポート2」/
「麻原彰晃インドを行く - カール・リンポチェに捧ぐ」
参照)

最高の聖者の最高の祝福
チベット仏教の政治・宗教の最高実力者、
ダライ・ラマ法王

◎不思議な出会い
 二人の関係は出会いからして不思議な、特別なものだった。八七年二月、ダラムサラを訪れた麻原尊師は、ひょんなことからダライ・ラマ法王との個別謁見という素晴らしい機会を与えられることになった。
 ちょうどこの時期、法王をはじめとして多くの高僧たちはサキャ神賢(釈迦牟尼)が大いなる覚醒を果たされた、聖地ブッダガヤーを訪れていて不在中。二つの魂が出会う要素など毛頭ないように思われた。それが運命的とも思える出会いを果たすのだから、ダライ・ラマ法王と麻原尊師の出会いは、まさに神々に祝福されていたとしか言いようがない。
 このときのダラムサラ訪問で、山中で瞑想する二人の高僧にお会いになった麻原尊師。そのステージの高さに驚いた二人の高僧は、修行法の伝授を求める麻原尊師の要望に首を横に振り、こう語ったのである。
「残念ながら、わたしたちはあなたにイニシエーション(秘儀伝授)を与えることはできません。
 あなたは、ダライ・ラマ法王にお会いしなさい。法王は素晴らしい方です。あなたに直接イニシエーションを与えるか、またはイニシエーションを与えることのできる、ステージの高い僧を教えてくださるはずです」
 そしてその結果、こうした著名な高僧の推薦で、「予約もなしに、法王がダラムサラに戻り次第お会いできる」という特別な個別謁見が実現したのである。ダライ・ラマ政庁文化局のカルマ・ゲーリック(カルマ・ゲレク)氏もさすがに驚きを隠せない様子で、「これは特別なケースだ。ラッキーだ」と何度となくこう語っていたのが印象的だった。

◎「ブッダのイメージを与えよう」
 観音様の化身として初代ダライ・ラマ法王がこの世に生を受けたのが1391年。以後、生まれ変わりを予言して肉体を離れ、生まれ変わっては法王の位に就くことを繰り返してこられた聖なる魂は、現在「十四世」と呼ばれている。さすがに活き仏といわれるだけあって、慈愛に満ちあふれているお方だった。
 初めての対面を謁見室で行なったダライ・ラマ法王と麻原尊師。独学の修行で高いステージまでたどり着いた修行経験に興味を示された法王は、麻原尊師を認め、特別にイニシエーションを授けてくださった。この直後、なんと舞台を法王の住居に移し、記念すべき謁見は意外な方向へと展開していったのである。
 そのときの様子を麻原尊師は次のように書かれている。

《ダライ・ラマ法王のご住居に招かれて、そこでわたしが何を体験したのかお話ししよう。
 なんと、わたしはダライ・ラマ法王と共に瞑想することができたんだ。それも、法王のプライベートな瞑想室で。
 法王は、ご自分の仏像コレクションを見せてくださったあと、撃室に誘ってくれた。
「わたしはいつものところに座るから、君はここに座りたまえ。ブッダのイメージを与えよう」
 わたしは何をどうしたらいいのかわからないまま、とにかく示された場所で蓮華座を組んだ。そして法王に精神集中をしてみた。
 ダライ・ラマ法王は、2~3分荒く大きな呼吸をしていたかと思うと、スッとその気配が消えた。おそらく、呼吸も停止しているのだろう。
 それと同時に、黄金の釈迦牟尼の顔のアストラル・ヴィジョンが、わたしのアージュニァー・チァクラに広がった。釈迦牟尼の顔は、全く揺らぐことなく見え続けた。
「ああ、法王はこのことをおっしゃったのか」
 わたしはそのまま瞑想を続けた。この出来事はわたしのアストラル界に仏陀を住まわせることを意味しているのである。それによって、ねたしの潜在意識はブッダと同一になるはずなのだ。
 現に、帰国した後、わたしは自分自身が三つの点で大きく変化したことに気付いた。
 まず、わたしの意識がより一層、大乗の仏教に近付いたということ。大乗の仏教とは、自己の悟りだけでなく、他の人たちも最終世界に導く方法を持った教えである。》

《ところで、瞑想を終えた後、法王は大声で何やらしゃべりながら(チベット語だったので、わたしにはわからなかったが)、ずらりと並んだガラス扉の棚から何かを探し始めた。そして、ようやく一体の仏像を手に取られた。
「釈迦牟尼だ。これをあげよう」
 そう言って法王がわたしにくださった仏像は、わたしが瞑想中に見続けていたあの黄金の顔をしていたのである。
「わたしはいつも君を祝福し、見守っているから」
 法王は、四回もわたしを抱きしめてくださった。》

 故国を離れ、異国の地で伝統的チベット仏教を守られる最高の聖者ダライ・ラマ法王。そのチベット仏教を真筆な態度で学ぶ麻原尊師との交流は、今もなお続けられている。
ステージの高さを絶賛
チベット仏教、無上ヨーガの修行者ジャンベルテンジン師&トゥモ(熟のヨーガ)の成就者ロブサン・テンジン師

◎「ダライ・ラマ法王にお会いしなさい」
 一九八七年二月、ダラムサラの山中で二人の高僧が瞑想修行を行なっていた。それがジャンベル・テンジン師とロブサン・テンジン師である。この二人の高僧こそが麻原尊師にダライ・ラマ法王との謁見を勧められた方々だったのである。
 ジャンベル・テンジン師はチベットのゲルク派の仏教大学で学んでいるとき中国軍の侵略に遭ってインドの地に亡命。以後、独力で勉強と瞑想を続け、当時はアヌッタラ・ヨーガ・タントラのキェーリムのレベルを修行中といわれていた。
 一方のロブサン・テンジン師は当時、ゾクリムのギュルー段階を修行中であったそうだ。ところで、このロブサン・テンジン師にはこんな面白いエピソードがある。
 アメリカのハーバード大学で科学的なチェックを受けたロブサン・テンジン師。トゥモの行を行ない、なんと体温を平常値より十五度も上昇させたという(ちなみにこのとき呼吸は停止していたそうだ)。つまり、人間の体温が五十度を超えたというのである。にわかには信じ難い話だが、前出のダライ・ラマ政庁宗教文化局のカルマ・ゲーリック氏もこの実験に立ち会って事実であると証言している。聖者たちの底知れぬ“力”にはいまさらながら驚かされる。
 さて、麻原尊師との会見でそのステージの高さに驚き、ダライ・ラマ法王との謁見をバック・アップしてくださった二人。実はこのとき、……解脱直前の麻原尊師に大いなる覚醒への重要なヒントを与えてくださったのである。
「あなたの体験を聞いて、あなたが今どれだけ高いレベルに到達されているのかよくわかりました。わたしたちの経典にそのレベルの記述がきちっと書かれているからです」
 この二人の聖者もまた、麻原尊師の力を認めバック・アップしてくださった、よき協力者だった。
アストラルのグル
傑出したヨーギー、故ヨーゲシヴァラナンダ師

◎修行者の町、リシケーシュで
 聖河ガンジスの上流の聖地ハリドワールからさらに24キロほど上ったリシケーシュ。川の両側に寺院やアシュラム(修行場)が建ち並び、オレンジ色の僧衣をまとった修行僧の姿がやけに目立つ、修行者の町である。
 ヨーゲシヴァラナンダ師のいらっしゃるヨーガ・ニケタン・アシュラムは、ビートルズのジョージ・ハリスンが修行に訪れたことから一躍“ヨーガの町”として世界的に知られるようになったこのリシケーシュにあった。
 まだ……解脱を果たす以前、インドを訪れた麻原尊師は、「なぜか聖者のヴィジョンが見えない」と一抹の不安を抱きながらも、ヨーゲシヴァラナンダ師のいらっしゃるはずのヨーガ・ニケタンを訪ねたのである。以下はそのときの、大変興味深い記述である。

 ◎サマディに導かれて……
 夜遅く風雨の中、わたしたちはずぶ濡れになって、ヨーガ・ニケタンまでたどり着いた。道場内は自由に出入りできるので、わたしは自分を呼ぶヴァイブレーションの出ている方角を、目指した。弟子たちは何も感じないらしかったが、わたしは強いヴァイブレーションを感じ続けていた。
「あの建物から、ヴァイブレーションが出ている。ヨーゲシヴァラナンダ師がおられるに違いない」
 建物の内部に入ろうとすると、鍵がかけられていた。わたしは、だれかを探すよう弟子に指示した。既に夜九時を過ぎていて、辺りは真っ暗だったが、幸いにも一人の日本人ヨーガ愛好者を見つけることができた。彼は言った。

投稿者 aumer_yasu | 4月 25, 2009

聖者誕生 2

「聖者は九月に亡くなられました」
……そうだったのか。わたしが姿を見たとき、やはり聖者は亡くなられたのか。残念だ。もっと早く来るべきだった。
「仕方がない。出直そう」
 三日後、わたしたちは再びヨーガ・ニケタンを訪れた。そして、聖者の後継者であるグルに、わたしが聖者の信奉者であることを伝えた。彼はわたしたち一行を、聖者のサマディへと案内してくれた。
 サマディ?
 なんとそれは、前回訪れたときに強力なヴァイブレーションを発していた、あの建物だったのである。墓に眠りながらも聖者は、巨大なエネルギーとして存在し続けていたのである。
 内部へ招き入れられたわたしは、弟子たちに後へ下がるように言い、等身大の聖者の像に向かって、修法を始めた。マントラを唱えると、とめどなく涙が流れ落ちた。
「この世で生きているうちに、お会いしたかった。いつまでも、導いていただきたかった」
 涙に詰まってマントラが途切れたとき、聖者ヨーゲシヴァラナンダが現われた。
「わたしがこれからあなたを守護し、指導してあげよう」
 聖者は、こうわたしに言われた。
「あなたの……解脱は遠いことではない。全宇宙のエネルギーが、あなたを味方している。わたしが指導しよう……」
 それからしばらくの間、わたしは聖者と話をすることができた。わたしが笑うこともあった。周りの人間は、きっと変に思ったことだろう。
 ただ、後継者のグルだけは、聖者とわたしのアストラル体での会話を、知ることができたらしい。Y君がこう言っていた。
「わたしはあのグルを知っていますが、あんなに冷静な人が目を赤くしていました。とても信じられないことです」
 このようにして、聖者ヨーゲシヴァラナンダは、わたしの最高霊界のグルになってくださったのである。》

 これもまた聖なる魂ならではの時空を超えたドラマなのだろう……。
霊的パワーを秘めた秘儀を伝授
リシケーシュの実力者、
スワミ・チダーナンダ&スワミ・クリシュナナンダ

 リシケーシュ最大のアシュラム、シヴァナンダ・アシュラム。ここの最高指導者、最高実力者と称されているのが、スワミ・チダーナンダとスワミ・クリシュナナンダである。
 彼らも麻原尊師の理解者であり、尊師がヨーガ・ニケタン・アシュラムを訪れたとき、強力な霊的パワーを秘めたマントラを伝授してくださったりした。
 まずは最高の指導者と称されるスワミ・チダーナンダから。麻原尊師がシヴァ神を信仰しているというと、スワミはすぐにシヴァ神を称えるマントラを惜しげもなく伝授してくださった。
「ガンバルバー・ナマハ・ガンガルビュー・ナマハ・サラスヴァッティ・ナマハ」
 これを三回唱えた後、独特な持ち方で数珠を持ち、次のマントラを唱えながら一回ごとに数珠を一個送っていくのだと、数珠の使い方まで丁寧に教えてくださった。
「オウム・ナマ・シヴァヤ」
 一方、地元でナンバー・ワンの聖者といわれるスワミ・クリシュナナンダ。念のパワーのすごさを感じさせたこの聖者は、麻原尊師に「オウム」のマントラを伝授してくださった。
 〝ウ″音を喉に響かせて、〝ム〟音をハミングさせ、自分がどんどん広がっていき、最後には宇宙と一体化するように意識をもっていくのだそうだ。
 麻原尊師のステージを認め、丁寧にマントラを教えてくださった二人の聖者。このマントラが麻原尊師自身の修行、さらには弟子たちの霊性の向上に大いに役に立ったことは言うまでもない。
白銀色の光に満ちた聖者が贈った最高のアドバイス
功徳の聖者、スワミ・アカンダナンダ

◎「何の前ぶれもなく、わたしは深い瞑想に入れられた」
 スワミ・アカンダナンダと麻原尊師が会われたのは、……/脱以前のことだった。ここで尊師は彼によって不思議な体験をさせられることになる。何はともあれ、まずは当時の記録を振り返ってみよう。

《聖者アカンダナンダにお会いして圧巻だったのは、なんといってもわたしが深い瞑想に入れられたことである。何の前ぶれもなく相手を瞑想に入れ、異次元へと連れていく。信じられないパワーである。
 しかも、この目は二度目の訪問であった。後に詳しく述べたいが、前日知った聖者の功徳のエネルギーに感激し、翌日も無理を言ってて会っていただいたのである。「今日は、聖者アカンダナンダのエネルギーを完全に受けたい!」とわたしは強く願っていた。
 そこで、聖者の質素な庵(小さな部屋)に招き入れられると、聖者に礼拝したままエネルギーを受け続けようと努めた。聖者もそれに気づいたに違いない。静かな空気が流れた後、わたしのアストラル体に変化が起こり始めたのだ。アストラル体が無限に感じるほど拡大していった。どこまで広がるのだろう、と思っていると、限界に達したらしく、それが止まった。かと思うと、今度は縮小し始めたのだ。
 この拡大と縮小が三回繰り返されたとき、わたしの魂は異次元へと放り込まれた。すぐそばで同じように礼拝していた二人の弟子も、異次元へ連れていっていた。同行した五人の弟子のうち、この二人だけを連れていった。無意識にやったことであるが、おそらくこの二人が他の人に比べてバクティ・ヨーガの修行が進んでいたからだと思う。バクティ・ヨーガとは、神とグルを信仰し、神の意思を実行するヨーガである。そして、聖者もわたしもバクティ・ヨーガの実践者であった。
 わたしは異次元で、彼らに宗教上の話をしていた。それはほんの数分くらいにしか思えなかった。しかし、あとで三十分もの時間が経過していたことを知ったのである。
 わたしの魂は、やがて肉体へと戻った。さて、弟子たちはどうしただろうか。わたしが顔を上げ振り返ったとき、異次元へと行っていた二人も相次いで顔を上げたのだった。
 目の前で聖者はいつものように白銀に輝く静かなエネルギーに満ちあふれていた。》

 麻原尊師が常日ごろから説かれている功徳の重要性を改めて思い知らされるようなエピソードである。

◎解脱へ向かって
 ところで、このスワミ・アカンダナンダは折しも‥‥解脱直前にあった麻原尊師に、大いなる覚醒のヒントを与えてくださった。以下はそのときのお二人のやりとりである。

 --……解脱に至るためにはどのくらいかかるのでしょうか。
「あなたには特別な義務があるから、二年半以内に修行は完成するでしょう。間もなく、あなたの身体の内側から、あなたを導く声が聞こえてくるはずです」
 --特別な義務とは何を指すのでしょうか。
「日本人を高い精神状態へ引き上げることです」
 --最終段階、……解脱とは、どのような状態を得ることでしょうか。
「それは、絶対幸福の状態です。すべての枠組みはなくなり、だれに対しても愛の目を向けることができるのです」
 --解脱のための助言を与えてください。
「なぜ聖者がヒマラヤへ行くのか考えてみてください。それは素晴らしい山のヴァイブレーションを受けることができるからなのです。
 だから、あなたもヒマラヤへ入ること、それが一番いいと思います。もしそれが不可能だったら日本で修行してもよいでしょうが、その場合はとにかく静かなところで完成させなければなりません」

 当時常に多忙を極めていた麻原尊師がこの地を訪れたのも、おそらく最後の覚醒のための修行の一環なのだろう。そこでこのような聖者から最高のアドバイスを与えていただけるわけだから、やはり二人の出会いも神々に祝福されていたものに違いない。
◎日本人へのメッセージ
 ところで、余談ではあるが、このときスワミ・アカンダナンダは我々日本人に対してこんなことおっしゃっていたので、ここに併せて記しておこう。
「日本人は働き過ぎていると思います。人によっては一日に十時間にも及ぶ仕事をしている。それではとても、自分を見つめる時間がありません。
 仕事は、最小限生きていくためにするものです。決して出世のためとか豊かな生活のためではありません。
 もっと自分を見つめるために時間をつくってください。そうすることが魂を進化させ、霊性を高めるのです。そういう生き方をした者だけが、死んだ後も次元の高い世界(天界)や、より高い世界(解脱)へと行くことができるのです。
 そして、修行でなく普通の生活をしている人は、親、兄弟、友人、同僚、それだけでなく見ず知らずの人に対しても、慈愛をもって接するように努めてください……」

 まだ…・解脱をされる前、二日間にわたってスワミ・アカンダナンダにお会いになった麻原尊師は、心を残しながらこの聖者に別れを告げた。
 スワミ・アカンダナンダは麻原尊師に同行していた我々に対して、最後にこう語ってらっしゃった。
「あなたたちは大変幸せな人たちだ。正しい教えに目を向けることができるのですから--」
〝シャクティーパット″を聾
スワミ・ヴィハール・マハラジ
㊥突然の花輪の祝福
 ラーマ・クリシュナ寺院で会ったスワミ・ヴィハール・マハラジは、七年間アーサナと瞑想を続けて解脱を得た方である。この方は麻原尊師に特別な瞑想法を伝授してくださっ

投稿者 aumer_yasu | 4月 25, 2009

聖者誕生 3

たが、この際、スワミから紹介されたドイツ人青年に麻原尊師がシャクティーパット(解脱者が直接相手の体に触れてエネルギー移入を行なうもので、イニシエーションの中でも最高の部類に入るもの)を施されるのを見て大変感激されていた。
 常々から「シャクティーパットの効果は一種の暗示ではないか」との疑いの声を耳にしていた麻原尊師。ある種、実験のつもりでこのドイツ人青年に何も告げずにシャクティーパットを施してみようと考えられたわけである。
 その結果は、
「虹色の光が見えました。ものすごく心地良くなって、身体が動かなくなってしまった。エネルギーが尾てい骨から頭頂に向かって昇っていきました」
 彼の言葉は、これまでシャクティーパットで受け手側が語っている体験そのままであり、シャクティーパットが暗示ではないこともここで証明されたわけである。
 ところで、一部始終をジッと眺めていたスワミ・ヴィハール・マハラジは、この出来事にいたく感動。礼拝を終えて寺院を後にしようとする麻原尊師をわざわざ追い掛けてきて、花輪による祝福を与えてくださった。
 言葉はストレートには通じなくとも、聖なる魂にはヴァイブレーションですべてが通じるのだろう。
「グレート.ヨーギー」と心から称賛
スワミ・ダヤーナンダ
◎本当の自分とは?
 ダヤーナンダ・アシュラムの指導者、スワミ・ダヤーナンダは、インド国内はもとより、広く欧米でも高い評価を得ている瞑想とジュニアーナ・ヨーガ(哲学的ヨーガ)の指導者である。自らもジュニアーナ・ヨーガの成就者であるスワミ・ダヤーナンダが指導するアシュラムの修行者は、半数以上が外国人であるという。このことからもスワミが海外で高い評価を得ていることをうかがい知ることができる。
 さて、麻原尊師がこのアシュラムを訪れスワミ・ダヤーナンダに会われたときである。スワミとの間にこんなやりとりがあった。
「例えば、男優がいたとします。彼は劇場では役割を演じる。しかし、家では夫であり、親である。それが本当の自分の姿なのです」
 これに対して、すかさず麻原尊師がこう切り返した。
「それは違います。家においても役割を演じているにすぎないと思います。夫の役割、父親の役割です。本当の自分とはすべての制約がなくなった段階で現われてくるものです」
 これにはスワミ・ダヤーナンダもびっくりされたようだ。なぜならスワミは、順を追って話そうと、「家にいる姿は本当の自分」とあえて誤った見方を示してからそれを覆そうと考えていたのだが、自らが用意していた結論を瞬く間に解かれてしまったからである。
「グレート・ヨーギー」
 スワミ・ダヤーナンダは、麻原尊師を心から称賛されていた。スワミもまた麻原尊師の“力”を見抜いた聖者であった。

 

「自然があなたを必要としている」
超能力者、パイロット・ババ

◎「あなたは日本を救うことができる」
 日本でも有名な超能力者、パイロット・ババ。

かつて彼が見せたサマディ(限られた酸素量の中で数日間を過ごすというもの。解脱者が深い瞑想に入るときに起こる呼吸停止を証明するものである)は日本のテレビにも取り上げられたことがあり、ご存じの方も多いことと思われる。このパイロット・パパもまた、麻原尊師のステージの高さを驚き、称賛の言葉を贈った一人である。
 1986年夏、麻原尊師が聖山ヒマラヤの修行で……解脱を果たされたのは周知のとおりだが、実はこのときの修行のきっかけとなったのが前出のスワミ・アカンダナンダとこのパイロット・ババの称賛と言っても過言ではない。
「あなたは日本を救うことができる魂です……」
 八六年二月、インド・デリーで初めて会ったとき、彼は麻原尊師に対して確かにこう語った。さらに、こうも語ったのである。
「一日に六時間瞑想したら三十日で……解脱するでしょう」
「あなたの寿命は最初三十六歳から四十代前半で終わることになっていた。しかし、それは既に超えている。ヨーガの行によってそれは消滅した。あなたは六十二歳から八十歳までの間で、生きようとは思わなくなったときに自由に身体を捨てることができるようになる。
 しかし、今は死のうとしても死ねない。それは自然があなたを必要としているからだ」
 パイロット・ババの言葉どおり、麻原尊師はヒマラヤで……解脱を果たされた。次は日本を救う番である……。

投稿者 aumer_yasu | 3月 13, 2009

約束の大地/ラオス編001

聖地巡礼の旅 麻原彰晃が初めて明かす仏教の最奥義
         .
『約束の大地』 


はじめに

 半年ほど前のことです。麻原彰晃尊師のお体が癌に冒されているということが判明しました。それも恐ろしい肝臓癌です。
 その死亡率の高さなどのデータを、内弟子である医師からお聞きになった尊師は、
「いろいろな所に行って確かめたいことがたくさんあったんだけどなぁ……」
と、つぶやかれたのでした。そのお気持ちは痛いほどよくわかりました。
 しかし、それが許されるはずもなく、尊師は修行と治療に専念する毎日を送ることとなったのです。
「癌が大きくなった。長生きすると約束したけどもう駄目かもしれない‥‥‥」
 あと二、三カ月の命という、末期癌の状態にまで追い込まれたのは、それから間もなくのことでした。
 通常だったら、おそらくこの時点で生への望みが絶たれてしまうに違いありません。
 しかし、尊師は・事実は事実として冷静に受け止め、黙々と傍目にも死ぬよりつらいだろうと思われる修行と治療を続けられ、ついに癌を消滅させることができたのでした。このような“奇跡”を起こすことができたのは、尊師に“自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする”
という大乗のブッダとしてのお心が根付いていたからという気がします。
 さて、こうして・尊師の活動は再開され、特に意欲的に仏教ゆかりの国々を訪ねられることが多くなりました。今回の死病との闘いを通じて“今やらなければならない”という気持ちが強くなられたのでしょう。
 尊師がそれぞれの国で語られた内容には、瞑想・修行の奥儀ともいうべきものが、随所にちりばめられています。これらは、わたしたちのように尊師にご指導を仰ぐ者にとっても非常に高度な教えであり、この時代にはなかったものです。
 そのような教えを尊師はその場、その場に残されているデータ(例えば、釈迦牟尼だったら釈迦牟尼が残されたデータ)によってお知りになっているのです。もちろん、神通力がなければこんなことはできません。
 わたしは、この繰り返しを間近に見ながら、尊師が、
「いろいろな所へ行って確かめたい」
とおっしゃっていた意味を理解することができました。また、その記録を後世の人々のためにも残しておかなければならないと思いました。
 その結果生まれたのが、この『約束の大地』なのです。
 わたしは尊師の弟子として妻として、本書を世に出せたことをうれしく思います。
 ……一人でも多くの人が、本書によって真理の教えと縁を持つことができますようにも
一九九一年 長月  ヤソーダラー

※註:松本死刑囚の妻、教団名


 ラオス
 未来予知ヴィジョンに現われた国

◎未来のラオスで見たものは?
ラオスーこの、あまりなじみのない国の名を聞いたのは三月のことだった。尊師があるヴィジョンを見られたのだという。
(東南アジアのどこかに、そんな国があったなぁ)
と思いながら、その内容を聞く。驚いたことに、尊師はそれまで全くご存じなかったラオスをヴィジョンによってお知りになったらしい。それは、
「ラオスという国があるはずなんだよ」
という言葉から始まった。
「わたしは、そのラオスという国の未来を見てきた。しかし、わたしの見てきたものについては今はだれにも話せない。なぜなら、大変重大すぎる出来事だから。ただ、シヴァ大神から、そのとき、『仏教国ラオスへ行くように』とのご指示を受けたので、それは実行しようと思う」
 尊師は言われた。また、
「三月のできるだけ早い時期にラオスに行かなくてはならない」
とも。
 早速ラオスについて調べたところ、ラオスという国の存在はもちろんのことであるが・まず、尊師の語られたラオスの人々(ラオ人)の身体的特徴が、現実のそれと一致した。

投稿者 aumer_yasu | 3月 13, 2009

約束の大地/ラオス編002

 また、尊師がシヴァ大神から、「ラオスの仏教に協力するように」と指示されたというこのお言葉の正しさを証明するかのように、仏教徒が国民の九五パーセントを占めるほどの仏教国であることがわかったのである。
 いつものことながら、尊師の変化身(下位アストラルと呼ばれる異次元で活動する身体)の体験の正確さには素晴らしいものがある。となると、
「今はだれにも話せない」
とおっしゃっている内容もひどく気になってくるところであるが、一体尊師は未来のラオスで何をご覧になったのだろうか。

 オウム真理教では、早速日本にあるラオス大使館と連絡を取った。そして、尊師がヴィジョンを見られて間もなく、ラオス仏教のトップであられた高僧が亡くなられたということを知った。何やら、因縁めいたものを感じざるを得なかった。なぜなら、尊師のお言葉どおりにすぐにラオスへと行っていたなら、その高僧が亡くなる前に会うことができたはずなのだ。
 その後も尊師が、
「一度ラオスを訪ねたい」
というお気持ちを持っていらっしゃいながら、また・ラオスの方からも、
「ぜひラオスへお越しください」
と歓迎の意向が伝わってきていながら、なかなかラオスへ行く機会に恵まれなかった。それもそのはず、当時の尊師は、死病肝臓癌との壮絶なる闘いを余儀なくされていたのである。
 だが、ついにラオス訪問の時がやってきた。チベットからそのままラオスへ向かうことが決定されたのだ。「この機会を逃したら、今度いつ出られるかわからない」(尊師)からである。

◎国賓として迎えられて
 オウム真理教の一行は、隣国タイから飛行機でラオスの首都ヴィエン・チャンへ入った。
 ヴイエン・チャンの空港で、まずびっくりした。
「どうしたんだろう?人がいやにたくさん集まっていますね」
「本当だ」
「どれどれ、あ、あれはモンク(出家修行僧)だ!」
と、ここに至って、その人たちがオウム真理教の一行の出迎えにやってきているということを知った。国賓として迎えるというラオス外務省の言葉は本当だったらしい。僧、男女の在家信徒を合わせて四百人もの人々に歓迎されたのだ。僧はすべて小乗仏教の象徴である黄色い僧衣を身に着けている。
 タラップを降りられた尊師は、しばらく歩まれた後、ラオスの大地に祝福を与えられた。
 みんなにこやかに笑いかけてくれる。女性は皆色とりどりの花束を銀色の鉢に入れて尊師に捧げる。美しい風習だな、と思った。

 その日の午後、タート・ルーアンに隣接するヌワ寺院を訪問。タート・ルーアンとは、大きい塔という意味である。これは、云六六年に当時のランサーン王国の王であったセタテイラート王が、王宮の内庭の古い塔の上に建てた仏塔であり、人々の厚い信仰に支えられたヴィエン・チャンの象徴ともいうべきものである。
 また、この王宮の内庭にあったとされる古い塔にもいわれがあり、その最初の塔は当時のヴィエン・チャンの統治者チャンタブリーによって建てられた仏舎利塔なのだという。
 さて、この地にあるヌワ寺院を訪問したわたしたちを迎えてくれたのは、ビシェット・シンハラット大師である。大師は現在ラオ(ラオス人は自国のことをラオと呼ぶ)仏教連盟の会長であり、出家修行者の頂点にいらっしゃる方である。すなわち、尊師が三月初めに会うべきだったとされる高僧の跡を継がれたのが大師なのだ。
 尊師は大師と親しみを込めたあいさつを交わされ、サキャ神賢(釈迦牟尼)に対してマントラを唱えられた。そして、
「三月のできるだけ早い時期に行きなさいという示唆に従い、本来はもっと早く、その方が亡くなる前に来るべきだった……」
と、大師に語られた。
 このヌワ寺院は、代々の会長が来ることになっている重要な寺院であるという。ということは・三月の初めには、その高僧がここに座られていたということになる。
 その後、ヌワ寺院の横にある高等仏教学校へ。ここの生徒は国中から集まっている若き出家修行者である。ここでは、地理・歴字数学・物理などの一般教科の他に、仏教に関係するダルマ・仏教史・パーリ語が学ばれている。
 折しも授業中。突然訪れた異国の仏教の実践者たちの姿に、生徒たちもそわそわと落ち着かない様子。だが、尊師が予定外に、ある教室でご説法を始められたところ、生徒が次第に真剣な表情を見せ始めた。一人、また一人とメモを取るようになっていったのが特に印象深かった。
 そして、夕暮れが迫りかけたころ、わたしたち一行は全員、仏舎利塔であるタート・ルーアンに灯明の供養をし・サキャ神賢をしのんだのだった。

◎苦難の歴史を背負って
 翌日、午前中にラオスの瞑想センター訪問。所長は、ラオ仏教協会の副議長をされ、併せて、ラオス中の瞑想と仏教教育を担当されているというサーリー師である。
 ここには、男性の出家修行者の他に女性の出家修行者も大勢いて、女性の場合は白い僧衣を身に着けている。ちょうど、在家信徒の女性たちが、瞑想センターの出家修行者への食事の供養のために集まっていた。
 ここラオスでは、今でも出家修行者は、このように在家信徒によって持ち寄られる食事、あるいは、托鉢によって得る食事のみの生活である。
 案内役の外務省の役人、ビラさんが通訳しながら説明してくれる。
「仏教を理解しようと思えば、ここを訪れなければなりません。いつもここでは修行が行なわれています。戦時であろうと、平和時であろうと、修行が行なわれています」
 戦時であろうと、平和時であろうと……!わたしはこのとき初めて、この国の戦争の匂いをかいだような気がした。
 実はこの国も長い苦難の歴史を持っているのだ。1900年代に入ってからでさえも、フランスの植民地化、日本の支配、独立運動、革命運動、そして、三十年にも及ぶ内戦を経験している。
 特に、この内戦は、ラオス国内での二派、三派分かれての戦いだけにとどまらず、フランスの再侵略に激しく対抗する第一次インドシナ戦争、それに続く第二次インドシナ戦争、そして、ベトナム戦争が複雑に絡み合い、激しい戦闘が繰り広げられた。
 これは、米ソが冷戦の形を整えてくる時代の局地戦争でもあり、ベトナム民族統一戦儀と協力関係にあったラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の本拠地一帯と北ベトナムの輸送ルート(ホー・チミン・ルート)が通ったラオス南東部は、アメリカ軍の直接軍事介入によって徹底的な爆撃を受けている。アメリカ軍はラオスに百五十万トンの爆弾を投下したといわれ、これは北ベトナムへの百万トンを大きく上回る量なのだ。ラオス側の被害については“推して知るべし”である。
 この国際政治が複雑に絡み合ったラオスの内戦が終結するのは1975年。この年、ラオスに社会主義政権が樹立した。
 そして、現在ラオスでは社会主義と仏教が調和し共存しているのである。発展途上国ではこのような形態がよく見られるという。尊師も、
「仏教はすべての人の豊かさを願うものなので社会主義と共存しやすい」
とおっしゃっている。

◎ヴンヴィチャ氏との会見
「ラオス国家建設戦線(NLFC)の本部にお迎えできて大変うれしく思います」
と、尊師を迎えたのは、わずか二週間前まで大統領代行を務めていたNLFCの長であるプーミー・ヴンヴィチャ氏だ。宗教界の最高責任者でもある。NLFCの前身は、先に名を挙げたラオス愛国戦線で、1979年にその歴史的使命を果たしたとして、組織・名称が改められた。
 フランスの再侵略を阻むため、武装勢力を誕生させ、ホー・チミンの支援を得、ラオス抗戦政府内相、ラオス愛国戦線書記長などの任務に就きながら激動のラオスを生き抜いたこのラオスの立役者は、今穏やかな微笑をたたえて尊師の前にあった。
「ラオは一つの後進国であります。それは、戦争、そして諸外国からの攻撃があったからです。そのため、多くの寺院が破壊されてしまいました。今我々はそれを修復しなくてはいけないときにあります。
 ラオス国家建設戦線は、我々の国の様々な宗教団体を指導しており、ラオ仏教友好協会もその組織のもとにあって、人々を平和に導き、平和な生活が送れるように教育する立場にあります。
 ラオの出家修行者はラオの人々に悪いことをなさない、そして善いことをなすことを説き、透明な綺麗な心を持つように教育しています。ラオの人々は出家修行者のことを我々の教師、もしくは我々の教育者と呼んでおります。ラオの人々はラオの出家修行者に従います。その理由というのは、出家修行者がラオの人々に、盗まないこと、殺さないこと、お互いに戦わないこと、そして悪い行ないをしないことなどを教えるからです。
 わたしはラオ建国戦線、およびラオの出家修行者、およびラオの仏教徒、およびラオの国民に代わって、あなた方の使節団をここにお迎えできて大変うれしく思っています」
との言葉に、尊師からも、
「今回は心のこもった歓迎を受け、大変感謝をしています。これもひとえにあなたをはじめとする建国戦線の方々の協力があってのことだと考えています。ラオスの国民の皆さん、特に今回は仏教徒の出家修行者の方とお会いすることができたわけですが、この方々は大変友好的で、そして親切で、平和な方々であることをわたしたちは知りました。仏教の経典によると出家修行者というのは福田つまり、わたしたちに幸福の米を与えてくれる衆生であるというふうにうたわれていますが、まさにラオスにとってこの出家修行者の方々は最高の福田であるということを感じました」
などのお言葉が述べられた。(この会見は最終の日のもので

投稿者 aumer_yasu | 3月 13, 2009

約束の大地/ラオス編003

あるが、都合上ここに入れさせていただいた)

◎ルアン・パパーンにて
 二日目は飛行機でルアン・パパーンヘ。ここは、かつてランサーン王国の首都サワーであった。
 中世のラオ語の古書によると、ラオスの仏教は、ランサーン王国をつくったファー・グム王の王妃ケオ・ケーンガンガーが、夫を通じて父親のクメール王に対して仏教使節団の派遣を要請したことに始まるとされている。当時クメール帝国(カンボジア)の住民の間では、スリランカから伝わった小乗仏教が信仰されていたのである。1357年、王都サワーに仏教使節団到着。多数の経典と共にパパーン金仏像が寄贈された。そして、1560年にヴィエン・チャンに遷都されたとき、サワーにはこのパパーン金仏像が残され、それにちなんでルアン・パパーンと呼ばれるようになったと伝えられる。
 しかし、実際は小乗仏教伝来よりもはるかに昔、AD69年ころに大乗仏教への信仰が漢族を経て民間の間に広まったということがわかっている。そして、ラオ族がシェントーンに住み着いてから、次第に大乗仏教への信仰を捨てて、もともとのアニミズムに戻っていったのだそうである。
 ここルアン・パパーンでは、いろいろな寺院を訪問し歓迎された。ワット・シェントーン、ワット・セーン、ワット・ヴィスン、ワット・パパートタイである。ワットとは寺院という意味。
 その他、聖なる山といわれるプーシーに登り、また旧王宮である王宮博物館へも。ただし、尊師は王宮博物館など、
「行っても無駄」
として、自動車から降りられなかった。もっともこれはラオスの外務省の方でスケジュールを組んだだけであって、日本においても外国においても、尊師が宗教的なところ以外に出向かれないのはごく普通のことなのだ。
 さて、ここルアン・パパーンのホテルでは、ラオ仏教協会の出家修行者(僧)の方々と対談された。その中の一人は、ラオスで一番の瞑想家とされるサーリー師である。
◎対談--瞑想ステージについて
(麻原尊師:以下、尊師)仏教には四つの瞑想ステージがあると思いますが、その第二、第三、第四の細かい定義については、ラオスの仏教ではどのように考えているのでしょうか?
(僧)四つのステージとは大きく分ければ二つのステージになります。
 サマタバーヴァナ、これが第一のステージです。これは、わたしたちの体、そして心を極めて平和な状態にします。
 二つ目は、次のことに対して正確な理解を得ることです。その次のことというのは、肉体、マッシィ(「哀れみ」などの意味であるが、本来ここに「感覚」が来なければならないので、ラオ語から英語に直す段階で正確に言葉が伝わっていない可能性がある)、三番目が心、マインド。そして四
番目が法、ダルマです。
 まず第一のステージは心、そして言葉、体を非常にピースフルなものにしなくてはなりません。その第一段階を通過しなければ、第二段階には行けません。そして、それらすべての段階についてはっきりと正確に理解するなら、幸福でかつ至福の状態に至ることができます。
(尊師)四念処だな(これはオウム真理教のサマナ(出家修行者)に対してのお言葉)。
(僧)瞑想の間は心に集中しなくてはなりません。我々自身のことに関しては何も考えてはいけません。そして、ハートの下にあるスピリット、魂によってすべてを見ることができなければそれは成功ではなく、魂を通じてすべてを見ることができれば、これらの段備において成功したという
ことができます。二つは一緒に進んでいきます。サマタというのは静けさのことです。
(尊師)もう一つは?
(僧)ヴィバッサナー。霊的、精神的洞察力、サマタは静けさ、寂静、寂止です。
(尊師)寂止と正観だね(と、これもサマナに対して)。
(僧)この二つを合わせて瞑想といいます。魂を通じて我々の体を見るならば、それは苦であると見えます。
(尊師)これは四念処観だな。
(僧)この四つの段階すべてを見るならばそれは成功であり、エンライトメントに向かうことになります。心を通じてすべてを見ることができれば、あらゆる欲求を持たなくなるでしょう。次に、復讐したり、対立したり、撃つことを望まなくなります。この段階に来て、怠けることなく、消極的であることなく、一生懸命働くようになり、そして活動的になります。五番目の、最後のステージで、魂によってすべてを見、すべてについて疑うことなく、すべてについて確信があるようになります。

 この最後のステージ--これは四禅定の第四段階であり、阿羅漢=覚者を表わしていることが話からわかったが、これについて、尊師の方から疑問が投げかけられた。
(尊師)デーヴァダツタは最終ステージに到達し、覚者の称号をサキャ神賢に与えられたにかかわらず、サキャ神賢と対立するようになります。これについてはどう考えていらっしゃいますか?

 なぜ尊師がこういう質問をされたかというと、ご存じのように彼らのいう最終ステージは、、オウム真理教ではまだ最終ステージに到達する途中の段階とされているからである。
 しかし、それについての明確な答えは得られないままとなった。ラオスに小乗の教えしかない以上無理ないのかもしれない。
 その場にいたオウム真理教のサマナは、みんな彼らの言っている内容については既に知っていたと思うし、それが途中までしか示していないということも理解したはずだ。
 わたしは、尊師がいつもわかりやすく法を説いてくださるので、難しい仏典を読まなくても、法というものが根付いてきているんだということを感じた。そして、この小乗仏教だけでは満足できないということも。尊師が、小乗仏教の完成を超えて、さらに高いステージである最終解脱への道を示してくださっていることに感謝したい気持ちになった。

◎ラオスの仏教
 八月二十八日、前述のプーミー・ヴンヴィチャ氏との会見に先立って、ラオス国家建設戦線主催の朝食会が催された。朝食会になったのは、ラオスの出家修行者が午後に一切の食事を取らないことになっているからである。同席したのはビシェット・シンハラット大師を中心とするラオ仏教協会の中心メンバーであるが、このとき、ラオスの仏教の様子を知ることのできるやり取りがあったのでご紹介したい。

(尊師)ラオスの出家修行者は、どのような一日を過ごされる
のでしょうか?
(ビシェット・シンハラット大師‥以下B)朝お祈りがあります。非常に早く四時ごろからです。六時から托鉢に行きます。在家の人から、ご飯とか穀物というような食物や、ビスケットなどの甘いものをいただきます。たまにはお香やお金や花などもいただくことがあります。何を施すかは在家の人たちの自由です。
 昼間は勉強します。勉強の対象は、戒と法です。仏教の経典によって勉強するのです。それに加えて、在家の人たちを利する活動を行ないます。
 夜七時に晩のお祈りがあります。それに加えて仏典の勉強、ヤシの葉に書かれた仏典の勉強をします。そしてわたしたちは心を落ち着け、そして就寝、休むことになります。
 これが一日の、毎日行なわれる日課です。
(尊師)次に出家制度についてお聞きしたいと思います。どのように出家するのかと。つまり、自由に出家できるのか、あるいはお寺ごとに出家するのか、あるいは、仏教協会が寺ごとに割り振るのか。それから、どのように出家したての人は勉強しているのか --。
(B)出家修行者になりたければ自由になることができます。完全に自由意志によります。それは、お寺ごとに申し込むのです。そして、出家した場合、他の出家修行者と同じように戒律、そして法を学ばなければなりません。新参者は仏教経典を学び、新参者として何をしなければならないかを学ばなくてはなりません。
(尊師)ちょっと下劣な質問になりますけど、出家修行者にはお給料というものはあるのでしょうか?
(B)ラオの仏教徒はサラリーもなければ、いかなる私的なお金も持っていません。プライベートなお金は持っていないのです。
(尊師)それはすごい。それでは、どうしても必要な生活必需品、個人的なものはどうなさっているんですか?
(B)すべて在家の人がくれます。
(尊師)原始仏教の形態ですね、それは完全に。素晴らしいことです。ただ、今、何て言うかな、どんどん経済社会が発展していっている中で、その態勢は今後も維持できそうですか?
(B)将来も維持しようとしています。
(尊師)ラオスの仏教と政治との関係はどうなっていますか?
(B)今、政治とラオの仏教の関係は非常に良好です。なぜなら、我々は人々にどのように自由に生き、どのように正直に生き、どのようにこの国の中で生きるかということを教えているからです。
(尊師)全人口に対する出家修行者の割合はどうなっています
か?
(B)人口四百万人中二万人はどです。
(尊師)在家の信徒は仏教にどのようなことを期待しているのでしょうか?つまり、恩恵をどのように受けているのですか?
(B)精神的に幸福になることを望んでいます。
(尊師)生活面ではどのような関係となっているのでしょうか?葬式とか、結婚とか、出産とか、そういうものと仏教は関わっているのでしょうか?
(B)結婚式や子供が生まれたとき、葬式のときには、出家修行者がその家に行き、その人を精神的に教育し、例えば、
結婚式のときはお互いが誠実であるように説きます。子供が生まれたときも、そのためのリブリタモンクという特別な祈りを捧げます。だれかが死んだときには、その遺族に対して祈ります。それはもうこの人は死んだわけだから、それに対して悲しむのはよくないと。あまりにも悲しみに暮れるのではなく、穏やかな状態にするために祈ります。

投稿者 aumer_yasu | 3月 13, 2009

約束の大地/ラオス編004

◎未来仏マイトレーヤ
(B)
今度はあなた方の国の仏教や、あなた方の団体について知りたいと思います。
(尊師)それではまず、日本の仏教からご説明しましょう。日本には大乗仏教というものが昔伝えられました。しかし、それは原始仏教ではないのです。結局、仏教的土台、原始仏教が伝わっていなかったがために、その仏教は揺らぎ、神道と融合された形で発展してきました。神道というのは、要するにアニミズムです。揺らいだというのは、仏教が衰退したということです。
 今から百数十年前に明治維新が起きて、そこで完全にいったん仏教が崩壊の危機に入りました。いわゆる廃仏棄釈運動です。これが一段落した後に、文化遺産として仏教寺院が尊重されるようになりました。
 結局仏教というものはどうなったかというと、完全に儀式化されて、僧も修行しないし、勉強もしないし、ただ葬式とかそういうときに出るだけであって、大体現在では掛け持ちしています。いろいろな学校の教師と僧を掛け持ちしていたり、幼稚園を経営していたり。
 で、オウム真理教とは何かというと、オウムとA・U・Mという三音、これはサンスクリット語で無常を表わしています。そして真理の教えと。では、このオウム真理教の教義とは一体何かというと、要するにパーリ仏典、これはスリランカに伝わったもの。それと北伝系のチベットに伝わっている小乗、大乗、それからタントラ・ヴァジラヤーナの教え、これを根付かせるために設立されている教団なのです。出家した弟子が大体七百名そして日々真理の実践をしている在家の信徒が約五千名。オウム真理教の書籍類を読んでいる人はトータルして十万人くらいいます。
(B)ラオの仏教は、自分のお金を持つことなく、すべて人からのお布施で賄われていますが、あなたの団体はどうですか?
(尊師)同じです。ただ、少し違うところもありますね。出版、アニメーションの制作、あるいは「死と転生」(真実の死と転生を再現したオペレッタ)の公演とか、すべて出家修行者がやっています。つまり、布教活動の一環として出家修行者がやっているわけです。だから、その出家修行者というのは、純粋に瞑想修行するときと、それから、そういう活動に従事するときと二期に分かれます。
 ところで、未来仏についてはラオの仏教ではどう考えていらっしゃいますか?
(B)これは夢として信じているという面もあるのですが、
我々の仏教では、ブッダが将来生まれるというふうに説いています。
(尊師)そのブッダの名前は?
(B)マイトレーヤ。
(尊師)いつ生まれることになっているのですか?
(B)我々の世界に既に四人のブッダが現われました。釈迦牟尼は四番目です。また新しいブッダが生まれるでしょう。
わかりません、いつかは。待たなければなりません。
(尊師)では最後の質問です。このカルパは仏典では、人類がいったんものすごく減少して、それから十戒を守る人が生き延びて人類が発展するということになっているわけですけれど、それについてはどういう見解を持っておられるのでしょうか?
(B)マイトレーヤが現われることになっています。
(尊師)人間の寿命が八万歳になったときにマイトレーヤが現われることになっているとされていますが。
(B)人々の寿命が八万歳になったとき……同じ理論です。
(尊師)コップジャイカ(ありがとうございました)。

◎旅の終わりに--ラオスの未来は?
 ラオスの旅を終えて、尊師は次のように語られた。
「仏教は伝播の仕方は国によっていろいろな形をとる。それは、仏教の教義体系そのものが深くて広く、いかなる階層の人に対しても、その教えを有しているからである。そして、ラオスに伝わった仏教は一般的にはスリランカ、カンボジアを経てラオスに伝来したといわれているが、率直なわたしの感想は、チベット仏教やスリランカから伝わったタイの仏教の影響も受けているように思われる。
 それは特に瞑想のプロセスにその影響を見ることができる。
 ラオス仏教の瞑想の第一段階は、四念処である。しかし、第一段階の瞑想を四念処と規定しているのは北伝系なのである。そして、この教えの順番はチベット仏教のスートラ乗において見ることができる。
 ところで、ラオスに行って感じたことは、人々がのんびりしているということである。それは、小乗仏教の教えが浸透し、国民一人一人の心がリラックスしていることを意味しているのだとわたしは思った。日本にもっと真理の法を広め、日本人の心を早くリラックスさせてあげなければ、と考えたものである」

 8月30日、わたしたちはヴィエン・チャン空港を飛び立ち、タイのバンコク経由で日本へと向かった。日本では、「死と転生」の東京公演が間近だ。きっと、サマナも信徒も忙しく救済のために動き回っているに違いない。バナナやヤシの木があるゆったりとしたラオスから、全く別の空間
へと移動するような印象だ。
 それにしても--。
 いつになったら尊師はラオスの未来ヴィジョンの全貌を語ってくださるのだろうか?
「おそらく、尊師とオウム真理教もそれに関係してくるんだろうな……」
 何となくそんな気がした。

投稿者 aumer_yasu | 10月 26, 2008

youtube動画 1

<創世記>AUM animation SOSEIKI

 http://jp.youtube.com/watch?v=dlqOl97PEEM

 

<2007年のセミナー報告>

AUM Shinrikyo/Aleph 2007 Summer 1

 http://jp.youtube.com/watch?v=QeEOVQ0EGX0&feature=related

AUM Shinrikyo/Aleph 2007 Summer 2

 http://jp.youtube.com/watch?v=aoLh2mfGtQw&feature=related

AUM Shinrikyo/Aleph 2007 Summer

 http://jp.youtube.com/watch?v=M9hmGLNExcY&feature=related

<ウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師のご説法>

AUM Uma Parvati Acarya

 http://jp.youtube.com/watch?v=F6kQOdXRMuU&feature=related

<ソンシ4女>

SATIKO0807a

http://jp.youtube.com/watch?v=ILrgtnI7VV0

SACHIKO

http://jp.youtube.com/watch?v=8Q4-fZ5HQII&feature=related

<キーレーン>

Chyren 1  http://jp.youtube.com/watch?v=hnGHfuPnxj8&feature=related

Chyren 2  http://jp.youtube.com/watch?v=AoMvHEQwNoU&feature=related

VT正悟師Aleph代表をクビに

http://jp.youtube.com/watch?v=aYQNHXNuM7I

投稿者 aumer_yasu | 9月 4, 2008

はじめに

はじめに

 
世紀末を目前に控えた世界は今、混迷の度を増している。
 管理的物質主義観に基づく共産主義陣営の旗手として君臨してきたソビエト社会主義共和国連邦は、1991年の共産党解散に続く混乱の中、その歴史に終止符を打った。その後の経済改革も思うに任せず、民衆は日々の暮らしにも困り果てている。また、国の混乱をついてマフィアたちが暗躍を始め、ただでさえ少ない物資を闇ルートで流しているという。

 一方、放任的物質主義である資本主義陣営を代表し、『世界の警察』を豪語してきたアメリカ合衆国は、人種問題、麻薬問題、相次ぐ殺人や強盗、児童虐待など、多くの問題を抱えている。特に、国家の財政事情は崩壊寸前である。

世界は完全に行き詰まっている。

 核戦争の恐怖と自然破壊によってもたらされた地球の危機を前に、有効な選択肢も見いだせず、ただ途方に暮れている。

「近代西洋文明は驚くべき勢いで全世界を席巻してきたが、その低次元の物質的信仰のゆえに、また驚くべき速さで凋落してゆくであろう」
と、トインビーは語ったというが、まさしく西洋物質文明は今、末期的症状を呈し始めている。

 では、この世界に共通する難問を解決し、来るべき21世紀を切り開いていく新しい思想とは、文明とは、どのようなものだろうか?

 

 

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 文明興亡の法則を研究する京都大学教授・岸根卓郎氏は次のように語る。

「現在世界を支配する資本主義もマルクス主義も、所詮は『形』のある『物質』を中心とした西洋人の『有形的唯物文明』の所産にすぎない。

これに対し、来るべき未来東洋文明は『形』のない『精神』を中心とした『無形的精神文明』へと進化するものとおもわれる」

「人間の幸福度は、それを経済学的にみれば、

と表わせよう。ゆえに、幸福度を高めるには、所得と欲望のバランス、それゆえ物と心のバランスを図る必要がある。なぜなら、いくら所得を大きくしても、それ以上に欲望を大きくすれば、幸福度は却って下がるからである。

 そのさい、一般に分子の所得を大きくして物による幸福度を高める方向が自然支配型・自然収奪型・自然破壊型の西洋物質文明の方向と考えられる。

 しかし、ここに問題は、その分子の所得の増大を目指して西洋物質文明のみを追求してゆけば、所得は確かに大きくなり物的には豊かになっても、やがては自然は必ず破壊され人間の生存までも危なくなって、幸福度は逆に必ず下がるということである。なぜなら、今日の西洋物質文明の追求は、物質生産を刺激して分子の所得を大きくはするが、それは同時に分母の欲望をも刺激(または解放)してそれ以上大きくするから、却って幸福度を下げるという自家撞着性をもつからである。

 ゆえに、幸福度を高めるには、分子の所得(物)の増大をある限度内に抑えなければならない。すなわち、西洋物質文明のみの暴走は許されないということである。

 このようにして、幸福度を高めるには、分子の所得の増大をある限度内に抑える必要があるが、一方、それと同時に、分母の欲望(心)の増大をもある限度内に抑える必要があることも分かる。そのさい、分母の欲望の増大を抑えて幸福度を高める方法が、自然随順型・自然共生型・自然親和型の東洋精神文明といえよう。(中略)

 ゆえに、これらの東洋思想への絶えざる回帰によって、はじめて、あくなき人類の欲望(物欲)は抑えられ、西洋物欲文明による自然破壊も制御され、未来永劫にわたる自然と人類との共生が可能となって、人類はつねに『高い幸福度』を維持することができるものと考えられる」

「現在は上記のように資本家階級支配の資本主義社会であるから、この社会の価値観は金銭がすべての、いわゆる拝金主義の物質万能の物社会であるため、このような物社会からは科学面での天才は生まれても、文学、芸術、哲学、宗教などの精神面では天才は生まれにくい。

 しかし、これからの新しい日本社会は、現在の物社会をはるかに超えた、かつてこの地球上に存在したことのないほどの高い価値観をもった社会制度へと飛躍し、それによって、これまでに存在したことのない型の天才を輩出させ、さらにそれを原動力とし、これまでに存在したことない型の高度な文明を創出してゆかなければならない。そのさい、そのような『新しい社会制度』の在るべき姿は、私の予見では、対決よりは協調を、戦争よりは平和を、分裂よりは融和を、それゆえ総じて荘子のいう『差別よりは斉同を、対立よりは調和を、部分よりは全体を』をその基本的価値観とし、さらにそれに『利潤よりは福祉を、物質(金銭)よりは人間精神』をそれぞれ付加した社会制度でなければならない」

[『文明論』、岸根卓郎、東洋経済新報社]
 そう、今こそ人類は、物質よりも精神を重視する東洋文明へと回帰する時代を迎えたのではないだろうか。そして、東洋思想の真髄である原始仏教・原始ヨーガの流れこそが、行き詰まる現代世界を切り開くことができるのではないだろうか。

 物質主義、物質主義的執着、物質的思考は一時的にわたしたちを幸せにしてくれるかもしれないが、死の瞬間にそれらは消えてしまう。

 つまり、物質主義は、総合的に見るならば、精神的不安定、精神的苦痛を与える。

 

 

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現代は完全に物質主義に支配されている。

 一つは物質主義的平等を主張している管理的物質主義、すなわち共産主義。

 もう一つは、「もうけたい人はもうけましょう」という放任的物質主義である自由主義。

 つまり、東西の対決、あるいは左と右との対決などと言われてきたものの、実際には同じことである。ただ、それが放任主義的であるか、管理主義的であるかの違いである。

 このように物質主義が地上を汚染するようになったのは、ルネサンスあたりからである。

 例えば、ヨーロッパ的な流れを見るならば、教皇と王が存在して、その力関係が逆転してきたあたりから変化が始まった。その劇的な変化は、当時ヨーロッパに猛威をふるったペストによって引き起こされた。それ以降、人々は一気に資本主義的な思考に移り変わっている。そして、このペストは、現在全世界に影響力を持つ「彼ら」が仕掛けたものであった。そのペスト大流行以降、「彼ら」は人間の物質的欲望を巧みに利用し、莫大な利益を上げてきたのである。

 そして現在マスコミは、「物質主義的思考=人を幸福にする」という宣伝を24時間かけて行なっている。雑誌とか新聞、テレビ、あるいは漫画などを見ることによって、そのイメージが根づく。そして現象として追体験して、納得し、満足する。一方、宗教的なことは、テレビでは否定的に扱う。ただひたすら、金に関すること、物に関することを流し続ける。

 このような情報を流し続けているのが「彼ら」である。「彼ら」の情報操作により、日本人は物質的思考を植えつけられるだけでない。例えばテレビなどで、電話のシーンを多く見せつけられることによって、直接会話ができる機会はあるのに、わざわざ電話でしか話さない傾向が強まる。このように「彼ら」は、わたしたちを支配しやすくするために、わたしたちを集団として一つの力になることを抑え、分離・統治する。これが、日本の現状である。

 ところが、日本において、そのような統治をした場合、個々が分離状態にあるから、内的には統治しやすいのだが、外的に攻められた場合、大変もろい。これこそが、「彼ら」の支配下にある日本政府の目指すところである。つまり、日本人を無知化し、個々を分離することで統治しやすく弱体化した上で、「彼ら」に日本を献上しようというのである。

 マスメディアを中心とした無知化のプロセスは、日本のみならず世界的に行なわれてきた。その洗脳が終わり、反社会的な者が少なくなり、統治しやすい状況が完成した。「彼ら」が今まで演出してきた、強大な敵を設定することで自国民を統治しやすくするという東西冷戦という構図は、ここへ来てもはや必要がなくなった。ソ連が崩壊したのは、西側世界の敵役という役目を終えたからである。そして西側世界も、アメリカを中心にその行く手には翳りが見えている。

 「彼ら」、つまり、この世の中をコントロールしているグループは、相当知性が高い。しかも700年、800年と時間をかけて。

 その「彼ら」の目的は、粛清である。自分と関係のあるもの、一部だけを生き残らせ、もっともっと統治しやすい地球をつくっていきたいと考え、そのために計算されて動いている。

 では、その「彼ら」とは何者なのか。
「彼ら」の行なう粛清とは、いかなるものなのか。
 わたしたちはどうなるのか。

 それが、このホームページで明らかになる。

投稿者 aumer_yasu | 9月 4, 2008

序章 尾崎豊は殺された

序章 尾崎豊は殺された
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 正直いって、僕は尾崎豊の大ファンというわけでもなかった。それはあまりにも彼の歌がストレ-トすぎて、10代だった僕には気恥ずかしかったのかもしれない。気恥ずかしく感じたのは、多少はあい通じるところがあったのだろうと今では思う。

 僕が彼のことを真剣に考えるようになったのは、彼の死を知ってからだ。彼は死んだ。いや、殺された。
 最初は、マスコミがいうように彼が酒の飲みすぎで死んだ、そう思った。

 でもそうじゃない、彼は殺された、と思うようになったのは、彼の父の話や最後のマネ-ジャ-の大楽氏の手記によって、いくつかのことを知ったのがきっかけだった。

 

 尾崎は死ぬ直前、いったん病院から自宅に戻り、そこでのたうち回った後、突然こぶしを突き出し、足をけりあげ、まるで何かと闘っているように立ち回ったという。

 そしてその目は、何かを捉えるように一点を見つめていたという。そして静かに横になった。

 最初、僕は彼が空手をやっていたので、酒をグデングデンになるまで飲んで朦朧とした状態で立ち回りを演じたと思った。

 ところが、彼の目に鈍器で殴られた跡があった。

 また、彼が最初に発見されたとき、裸で背中を地面や木にこすりつけていたことがわかった。これは薬物を投与されたとき、皮膚が発熱し、かゆみを覚えたときの反応だといわれている。にもかかわらず、警察発表では薬物との因果関係が述べられなかった。

 警察は、当初彼の死因について「彼の死に関してはプライベ-トにかかわることですから」といって、あいまいに応じたことがあったが、最終的には肺水腫により病死ということになった。しかし、それでは最後の彼の行動が説明できない。

 だれかが警察に圧力をかけて真実を握りつぶしたのか。それとも警察が尾崎を殺したのか。

 尾崎はなぜ殺されたのか。尾崎は最期まで何を訴え、何と闘おうとしたのか。

 彼が残してくれたヒントを頼りに、僕は尾崎を殺した連中を捜し出そうと心に決めた。

 
 尾崎が死んだとき、マスコミは
「学校に反抗する歌を書いていた尾崎は学校を出て反抗すべき相手を見失った」
といっていたが、それはウソだ。『卒業』を聴けばわかる。

先生、あなたはかよわき大人の代弁者なのか
俺たちの怒り、どこへ向かうべきなのか
これからは何が俺をしばりつけるのか
あと何度自分自身卒業すれば
本当の自分にたどりつけるだろう

 つまり、彼は学校など相手にしていなかった。その後ろにある、もっと強大な敵を10代の時に肌で感じていた。学校や先生なんて、そんな大きな力の代弁者にすぎないと知っていたのだ。実際、彼はアジアの難民のためにも歌っていた。彼の目は世界に向けられていた。

 そして僕は、尾崎を殺した奴らを見つけた。

  

奴らの名前は――

 

「アメリカ」という。

  では、なぜアメリカは尾崎を殺したのか。
 アメリカとは何者なのか。

 それを明らかにしていきたい。

第1章   広島・長崎の原爆は実験だった

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1.原爆実験

 1945年8月6日、午前8時15分。アメリカは広島市上空に最初の原子爆弾を投下。

 2日をおいて、8月9日午前11時2分、長崎市へ二つ目の原爆を投下。第二次世界大戦末期のことでした。

 日本とアメリカの関係を語る上で、計30万人の命を奪った広島、長崎に落とされた二つの核爆弾を忘れることはできない。

 この核が使われたことについて、「日本がアメリカに戦争をしかけたのだから仕方ない」という人たちがいるが、それはアメリカの情報操作による誤った見方であり、アメリカが自分たちで開発した原子爆弾を実験するために日本人を虐殺したというのが真相だ。
 太平洋戦争の最後の年、1945年に入ると、日本の兵器産業はすでに壊滅的であり、もはや戦う能力はなかった。それでもなお、アメリカ軍による日本の都市への空襲は続けられ、多くの罪のない市民が殺された。

 しかし、後に原子爆弾が投下される広島や長崎は、その重点目標からわざと外されていた。新型爆弾を実験するには、事前に爆撃によって被害を受けていない都市の方がデ-タが採りやすいからだ。

 

 また、広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型と別々のタイプを投下した。それは、この2種類の原子爆弾を比較するためだった。
 また、最も多くの人を殺すために、落とす時間や爆発させる地上からの距離が綿密に計算された。

 赤とんぼをとっていた子。朝ごはんを食べていた子、兄弟で絵本を読んでいた子。夏休みもなく勤労動員で働いていた中学生たち。ピカッ。その一瞬、原爆は巨大な火の玉となって爆心地を包んだのです。

 爆心地近くの石段に腰掛けていた人は、影だけを残して消えました。

 爆心から少し離れた場所にいた人々も、着物や服はおろか、熱線で肉を焼かれ、髪の毛を焼かれ、皮膚はジャガイモの皮のようにずるりとむけてしまいました。

 たちまち音をたてて燃え上がる火。人間が人間でなくなり、子どもも裸で逃げまどい、助けを呼び、泣きわめき、それは地獄でした。地獄としかいいようがありませんでした。「水をください、水を」と叫んで川へ飛び込んだ人たちの声が、その呻きが、わたしにも聞こえてきます。
 瞬間的な熱線とともに、普通の爆弾では考えられないものすごい爆風が起こりました。家も学校も病院も何もかも押しつぶし、なぎ倒していきました。長崎の小学校のある先生はこう書き残しています。

「運動場は一面、人間をまいてあるみたいだった。土の見えないくらい倒れていた。たいてい死んでしまって、動かなかった」

 
爆風が通り過ぎた後は、もう変わり果てた死の街だったのです。

 

 熱戦と爆風。それにもう一つ加えて原爆の恐ろしさは、目に見えない放射能でした。

 

 舞い上がった死の灰。突然降りだした黒い雨。いたるところ、強い放射能でいっぱいだったのです。あの日、運よくけが一つせずに元気だった人々も、しばらくしてからバタバタと倒れ、高熱にうなされ、不気味な死斑が体に現われ、あるいは血を吐いて、なぜそうなったのかわからないままに、次々と死んでいきました。放射能が体を蝕んだのです。
米軍による放射線量調査

 長崎の谷口澄輝さんは、自転車で電報配達をしていたとき、後ろからピカッときて地面へ叩きつけられました。当時16歳。肩、背中、尻、両腕などにひどいやけどを負い、1年9カ月間、うつぶせになったままでした。このため、胸は床ずれで肉が腐り、あまりの痛さと苦しさに、何べん叫んだかしれなかったそうです。「殺してくれ、殺してください」と。
 かろうじて生きのびた人々も、苦しみながらさまよい、デルタ地帯の七つの川辺に折り重なって死んだ。

 恐怖のため、発狂した老婦人。
 人々は「ピカドン」と呼んだ、悪魔の火球であった。爆心地の外にいた人々が駆けつけてきた。しかし、救う手だてがなかった。体中の水分が熱線で奪い去られてしまった人々は幽鬼のように放心したまま命が尽きていった。通りすぎる者の足をつかんで、水を求めながら死ぬ人も多かった。
 爆風で吹き飛んだ市内電車。乗客はすべて熱線で焼かれ、その死体は線路下に投げ出された。

「肉がねえ、ぶくぶくに焼けただれちゃってねえ。うじがわくんですね」

  救護の努力がはじまった。だが、有効な手当ては不可能であった。

「背中の方はですね、ジャガイモの皮をむいたように皮膚が垂れ下がって」

 母親の胎内で被爆した子どもたちの不幸が、被爆した人々をさらに苦しめることになった。ある調査によると、胎児死亡、流産、死産など、悲しい経験をした人々の率が意外に高く、生き残った子どもたちにも様々な障害例を見たという。
 この幼い兄弟は、爆心から400mで被爆した。
「足首が切れてるよって。足首がブラーンとね。横にね……」

 この少年はすでに抵抗力をなくしていた。この時から3日目に死んだ。6歳であった。
 爆風で崩れ落ちた家々の下には
 死者たちが横たわっていた。

 

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2.原爆は多国籍企業の利権のために落とされた
 終戦間近、優れた情報網を持っていたアメリカは、日本が戦力、戦意ともに失い、降伏寸前であったことを知っていた。

 それにもかかわらず、核爆弾の使用を決定したのは、戦争を終わらせるためではなく、どうしても核を使いたかったからである。

 しかも、日本は、日ソ友好条約を頼って、ソ連を通じてアメリカとの和平を図ろうとしていた。

 ソ連の書記長スタ-リンは、アメリカのトル-マン大統領に、「日本からの要請に対してどう回答すればよいか」質問している。
スターリン(ソ)、トルーマン(米)、チャーチル(英)

 それに対して、トル-マンは、その日本政府の早期和平交渉にソ連が加担しないよう指示した。

 やはりアメリカは核爆弾を使う前に戦争を終わらせたくはなかったのである。

 

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 また、アメリカ政府は、原爆開発のために血税を支払った国民を納得させる必要があった。大統領付幕僚長レーヒ提督は、
「20億ドルという巨額の国費を使った以上、それが無駄使いではなかったと、国民に納得させるために原爆は使われた」
と述懐している。

 

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 それは単に実験のためだけではなく、戦後も核兵器市場で莫大な利益を上げようというアメリカの多国籍企業の思惑があった。

 アメリカには、ロックフェラー財閥、モルガン財閥という二大財閥がある。彼らこそが原爆開発のためのマンハッタン計画の中心だったのだ。

 マンハッタン計画は、1944年、ニューメキシコ州ロスアラモスの「プリンストン高等研究所」(右写真)で、J・ロバート・オッペンハイマー博士やアインシュタイン博士らによって、極秘裏のうちに進められた。

 約4兆円(22億ドル)の資金はロックフェラー財閥とモルガン財閥が提供した。

 日本に落とされた2個の原爆もここで製作された。

 
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 多国籍企業というのは、国境という枠組みを超え、世界を股にかけ、世界の市場を独占する巨大企業であり、その多国籍企業の集合体がこれらの巨大財閥である。

 ロックフェラー財閥は、スタンダード石油から発展したエクソン石油、ナショナル・シティ銀行、軍需産業のベクテル、ウェスティングハウス、大テレビ局のNBCなどを支配する。
 モルガン財閥は南北戦争で兵器を売って莫大な利益を上げて「死の商人」と恐れられたデュポン社、鉄鋼のUSスチール、兵器、電気のゼネラル・エレクトリック、自動車や戦車メーカーのゼネラルモータース、ハリウッドを中心とした映画産業を支配する。
 さらにこのモルガン財閥の背後には、ナポレオン戦争で莫大な利益をあげ、ヨーロッパ中心に経済帝国を築き上げたロスチャイルド財閥がある。彼らは軍需産業のブリティッシュ・エアロ・スペース、石油のロイヤル・ダッチ・シェル、ロイターなどのマスコミ、それに金、ウラニウムを支配する。
 彼らは互いに協力しながら、他の会社を倒産に追い込んだり、買収してその基盤を築いてきた。今では彼らだけで世界の富の90%を支配している。

 そんな彼らにとって、核兵器産業は莫大な利益をあたえてくれる新しい市場だったのだ。

 

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 このようにして投下された原爆は広島では20万人、長崎では10万人の命を奪った。また、原爆による放射能は人の遺伝子を破壊し、多くの人に悲惨な後遺症を残した。

 アメリカは爆撃後すぐに調査団を送りこんだが、それは人体実験の結果を調査するためであって、被害者の救済には役立てられなかった。

 終戦直後、国際赤十字社のジュノー博士が被爆の状況を視察した後に被爆者を救うために赤十字本部に救援物資を要求したところ、アメリカは当時新兵器の原爆の情報と自らの残虐行為を隠すためにジュノー博士の行動を阻止した。その結果、多くの救われる可能性のあった人たちが、救いの手を差しのべられずに死んでいった。

 以上のように、日本のマスコミや学校教育がわたしたちに教えている原爆投下の理由は、アメリカにとって都合のいいウソであり、わたしたちはだまされてきたのだ。

第2章   アメリカは日本征服を企んできた

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1.ペリー来日~日露戦争
 日本とアメリカの関係は、1853年のペリー艦隊の侵入に始まるが、わたしたちが学んだ教科書では、アメリカが太平洋で捕鯨を行なっており、その補給港を求めに来たことになっている。
 ところが真実は、アメリカはこのときに日本を占領して植民地にしようと考えていた。

 このときアメリカは、南北戦争で忙しく、武力で威嚇しつつ日本に対して不平等条約を結ばせるにとどまった。とはいえ、日本はアメリカ優位の貿易と無謀な通貨政策を押しつけられ、物価は高騰し、民衆の生活は非常に苦しくなった。その状態を立て直すべく日本は大陸に向かうことになった。そこで大国ロシアと衝突することになる。
 これが1904年に幕を開けた日露戦争だ。当時の日本にはロシアと戦う余裕はなかった。日本銀行の金庫にはわずか1億円あまりしかなかったのである。その日本が戦争に踏み切ったのは、アメリカのク-ン・レーブ財閥の融資があったからだ。

 この融資の背景には、日本とロシアを戦わせることによって両国の力を消耗させ、大陸における漁夫の利を得ようというアメリカやイギリス、フランスを中心とした多国籍企業の企てがあった。

 日本が奉天、旅順、日本海で勝利を収めたこの戦争は、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介によるポーツマス講話条約をもって終結することになる。

 しかし、その内容は、中国におけるアメリカの権益やフィリピンなどの植民地を守ることを最優先したものであった。数十万人の死傷者をだし、重税に苦しみながら勝ったにもかかわらず、アメリカ本位の条約を押しつけられたことに対して、国民は抗議運動を起こした。その波は、日比谷公園に始まり全国各地に広まっていった。

 

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2.アメリカの日本挑発
 さて、日露戦争後、日本は欧米列強の圧力に対抗しようとする。しかしアジアには、すでにアメリカの手が伸びており、アメリカの植民地となった東南アジアに対して、日本は何の発言権もなかった。
 1921年以降アメリカは保護主義政策をとって、日本製品を締め出しにかかり、1924年にはアメリカで排日移民法が制定され、日本人の移民が制限された。
 この人種差別は、後に日系人収容所問題を引き起こす。これは太平洋戦争中、正式にアメリカ国籍を取得しているにもかかわらず、単に日本の血を引いているという理由のみで強制収容所送りとなった事件である。

 日系人は収容所送りになったが、ドイツ人、イタリア人はそうはならなかった。原爆も日本にだけ落としている。アメリカは日本人に対して特別な敵意をもっているのだ。

 
 後にその収容所内の若者は、アメリカへの忠誠を示すという理由でヨ-ロッパ戦線へ駆り出され、常に白人の盾となるように最初に突撃させられた。

 1940年から41年にかけて、アメリカは次々と日本への石油をはじめとする輸出制限を行なった。

 1941年7月には、アメリカにある日本人の資産を凍結し、イギリス、オランダらと共同行動をとって、鉄、石油を含む対日貿易をすべて停止するという「ABCD包囲陣」を敷いた。

 このようにアメリカは日本を追い詰め、日本を挑発した。もちろん戦争で莫大な利益を上げるためだ。

 

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3.真珠湾
 日本は9月6日の御前会議において、対英米戦を決意し、10月下旬までに戦争準備を完了するよう指示した。

 さて、アメリカによって追いつめられた日本は、真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃目標として作戦を開始した。
 アメリカの宣伝によって、「真珠湾のアメリカ艦隊が突然攻撃された」ことにされている。しかし当時の日本の暗号はすでに解読されており、その情報はアメリカやイギリスにつつぬけだった。

 開戦間近を感じとっていた太平洋艦隊の司令官であるリチャードソン提督は、再三本国に対して、空襲に弱いハワイから本国への帰還を要請した。しかし、ル-ズベルト大統領はそれを拒み、リチャードソン提督を解任し、艦隊を足止めさせた。

 
 そして新鋭の航空母艦を中心とする機動部隊のみを退避させ、旧型艦を残し、爆撃されやすいようにきちんと並べ、日本軍にやられるのを待った。

 

 アメリカは、12月6日、日本がアメリカに対して翌日開戦するという情報をつかんだ。また、翌7日午前には、日本の宣戦布告はワシントン時間の12月7日の午後1時に、国務長官に通告されるという確実な情報を得た。つまり、アメリカは真珠湾攻撃を事前につかんでいた。

 

 真珠湾攻撃に関して、当時のイギリス首相であるチャ-チルも、「ル-ズベルトとその側近が、日本の意図について詳細に知っていた」と証言している。

 こうして、ルーズベルトは、日本に先制攻撃をさせることによって、当初は第二次世界大戦参戦に反対であったアメリカ国民の世論を動かし、アメリカ合衆国を参戦させるとともに、日本に戦争の責任を押しつけることに成功した。日本は世界の悪役にされ、アメリカはペリ-以来、念願の日本占領に成功することになる。

投稿者 aumer_yasu | 9月 4, 2008

第3章   ヴェトナムでの横暴

第3章   ヴェトナムでの横暴

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1.ヴェトナム戦争
 アメリカの横暴さは、ヴェトナムにも見ることができる。
路上で射殺されるヴェトナム人

 アメリカは、第二次大戦を遥かに上回る物量と軍事力を、ヴェトナムに投入した。

 

 そして、なりふり構わず、殺人と国土の破壊を繰り返した。

 

 ここでも彼らは真珠湾攻撃の時と同じようなトンキン湾事件を仕組んだ。そしてその事件を北ヴェトナムが起こしたとして戦争を拡大した。

 アメリカ軍は1965年から1969年にかけて64万3千トンもの爆弾をヴェトナムの民衆の頭上に投下した。

 よく、ヴェトナム戦争でアメリカは1兆ドルもの戦費を支出し、経済状態が悪化したというが、この莫大な戦費は国民の血税で賄われ、軍需産業を中心とした多国籍企業は莫大な利益を上げているのである。

 
 このヴェトナム戦争では、枯葉剤などの化学兵器を実験したのであった。なぜ彼らは新兵器の実験をアジア人に対して行なうのか。
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2.フツパ思想
 彼らの思想の背景にはこのようなものがある。

「異教徒をだますことは差し支えない」

「異教徒を殺してもわれわれは罪を問われない」

 これは、彼らの経典に書かれているものであり、彼らは数千年にわたってこのような価値観を受けついできた。

 この「自分たちは人間で、他は獣である」という思想は、彼らの価値観の中心にある。

 だからこそ、原爆や細菌兵器といった様々な兵器で何億人殺そうと、彼らは全く気にしない。それはちょうど、僕たちが牛や豚を食べるように、彼らは自分より下に見ている人たちを食いものにすることに何ら疑問を感じないのである。

 彼らは、わたしたちを動物のように殺すことを計画している。わたしたちは、このように殺されることが予定されているのである。

 

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3.新世界秩序と統一世界政府
 アメリカを動かしているのが、たった300家ほどのエリート階級である。彼らは政略結婚によって一つの大きな家族を形成し、その親戚関係は世界にまたがっている。この大ファミリーはいくつもの顔を持ち、その一端を巨大財閥が支配する多国籍企業といった経済分野や、フリーメーソン、イルミナティといった宗教の分野に見ることができる。

 そのまとめ役が「三百人委員会」と呼ばれる、影の政府である。この影の政府こそが近代の戦争をすべて操ってきた。

 

 それを実行してきたのが、ルーズベルト、トルーマン、レーガン、ブッシュ、クリントンといったアメリカ歴代大統領の大部分や、イギリスのチャーチル元首相といった政治家であり、彼ら全員がフリーメーソンの会員だった。

 そんな彼らは、自分たちこそ世界をコントロールするのにふさわしいと考えている。そんな彼らのためだけの世界観、それが

「新世界秩序(New World Order)」だ。

 彼らはその実行機関である「統一世界政府」をつくりあげ、僕たちを支配しようというのだ。その計画を実行するために世界各地で戦争を起こし、兵器を売りつけては儲け、国を没落させては奪ってきた。

 アメリカ前大統領ブッシュが国連や議会で「新世界秩序」という言葉を堂々と用いるようになったのは、彼らの計画が完成間近の証拠だ。

 そして、彼らの意を受け日本の政治を動かしていた小沢一郎は、「新世界秩序」という言葉を使い、彼らと連帯して動いていることを示している。

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